10 委員会

 新型ガレー船の建造が決まり、造船工廠に赴いては細々とした設計を詰めていたある日、イゾルテは離宮に思わぬ人物の訪問を受けていた。

「こうして話すのは初めてかな? アエミリウス議員。元老院の重鎮が、私に用とは何かな?」


 皇位継承の問題があって政治家とは極力距離をおいてきたイゾルテだったが、テオドーラがやっと帝位を継ぐ気になってくれたので、今は以前ほどには警戒していない。それにアエミリウスのような大物議員をすげなく追い返したりすると、将来皇帝となったテオドーラを補佐していく上で余計な火種を抱え込むことになりかねないのだ。


「今日は殿下に任命状をお渡しに参りました」

「任命状?」

「こちらが元老院議員の任命状、こちらが新神殿建立委員長の任命状です」

「は?」

「ですから、こちらが元老院議員の任命状、こちらが新神殿建立委員長の任命状です」


 元老院は古ヘメタルの民主政時代から連綿と続く由緒正しい議会組織であり、単に市民の代表機関であるというだけでなく、市民と並ぶ主権の所有者として扱われてきた。例えば古ヘメタルの正式な自称は「 ヘメタルの元老院と市民SPQH」――Senatus Populusque Hemetarus――だったのだ。(注1)

 だが、議員が多すぎた。国土の拡大とともに議員定数が肥大化し、そのせいで意思決定が遅くなってしまったのである。その弊害を解決するために試行されたのが元首制プリンキパトゥス(注2)――つまりは帝政――であった。軍事や外交のようにゆっくり議論している暇のない事項の決定権は元老院から取り上げられ、皇帝に一任することにしたのだ。つまり……議員定員を減らす必要も無くなっちゃったのである。

 現在のプレセンティナ帝国の元老院議員は、なんと1000人以上いる。貴族、皇族なら大抵元老院に議席を持っているし、あとは高級軍人に高級官僚、大商人なんかも議席を持っている。イゾルテの知る限りでも、離宮に出入りしている学者や職人の中の何人かは議席を持っていたはずだ。たぶん、組合や学会関係だろう。

 尤も元老院の総会など年に1度開かれるだけで、それも十人委員会の委員を互選をするだけである。そしてこの時選ばれた10人の委員が、全ての元老院の代表として皇帝や政府を監視し、補佐し、追認するのだ。アエミリウス議員もこの十人委員会の委員の1人であった。

 そして元老院では特定の目的を持った委員会が立ち上げられることもあるのだが、それも十人委員会が人選をする。つまり十人委員会に入れない平議員には、ほとんど実権など無いに等しいのだ。


「……元老院議員はいい。少々早い気はするが、いずれなるだろうと思っていたからな。だが、新神殿建立委員長とは何だ?」

イゾルテは困惑顔である。

「ムルス神殿の建立に関する元老院特別委員会の委員長です」

「……何故私が?」

「殿下が作ると決めたのでしょう?」

「いや、まぁ、そうなのだが。でも、私は城作りなど知らないぞ? 陸軍の爺様連中が喜んでやると思っていたのだが……」

イゾルテがぼやくと、議員は脂ぎった顔を近づけてヒソヒソと囁いた。

「ここだけの話、年寄りはこれまでローダスの悪口を言いまくっていましたので、うっかり失言を掘り返されたりすると困るのです」

「……さもありなん」

「その点、殿下は好感度抜群ですからな」

「そ、そうか?」

「ローダスでは殿下の肖像画が飛ぶように売れているそうです」

「おお! 本当か!?」

「死体を眺める殿下の絵だそうで」

「………本当か?」

「私にはローダス人の感性は理解できませんなぁ。おっと、今のも悪口ですな。何卒なにとぞご内密に」

はっはっは、と楽しそうに笑う議員に対して、イゾルテも、はっはっは、と乾燥しきった笑いを返した。

「まぁ、そんな訳で殿下に委員長をやって頂きたいのです。殿下と親しいスキピア子爵を副委員長に付けましたので、細かいことは彼に任せれば良いでしょう」

「待て、議員。私は……」

「プレセンティナのためですよ、殿下」

「……分かった」

老練な政治家だけあって、彼はイゾルテの扱い方を心得ているようだった。



 アエミリウスの言葉通り、ローダスではイゾルテの人気が凄いことになっていた。絶望的な籠城戦を続けていたら、ある日突然援軍が現れて魔法のように攻撃が止まったのだ。その援軍の代表として現れたのが腹の出たおっさんだったとしても、一気にアイドルにされてしまうところだ。ところが実際に現れたのは、凛々しさとか弱さを併せ持ち、しかも色白金髪とメダストラ海ではめったに見ない目立つ容貌の美少女だったのである。さらに伝え聞いたところでは、援軍を出し渋る廷臣たちを一喝し、皇帝に逆らって自ら軍を募り、さらにドルク艦隊を打ち破って一目散にローダス島へ駆けつけたと言うではないか!(脚色あり)

 だが彼らがイゾルテをその目で見たのは、彼女がムルス神殿を詣でた日だけだった。そこでその日のイゾルテの象徴的な2つの場面が肖像画にされたのである。1つは清楚なトーガ姿でムルス神に跪いた時の姿、そしてもう1つが凛々しい軍服姿で顔色一つ変えずに"地獄の坂"(死体と瓦礫で作った階段)を睥睨へいげいした時の姿である。それら2つの肖像画は、それぞれ違う嗜好の人々の人気を博していた。


 そんな中、ムルス騎士団の中堅騎士の1人に過ぎなかったベルトランが、新神殿建立の特命全権大使として大抜擢された。本来ならもっと上級の騎士が大使となるべきだったが、戦闘狂バトルフリークのムルス騎士団は幹部が先頭に立って戦おうとするので、上級幹部が軒並み死傷していたのだ。それにローダス側でも何かとプレセンティナの悪口を言ってきたので、年寄りは使えないという事情もあった。

 この抜擢にベルトランは燃えていた。彼はあくまでの全件を委任されているだけで、完成後の何らかの地位に内定している訳ではないのだが、今はただでさえ騎士が減っているのだ。この仕事を上手くこなせば新神殿の要職が割り振られるのは確実だった。それにベルトランには野望(?)があった。彼を含めてほとんどのムルス騎士は、タイトン諸国への仕官を狙っているのだ。

 ムルス騎士団は実力重視で素性を問わないので、その大半が平民や騎士の次男坊、三男坊の出身である。斯く言うベルトランも、西ウロパに覇を唱える大国アプルン王国……の辺鄙な片田舎の貧乏騎士の三男坊だった。継ぐべき家もないし、継いだってあんまり良いこともない。かといってムルス騎士団にいつまでも居残っても、(しょせん小島1つ領有してるだけなので)やっぱりあんまり良いことはないのである。

 だがムルス騎士団の中で出世すると、

「前職はムルス騎士団の百人隊長でした」

「おお、それは凄い! 是非、我が王国で騎士団を率いてみないかね?」

という感じで、有利に転職できるのだ。ムルス騎士団にしても、OBが各国の要人になってくれると政治的な影響力が増すのでありがたい。そして要人となったOBが、ムルス騎士団の後輩を引き抜きに来るのだ。どこかの学閥みたいなものである。


 そして、そのの一形態として婿という手法が存在する。ムルス騎士たちはローダスの女性にも人気があるのだが、婿養子になれなくなると困るので、割りと禁欲的な生活を送っている。斯く言うベルトランもかなりモテるのだが、ベロチューと愛撫までのプラトニック(?)な愛だけで我慢していたのだ。

 だが今ベルトランは、ムルス騎士団の要人としてプレセンティナの社交界に直接乗り込むことになった。相手を選べない婿養子とは違い、自分好みの御令嬢を見つけて(子供が出来るくらいに)仲良くなることができるのだ。そうすればその家に婿入りするなり、プレセンティナ陸軍への就職を世話してもらう事も出来るだろう。


 だが皇帝の娘でありその上美少女であるイゾルテは、好条件にも関わらず、ベルトランにとっては仲良くなりたい相手ではなかった。彼は団長の護衛として3者会談に赴いたので、その帰りにムルス神殿を詣でるイゾルテを道案内し、彼女が"地獄の坂"を見た現場に居合わせたのだ。プレセンティナの水兵たちが顔を背けたり、道端で嘔吐するのを見て、彼は「情けない奴らだ」と少しばかり嘲る気持ちになったのだが、ただ1人イゾルテだけは全く顔色を変えなかった。その瞳を見れば、怯えるどころか悼んでいる素振りすらなかった。既に"地獄の坂"を見慣れていたベルトランにとっては、むしろイゾルテの冷たい眼差しの方こそゾッとするものだった。

 後にその場面を描いた肖像画を見たが、彼にはそれを見て喜んでいる連中の気が知れなかった。(そういう連中は、ゾッとしないでゾクゾクっとするらしい)

 援軍として味方してくれる分には頼もしいかもしれないが、その指揮下に入るのは御免だ。それがイゾルテに対する彼の感想だった。だから彼は、皇帝の娘などという高望みをする気はさらさらなかったのだ。

 だが彼は失念していた。皇帝にはもう1人娘がいるということを。



 ベルトランの社交界デビューはこれ以上ないほど派手だった。1000年を越える歴史を持つ大宮殿の大広間で、万座の貴顕達の前で主賓として皇帝に拝謁したのだ。こういった経験の全く無いベルトランは、ムルス神殿の儀式のつもりで全てのセリフや行動を丸暗記してその場に臨んでいた。

「ベルトラン・ド・ヴィルパンと申します。この度は、団長閣下より新神殿建立に関する特命大使に任じられました。若輩者ですが、よろしくお引き回しのほどをお願い申し上げます」

何度も何度も何度も練習したおかげで、そのセリフはすらすらと口から流れ出た。

 彼は緊張していなかった。練習の時と同じように、彼の目には皇帝もイゾルテも入っていなかった。ただ練習の時と違うのは、彼の理想を現実にしたような、麗しくも可憐で、そのくせ肉感的な女性が目に映っていることだった。彼女はイゾルテと違って金髪でも色白でもなかった。多くのタイトン人と同様にブルネットで、肌も若干浅黒く、顔の彫りも深かったが、見たことも無いほどに美しかった。タイトン人の、タイトン人らしい王道の美しさである。彼女に比べれば、イゾルテの美しさなどイロモノに過ぎない。それに何より、彼女は肉感的なエロい体つきをしていたのだ。彼女を見つめるベルトランはうわの空だった。


「ド・ヴィルパン卿、着任を歓迎しよう。新神殿の建立については元老院に委員会を設立するので、そちらの方で話し合って欲しい。追って使いを送るので、まずは長旅の疲れを癒やされよ」

その女性――テオドーラに見とれていて、ベルトランの反応は遅れた。

「え? あ、はい。御言葉痛み入ります」

ベルトランは振り返ることを惜しみながら、大広間からゆっくりと退出していった。



 新神殿に関しては、建てる方も建てさせる方も、宗教的・政治的な思惑よりも軍事的な現実を優先していた。プレセンティナ側は攻め寄せるドルク軍の一番邪魔になる場所に作りたいし、ムルス騎士団としてもとにかく堅牢な神殿(というか城)にしたかった。そんな訳で、委員会のメンバーはプレセンティナ側もムルス騎士団側も無骨な連中ばかりだった。ムルス騎士団側はマッチョな若い騎士ばかりだし、プレセンティナ側も陸軍の将軍ばかりである。それぞれの代表として、ベルトランとスキピア子爵が副委員長に任命されている。

 一同が揃った顔合わせの席で、1人だけ浮いているのがイゾルテだった。実際彼女以外は軒並み体脂肪率が低そうで、もしこの部屋が水没しても水に浮くのはイゾルテだけだったに違いない。


「私が委員長のイゾルテだ。もっとも私は城作りに詳しくないので、実務に関しては副委員長の2人に頼ることになるだろう。よろしく頼む。

 プレセンティナとムルス騎士団は、城作りに関してはタイトンの双璧だ。お互いの立場を忘れて、共通の目的のために忌憚のない議論をして欲しい」

ムルス騎士たちは委員長がイゾルテだと知って内心大喜びだったが、ベルトランだけは「同じ皇女ならテオドーラ様が良かった……」とがっかりしていた。


「ただし、私から2つだけ注文がある。1つはペルセポリス市内から行き来できる抜け穴を作って欲しいということだ。

 9年前の籠城戦の時、私はまだ子供だったが将軍たちはよく覚えているだろう。苦しい戦いの中で、だれも援軍には駆けつけてくれなかった」

イゾルテがそう言うと、ムルス騎士団側の委員たちが居心地の悪そうな顔をした。

「いや、ムルス騎士団を非難している訳ではない。30年前のロードスにも、我々は援軍を出さなかったのだからお互い様だ。

 だが今回、我々はロードスに援軍を出した。そして今、君たちムルス騎士団がペルセポリスに来てくれた。我々はもはや1人ではない、頼りになる友がいるのだ。たとえドルクに包囲されてもこの絆を断ち切らせぬため、まず抜け穴を作って欲しいのだ」

イゾルテの演説に、ベルトランが水を差した。

「しかし、そうするとあまり遠方には作れません。本城を包囲させることを阻害するため、出城はその包囲の後ろを取れる位置に作る物ではないですか?」

彼はイゾルテの甘っちょろい言葉を、彼女の真意だとは欠片かけらも信じていなかった。

「ド・ヴィルパン卿の意見はもっともだ。だが、どうせドルクは十分以上の兵を連れてくる。遠くに置いても、そちらも別に包囲されるだけだ」

さらりと反対意見を述べるイゾルテに、ベルトランは舌打ちしそうになった。ちゃんと兵理を分かっているということは、先程の言葉はやはり飾りに過ぎなかったのだ。

 しかしイゾルテを好意的に捉えている他の委員達は、その意見も好意的に捉えた。

「充分に近くに置いて、相互に支援できる工夫をした方が良いということか」

「怪我をしても安全な後方に送ってもらえるとなれば、安心して戦えるな」

「抜け穴を通じて兵の移動が出来るのなら、逆撃の出撃点としても使えるぞ」

「そうなると抜け穴の大きさはどうなる? 荷車や馬車が通れるほどに大きくするのか?」

 議論が白熱しかけた所で、スキピア子爵が止めた。

「待ってくれ。議論を続ける前に、殿下の話を最後まで聞こう。殿下、もう一つの御希望とは何ですか?」

一つ頷いてから、イゾルテは言った。

「もう一つは、いつドルクが攻め込んできてもいいように作って欲しいということだ」

将軍の1人が手を挙げた。

「それは、城壁から作れということですか?」

「それもある。あとは材料を揃えてから一気に作れということだな。城壁を作りかけの状態で攻めこまれたら目も当てられない」

「ドルクに何か徴候があるのですか?」

「詳しくは言えぬが、今年中に攻め込まれる可能性が高い」


 イゾルテの言葉は衝撃的な内容だったが、陸軍にはリークしてあったのでプレセンティナ側の委員に動揺は少なかった。だがローダス側の委員は顔が引き攣っていた。彼らはつい先日、厳しい籠城戦を経験したばかりなのだ。

「だから、今年中は設計と縄張り、それと材料集めに終始するのが無難かもしれないな。ドルクが帰った後で、一気に作ったほうが楽でいい」

「確かにそうですな」

何の気負いもなく、ドルクが撤退していくことを当然と考えているプレセンティナ人達を見て、若いムルス騎士たちは驚きを隠せないでいた。


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注1)「SPQH」の元ネタは「SPQR」です。

「スポール」と発音します。星界シリーズの女提督の家名も、たぶんこれが元ネタ……じゃないかなあぁ。

SPQRというのは「ローマの元老院と人民」を表すラテン語の「Senatus Populusque Romanus」の頭文字で、色んな所で標語のように使われていたようです。「ローマの元老院と人民」、つまりは主権者のことです。帝政に移っても、皇帝は(一応は)元老院が(もしくは市民から構成されている軍団が勝手に)選んでましたし、ローマ市民には皇帝でも犯し難い各種権利がありました。

えっ、Qは何の頭文字かって? 「Senatus PopulusQue Romanus」ですよ。なんでそこのQが頭文字なんじゃー! とかいう質問は、よく分からないので答えかねます。近所にカソリック系の教会があれば、日曜ミサの後にでも神父さんに聞いてみてください。

でもコンスタンティヌス以前のローマ皇帝はキリスト教の敵だということになっているので、言葉を選ばないと火炙りにされるかもしれません。

自己責任でどうぞ。


注2)元首制プリンキパトゥス

古代ローマの帝政は前期と後期に分けられます。その前期の方が元首制プリンキパトゥスで、後期は専制君主制ドミナートゥス

うーん、大昔に「第一人者制」って習った気がするんですけどね……。

まあともかく、今でこそ「帝政」なんて言ってますが、別に「皇帝」なんていう公職が有ったわけでも無い。

あくまで「執政官」とか「護民官」とか「最高神祇官」とか、共和政時代からあった公職の「詰め合わせセット」が「第一人者プリンケプス(=元首)」であったわけです。

「首相」と「大統領」を兼任して「総統」になったアドルフ叔父さんみたいな感じでしょうか。

そんなわけでお題目としての共和政が生きていたので、各種公職の選出機関として元老院は相変わらず必要とされていたわけです。

このお題目は専制君主制ドミナートゥス時代にも一部残っていて、元老院自体はなんと西ローマ帝国が滅びても(一応)残ります。

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