4.11月
今日も早く帰らなきゃと気持ちは焦るばかりで、足がもつれて転びそうになっていた。部室までがこんなに遠いなんて、思ってもみなかった。
サークル棟を目指して走っていると、見慣れた背中が見えてきた。
「カケ!」
息も絶え絶えに、カケの背中を叩いた。
「あ、ひっさしぶりじゃん。なんだよ最近、全然サークルに顔出さないじゃん。来月またライブあるのに、全然電話も出ないし」
「ごめん、ちょっと、居候だから肩身狭くて、なかなか」
ゼイゼイと整わない息を荒げながら弁解した。
「それで、これ、ユーマに、返しといてほしいんだけど」
そう言って、手にしていたCDをカケに差し出した。
「やだよ。自分で渡せよ。部室まであとちょっとなんだから行こうぜ」
「や、今日はほんとに、おばさんの誕生日で」
「いいからいいから」
何がいいのか分からないが、カケに腕を掴まれて部室に引きずられてしまった。ようやく息が整い始めた頃、部室に到着した。
「久しぶりのご登場でーす! 連れてきた俺偉くね? 偉くね!?」
誇らしげに2人の前に私を差し出すカケ。
「連絡も返さないで、何してたのよ!」
私の姿を見るなり抱き着いてくるアキ。
「ごめん。忙しくて、忘れちゃってて」
慌てて言い訳を吐き出す私。
「これ、ユーマ、ごめんね。長く借りてて、返さなくて」
アキの背中をなでながら、反対の手でユーマにCDを差し出す。
「これ貸したのいつだよ。とっとと返しやがれ」
そう言いながらもユーマは、私の手からCDを受け取ろうとしなかった。
部室は7月に見た時となんにも変わっていなかった。弦が切れた赤いレスポールが埃をかぶって壁にもたれかかり、一体何をどうすればそこまで傷つくのか分からないボロボロの青いベースが寄り添っている。色褪せて元の写真や文字が読めなくなった歴代のポスターは壁を埋め尽くし、それでは飽き足りず天井にまでベタベタと貼られている。
木と汗と錆びた弦の臭いがうっすらと漂う通い慣れた部室だ。それがどうしてこんなにも懐かしく感じるのだろう。
「来月のライブは出られるの? セトリはこれなんだけど」
いつの間にか離れていたアキが、セトリをメモした紙を持って来た。少し練習をして勘を取り戻せばすぐステージに立てるよう、演奏し慣れた曲名ばかりが並んでいた。
それを見て、申し訳ない気持ちといたたまれない気持ちで帰りたくなった。
「私のことも考えてこのセトリにしてくれたの……? ありがとう。ごめんね」
「謝るのはいいから。謝るくらいなら行動してくれ」
「そうだよ、ドラムがいないとやっぱ締まらんし」
「ライブ、出たくないの?」
出たい。でも、出れない。
「ごめん。居候させてもらってるから、おばさんに気を遣わないと申し訳ないし」
「気遣いすぎだと思うぞ。いくら居候だからって、なんでもかんでもそのおばさんに合わせなきゃならないわけ?」
「前はそうじゃなかったじゃん」
「あとつまんなそう。早く引っ越せよ」
ごもっともだ。
「ホントにごめん。なんとかするから。あとで連絡するね」
それだけ言うと急いで部室を出た。リュックを背負い直し、家まで駆けた。息が上がるが、構っている余裕はない。
勢いよく玄関を開けて声を上げた。
「すみません、遅くなりました!」
苦しくて肺が酸素を求めているが、息を整えている暇はない。
慌ただしくリビングの扉を開けると、真っ暗だった。
「……え?」
肩で息をしながら、理解が追い付かなくて一瞬固まる。スイッチを探って点けると、机の上に書置きがあった。
『おかえりなさい。今日は佐古田さんたちがお誕生日パーティーを開いてくれるっていうから、行ってくるわね。夕ご飯は適当に済ませて頂戴。それから、明日から1週間、熊岡さんたちと九州に旅行に行ってきます。お土産は期待してていいわよ』
3回読んで、ようやく意味を理解した。
昨日はあれほど「私の誕生日なんだから早く帰ってきてね」と何度も念を押されたのに。当の本人はすっかり忘れて遊びに行ってしまったようだ。
最初はこんなふうじゃなかったのに。
私が登志子おばさんに合わせることが当たり前になってから、こんなことばかりだ。
「何やってんだろ」
こんなことばかりでも、今日のは効いた。
ふいに空しさがこみ上げてきて、脇腹も痛くて、フローリングにへたり込んでしまった。私はこんなに気を遣って、バイトのシフトもサークル活動の時間もゼロに近いほど減らしているのに、登志子おばさんは好き勝手にしている。
そりゃここはおばさんの家なのだから好きに振る舞うのは当たり前だとしても、それにしてもこれはひどくないだろうか。
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