4-1

 私はここが好きだった。


 私はこの川の堤防に、ときどきくる。

 ここは河口にちかいせいで川幅が広く、夕陽にてらされて赤く色づいた向こうの堤防とさらにそのさきに広がる家々が、ミニチュアのように感じられる、面白い場所だった。通勤ルートからはちょっとはずれるが、この景色をみていると、心がいやされて落ちついた気持ちになれるので、会社からの帰宅時にちょっとよっていくことがあった。

 キンタと出会い、時は流れ、初夏から盛夏、晩夏とうつりかわり、今では秋冷を感じる季節になっていた。

 秋のものさびしさに心が動かされたのかもしれない。ただ感傷的になっているだけなのかもしれない。だが、決意しなくてはいけない時がきたのは確かなのだ。

 このままキンタと警察にいこう。そして私は罰を受けよう。それがどれほど重い罰であっても受けなくてはいけない。私はそれだけのことをしたのだ。キンタの本当のご両親は、今も我が子をさがしているのだろう。不安で心配で、身も心もひきさかれるような思いをしているのだろう。その気持ちを思うと、心がしめつけられ、ずっと忘れていた自責の念が呼び起こされてくるのだった。

 私は堤防のうえから流れゆく川面をながめ、ずっと黙って考える。キンタは私の手をにぎり、私の目にうつる景色をその目にもうつしている。

 私は、かがんでキンタをこちらにむかせ、じっと見つめて言った。

「さよならだね、キンタ」

 私はキンタを抱きしめた。ぎゅっと力強く抱きしめた。キンタは苦しいともいわず、きっと無表情のままなのだろう、なすがままにされている。

 ずっとこのままでいたい、ずっといっしょにいたい、でも、それはいけないことなのだ、かなわないわがままなのだ。

 腕をはなし、キンタの肩に手をおいて、私はその小さな顔をみつめた。この顔を、脳裏に焼きつけておきたい。一生この顔を忘れたくない。

 私のまなざしを見かえしながら、キンタは何を思っているのだろう。その無表情の顔からは何もさっすることはできなかった。

 立ちあがった私が振り向くと、そこには、視界いっぱいに広がる海抜ゼロメートル地帯に、ごちゃごちゃと家々がひしめきあって建っている。そのずっとむこう、ずっと遠くにみえる高層ビル群が夕焼けのなかで黒くゆらめき、赤い絵の具のなかに溶けていくようだった。

 突然、風が吹いた。

 その強い風に、私は思わずキンタの手を放して、風から顔を守るようなしぐさをしてしまった。

 いけない、と手をもとにもどす。だがそこにはなにもなかった。あるはずの小さな手も、そのぬくもりの痕跡さえもなかった。視線を動かしても、虚無しかない。まるで、風とともに悪魔がきて、キンタをさらっていったかのように、その姿は忽然こつぜんと消滅していた。

「キンタっ」

 私は叫ぶ。

「キンタぁっ!」

 いくらさけんでも、いくら周りを見わたしても、キンタの姿はどこにもない。

 まさか、風にとばされて、堤防を転げ落ちたのでは、と河原をのぞいたが、そこにはなにもみえない。ただ草のはえた土手とそこから続く河原があり、川との境界までむなしく広がる空間があるだけだった。まさか、風上のほうに飛ばされるわけはないが、と思いつつも堤防の反対側も見る。だが、そこにもキンタが飛ばされた形跡はまったくない。ただ家並みと堤防にはさまれた、うす暗い細い道が見えただけだった。

「どこ、どこにいったの」

 私は走りだした。堤防をおりて河原をしばらくさがし、ふたたび堤防の上にのぼり、町の方におり、ひたすら走った、キンタをさがして走りつづけた。

 つるべ落としに落ちていく日の光が、しだいによわくなり、いつしか、すれ違う人々の顔さえも判別できなくなってきて、それでも私はキンタをさがした。べそをかき、汗をながし、鼻水をたらして、町じゅうを走りまわった。闇雲にひたすら走りまわった。

 だが、キンタはどこにもみえない。

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