3-2

 平日は、仕事場にキンタを連れていった。うちの会社では、時々パートさんが、保育園が休みのときなどに子供を連れてきたりして、けっこう気軽に、会社全体で子供の面倒をみるような習慣があったのだ。

 会社のみんなにはキンタを親類から一時的にあずかっている、と説明した。だれもが、疑問をくちにせず、疑惑ももたず、キンタを可愛がってくれた。キンタに魅了されないものは人ではない、と断言してもいいくらい、みな可愛がってくれた。なんと、あのクソヤンキーまでもが、キンタを抱っこしたりあやしたりしていたのを見たときは、いささか面食らう気持ちだった。

 ただ、どんなときもキンタは無表情だった。例の笑顔も、私以外にはけっして見せることはなかった。

 みんな、妙な子だね、なんて言いながらも、なんだかんだと面倒をみてくれる。

 しかし、そんな生活も、数日すぎ、数週間すぎると、みんないぶかしみはじめたようだった。一時的にあずかっていると言っていたのに、いつまであずかっているんだろう、という怪訝な顔を、みんながしはじめたような気がしてきた。それはけっして声にだして私に何か言うというわけではなかったのだが、会社全体が、私に対して不信感をいだきはじめていたのを、私は肌で感じとっていたのだった。

 そしてあるとき、あるパートのおばさんが、ぽつりと言った。

「そろそろ、なんとかしたほうがいいわねぇ」

 それは何の気なしに、心のなかのわだかまりが口にでたというふうにもとれたが、いつまでも仕事場につれてこないで、保育園にでもあずけたほうがいいんじゃないの、という程度の意味合いだったのかもしれない。

 しかし、私は、はっとした。学生のころ、朝、突然母から大声でたたき起こされたときのように、夢のなかからいきなり引きずりだされた思いだった。

 もういいかげん、キンタとの生活にピリオドをうつべきなのではないのか、と。

 キンタはだんだん成長する。やがては小学校にも通わせなくてはいけないだろう。そして、中学、高校と進学していけば、私の経済力で養いつづけることができるだろうか。今のつましい暮しのなかからでは、どう考えても、学費も食費もまかないきれるものではないと、容易に想像できた。

 そしてなにより、キンタには戸籍がない。戸籍がないまま今の日本で、はたして普通の生活がおくれるのだろうか。病気になったときのために健康保険にもはいらなくてはいけない。だが戸籍のない子が健康保険にはいれるのだろうか。

 ちょっと考えただけで、様々な問題が浮上してくるのだった。


 その日の夕方、私はキンタをつれて、川の堤防にのぼった。

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