第42話 救出作戦開始③
吉田屋 客間
*京香 side*
「出がけにいろいろあって、出立が遅れてしまったんだ……」
と、中村さんが悔しそうに顔を歪め俯いた。
荻から京へ辿り着いて間もなく、枡屋に顔を出した際、枡屋さんが新選組に捕縛されたことを知ったという。
吉田屋に着いて早々、私は中村さんと再会した。
中村さんは、昨日から吉田屋を訪問していたそうで、これから、私に会いに寺田屋へと向かうところだったらしい。
「すれ違いにならなくて良かった。それで、
きっと、池田屋事件のことが心配だったに違いない。不安そうに顔を歪める中村さんに、私はこれから起こるであろう史実を簡潔に説明した。
「史実が確かなら、屯所内での事情聴取の後、六角獄舎というところに収容されてしまうはずです」
文久三年、八月十八日の政変で、長州藩は京都での地位を失墜してしまった。
その後、藩主父子の名誉回復と、京都から追放された公家数名の赦免を願い出たのだけれど、またもや失敗している。
それでも、長州藩の勢力回復をする為、兵を率いて上洛し、七月に会津・薩摩・幕府連合軍と、後に、『禁門の変』と呼ばれる戦を決行。
中村さん曰く、尊王攘夷を第一とする
「長州は劣勢。その後、敗北してしまいます」
「……そうか。
池田屋事件後、古高俊太郎は六角獄舎に収容され、その『禁門の変』の際、飛び火がその収容所まで燃え移り、火事に乗じて逃亡することを恐れた役人たちによって、判決前にも関わらず、斬首されてしまうのだ。
私からの説明後、中村さんは更にがっくりと肩を落とした。と、その時。中村さんの隣にいた優美さんの、明るい声にはっとして顔を上げる。
「今、思ったんだけど。新選組屯所に殴り込むより、その、『禁門の変』の時に救出する方がいいんじゃない?」
「俺もそう思ってた。火事で、役人たちも手薄になっているだろうしな」
尚也さんが
「なるほど。そうすれば、屯所内で揉める必要もなくなるしな」
「そうかもしれませんね」
私も、すぐに納得して小さく頷いた。一刻も早く枡屋さんを助け出したくて、屯所内にいる間にと、思っていたけれど。
「禁門の変が起こるのは、7月の後半だったはずなので、まだ作戦を練り直す時間は結構あるかと思うんですけど……」
その前に、池田屋事件がある。
「史実通りの日程ではないかもしれないんですが、もうじき池田屋事件が……」
「あー、それね。あたし、歴史に詳しくないからよくは知らないんだけど、新選組は最初から倒幕派が池田屋にいるって知ってたの?」
優美さんからの問いかけに、私は苦笑しながら首を横に振った。
「いいえ。最初から知っていたわけではなくて、旅籠屋などを一斉に調べて回った結果、池田屋に辿り着いた。と、いう感じだったみたいです」
「なるほどね。尚也は知ってた?」
「ああ。一応、池田屋事件のことは調べていた。坂本龍馬に直接の関係はないが、龍馬の友達やら知り合いやらが、池田屋事件で命を落とすことになるからな」
尚也さんの呟きに、中村さんが強く反応する。
「あの、誰が犠牲になるんですか?!」
「俺が覚えている限りでは、望月亀弥太、吉田利麿、宮部鼎蔵くらいか……」
「主要メンバーばかりだ。俊さんのこともあるけれど、
まだ他にも、池田屋事件に巻き込まれる浪士は沢山いるだろうけれど、中村さん曰く、今名前が挙がった人たちはかなりな大物であり、長州や土佐にとっては失いたくない人材であるということ。
「なんとか、祇園祭の前までに皆に伝えたい。が、どのみち俊さんを助け出す為、吉田さんたちが皆を集めるだろう……」
そう言って、中村さんは腕組みをしながら視線を逸らし肩を竦める。優美さんと尚也さんも、またそれぞれに何かを考えるようにして黙り込んだ。
これまで、明仁さんや慎一郎さんが必死に変えようとしてきた史実は、どれも結局は防ぐことが出来なかった。歴史を変えようとすると、何かに邪魔をされてしまうのだと言っていた。
日付や時間は変えられても、人の生死だけは変えられないのかもしれない。それでも、必死に抗い続けることは止められない。諦めてはいけない。と、思ってここまで生きて来た。
慎一郎さんと明仁さんに会えたらいいのに。そんな、私の想いを知ってか知らずか、優美さんが両手でパンッと音を鳴らして顔を綻ばせた。
「そーだ! 隼人くんに、間者として新選組内部へ潜り込んで貰うってのは?」
それに対して、私たちは一瞬、顔を見合わせた。けれど、すぐに中村さんが前のめりになって優美さんに頷き返す。
「それはいい考えだ。俺なら足を引っ張ることは無いし、俊さんのこともこちらへ報告出来る」
「隼人くんが引き受けてくれるなら、深町さんに頼まなくても良くなったしね。ただ、一つ確認したいことがあるの」
優美さんは、顎を上げ瞳を細める。と、中村さんを自信ありげに見つめた。
「隼人くん、あたしと勝負よ」
それから、すぐに吉田屋さんの庭にて二人の剣術試合が始まった。
私と尚也さんが、縁側で見守る中。
先端がひし形の
「いいわよ。どっからでもかかってらっしゃい」
「箒じゃ軽すぎてバランスが取りにくいけど、仕方ないか。それじゃあ、行きますよ!」
中村さんの、行きますよ。と、言う声が切っ掛けで二人の箒が重なり合った。次いで、威勢の良い声が響き渡る。
いったん距離を置いたのは、優美さんの方で、両者様子を窺っているよう。二人とも、とても落ち着いている。と、しばしそのような状態が続いた。刹那、中村さんの面を真上で防いだ優美さん。今度は、そのままの態勢から優美さんが中村さんの胴を取りに行く。しかし、そこは中村さん。読んでいたようで、瞬時に弾き返した。
「
二人を見守る尚也さんの隣で私も、同じように思っていた。
「優美さん、本当に凄いですね。女性なのに頼もしいです」
「本当は、逞しいって思ってるんじゃない?」
尚也さんの澄ましたような視線と目が合い、私はまた苦笑いを返す。
「そうとも、言いますかねぇ……」
「これが終わったら、それ言ってやってよ。すげー喜ぶから」
「え、そうなんですか?」
「あいつにとっては誉め言葉だよ。それ」
ぷっと噴き出すように笑う尚也さん。私もなんだか楽しくなって笑い声が零れる。
と、その時だった。優美さんの左面が、中村さんより早く入り決着がついたのだった。
「やるじゃん、隼人くん」
「完敗です。北辰一刀流の動きなら、把握していたつもりだったんだけどな……」
「龍馬さんから教わったの?」
「はい。一番初めに教わった流派が、北辰一刀流だったんですよ」
あれだけ動いたのに、二人の息は微かに上がっているだけだった。
優美さんは、たくし上げていた裾を下ろすと、箒を脇に尚也さんの隣へ腰かける。
それとほぼ同時に、中村さんも同様に私の隣へ腰かけ言った。
「で、納得して頂けましたか?」
「もっちろん。あたしには敵わなかったけどね」
「くっそー。この借りはいつか返すぞ……」
少しいじけ気味に唇を尖らせる中村さんは、以前よりも幼く見える。それは多分、同じ現代人であり、年上の頼れる存在が出来たからなのかもしれない。
こうして、中村さんに間者として、明仁さんや慎一郎さんと関わって貰い、枡屋さんのことも含め、中間管理職的な役割を担って貰うことになった。
隊士を募集していなければ、また別の方法を考えるしかないのだけれど、とりあえずの作戦が決まったのだった。
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