第33話 芹沢の真意

 寺田屋


 *京香 side*


「こないに降られて、雷さんまで……眠れへんわ」

 私の隣、お悠さんが掛布団を目元まで手繰り寄せながらぼそりと呟いた。

 先程から降り始めた雨はいっこうに止む気配がなく、より激しく吹き荒んでいる。

 暫くの間、少しでも気を紛らわせたくて、二人で世間話をしながら過ごした。初めて、好きな男性の話になり、私は楽し気に話すお悠さんの話に耳を傾けていた。

 それは、一週間ほど前の正午。お悠さんが和菓子屋さんへ出かけた時、前方からやって来たガラの悪い男性とすれ違いざまにぶつかってしまったことがあったらしい。

「ほんでな、いっくら謝っても許して貰えへんから、怖なって逃げよう思たそん時やった」

 背後から低く威圧的な声がして振り返ると、長身な浪士らしき男性がいたのだそうだ。

「そんお侍さんが一睨みきかせた途端、男は逃げるように走り去って行ってね。助かった思うたら、そん人は新選組の隊士ゆうから、うち吃驚してん」

「……どうして?」

 少し躊躇いながら尋ねると、お悠さんは困ったように微笑んだ。

「ウチな、新選組はただの人斬り集団や思うてたから、中にはこない優しい人もおるんやって思わされたゆうか……」

「その人の名前は……?」

「野口健司さん、ゆうてはった。目の綺麗な人でね」


(と、いうことは、芹沢一派の。そういえば、野口さんはどうなるんだろう……)


 頬を赤く染めながら、天井を見つめているお悠さんの、優しく細められた瞳がこちらへ向けられる。

「お京ちゃんも、好いた人とかおるん?」

「え……」

「そない別嬪さんやし、言い寄る男もぎょうさんおるんやろね」

 ニンマリとした眼を受けて、私は苦笑気味に首を横に振った。

「言い寄って貰ったことはないけど、好きな人なら……」

「誰?」

「じつは、私の好きな人も新選組隊士なの」

「ほんまに?!」

 パッと顔を明るくさせるお悠さんに微笑んで、私は慎一郎さんのことを思い浮かべながら、これまでの経緯を話せるだけ聞かせた。

 まだ知り合って間もなく、お互いのことを知り尽したわけではないのに、昔から知っていたかのような錯覚を受けたこと。今、誰よりも会いたいと思っていることなどを伝える。その間、お悠さんは真剣な顔で聴いてくれていた。

「お互いに、一目惚れゆうやつやねぇ」

 と、切なげな溜息を零すお悠さん。私はまた頷いて、慎一郎さんに想いを馳せた。

「せやけど、いつ命を落とすか分からんお人や……」

「……っ……そうだね……」

「本気になったらあかん。そないにも思うんよ」

 先程までの楽しい雰囲気は一変し、悲しそうな笑みを浮かべるお悠さんに、私は視線を逸らしながら黙り込むことしか出来なかった。

 確かに、常に死と隣り合わせな人を好きになったら悲しい想いをするかもしれない。現代なら、そんな心配をする必要はほとんど皆無だろうけれど、この時代ではそのようなことも真剣に考えなければならないのだと、改めて思わされる。

 いつの間にか雷雲は去り、雨も小降りになって来ていたことに気付いたのは、うとうとしていたお悠さんの寝息が聞こえて来た時だった。


(いつ命を落とすか分からない……か。彼らの傍にいることが出来たら……)


 夜の寂しすぎる静寂も手伝って、今も危険と向かい合っているかもしれない慎一郎さんや明仁さんたちのことを考えずにはいられなかった。


 *

 *

 *


 新選組屯所


 *明仁 side*


「少しは落ち着きましたか」

 わざわざ俺達の部屋を訪れ、声を掛けてくれたのは山南さんだった。

 山南さんは、未だに壁を背に膝を抱え込みながら、一人で背負い込んでしまっている慎一郎の隣へと腰を下ろした。

「何も悔いることはない。君が殺らずとも、あの場にいた誰かが同じことをしていただろうからね」

 あの後、俺達は史実通り、長州間者だとされていた、御倉伊勢武や越後三郎。楠小十郎、荒木田左馬之助らを同様に葬り、そいつらを実行犯とした。

 藤堂が向かった部屋には、平間に同伴していた芸妓のみで、お梅と思っていた悲鳴は、じつはその芸妓のものだったらしい。

 お梅の姿も探したが、平間同様、どこかへ逃げたのか見つけられずに今に至る。そして、もう一人。野口は角屋に残ったことにより、暗殺から免れていた。

「沖田くんは、今回の一件を知っていたのですか?」

 山南さんの視線を受けて、俺はすぐに知らなかった。と、嘘をついた。

慎一郎こいつも、これから起こってしまうかもしれない内争を気に掛けていたんでしょう。それに、芹沢さんが、慎一郎こいつに行く宛てがある。と、言っていたそうです」

「行く宛て?」

 山南さんの、今までにない程の厳かな眼差しを受け、俺が慎一郎から聞いていた “ 最後の居場所 ” の話をしようとした。その時、慎一郎が掠れたような声でぽつりと呟いた。

「……芹沢さんから、どうして新選組ここにいるのかと、尋ねられたことがありました。そんなこと……深く考えたことなんて無かったから、なんて答えたらいいか分からなかったけれど、死に場所だけは考えておけと言われたんです。その後、逆に芹沢さんに、尋ね返したら、じきに見つかると……」

「その最後の居場所というのは、新選組ここではないどこか、ということでしょうか」

 山南さんからの問いかけに、慎一郎は無言で頷いた。

 芹沢がどこへ行こうとしていたのかまでは知り得ないが、新選組を脱退しようとしていたことだけは間違いないだろう。

 俺が付け足すように話すと、山南さんは小さく頷きながらすっくと立ち上がり、静かにその場を後にした。

「土方さんが斬られるって思った瞬間、無意識に刀を抜き、気が付いた時にはもう、芹沢さんに……剣を向けていた」

 慎一郎のこんな姿を見たくなかったからこそ、自分がその役目を買って出たつもりだったが。情けなく思うと同時に、やはり歴史には抗えないのではないかと思わされる。

「あの時、芹沢さんは僕に微笑んでいた」

 今度は、怒ったように顔を歪ませる。

「芹沢さんを救いたいと思っていたのに……この手で、葬ってしまった……」

 掛けてやる的確な言葉が思いつかなかった。俺はただ、慎一郎の心の傷が癒えるまで待つことしか出来ない。


(これが……幕末の世なんだよな。)


 俺達は、改めて新選組隊士であることの自覚と責任を胸に、この厳しすぎる現実と向き合っていた。



 ───四日後。

 時間的には、午後八時くらいだろうか。

 俺は、左之、尾形、伊藤、安藤と共に出動し、いつものように京の町を見廻りながらも、日中行われた芹沢と平山の葬儀のことを想い返していた。

 葬儀の最中、参列していたとある老婆から芹沢との縁を聞くことになったのだが、芹沢のことを気立ての良い優しい人物だった。と、涙ながらに語っていたことに軽い衝撃をうけた。

 その老婆からしたら、芹沢は “ 無くてはならない人 ” だったことから、あれからずっと後悔の念に苛まれ続けている。

 どうして、もう少し早く出会えなかったのかと。

 そして、寺島の誕生日である今日、たった一言さえ伝えてやれずにいる。

 と、その時だった。先頭にいた左之の、少し危機感迫ったような低い声を聞き、俺は足を止めた。

「おい、そこの」

 声に反応して立ち尽くしていたのは、笠を被った小柄の男で、片手で笠の向きを傾け、こちらへと視線を向けた男の顔に見覚えがあるような気がした。刹那、男はすぐ傍にあった狭い路地裏へと走り去って行く。

「待ちやがれ!」

 と、左之が威勢の良い声を発して後を追う。皆で追いかけるにはあまりにも狭過ぎる。そう判断した俺は、ここ数ヶ月のうちに把握するようになった裏道を使って、逃げた男を挟み撃ちにする作戦に出た。


(もしかしたら、さっきの男は桂小五郎……)


 現代で何度か目にしたことのある桂小五郎の写真。一瞬だったが、日本人離れした堀の深い二枚目な雰囲気を醸し出しているような気がした。

 確か、“ 逃げの小五郎 ” と、呼ばれるほどの身のこなしで敵の眼を欺いていたとか。

「いた」

 案の定、上手い具合に先回り出来た俺と、左之たちに挟まれても慌てる様子のない男に、俺の勝手な桂説は、より確かなものとなった。

「なぜ逃げた」

 俺が刀を抜きながら問いかけると、男は無言で鞘に手を添えた。

「明仁! いつの間に……」

 男を挟んだ向こう側。左之の、少し唖然とした視線と目が合うも、俺は目の前の男が刀を抜き払うのを凝視しながら尚も問いかける。

「桂だな」

 こちらの問いかけに答えないのがその証。だとすれば、新道無念流の強敵だ。

「桂だって?」

 と、左之の隣にいた尾形が訝し気に眉を顰め言った。それが切っ掛けとなり、そこにいる全員が次々と刀を抜き始める。

 男は白を切るが、俺には逆に疑わしく思えた。

「奉行所まで同行願う」

 そう俺が呟いた。途端、どこからか、「先生!こちらです」と、いう聞き覚えのある低い声を耳にした。それとほぼ同時に、民家脇の狭い庭から、追っていた男の、味方であろう男が現れ、共に逃げ去って行く。


(まさか……)


 顔は笠で窺い知れなかったものの、聞き慣れた声と見慣れた背恰好に、一瞬だが動揺してしまった。が、逸る気持ちを抑え込みながら、奴らを追う味方の後に続く。


(今のは)


 そうしながらも、俺は桂であろう男を助けた者が、枡屋あいつでは無い事を願っていた。


 *

 *

 *


 新選組屯所


 *慎一郎 side*


「ここにいたんだ」

 僕は、その優しい声に俯きがちだった顔を上げた。

「沖田さん……」

 いつの間にやって来ていたのか、紺の着流し姿で現れた沖田さんは、縁側で涼んでいた僕の隣に腰を下ろすと、懐から懐紙を取り出しこちらへ差し出した。

「お饅頭。さっき、お雅さんから貰ったんだ。良かったら」

「僕は……」

 懐紙に包まれた饅頭を確認し、遠慮しようとして半ば強引に手渡される。

「嫌いだった?」

「いえ、そういうわけじゃ。沖田さんどうぞ」

「私の分もある」

「……それなら、頂きます」

 再び懐から取り出した饅頭にかぶりつき、にっこりと微笑む沖田さんに、僕は遠慮がちに微笑み返した。次いで、同様にかぶりつくと、たちまち滑らかな漉し餡の甘さに癒され始める。

「疲れた時は、甘い物を食べるといいって姉上がよく言っていたっけ」

 気を遣ってくれているのだと意識して、余計に申し訳なさでいっぱいになる。

「あの、沖田さん……」

「月明かりは、時に人を惑わす」

「え……?」

 どこかで聞いたようなフレーズに、僕は逸らし気味だった視線を上げた。

「と、芹沢さんが言っていたことがあってね」

「芹沢さんが……」


(そういえば、いつだったか僕にも同じようなことを言っていたような……)


 今と同じように、縁側で沖田さんと話した後、やって来た芹沢さんから月の話を聞いたことがあった。

「今宵は、真ん丸月だね」

 と、夜空を見遣る沖田さん同様、僕も見上げてみる。さっきまで厚い雲に覆われていた空に、月がぽっかりと浮かんでいるのを見とめた。

 深い溜息をついて、沖田さんはなおも続ける。

「慎一郎くんが躊躇わずに向かって行ったからこそ、明仁さんを救えた。芹沢さんは本気だったからね。それに、何もかも承知の上だったんじゃないかな。でなければ、君も一刀で斬り捨てられていたに違いない」

「……じゃあ、芹沢さんはわざと僕の剣を受け入れたと?」

「多分ね」


(まさか……)


 沖田さんの、泣き笑いのような眼差しと目が合う。

「その証拠に、お梅さんの荷物が一切片づけられていたそうだよ。もう、言わなくても分かるよね」

 僕はまた夜空を見遣る沖田さんの横顔を見つめながら、無言で頷いた。そして、沈黙が落ちる。何か話さなければと、思いながらも何て言えばいいのか分からない。

 芹沢さんは、自らの危険を察知して覚悟していたから、お梅さんを手放したということだろうか。そうなると、僕が想像していた最後の居場所なんて無かったことになる。新選組隊士として死ぬつもりだったのなら、どうして僕にあんなことを言ったのだろう。


『武士ってのはな、沖田。最期まで死を恐れず、己の思うがままに生きる奴のことを言うんだ。人の世は長いようで短い。常に死に場所だけは考えておけ』

『芹沢さんは見つけられたんですか?その、最後の居場所を…』

『……じきに見つかる』


 思い出して、ふと気づいた。もしかしたら、僕は大きな勘違いをしていたのではないかということに。


『誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり』

『……どういう意味です?』

『近藤さんにでも聞いて見ろ』


 今まで気にしていなかったけれど、最後の居場所の意味を穿違えていたのではないだろうか。

 僕は、すぐにその意味が知りたくて沖田さんに尋ねてみた。けれど、沖田さんから分からないとの返事を貰う。

「近藤さんか、山南さんなら分かるんじゃないかな」

「じゃあ、今すぐ聞きに行ってきます!」

 返事もそこそこに、僕は沖田さんと共に局長の部屋を目指した。すると、そこには山南さんの姿もあり、僕はお二人を前に単刀直入に質問した。

「誠は天の道なり。之を誠にするは人の道なりとは、どういう意味なんですか?」

「何だ、急に」

「どうしても、その意味が知りたくて……」

 言葉を詰まらせながらいう僕に、局長の “ いったい何が言いたいんだ ” とでも言いたげな眼差しが向けられている。それでも、局長は腕組みをしながらその意味を語ってくれた。

「我らの隊旗にもあるように、誠とは己にとっても他人にとっても嘘偽りのない心、いわば真心を表している」

「近藤さんに付け足すと、」

 と、今度は局長を右手側に、沖田さんと向かい合わせに座っている山南さんが、微笑みながら静かに口を開いた。

「この “ 中庸ちゅうよう ” を貫く最も重要な徳目は至誠です。天の道である誠を我が道とするように努力することこそが、人間の尊い生き方であるということ。例えば、新たに物事を始める際、下調べをして繰り返し確認するものです。しかしながら、実行して行かなければ知り得ないこともあり……」

 そこまで説明してくれていた山南さんの言葉を、沖田さんが少し顔を顰めながら遮る。

「難しすぎるんだよなぁ。山南さんの話は」

 山南さんは、沖田さんの何気ない一言に苦笑いを浮かべると、軽く咳ばらいをして続けた。

「どんなことでも、実行してみなければ分からない。努力してそれを実行していくことが大事だということだよ。これはまさしく、“ 天の道である誠を我が道 ” とする過程を表しているともいえる」

「なるほど……」

 僕が真顔で頷くと、山南さんはにっこりと微笑み、

「我々は、誰もが生まれた時から天地の心を授かっている。即ち、これをいかにして発揮していくかということが人生である」

 そう、説いているのですよ。と、話してくれたのだった。

 あの言葉の意味を知って、愕然とさせられる。

「ありがとうございました」

 力無く言って、僕はまだ声を掛けてくれる局長たちに一礼して部屋を後にした。

 誰もが、芹沢さんは新選組隊士として死んで散り花を咲かせたと思っている。けれど、この後、芹沢さんのあとを追うようにお梅さんが自害したという報せを受け、芹沢さんが浪士数名を率いて有栖川宮という人に奉公を願い出ていたという情報を得たことで、僕はまた混乱せずにはいられなかった。

 芹沢さんの真意はどんなものだったのだろうか。

 真実も闇へと葬られてしまったけれど、僕は芹沢さんが残してくれた言葉を胸に、先に逝ってしまった人たちの分も、精一杯、生き抜いて行かなければならないと、改めて、思っていた。

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