第3話 『さんせっとトシロウ』に関連する話 後編
図書館は公民館や、民俗資料館が一緒になった建物の中にある。
テレビが置いてあるロビーを通り過ぎ、サナと老人は図書館に入った。
館内はヒトが少なく、ガランとしていた。
「なにか読みたい本でもあるのか?」
サナは適当な席に座ると、ショルダーバックを開いた。中からスケッチブックを取り出す。
「昔、大切なものを失くした。それを、探しにきたんだ」
「そうなんだ。よくわからないけど、見つかるといいな」
「ああ、そうだね。最期に、一目、見てみたい」
おじいちゃんはそういって、サナとテーブルをはさんだ正面に座った。
サナは鉛筆をスケッチブックの上で走らせはじめる。なにを描こうかな。
「サナちゃんは、絵が好きなのかい?」
スケッチブックを広げていると、大抵その質問がくる。そして、それには必ず同じ返事をしている。
「ううん。絵が好きなんじゃない。マンガを描くのが好きなんだ。絵を描くのはその練習のためだけ」
「じゃあ、将来は漫画家かい?」
サナはふと手を止めると、天井を見上げた。漫画家になった自分の姿を想像してみる。さほど魅力を感じない。
「そうなれたら、幸せなのかな? よくわかんない」
おじいちゃんは首をかしげる。
「どうして? 親御さんが反対しているとか、そういうのかい?」
サナは首を横に振る。マンガを描くための道具は、サナがお小遣いを貯めて買った物もあるが、両親に買ってもらったものも多い。
「ううん。たぶん、お父さんもお母さんも、やりたいっていったらやらせてくれる」
「じゃあ、どうして?」
「私は、普段いえないこととかを、漫画でいって気持ちよくなってるだけ。だから、それでお金をもらいたいとか、有名になりたいとか、考えたことないんだ。普段いえないことを漫画の中でいって、気持ちよくなってるだけ」
サナは再び鉛筆を走らせはじめた。
「おじいちゃんんはさ、はじめから町長さんになりたかったの?」
おじいちゃんはゆっくりと首を横に振った。
「いいや。そんなことはないさ。若い頃は町を出たいって思っていた。そして高校を卒業すると、町を出た。両親は猛反対していて、ほとんど家出のような出ていき方だった」
「でも、戻ってきたんだ」
老人はゆっくりうなずく。
町を出たけど戻ってきた。その事実が、サナの記憶をなでる。
京都の街なみ、私立の小学校の制服、連なる鳥居……。
「私の居場所はこの町にはない、町の外にはいわば楽園のような、毎日楽しく暮らせる場所があると信じていた」
「私と一緒だな」
サナがいうと、老人は不思議そうに首をかしげた。
すこし、自分のことを語ってみようかな? そんな気分になった。
「私はな、化けギツネの中では特に力が強い方なんだ。お兄ちゃんやお姉ちゃん、弟が使えない術も使える。だから、ウカ様が正しい力の使い方を学んだ方がいいっていって、二年生の時から京都に下宿してた」
「京都でおキツネさん……伏見稲荷かい?」
サナはうなずく。
「そう。そこで人間として学校に通いながら、放課後は化けギツネの術や、神様の世界のことを勉強してた」
サナは一度、深呼吸をした。
「でも、上手くいかなくって戻ってきちゃった」
そのときサナの脳裏に、一つの記憶が浮かんだ。
一面に散らばった白い羽根と、臓器。
それを染め上げる真っ赤な血。
口に咥えた生暖かい肉の感触。
そして、その肉をかみ締めたときの……。
思いだすと今でも吐き気がする。サナは唾を飲み込み、込み上げてくるものを抑え込んだ。
「大丈夫かい? 体調悪いの?」
老人は心配そうにサナを見つめる。サナは笑ってみせた。
なにを考えていたんだろう。自分のことなんて、話すんじゃなかった。思いだしたところで、いい気持になんてなれないのに。
「うん、大丈夫。それより、おじいちゃんの話、もっと聞かせてよ。町に戻ってきて、すぐに町長さんになったんだ?」
話題を変えたくて、そういった。
老人はまだ少しサナの体調が気になるようだったが、ゆっくりとさっきの続きを話しはじめた。
「すぐには無理だよ。友人の紹介で仕事を見つけて、仕事で知り合った女性と親しくなって、恋仲になって、結婚して、子供が生まれた」
「順風満帆だな」
「ああ、そうだった。それから、町議会議員になって、町長になった。そして、病気で倒れるまで続けた」
老人はそういって、ゆっくりと、長く、息を吐いた。
「本当に、仕事は充実していたよ。でも、だから失敗した」
「おじいちゃん、なにを失くしたんだ? なにを探しているんだ?」
きっとこれが老人の“想い”の核心。サナは尋ねてみた。
「息子がいた。私たちはなかなか子供を授かることが出来なくて、年をいってから、たった一人生まれた私たちの子供だった」
老人はゆっくりと息を吐いた。
「真面目で素直で努力家な子だった。小学校、中学校、高校とずっと、学年一番の成績だった。勉強も、運動もだ。このまま、東京の大学にいかせようか、などと考えていた」
そこから「だが」と言葉をつないだ。
「高校卒業後の進路を決める段階になって、突然、芸人になりたいといい出したんだ」
「ずいぶん思い切った方向転換だな」
老人はうなずいた。
「そう見えていただけだったんだよ。よく考えれば息子は小さい頃、テレビで漫才を見るのが好きだった。真面目な息子。そういうイメージを私が望み、息子がそれを演じていただけだった」
「まあ、真面目な芸人さんもいっぱいいるだろうけどね」
「私は、それすら知らなかった。無知だった。芸人になろうとするヤツなんて、ろくでなしばかりだと思っていた」
サナは「それでどうなったの?」と尋ねた。
「進路のことで大喧嘩し、最終的に息子は芸人になるのをあきらめるといった。だが、次の日、図書館にいくといって、そのまま帰ってこなかった。『探さないでくれ』と書置きがあった。家出したんだ」
おじいちゃんは一度、深呼吸した。
「探したが見つからなかった。一度だけ、心配するな、と電話がかかってきた。どこにいるのか、なにをしているのか、全く答えてはくれなかった。それから数年後、妻は亡くなり、さらに数年後、私も体調を崩して入院することになり、町長も辞職した。そしてそのまま死んでしまったんだな」
老人は天井を見上げた。その目からは、涙がこぼれ落ちた。
「付き合わせてしまって、すまないね、サナちゃん。ここに来たら、息子に会えるような気がしたんだ。そんなはず、ないのにな。オレは、バカだ。なんで、応援してるって、頑張れよって、そういって送り出してやることができなかったんだ。たったそれだけのことで、なにかが変わったかもしれないのに」
老人は目元の涙をぬぐうと、立ち上がる。
「サナちゃん、思いを果たさずにあの世へいくことって出来るのかい?」
「うん。食堂にあるかまどでつくった料理を食べたら、思いを残していても、二度とこの世には戻ってこられなくなる……でも、おじいちゃんそれでいいのか? 息子さんに会いたいなら、なんとかして……」
サナは途中で言葉を切った。老人は、自分の口に人差し指をあてていた。
「サナちゃん、図書館では静かにね。特に、私は周りには見えていないんだろ? 大きな独り言をいう、ヘンなヒトだと思われてしまう」
老人はそういって、出口にむかって歩きはじめた。サナもその後を追う。
図書館を出ると、笑い声が聞こえた。一人や二人の笑い声ではない。とても大勢の笑い声だ。
それは、ロビーに置かれたテレビの声だった。なにかのバライティー番組のようだ。
老人は、テレビの前で足を止めた。
『さんさんさんさん、さんせっと。いち、に、さん、でさんせっと』
テレビでは、男の人がそんな歌を歌いながら、不思議な動きの踊りをしていた。それを見ている人たちは、みんな笑っていた。
突然、老人は大笑いしはじめた。
「面白いじゃないか、トシロウ」
おじいちゃんは一通り笑った後、満足気にそういって、建物を出ていった。
お店に戻ってくると、金属製のかまどには火が入っていた。
「おかえり」
コンがそういってむかえてくれた。
老人はゆっくりとカウンター席に座った。
「もう、いいんですか?」
コンは軟らかい口調で尋ねた。
「ありがとう。最期に、とても良い時間だった」
老人はこたえた。
「なんか食べたいものありますか?」
コンの質問に、おじいちゃんは少し考えたあと、こういった。
「里芋の煮ころがし、つくれるかい? 家内が酒のアテによくつくってくれたんだ」
コンは「はい」というと、戸棚から里芋を取り出し、調理をはじめる。
皮を剥いて一口大に切ると、水に入れて火にかける。
沸騰してしばらくしたらザルにあげ、水で冷やしながらぬめりをとる。
鍋にだし汁、醤油、砂糖を入れ、里芋を煮る。金属製のかまどの火で煮た。
ほどなくして、里芋の煮ころがしは完成した。
老人はゆっくりと、湯呑に口をつけた。
「ああ、うまい」
「お口に合いますか?」
コンは少し不安そうに尋ねる。
「家内のとはずいぶん味が違う」
老人の体は徐々に透けていく。
「だが、とても美味いよ」
そして、完全に消えた。
「逝ったな」
サナは静かにいった。
「うん。そやね」
コンも、小さくうなずく。
「いつも、こんなことをしているんですか?」
そう尋ねたのは、イクだった。
「うん、それが私たちに与えられたお役目だから」
サナはどこかすっきりした表情でうなずいた。
「私もいつか、あんな風にあの世に逝くのかな」
イクの小さな声が聞こえた。
日が暮れて、サナは家に帰った。
リビングに入ると、弟のコウがテレビを見ていた。サナもなんの気なしに横に座った。
画面では、バライティー番組の司会者が、芸人にインタビューしていた。
その芸人というのは、“さんせっとトシロウ”だった。
『トシロウはこれからやりたいこととかあるの?』
『久しぶりに実家に帰りたいです』
『ずっと帰ってないんだっけ』
『そうなんです。両親、特に親父が芸人になるのに反対してて、家出してそれっきりなんです。だから、一回実家に帰って、一回本気でネタを見てもらいたいんです』
そこでコウは、嬉しそうにサナを見た。
「ねーちゃん、知ってる? さんせっとトシロウって、この辺の出身なんだって。そのうち来るかも。見られるかな?」
「うん。そのうち来るかもな」
サナはそういうと、テレビを見るのやめて、自室に引き上げた。
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