第43話 眠れぬ夜


 その夜。中村さんも寺田屋に宿泊するとのことで、丁度空き室となっていた優美さんたちの隣の部屋に来て頂いた。

 襖を開けたままの二部屋で、私たちはお酒を飲みながら他愛もない話をしている。

 それぞれが、現代で生きていた時のこと。幕末時代こちらに来てからのことも、この場で言える限りのことを伝え合った。

 きっと、お酒でも飲んで、これからのことを考えすぎないようにしたかったのだと思う。

 中村さんと、春乃さんのことを聞いているうちに、優美さんと尚也さんも、これまで以上に意気投合して、お互いの恋愛話が始まった。

 やっぱり、恋バナというのは同じ時代の人ほど盛り上がるもので、お互いの出会いから、今に至るまでの会話は、シングルの私でも一緒になって溶け込める内容だった。

「えー、マジで? 江戸時代の結婚ってそんな誓約があったんだ……」

 優美さんが、少し呆気に取られたように中村さんを見つめた。

「俺も、最初聞いた時は吃驚しました。身分が同じでないと出来ないし、所謂、恋愛結婚みたいな例は珍しいようです」

「うはぁ、この時代の人間じゃなくて良かったぁ。で、春乃さんだっけ?」

「はい」

「綺麗で優しそうな名前だね」

「まぁ、綺麗なほうだと思います」

 少し照れたように俯く中村さんの左腕あたりに、優美さんの肘鉄がちょこんとぶつかる。

「なぁに照れちゃってんのよ。で、赤ちゃんのほうは?」

「今年の四月十日に無事、男子が誕生しました。母子共に健康です」

「良かったね。おめでとう!」

「ありがとうございます。俊さんには、名付け親になって貰ったので……」

 中村さんは、そう言って言葉を詰まらせた。

 そんな彼の心を察したであろう優美さんが、今度は、中村さんの肩をぐいっと抱き寄せる。

「名前はなんていうの?」

「俊さんの俊に、これ、助太刀の助で、俊之助です」

「中村俊之助か。いい名前じゃん、気に入った! 今度、会わせてよね。春乃さんと俊之助に」

 ほら、飲め飲め! と、優美さんが中村さんにお猪口を持たせる。次いで、徳利をそのお猪口に傾けた。

「じゃあさ、今度はあたしらのことも聞いてくれたりする?」

 優美さんは、ぐいっとお酒を飲み干す中村さんに、ニヤリとする。と、中村さんは逆に徳利を奪い、優美さんの差し出すお猪口に注いでいく。

「では、お二人の馴れ初めから聞かせて下さい」

「馴れ初めね。じつは、私、尚也のこと大っ嫌いだったんだぁー」

 その一言に、私と中村さんは唖然となり、言われた本人である尚也さんは、まるで、『それは言うな』と、でも言いたげに顔を歪めた。

 優美さんの話によると、剣術が苦手な尚也さんが、優美さんのいる道場を訪れたことが切っ掛けで知り合い、そこから、お互いに喧嘩しながらも、次第に惹かれ合っていったのだという。

「最初に会った時、すんごく不愛想で嫌な感じだったんだけど、話してみたら素直でいい人だって思えるようになったというか。ねー、尚くん」

「その、尚くんってのやめろ」

 呆れ顔を浮かべながらも、尚也さんは徳利を傾けてくる優美さんに、お猪口を差し出した。

 次いで、お猪口から零れそうなお酒を口で受け止め、一気に飲み干していく。

「いいじゃなーい、今更照れなくっても。ねー、京香ちゃん」

「え、あ……そうですねぇ」

「でもね、幕末時代こっちで大事にしていた指輪を無くしちゃってね。ずっと探してんだけど、一向に見つからないんだよねぇ……」

 そう言うと、優美さんはしょんぼりと肩を落とした。その指輪は、ペンダント式になっていて、指輪の内側には、お二人がお付き合いした日の日付が刻まれているのだとか。

「え、それって……」

 もしや、と思った私は、急いで自分の部屋へ行って箪笥にしまって置いたリングネックレスを持ってきて、優美さんに見せてみた。

「こ、これよこれ! あたしの指輪ぁぁ!」

「やっぱり、そうだったんですね!」

 いつだったか。慎一郎さんと二人で、三条大橋の辺りを歩いていて見つけた時のことを話す。すると、優美さんは、半ベソをかきながらもぱぁーっと顔を輝かせた。

「これ、ほんと大事な指輪なの。見つけてくれてありがとう!」

「私も、いつか現代へ帰れたら、落とし主に返してあげたいって思ってたんですよね。本当に良かったです」

 優美さんは、私から受け取ったリングネックレスを、持参していた小さめの懐紙で包むと、綺麗な花柄の筥迫はこせこと、呼ばれる小さめのバッグに入れて、胸元でぎゅっと抱き締めた。

「尚也から初めて貰った指輪だからさ。無くした時は、ものすっごくショックだったんだ……」

「愛されていますね。尚也さん」

 中村さんが、もう一つの徳利を手に尚也さんの前まで持ってくる。と、尚也さんは、少し照れたように笑ってお猪口を差し出した。

「なんか、あたし達のことばかり話しちゃってるけど、京香ちゃんはカレシとかっているの?」

「あ、私はまだ……」

 三人の興味津々な視線を一気に受けて、少し動揺しながら答える。

「好きな人なら、いるんですけどね」

「え、誰? 幕末時代こっちの人?」

 優美さんから、半ば強引にお猪口を受け取る。私はせっかくだからと、ほんの少しだけ頂くことにした。

「……えっと」

 控えめに注がれたお酒を一口頂き、お猪口を膳に戻した。私が何となく言えずにいると、中村さんからも期待の声があがる。

「俺の知ってる人?」

「……会ったことは無いですね」

「あ、分かった。その土方さんか、沖田さんでしょ」

 優美さんから、そう言われて私は更に恥ずかしくなって俯いた。

「二人って、やっぱイケメンだったり?」

 今度は、ニヤリとした表情で私の顔を覗き込んでくる。

「お二人とも、かなりなイケメンです」

「で、どっちなの?」

「……沖田さん、です」

 私が躊躇いがちに呟く。と、優美さんから更に距離を縮められた。

「その、沖田さんってどんな人なの?」

「慎一郎さんは、すごく優しい人なんです。ちょっぴりやんちゃなところもあるんですけど、相手の立場になってものを考えられる人で……」

 初めて出会った時、何となくだけれど、この出会いを逃してはいけない気がしたこと。一緒に、幕末時代へやって来てからも、気になって仕方がなかったこと。そして、慎一郎さんと一緒にいる時にだけ感じる、不思議な感覚のことを話すと、優美さんは、真顔で私をじーっと見つめた。

「話は逸れちゃうんだけど、そういう不思議な感覚って、前世でも繋がってた可能性があるらしいよ」

「……それは、初耳でした」

「なんかね、私の友達がスピリチュアルカウンセラーっていうの? 特別な能力を持ち合わせていてね」

 優美さんのお友達によると、夢の中や、現実で初対面のはずなのに、どこかで会ったことがあるような感覚を得たりする場合、前世でも特別な関係だった可能性が高いのだとか。

「まぁ、前世とか来世とか。あたしは、あまりその手の話は信じないほうなんだけど、その子の言うことが本当なら、沖田さんと京香ちゃんって、運命の出会いってやつを果たしてたりしてね」

「う、運命の出会い……」

「前世で結ばれなかったから、お互いに会いたいと思っていた。とかいう感じ?」

「そうだったら、嬉しいな……」

「もう、マジで京香ちゃんってば、かーわぁいーいー!」

 明らかに、さっきよりもハイテンションになっている優美さんに、中村さんが、「もう、この辺にして寝ましょう」と、言ってお猪口を奪い、倒れた空の徳利などをお盆へ片付けていく。

「そうねぇ。ちっとばかしハメを外しすぎちゃったわね」

 そう言って、優美さんは片手で口元を覆うようにして小さな欠伸をした。

 それにつられたのか、尚也さんも、少し微睡んだように瞳を細めながら、敷いていた座布団を枕代わりに横になる。

 そんなお二人を見て、私は急いで三人分の布団を敷き、今日はこのまま就寝するという優美さんたちに挨拶をして、部屋を後にしたのだった。



 月の傾き加減からして、23時くらいだろうか。今夜も、綺麗な三日月が夜空にぽっかりと浮かんでいる。

 縁側にて涼んでいた。その時、人の気配を感じてそちらを見遣る。

「京香ちゃんも眠れないのか?」

 中村さんが、手燭てしょくを持ってこちらへと歩み寄って来ていた。

「中村さんも?」

「ああ。寝ようと努力したんだけどね……」

 蝋燭の灯りだけでは薄暗くて表情まではよく分からないけれど、静かに私の隣に腰を下ろす中村さんの横顔は、なんとなく気落ちしているように感じる。

「やっぱり、俊さんのことを考えてしまって」

「私もです。でも、きっと慎一郎さんと明仁さんが、看ていてくれるはず……」

「明日まで待てないんだ。気が逸ってしまって」

 中村さんが囁くように口を開いた。語気荒く、握り拳がほんの少し震えている。

「あの人だけは、何が何でも助けたい……」

「……中村さん」

「明日、聞くはずだった情報を今、教えてくれないか」

「分かりました」

 まだ、中村さんにとって初対面となる慎一郎さんと明仁さんのことは勿論、新選組隊士たちのことや、一緒に暮らしている八木家の人たちのことなども簡潔ながら分かりやすく伝えた。

「明仁さんも、慎一郎さんも、枡屋さんのことを第一に考えてくれているに違いありません。だけど、新選組隊士としての想いが邪魔をしていることも事実……」

「俺なりに、その二人とも、間者として屯所内にいる同志らとも、上手く立ち振る舞うつもりでいる。しかし、万が一、何かあった場合。お二人と、剣を向き合わせることになるかもしれない」

 それでも、許して貰えるだろうか。と、言ってこちらを見る中村さんに、私は即答していた。

 そのことに関しては、以前から聞いていたことであったし、そうなる時がやって来るのではないかと思っていたからだ。

「慎一郎さんも、明仁さんも、天然理心流の師範代を務めていた方々なので、油断は禁物ですよ」

 私は、私なりの想いを籠めながら中村さんを見つめ返す。

「一回、手合わせして貰おう。天然理心流がどれほどのものなのか、見定めたい」

「無理だけはしないように」

「そのつもりだ。春乃と俊之助を残して死ねないからね」

 微笑み合うと、中村さんは深く息を零した。

「もう寝るよ。京香ちゃんと話して、少し気が楽になったから」

「それがいいです。私は目が冴えちゃったので、これから、明仁さんたちに渡して貰う手紙を書いてから寝ますね」

「ああ。じゃ、お休みなさい」

「お休みなさい」

 おもむろに立ち上がり、部屋へと戻る中村さんを見送って、私はまた星々がきらきらと瞬く夜空を見遣った。

「……どうか、みんなが無事でありますように」

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