第10話 従業員を雇おう!


「うっわー! きっれー!? っていうか月が3つあるんですけど!?」

「あっははは! ほんと、当たり前すぎるんですけど。っていうか4つあります」

「なーにー!?」

「今日は月が3つ出る日ですけど、明日は4つ出ます」

「まじかよ」

「こんなの小さな子どもでも知ってますよー。ほんとかわいいんだから」

「俺の生まれた国では月は1つしかないんだ」

「はいはい」


 月の出ない夜の翌日。

 俺たちは屋上で月を見ていた。

 北向きの部屋の建物では、月や星をみたいときは屋上に登って、チェアに寝そべるのが普通らしく、この宿屋にも設置されていた。

 プァンピーの誘いに乗って半信半疑やってみたが、衝撃的な光景だ。美しすぎる。

 大きいというのもあるが、黄色の月と緑の月と青い月が出ている。どれも神秘的な美しさだ。今まで夜空を見上げる余裕がなかったもんな……。

 それと同時に、ここは地球ではないことがわかった。そりゃそうだ。魔法もあるし、なぜか日本語は通じるし。やっぱり異世界転生なんだなあ……。

 夜風は爽やかで、気候は沖縄とかハワイのようだ。湿度が低くて、まったく寒くない。なんとなくそう思っていたが、結構南の国であるらしい。見た目はヨーロッパっぽいのに……。


「今って夏じゃないんだよな」

「秋の終わりかけですね。これから雨季になって、お待ちかねの冬です」

「お待ちかねなのか」

「そりゃあそうですよ。寒い日とか最高じゃないですか」

「そうかな」


 わからん。暖かいほうがいいだろ。


「まず温かい食事が美味しく感じます」


 わかる。早速だがそれはわかる。おでんとかだろ。


「お風呂も入りたいなー」


 わかる。めっちゃわかる。冬は入浴剤買っちゃうね。


「そしてこれが大事なんですが、おしゃれが出来る」

「おしゃれ?」


 わからん。薄着のほうがいいだろ。

 

「冬服って可愛いじゃないですか~。冬以外は基本的に暑さ対策、日光対策優先ですからね。地味だし。ダサいし。冬だけは見た目重視」


 ふーん。そういうものか。まぁ気温は沖縄やハワイだけど、かりゆしやアロハシャツはこの町並みにはそぐわないな。


「ふふふ」

「ん? 何が面白いんだ」

「ずっと面白いですよ。もうほんと毎日楽しいです」


 そうかよ。

 俺は不安でいっぱいなんだが……今がちょうどいい機会かもしれないな。


「ところで、その……プァンピーはいつまで俺と一緒にいてくれるんだ」

「えっ。えっ、えっ? それってプロポーズだと思っていいんですか?」

「いや全然違います」

「ええ~がっかり……」


 びっくりしたー。突然プロポーズしたことになってたー。


「いや、なし崩し的にここ数日ずっと一緒にいてくれてるけどさ……いいのか? 他にやりたいこととかないのかなって。俺、何も聞いてないからさ」


 漫喫でたまたま出会ってから、なんとなーくずっと一緒にいるのが続いていた。もちろん食事も一緒だ。いつも食堂でトレスがプロポーズだの求婚だの口癖のように言うから、プァンピーも影響を受けているのだろう。ちなみに、その食堂にも幟を作っており、今でもタダ飯継続中だ。


「心配してくれてるってことですか」

「うん……そうだな」


 ちょっと恥ずかしいやりとりだが、彼女の顔じゃなくて、月を見ながらだと自然に話せている気がする。


「ずっと丁稚奉公先を探していました……最初に出会った宿屋で店番と掃除をしながら」


 丁稚奉公ってのはずいぶんと時代劇みたいな単語だが、まぁ神様の翻訳の問題だろう。

 要するに住み込みで、給金無しで働くというところか。修行として。


「でも物を売ったり買ったりするより、OLになりたかったんです」


 突然現代の単語になったが、これも翻訳の都合だろう。

 つまり店員として働きたいわけじゃないということか。しかしそうか、オフィスか……。


「だからこのまま働きたいです。駄目ですか」

「いや、こちらこそお願いしたいよ」

「雇ってもらえるんですね!?」


 あまりにも嬉しそうな声だが、そちらをみるのは気恥ずかしくて、月に心を奪われたままということにする。

 正直、雇うっていうのは抵抗がある。正直、俺はプァンピーがいなければ商売にならないどころか、生きていくことすら出来ない。字が読めないどころか、数字もわからないし、金の価値もまったくわからないのだ。

 なんとなく全部プァンピーがうまいことやってくれているが、俺自身は飯がタダとか宿がタダとか物々交換的な交渉しか出来ていない。

 それも仕方がないだろう。

 海外旅行のときだって、紙幣や貨幣にはアラビア数字が書いてあるから1ドルと100ドルの違いくらいわかるが、俺が見る限りこの世界のお金には何も書かれていない。さすがに重さだの銀の純度だのでやりとりはしていなさそうだが、現段階ではいくら持っているかもわからない。本当におんぶに抱っこなのだ。

 運命共同体すぎて雇うという言葉がしっくりこない。


「むしろ共同代表というか共同経営者として迎えたいくらいなんだよなあ」

「えっ!? わたしが経営者!? そんなの無理に決まってますよ~」


 それもそうか。

 責任を負わせるわけにはいかないな。


「じゃあ雇うってことにするか……でも給料は払わないとな」

「いえいえいえ! いいんです、寝るところと食べ物が貰えれば」


 やっぱりな。丁稚ってのはそういうことだな。

 共同経営者にしたい相手に、そういうわけにはいかない。


「駄目だろ……冬服を買う金はどうするんだ」

「それは……」


 ちらり、と目をやると人差し指を突き合わせていた。やれやれ……。

 そもそも俺は金を使うことができない。今いくら持っているかもわからないのだ。


「じゃあ、金は全部預ける」

「えっ」

「で、俺が買いたいものは全部プァンピーに言って買ってもらう。プァンピーは欲しい物があったら俺に言う。許可したら買っていい。これでどうだ」

「あ……」


 月明かりをたっぷり浴びているプァンピーは、嬉しそうにはにかんだ。なんかお互いが子供みたいなお金の使い方になってしまったが、これでいいだろ。いくら給料をあげたらいいかもわからないからね。


「つまり夫婦ってことですよね」

「違います。プロポーズじゃないです」


 確かに、同じ財布で生活することになるけど。お金を全部奥さんに預けるご家庭みたいな感じだけど。むしろ俺はお小遣い制ですらないけど。幼児かよっていう感じだけど。

 しかし金の価値がわからないうちは幼児と変わらない。とほほ……


「この袋に入ってるのが、全財産なんだけど」


 少し体を起こして、金の詰まった袋を渡す。紙幣がないので、まぁまぁの量だし、それなりに重い。

 とりあえず今までの収入の全部だ。なんせ金の使い方がわからないので、一度も使っていない。タダ飯とタダ宿だけでなんとか生きてきた。幟をいくつか納品した代金だ。プァンピーがクライアントから受け取った金をとにかく全部袋に詰めただけ。


「ふんふん。72430コ―テクと、64000スクエア。それに5セーガ、1.5ニントですね」


 全然わからん。通貨多すぎる。見てもその違いもわからん。マジ幼児。

 それにしても本当にみんなパッと見で金額を把握することができるのか?

 やっぱりプァンピーは優秀なのでは……?


「全部同じ通貨にするとどうなるの」

「ええ!? んー、今のレートだと……」

「ああ、そんな細かいこと言われてもわかんないからざっくりでいいよ」

「えー? お金のことなのに、いいんですかー?」


 そう言われてもな。本当はよくないが。だってわかんねえもん。


「1000スクエアってさ、普通の昼飯の値段?」

「へ? まぁそうですね。ちょっとだけ豪華なお昼ごはんって感じですかね」


 俺の知っている基準はこれしかない。この世界で初めて仕事をしたときの定食屋の定食の値段だ。ちょっと豪華な昼飯っていうなら、おおよそ1000円なんじゃないだろうか。


「じゃあ今度からそれを1ランチってことにする」

「ふんふん。じゃあ、今はだいたい150ランチくらいですね」


 いいね。早い。日本円換算でざっくり15万くらいあるってことだ。


「この宿って本当は一泊いくら?」

「3ランチくらいですね」


 ぐっとわかりやすい。素泊まりが3000円。安いは安いが、わからなくもないね。

つまり5000円あれば一日生きることができそう。これで普通に食事代や宿代を払う生活になったとしても、1ヶ月くらいは死なない金を持っていることがわかった。やはりプァンピーは必要な存在だ。


「よし、じゃあオフィスを借りるのにはいくら必要になる?」

「え? オフィスですか?」

「そりゃ、プァンピーをOLにするためにはオフィスを借りないと」

「私のために……?」

「ちょ……!?」


 滂沱していた。そりゃもう滝のように涙が。


「うう~~~」

「おいおいおい」

「嬉しい~、嬉しすぎるぅ~」


 なんというストレートな感情表現なんだ。完全に毒気を抜かれる。

 プァンピーのためというのもあるけれど、携帯電話のない世界であれば、どうしてもオフィスは必要だろう。依頼を受け付ける事が出来ないから。それに、自分たちで荷物の受け取りやお届けをするのにも限界があるし。しかも、これから雨季とか冬とか言ってるし。


「だいたい、こんな大金を私に預けるなんて、お人好しにもほどがありますよ~」


 そうかもしれないが、俺が金を持っていても価値がわからないからかえって危ない。詐欺にあってもわからないし、うっかり大金を持ち歩いて盗まれたり強盗にあうかもしれない。


「いや、そもそもプァンピーがいなかったら死ぬしかないから」

「今度こそプロポーズですね!?」

「そうではないけど」

「んも~!」


 よかった。やはりプァンピーは泣き顔より笑顔で居て欲しい。


「明日、注文が来ている発注が終わったら、二人で不動産屋を巡ろうか」

「プロポーズですね!?」

「わざとやってるだろ。探すのはオフィスだぞ。愛の巣じゃないからな」

「えへへ……楽しくって」


 ならいいけどな。

 明日、不動産屋を巡るのは俺も楽しみだから。


「あと服も買いましょう。オフィスにふさわしい服を」

「そうだな……」

「オフィスを借りられたら、椅子やテーブルも買わないと」

「そうだな……」


 明るい夜に、未来のことを話していると、不安が取り除かれていくような気がする。目の前がクリアになっていくような。

 月の出ない夜が怖いのも、なんとなくわかる気がした。

 俺が視線を横にすると、彼女と目があった。何度目になるかわからないが、言っておくか。プロポーズみたいなことを。


「これから、よろしくなプァンピー」

「よろしくおねがいします、ボス」

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