第32話 最後の居場所

 文久三年九月十六日。

 寺田屋


 *京香 side*


 翌朝。

 私は早朝から出立するという枡屋さんを見送った。

 当分、枡屋には戻らないらしく、何の為にどこへ行こうとしているのか、私は最後の最後まで尋ねたい衝動に駆られていた。

 そして、もう一つ心配なのは、今月中に起こってしまうであろう芹沢さん暗殺事件の件だ。もしかしたら、もう起こってしまったのかもしれない。そう考えただけで、複雑な気持ちになる。

 慎一郎さんも、明仁さんもそれに関わることになったのだろうか?当の芹沢さんは、どうするのだろう?

 私の知っている史実では、土方さんや山南さん。原田さんに沖田さんの四人が刺客となって芹沢さんとお梅さん、平山さんを暗殺したとされている。

 何よりも、明仁さんと慎一郎さんが何事もなく過ごせますようにと、今日も願わずにはいられなかった。


 *

 *

 *


 京都市内 二条城近辺

 

 *慎一郎 side*


 早朝見廻りの為、僕と明仁さんは数名の隊士と共に出動している。

 不逞浪士などに目を光らせなくてはならない立場ながら、ふとした瞬間、紅葉に目を奪われた。この時期の、京都の醍醐味ともいえる。

「ついこの間まではまだ青かったのに、綺麗に色づき始めましたね」

「そうだな。だが、浮かれていられるのは今だけだ」

 と、呟いた明仁さんの、どこか殺伐とした眼差しがいつもよりも鋭く見えて、僕は黙ったまま頷くしかなかった。


(そうだ。今夜、あの人が暗殺されてしまう……)


 と、その時。少し前を歩いていた御倉伊勢武さんが足を止めた。現在、僕らがいるのは二条城近辺の御池通りで、彼の視線の先にあったのは、とある料亭だった。

「どうかしたんですか?」

 僕が何気なく尋ねると、御倉さんはぎこちなく微笑んで、「何でもない」と、言って足早に隊列へと戻っていく。僕らも遅れないようにそれに続き、すかさず話しかけて来る明仁さんの言葉に耳を傾けた。

御倉あいつ間者そうかもな」

「え、あの人も……」

 囁き合って、先頭に遅れ過ぎない程度に歩みを進める。


(とりあえず、今は今夜のことだけ考えていればいいよな……)


 正直、時が止まればいい。不安と緊張でいっぱいになるなか、僕は今一度、頭の中でこれからのことを整理していた。


 *

 *

 *


 角屋


 *明仁 side*


 時間的に、21時くらいだろうか。いよいよ、角屋にて宴会が始まった。

 あれから、慎一郎と共に寺島の誕生日プレゼントを買いに呉服屋へ足を運んだ。

 今日でなくても良かったのだが、なにか別の事を考えていないと身体に影響するのではないかと考えたからだ。

 何かしらあると、胃にくる質は男特有のものではあるが、それ以外にも、肌荒れや蕁麻疹に悩まされたりと、明らかにストレスが症状として現れていた。

 角屋ここでは、芹沢一派に酒を飲ませるのが俺達の目的だったが、思っていたよりも上手く進行している。

「気分がいいから、踊っちゃおうかな~。おい、新八!」

「俺がか?!」

「いーから、好きなように画け!」

 左之が勢いよく両肩から着物を落として引き締まった腹筋を晒すと、永倉が用意された筆に墨をなじませ、左之の腹に顔を描いていく。それは、子供が画いた “ 人もどき ” のような感じで、三味線の音色に合わせて腹踊りを披露する左之に、みんなの視線が集中した。

 今夜は無礼講ということで、花魁たちと歓喜の声を上げる者。日頃の疲れがたまっていたのか、早くも寝入る者などが出始める。

 そんななか、土方さんと山南さんが先に部屋を後にしたのを確認し、俺は辺りを見回しながらいった。

「暑いな。ちょっと、涼んでくる」

「あ、僕も……」

 慎一郎も俺の後に続き、あとは暗黙の了解である。

 わざと楽し気に振る舞っている近藤さんの隣、芸妓と戯れながら酒を飲み続けている芹沢たちを横目に、二人して席を外し、そこから少し離れた縁側へと向かった。

 芹沢は、酒癖が悪く一度暴れ出したら手が付けられなくなる。だが、だからと言って粛清すれば済むというこの時代のやり方には頷くことは出来ない。

「いくら会津藩主の命令とはいえ、こんなことを繰り返していたら、僕らまで麻痺してしまいそうだなぁ……」

 と、慎一郎が割と広めの庭を見つめながら、深い溜息を零した。その時、平間と平山に支えられるようにしてやって来る芹沢を確認し、俺達は一瞬、息を呑んだ。

「お前ら、こんなところで何してやがる」

 千鳥足で近づいて来る芹沢たちに、俺達はなるべく平静を装いながら、ここで涼んでいたことを伝えた。

「芹沢さんたちの方こそ、どちらへ?」

 慎一郎が尋ねる。すると、芹沢はニヤリと口角を上げ、「ぇる」とだけ言い放ち、

「おい、そこどけ。邪魔だ」

 もう片方の手で俺達を退けると、気分が悪いのか、吐きそうになる時の嗚咽を漏らしながら去っていく。

「やっぱ、自信ないなぁ……」

 小さくなる芹沢たちを見遣る慎一郎の喉から、溜息が漏れた。

 慎一郎曰く、『最後の居場所』とやらも見通しがつかなくなったんじゃないだろうか。これまで、芹沢に説得を試みてきたものの、乱暴で勝手な振る舞いは、治まるどころか今まで以上に悪化している。

「あんなに酔ってたら、話し合うどころじゃないだろうし」

「ばぁか。あの酒豪があれっくらいの酒で酔い潰れる訳ねぇだろ」

「え、それってどういう……」

 きょとんとした顔を見せる慎一郎に、俺は溜息交じりに答える。

「あの人はもう勘づいている。というか、覚悟を決めているに違いない」

 いくら祝賀会と題してはいても、犬猿の仲である近藤一派との宴会に快く現れ、楽し気に過ごしていたことが、俺には逆に不自然に思えてならなかった。

「俺はもう行かないとならないが、あとは頼んだ」

「……分かりました。何とか、足掻いてみます」

 困ったように微笑う慎一郎に念を押し、去って行くその背中を見送った。


(あとは、当たって砕けろだ。)


 別の座敷で待っていた土方さんと山南さんと最後の確認を済ましていると、そこへ平助と総司がやって来て、芹沢たちが角屋を後にしたとの報告を得る。

 それから暫くの間、最終確認をし、山南さんの「そろそろ参りましょう」と、いう一声が切っ掛けとなり、俺達は足早に屯所を目指したのだった。


 *

 *

 *


 新選組屯所


 *慎一郎 side*


 明仁さんたちが角屋を出た頃、僕は一足先に芹沢さんたちを追って屯所へと戻り、八木家本宅の一部を借りて、改めて、お酒を酌み交わしていた。

 最後の説得をする為に。

「珍しいな。お前が俺と差しで飲みてぇなんてよ」

 芹沢さんは、ご機嫌な様子でこちらにお猪口を差し出してくる。僕はそれに徳利を傾け、真剣な眼差しで芹沢さんを睨み付けた。

「聞きたい事があるんです」

「なんだ」

「最後の居場所のことです。以前、僕に話してくれたでしょう?」

「……あぁ、あれな。思いだした」

 そう呟くと、芹沢さんは一気に酒を飲み干す。そんな様子を窺いつつも、僕は素直な想いを口にした。

「ここまで新選組を引っ張って来たのは、芹沢さんだと言っても過言じゃないと思っています」

 一瞬だったけれど、鋭い視線と目が合う。その眼差しから、明仁さんが言っていた “ 覚悟 ” が窺えるような気がした。

「もしも、行く宛てがあるのなら、本格的な内乱が起こる前に……」

 心を改めて貰いたい。と、言おうとして言葉を遮られた。

「やめろ。酒が不味くなる」

「なんで分かってくれないんですか! どうしていつも破滅的な方へともっていくんです?!」

 上手く行かないことに焦りを感じていたからか、僕は芹沢さんに食ってかかるように口走っていた。

 これまでも、新選組には芹沢さんのような人材が必要不可欠であることを、仲間内での騒乱だけは絶対に避けたいという想いを込めて訴え続けてきた。その度に、今のようにはぐらかされてきたけれど、もうじきそれも叶わなくなる。

「あなたは、今夜……」

 暗殺されてしまう。と、言いかけて、言葉を呑みこんだ。次いで、「沖田」と、囁く芹沢さんの物悲しい瞳と目が合う。

「もっと酒をくれないか。どんなに飲んでも酔えねぇんだよ」

 これ以上どうすればいいのか分からなくなって俯いた。その時だった。明仁さんたちを迎え入れたのは──

 明仁さん以外の四人が唖然とするなか、予定通り、山南さんたちにも同席して貰おうと、僕はぎこちないながらもみんなを促した。

「芹沢さんがまだ飲みたさそうだったんで、お付き合いしていたんです。さ、みんなでまた飲み直しましょう」

 僕は、それぞれが距離を置いて腰掛けてゆくのを見届けて、芹沢さんから順に、土方さん、山南さん、沖田さん、藤堂さんとお猪口にお酒を注いでいった。何かしら、話題を持ちかけては、その場の雰囲気を和ませようとするものの、沈黙は避けられずにいた。次の瞬間、急に風が強まり、お盆の傍に配置された行燈の炎が大きく揺れ始める。

 明らかにその場の雰囲気は暗く緊迫している。それでも、僕はみんなに追加のお酒を持って来ることを告げて、足早に部屋を後にしたのだった。



 *明仁side*


 あのお得意のぎこちない笑みを見れば、最後の説得さえも失敗に終わったことは明白だった。

 依然として緊迫した空気が漂うなか、芹沢を前に、何気なく土方さんに視線を向ける。と、“ 今は付き合おう ” と、でも言いたげな諦めの眼差しと目が合う。

「先程は、随分と酔っておられたが。まだ飲み足らなかったようですね」

 土方さんが視線を逸らしながら言う。と、

ぇってくる間に、すっかり覚めちまったんでな。お前らこそこんなに早くどうした」

 芹沢が、俺達の顔を交互に見ながら呟いた。その眼は、微苦笑ながら敵意が籠められている。

「雨の匂いがしたものですから、降られる前に戻って来たんですよ」

 総司が、お膳の上の漬物を手でつまみながら言うと、芹沢は呆れたような笑みを浮かべた。

「見え透いた嘘をつくんじゃねぇよ」

 半笑いの、陰惨な表情を前に、俺は無意識のうちに刀に手を添えていた。すぐに腕組みをして誤魔化すも、いつ斬り合いになってもおかしくない状況にあることだけは頭の隅においたまま。一瞬だが、山南さんと土方さんが目配せを交わし合うのを見逃さなかった。

 雨粒が、庭の草木や屋根、軒先を打ち付ける音がし始める。と、空を見遣りながら、総司が欠伸を堪えるようにしていった。

「私は先に失礼しますね。もう限界なので」

 平助も、部屋を後にしようとする総司に続こうとした。次の瞬間、山南さんの低く鋭い声を聞く。

「待ちなさい」

 次いで、すぐに立ち止まりこちらを振り返る二人から、躊躇いの吐息が零れ出た。

 そこへ、酒を持って戻って来た慎一郎が宴の続きを促すも、逆に土方さんから制されてしまう。あたふたしている慎一郎に、俺は無言で微かに首を横に振った。

 ここまでだ。そう目で訴えると、慎一郎は怒ったように俺を睨み付けた。

 ゆっくりと立ち上がる山南さんの左手が鞘に置かれるのを目にして、俺も一瞬の躊躇いを振り切り、左手を柄に添えた。


(寝込みを待たずに殺る気だな……)


 俺たち以外の者がゆっくりと立ち上がり、刀を抜いて行く。それを目にした慎一郎は、お盆を床に置きながら、明らかに焦りの色を浮かべている。


(もう、無理だ)


 こちらを見る慎一郎に、また目で訴えた。刹那、芹沢もおもむろに立ち上がり鞘に手を置いた。俺達も同様に目を見張るなか、突然、慎一郎が山南さんの前に立ちはだかった。

「僕が!……お相手いたします」

「何を言い出すんだ、沖田くん」

 山南さんの、少し驚愕したような声を耳にしながらも、俺は芹沢を睨み付けるようにして立ち尽くしている慎一郎の肩を、鷲掴みにして言い聞かせた。

「お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか?! もう……」

「芹沢さん、僕と勝負です!」

 慎一郎は、俺の言葉を力強く遮ると、間髪入れずに刀を抜き払い、再び芹沢を睨み付けた。

「面白れぇ。相手になってやるぜ」

 芹沢が偏執的笑みを残し、庭へと歩き始める。

 俺は、何か言いたそうな土方さんたちを振り切り、それに続こうとした慎一郎の腕を掴んで再度引きとめた。

「待て、俺が行く」

「え……」

 俺は、呆気に取られたような慎一郎に頷くと、すぐに土方さんによって制される。

「一人では無理だ」

「大丈夫ですよ。俺に任せて下さい」

 想いを伝えると、その瞳は、“ 仕損じるなよ ” とでも言うかのように、細く厳かに顰められる。

 刹那、厠にでも行く途中だったのか、平山の、「芹沢先生!」と、いう怒鳴り声が切っ掛けとなり。史実通り、八木家の人間をも巻き込んだ大騒動へと発展していった。

 庭にて、素足のまま俺と芹沢が対峙するなか、総司が部屋の中へと逃げ込んだ平山を一刀で斬り捨てた。と、そこへ遠くから女の悲鳴が聞こえて来たということは、この場にいない平助が部屋で眠っていたであろう、平間やお梅を始末しに行ったのだろう。


(くそ、やっぱり歴史には抗えないのか……)


「土方」

 と、威圧的に鋭く言い放つ芹沢の、自信に満ちた鋭い眼差しを受け止める。

「どうした。怖気づいたのか」

 強まる雨粒が目に入ってきて、視界がぼやけ始める。

 俺は刀を構え直し、いやらしい笑みを浮かべる芹沢の方へじりじりと間合いを縮めて行った。微かに手が震えている。


(一瞬でも気を抜いたら殺られる……)


 平間たちの始末を済ませたのか、姿を現した平助と、その隣に肩を並べている土方さんたちも、縁側からこちらへ視線を送ってくれている。その中で一人だけ雨に打たれ、芹沢の背後に佇んでいる慎一郎にも見守られながら、俺は命を懸けた実践なのだと、自分に言い聞かせた。

「その前に、あんたに聞きたいことがある」

「なんだ」

「ここで死ぬつもりだろ」

 こちらからの問いかけに、芹沢は一瞬黙り込んだが、なぜか視線を泳がせながら楽し気に笑い始める。

「てめぇに答える義理は無い」

 きっと、ものの数秒だったに違いない。俺は自然と漏れ出た自分の掛け声を遠くに聞きながら、芹沢目がけて勢いよく駆け寄り、振りかぶった。そして、斬りかかろうとして力強く振り払われる。

「くっ……」

 暗闇の中、初めて真剣で人に斬りかかって行ったことに対しての衝撃と、この手で人を斬ろうとしている緊迫感は半端ない。


(読まれているか)


 続いて芹沢からの一撃を交わし、斬り結ぶ。力では五分だと感じたが、技では分が悪いと思わされた。

 こちらからも攻め続けるが、芹沢の剣はやけに重く、俺の想像をはるかに超えた技術で斬りかかってくる。かわすのが精一杯だと、人生初の挫折感と恐怖感に苛まれ始めた。


(噂通り、強ぇ)


 気が付けば、土方さんたちも庭へと出てきていた。芹沢は、慎一郎や周りを囲むようにしている土方さんたちを横目に、大声でいった。

「土方ぁ、お前の剣はこんなものか」

「……なに?」

 思わず、悔しさから冷静さを欠いてしまう。そんな俺に、芹沢はなおも斬り結びながらいう。「俺を殺してみろ」と。

 これで何度目だろうか。再び斬り結びながら、攻撃のチャンスを窺うも、呆気なく裏切られる。

「なっ……」

 それは一瞬だった。

 刀を振り払われた時に手を滑らせてしまった俺は、足元に横たわっている刀を拾う間もなく、目の前に切先を突きつけられた。

「土方さん!!」

 慎一郎の、叫びにも似た声が雷鳴にかき消される。

 刀を大きく振りかぶる芹沢から視線を逸らし、覚悟を決めた。刹那、俺は芹沢の喉から漏れ出た苦し気な吐息を聞き、ゆっくりと顔を上げた。

「……し、」

 俺は目を疑うと同時に、夢であってくれと思うほどのおぞましい光景に、思わず言葉を失ってしまった。

 なぜなら、あの慎一郎が顔面に血飛沫をうけ、息を荒げながら狂気に満ちたような表情かおで、芹沢の背後に立ち尽くしていたからだ。

「おま……え……っ……」

 芹沢の、痛みを堪えるような苦し気な声。それはすぐに乾いたような笑いへと変わっていき、ゆっくりとその場に頽れる芹沢に止めを刺したのは、土方さんだった。


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