11 奉納仕合

 東にペルセパネ海峡を臨むペルセポリスは、西に半円状の巨大な城壁を持っている。その威容は遠くヒンドゥラ王国(ドルクの東にある国)やツーカ帝国(さらに東にある国)にまで響きわたっているという。

 だが、ペルセポリスの代名詞たるその大城壁の外、20km~50kmにもう一つ城壁があることはあまり知られていない。この城壁は古ヘメタル帝国滅亡の頃にゲルム人からペルセポリスを守るために作られたものなのだが、今ではその長大な防衛線を守りきる戦力がないしその必要もない。そのため所々をドルク軍によって壊されたまま放置されている。

 この第一城壁と第二城壁の間の土地は水利も土壌も悪くなく、ここを耕作すれば悪くない実入りがあるのだが、ここは全て帝国政府の直轄地とされて農業公社が労働者を雇って細々と耕作や放牧を行っている。そしてその労働者の中には、ローダス島沖の攻防戦で捕虜となったドルク軍兵士と元奴隷が含まれていた。イゾルテが言っていたの正体である。


「しかし勿体ねぇなぁ」

「何がだ?」

「こんなにいい土地が余ってるんだぜ? 俺の田舎じゃ、猫の額ほどの畑にしがみついて必死に野菜を作ってるよ」

「俺は町育ちだから分からんが、そういうもんか?」

「ああ。開放されたら農民に戻って、ここに住み着くのも悪くないぜ」

「でも、5年もしたらまたウチの陸軍が攻めてくるんじゃないのか?」

「……そうだな」


 ドルク軍が攻めこんできた時には、この農地には火が放たれる。例えそれが刈り入れ前だったとしてもだ。

 農民に土地を所有させていた方が精魂込めて作物を作ってくれるのだろうが、ドルクが攻めてきた時に、

「嫌じゃー! ウチの畑はワシが守るんじゃー!」

とか駄々を捏ねられても困るので、あくまで国有地、あくまで労働者という形を貫いている。だからここには民家が一軒もない。

 だが、この労働に対する賃金も悪いものではない。農産物の大消費地であるペルセポリスに、輸送費無しで新鮮な作物を供給するのだから儲からないはずがない。農閑期には城壁修理の仕事もあるし、ここでは働ける限り食うのに困ることはないのである。


 元奴隷たちは既に労役期間を終えていたが、そのせいかそのほとんどがプレセンティナを離れなかった。もっとも、彼らはまだ街の住人に受け入れられた訳ではない。彼らに限らず余所からの移住者たちは、一度籠城戦を戦い抜いてはじめて名実ともにペルセポリス市民として受け入れられるのだ。そんな訳でまだ信用のない彼らは、手っ取り早く仕事にありつける農業公社の仕事を(今度は給料をもらって)続けているのだった。



 新神殿建立委員会の最初の仕事は、その用地の選定であった。郊外は全て国有地なので、予算的・法律的には事実上フリーハンドである。

 だが、ペルセポリス周辺はどこも大して高低差がなく、森も沼もない。(木はドルク軍が攻城兵器の材料に利用するので、背の低い灌木以外は全て処分されている)せめて川を利用したいところであるが、イゾルテの要望である抜け穴のことを考えると、水辺に作るのは難しい。水場が近いと地下水が浸み出してトンネルが水没しちゃうのだ。

 そこで、ペルセポリスの正門から1kmあたりの街道脇が候補として挙られた。街道をやくす位置だし、僅かながらも小高くなっていたからだ。


 正門から西北西にまっすぐ延びるこの街道は、ヘメタル全盛期に大動脈として作られたもので、幅10mを越える重厚な石畳で出来ている。雨の日に攻城櫓のような重量物が通っても、崩れるどころか1mmとて沈み込むことがない頑丈な作りだ。当然ドルク軍の攻城兵器の通り道としても利用されやすいので、ここを押さえることは重要な意味がある。

 場所自体は委員会全員の合意を得て内定したのだが、本決定の前に現地を視察することになった。


 実際に行ってみると、そこは実にのどかな田園風景であった。農夫たちは10~20人くらいのグループを作って仕事をしていた。あくまで集団労働して農業を営む、プレセンティナ独特の光景である。

 また城門に続く街道には、農夫ばかりではなく、明らかに遠方からやって来たと思われる旅人や商人の馬車も多い。ムルス騎士団の面々は、参拝客が増えることにも密かに期待していた。


 ベルトランは、ムルス騎士団側の委員を代表して言った。

「我々はここで異存はありません」

スキピア子爵も将軍たちの顔を見回してから頷いた。

「我々にも異存はありません」

イゾルテも頷いた。

「よろしい、ではここに建立することにしよう。元老院と陛下には私から報告しておこう。次は設計と縄張りだな」

だがベルトランが異議を唱えた。

「お待ちください。場所が決まったのなら神事を行う必要があります」

「神事?」

すっかり普通の城塞を作るつもりになっていたイゾルテは、思わぬ言葉に意表をつかれた。

「はい。ムルス神に捧げる奉納仕合です」

「まあ、やってくれてかまわないと思うぞ」

イゾルテはあっさり認めたが、ベルトランの本題はここからだった。

「で、できれば、他の皇族方にもご覧頂ければと……」

もちろん、狙いはテオドーラである。


 イゾルテは思った。

――ミランダも最近は体の調子がいいみたいだし、ピクニック気分で連れ出すのに良いかもしれないな。

とはいえ脳筋なムルス騎士団の事である。(色んな意味で)子供には見せられないモノかもしれない。

「それは血なまぐさいヤツか? 女子供でも楽しめるものなら連れてこよう」

イゾルテの言葉に、ベルトランは内心でガッツポーズを決めた。

「分かりました。では、オリンペアみたいなものにしましょう!」

オリンペアというのは、ヘメタル時代に行われていた体育祭――オリンペア大祭――のことだ。各地方の肉体自慢の代表が様々な競技を行い、それを神々に奉納する神事でもある。ホントはムルス神じゃなくてゼーオス神の祭りなんだけど……競技内容が脳筋だからきっとムルス神も喜んでくれるだろう。……たぶん。

「ほう、それは私も楽しみだな。ムルス騎士団と我がプレセンティナとが競い合うわけだな」

イゾルテの言葉に将軍達が慌てた。

「えっ? 我々も出るんですかッ!?」


 プレセンティナ側の委員たちは、元老院に席を持つような将軍たちである。父親の議席を継いだスキピア子爵以外は、長年の功績が認められて議員になった中年から初老のおっさんばかりだ。今でも鍛えているとはいえ、若いのばかり集めたムルス騎士団の委員達とガチで筋肉勝負をするのはあまりにもキツイ。だがイゾルテは素気すげなく言った。

「オリンペアなら当然だろう? プレセンティナの代表として頑張ってくれ」

プレセンティナ側の委員たちは思わぬ展開に愕然としたが、それでもまだ、単なる奉納仕合であるうちは大した問題ではなかった。


 イゾルテが皇宮に参内し、選定した用地の説明とともに奉納仕合のことを報告すると、その噂は宮廷中に広がった。

「噂に名高いムルス騎士団の実力が見られるぞ」と軍人たちが興奮する一方で、

「あぁ、ベルトラン様のご活躍を見てみたいわ!」と御令嬢方がうっとりとつぶやいた。そしていつの間にか、建立予定地の周りには場所取りの天幕が村を作っていたのである。


 次の週、委員会は荒れた。喧々囂々けんけんごうごうの言い争いに、イゾルテは思わず耳を塞いでいた。

「なぜ騎馬戦(人間が馬をやるやつ)がないのだっ!?」

「仕方ないだろう! 従卒まで連れ出しても、こちらは3騎しかできないんだぞ?」

「ならば棒倒しだ!」

「だから、人数が足りんのだ!」

奉納仕合に人々の興味が集まる中、「頑張ってね」「負けるなよ」とか、「勝ったらキスしてあ・げ・る」「負けたらお前をコ・ロ・ス」とまで言われた委員達は、競技選びに血眼になっていた。団体戦と知能戦を増やして何とか対抗しようとするプレセンティナと、作戦の余地のない単純筋肉種目で力強さをアピールしたいムルス騎士団。一歩も引かぬ両者に挟まれ、イゾルテは困惑していた。

――何故だ、用地選定ではあんなに意見が合っていたのに……。やはり長年に渡るいがみ合いは、一朝一夕には拭いきれないのか……

確立されたと思ったプレセンティナとムルス騎士団の友好関係も、所詮はガラスの器に過ぎなかったのだ。彼女は絶望し、全てを投げ出した。

「もういい、分かった。5種目ずつ紙に書け。くじ引きにする」


競技はイゾルテが引き当てた順に、以下の5種目に決まった。

 重量挙げ

 砲丸投げ

 綱引き

 棒倒し

 短距離走



 試合当日、神事ということでイゾルテはトーガを着ていた。貴賓席の天幕の下で、おそろいのトーガを着たミランダを膝に乗せて話し込んでいると、テオドーラが現れた。普段はドレス姿の多いテオドーラだったが、今日は彼女もトーガを着ていた。

「ミランダ、久しぶりね。元気で何よりだわ」

「ドラ姉さま! えーと、ごきげんうるわしゅう?」

「まぁ、おませさんね!」

笑いながらテオドーラは、さりげなくイゾルテの隣に座った。そこは本来リーヴィアの席だったが、ご婦人仲間の天幕に挨拶に行っていて空いていたのだ。ちなみにイゾルテが座っているのも、本来はミランダの席だった。膝の上のミランダを混じえて、3人の皇位継承権保持者は仲睦まじく話し込んだ。3人の少女の姿は、彼女たちの美しさ、愛らしさもあって、全ての人々の心を和ませていた。ただ1人、皇帝ルキウスを除いて。


 彼は両脇に座るはずの娘たちが、勝手に隣り合って座っていることにやきもきしていた。しかも二人ともトーガ姿で、剥き出しの肩がさっきから密着しっぱなしである。ミランダが居るせいで誤魔化されてはいるが、二人の視線がやたらと交差している。以前は人前でを演じていたテオドーラも、もはやを隠そうともしていない。今にも公衆の面前でキスするんじゃないかと、彼は気が気でなかった。

――近い、近すぎる! なぜそんなに顔を近づける必要があるのだ!?

 だが彼としても、最近のテオドーラの勤勉さは認めざるを得ない。結婚して子を産むという宣言もどうやら本気のようだ。だったら姉妹で怪しい関係になっちゃっても、そんなに問題ではないのかも……?

――いやいや、やっぱりマズイだろう!?

プルプルと首を振る皇帝の姿は、重量挙げに惨敗したプレセンティナ代表にがっかりしているように見えた。



 重量挙げはムルス騎士団の独壇場だった。彼らは100kg近いオーダーメイド全身甲冑を着て、迷路を走り回っても平気な化け物揃いだ。盛りを過ぎた中年たちの敵う相手ではなかった。二十代のスキピア子爵がただ一人気を吐いたが、個人でもベルトランに及ばずに2位、団体ではプレセンティナのボロ負けだった。個人優勝したベルトランは勝鬨を上げ、盛んに貴賓席にアピールしていた。


 続く砲丸投げもムルス騎士団の独壇場だった。彼らは100kg近い(以下略)。個人優勝したベルトランは、やっぱり勝鬨を上げ、盛んに貴賓席に向けて投げキッスをしていた。


 綱引きもムルス騎士団の独壇場――と思いきや、なんとプレセンティナがあっさりと勝ちを収めた。

「どぅおりゃぁぁぁぁぁ~」とバラバラに力を込めるムルス騎士に対して、プレセンティナ側は「ウー! ヤー! ウー! ヤー!」とリズムを合わせて引っ張ったのだ。最初の数秒こそ拮抗したものの、騎士の1人がバランスを崩して力が弱まった瞬間、綱は一気にプレセンティナ側に引き寄せられていた。地面を叩いて悔しがるベルトランを尻目に、プレセンティナ勢は全員で手をつないで勝鬨を上げた。


 プレセンティナが一矢報いたことで、会場は次第に熱気を帯びていった。そこに4種目目の棒倒しである。イゾルテはミランダの目を手のひらで覆った。

「ルテ姉様、見えません」

「この競技には 〔残酷描写〕 が含まれています。15歳未満の方は観戦してはいけません」


 競技が開始されると、ベルトランはムルス騎士団の攻撃陣を率いてプレセンティナ陣営に襲いかかった。次々に飛び込んでくる重量級の肉弾は、ガレー船の衝角突撃を思わせた。水の代わりに血が飛沫しぶき、木片の代わりに欠けた歯が宙を舞った。だが、スクラムを組んだ中年たちは意外にしぶとく、鼻や口から血を垂らしながらもなんとか持ちこたえていた。

 一方プレセンティナ攻撃陣も、スキピア子爵を先頭にムルス騎士団陣営に襲いかかった。だが敵に激突したのはスキピア子爵だけ。彼がそのまましゃがみ込むと、後続がその上に駆け上がり、さらにその後続が押し上げた。一気に棒に取り付いた小柄な初老の将軍は、激しく揺れる棒を意外な器用さでするすると登って行くと、遂にその先から旗を抜き取って絶叫した。

「うぉっしゃー! ワシらの勝ちじゃー!!」


 ベルトランは背後からのその叫びを聞き、耳を疑った。振り返れば、彼らの棒は倒れていなかった。

「倒れてねーじゃん!!」

ムルス騎士団では、棒が倒れる前に旗が奪われるなどというな勝ち方は常識の外にあった。ムルス騎士団にとっての棒倒しとは、文字通り棒を倒す競技だったのだ。


 物言いがついたこの事態に、皇帝の裁定が求められた。皇帝は娘たちを引き離すチャンスと見て、この裁定をイゾルテに命じた。

「これは建立委員会の仕事だ。委員長であるイゾルテが裁定を下す」

イゾルテはミランダを抱えたまますっくと立ち上がり、託宣を告げるように厳かに言った。


「棒は将、旗は将旗。

 将倒れずとも、将旗倒るる時、軍勢は瓦解する。

 みだりに将旗を失うことなかれ」(注2)


そして再び腰を下ろすと、また3人でいちゃいちゃしながら内緒話を始めた。

「何という書物の言葉なんですか?」

「いや、適当に言っただけ」

「意味はわからないけど、イゾルテが言うと含蓄があるわ」


 その様子にベルトランも毒気を抜かれてしまった。それに説得力もあった。そもそも棒が倒れるまでやるんだったら、何のために旗が付いているのか分からなかった。ベルトランは負けを認め、気合を入れなおした。

「次こそ勝って、勝負を決めるぞ!」

「「「おう!」」」


 白熱し、最終種目までもつれ込んだこの奉納仕合は、意外な展開を見せた。5種目目の短距離走は、実は誰も得意ではなかったのだ。引かれたくじはプレセンティナ側の「長距離走」だったのだが、イゾルテが「時間がかかりすぎる」と言って短距離走に変更してしまったのだ。おかげで、プレセンティナ側もムルス騎士団側も望んでいない、ある意味公平な競技になってしまった。プレセンティナ側は瞬発力では若い奴に敵わないと思っていたし、ムルス騎士は100kg近い……(中略)なのだが、実は彼らはにはあまり重きを置いていなかったのだ。しかも彼らは疲れていた。ドタドタと見苦しく走る彼らの勝負は一進一退を続け、最後に副委員長同士の一騎打ちとなった。


 その勝負は歴史に残る壮絶なデッドヒートだった。わずか100mあまりのうちに3度も先頭が入れ替わり、最後は二人してもつれ合うようにゴール。どちらが勝ったのか再び皇帝の裁定が求められたが、スキピア子爵はしゃがみこんだまま潔く負けを認めた。

「ド・ヴィルパン卿、見事だ。勝利はあなたのものだ」

ベルトランは立ち上がると、子爵に手を差し出した。

「ベルトランでいい。あんたも思ったよりやるじゃないか、子爵様」

子爵はその手を掴んで立ち上がった。

「コルネリオだ、ベルトラン」

子爵はベルトランの手を掴んだまま、その手を天に向かって掲げた。満場の拍手が、ムルス騎士団の勝利と二人に芽生えた友情とを讃えた。こうして波乱に満ちた奉納仕合は、美しい結末を迎えた。


「叔父さま達より、ルテ姉さまの方が速くないですか?」

「もちろんだ。得意不得意は人それぞれだからな」

「やっぱり殿方は美しくないわ」


------------------------------------------------

注1)オリンペア大祭の元ネタは古代ギリシャの「オリュンピア大祭」です。古代オリンピックってヤツですね。

開催は近代オリンピックと同じで4年に1回。古代ギリシャは戦争ばっかしてたのですが、この時ばかりは休戦して競技に臨んだそうです。

そしてカンニング……もとい、不正を防止するために全裸フリチンで競技しました。

……ええ、フリチンなのです。男性オンリーなのです。女性は観戦すら出来ませんでした。誰得?


そういえばスコットランドの伝統競技会ハイランドゲームスでも、チェックスカート(キルト)の下は基本ノーパンでしたね。

ノーパンでチェックスカートを穿いて、激しい運動をするわけです。当然スカートが捲れ上がるわけです。見えてはいけないところが見えちゃうわけですよ! もちろん競技者はオッサンですけどね! マジで誰得なのっ!?


注2) このセリフはただの創作なんですが、ローマ軍団にとって「軍団旗アクィラを奪われる」ということが大変不名誉だったという事実はあります。

有名な事例だと(第一回次三頭政治の)クラッススが敗死したカルラエの戦いでも、軍団旗を奪われちゃってます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る