第31話 逡巡する心

 *京香 side* 


 沖田さんを見送り、枡屋さんの待つ部屋へと戻ると、枡屋さんは窓辺越しに行き交う人の姿を見遣っていた。

「こっから、あんさんらを見とるうちに思い出しましたわ。いつやったか、藍で、あんさんが不逞な輩に絡まれとる時、逸早く沖田はんが席を立ち、わてと土方はんがそれに続いた……」

 と、枡屋さんはゆっくりと複雑な眼差しをこちらへ向ける。

「先程の若侍、あん時、不逞浪士らを追い払った方どっしゃろ?」

 伏し目がちに言う枡屋さんの困ったような微笑を前に、私はぎこちなく頷き返した。

 枡屋さんが、あの古高俊太郎だと思いながらも、たまに藍を訪れてくれた壬生浪士組かれらを迎え入れ、楽しい一時を過ごしてきた。それらの時間も、私にとって癒しだった。

 そんな曖昧な選択が、今の混乱を招いているのだということも十分理解している。

 私は、気まずい雰囲気のなか、明仁さんからの言伝ことづてをしっかりと伝えた。

 その間、枡屋さんは私から視線を逸らしたまま、時折、小さく頷きながら聞いてくれている。この時、これから起こるであろう歴史の全てを伝えたいという衝動に駆られた。

「詳しいことは私にも分かりません。でも、どうか、明仁さんを信じてあげて欲しいのです……」

「……京香はん」

 一瞬、目を見開いて驚愕した様子の枡屋さんに、私も視線を泳がせる。

「もしも、枡屋さんに何かあったらって考えると……」

 一点を見つめている枡屋さんの瞳が厳かに細められる。私は、それでも伝えたいという思いから震える唇を噛み締めた。

 私達がこの時代に飛ばされた理由も、これからどうしていけばいいのかも分からないけれど、彼らと関わってしまった以上は、何かをせずにはいられなかった。

 私の知っている史実が真実ならば、“ もしも ” ではなく、“ 確実に ” 枡屋さんは、新選組によって捕えられてしまうのだから。

 この場で私達の素性を明かし、せめて来年の初夏までに京都を離れるようにと、伝えることが出来たら。

 たとえ歴史は変えられなくても、最後まで粘り続けたいという気持ちが強まってゆく。

「心配なんです。お世話になった方々が……争うことになったらどうしようって……」

 そんな私に、枡屋さんは片眉を上げて少しおどけた調子で言う。

「確かに、うちはよう長州のお侍はんらをお迎えしとります。もう一つ言えば、同じ心持ちでおられる方ばかりやさかい、いろんな話もしますわな」

 ただそれだけのこと。と、いう枡屋さんの、寂しげな微笑を前に、また心が揺らいだ。

「なんも心配することなどない。と、土方はんらにも伝えといておくれやす」


(なんて説明すれば、枡屋さんを説得出来るのかな…)


 そんなことを考えていた。その時、階下からお登勢さんに呼ばれて、すぐに返答した。

「枡屋さん、この続きはまた夜にでも……」

 去り際、枡屋さんは、「夕餉が楽しみや」と、声を掛けてくれたのだった。



 それから、食事作りを手伝い、遅めの夕飯をそれぞれの部屋へ配膳した。

 今夜のおかずは、なますの酢の物と、鯛の塩焼き、湯豆腐にしじみ汁と漬物だ。最後に枡屋さんの部屋へ配膳し、尋ねられるままに梨のコンポートについて説明する。

「これは、私の母から教わったデザート……じゃない、えーと……」


(この時代では何て言うのかな?)


「えろう変わった形の水菓子やね」

「今は梨が旬だから、食べて貰えたらと思って作ってみたんです」


(そうだ、水菓子って言うんだった……)


 水と砂糖さえあれば出来る梨のコンポートは、鍋に水と砂糖を入れてよく混ぜ、薄く切った梨を入れて煮詰めるだけなので簡単に出来るのだけれど、焦げないように根気強く見ていなければならなかったりする。しかも、現代のガスや電気コンロと違って、火加減がうまく調整出来ないから、思っていたよりも手間がかかっていた。

 物珍しそうに見つめている枡屋さんに、私はそれらを説明し、まずは梨のコンポートから手を伸ばす枡屋さんをドキドキしながら見つめた。

 すると、枡屋さんは一瞬、微妙な顔をしてすぐに、「美味しい」と、言ってくれたのだった。

「良かったぁ……」

「甘すぎず、梨のうまみが際立っとる。梨をこないにして食したんは初めてや」

 その後も、私は美味しそうに食べる枡屋さんの傍で寺田屋ここでの生活を聞いて貰ったり、逆に枡屋にいるお遥さんたちのことを話したりしていた。

「京香はんには、人の心を惹きつける何かがある。そないに思うてます」

 優しい視線を受け止める。

 慌てて否定するも、そんなふうに言って貰えたことがなかった私は、半ば照れたように嬉しいという想いを口にしていた。

 やっぱり、長州藩の為にというよりも、自らの攘夷を果たす為に長州の味方をするつもりでいるのではないだろうか。

 だから、私はわざと明るく振る舞う。

「私にとって、枡屋さんとの思い出は一生の宝物でもあるんです……」

 そんな私の一言に、枡屋さんは大きく目を見開いた。すぐに、「敵んな、京香はんには」と、言って困ったように微笑むから、私はまた寄り添いながら徳利を傾け、一気にお酒を飲み干す枡屋さんに微笑み返す。

 きっと、私なんかには分からない大きな悩みを抱えているに違いない。それら全てを受け止めてあげることは出来ないけれど、少しでも痛みを和らげることが出来るのなら、どんなことでもしてあげたいと思える。

 今日もまた、本当のことを伝えることも、これからどこへ何をしに行くのかも教えて貰えないまま。

 私は、時間の許す限り枡屋さんに寄り添い続けたいと考えていた。


 *

 *

 *


 新選組屯所


 *慎一郎 side*


 それを目撃したのは、僕が見廻りから戻って間もなくのこと。

 庭兼道場から聞こえて来る誰かの堪えるような泣き声を辿っていくと、芹沢さんと為三郎くんが一定の距離を保って縁側に肩を並べていた。

「おい、もう泣くな」

「……はい」

 しばらくの間、気づかれないように部屋の壁際で二人の会話を聞いていたのだけれど、どうやら、為三郎くんが芹沢さんの大切にしていた何かを壊してしまったらしい。

 口は悪いけれど、その声音は本当にあの芹沢さんなのかと思ってしまうほど柔らかい。

「わざとじゃねぇんだ」

「せやけど、もう元には戻らへん」

「男がいつまでもうじうじしてんじゃねぇよ。行け、ガキはもう寝る頃合いだろ」

「ほんまに、すんまへんどした。おやすみなさい」

 おもむろに立ち上がり、芹沢さんに一礼してその場を立ち去る為之助くんを見遣る。すると、今度は為三郎くんと入れ替わるようにしてやって来たお梅さんが、芹沢さんの隣に寄り添うようにして腰を下ろした。

「今宵の月も綺麗やね」

「ああ」

「なぁ、芹沢はん。うち、ほんまにあんさんの傍におってもええんやろか」

「今更なに言ってんだ」

「うちのどこに惚れたん?」

「しいて言うなら、心根の優しいところ。と、でも言っておくか」

 お梅さんの、艶めいた声に答える芹沢さんの声は、酷く沈んだようだった。これ以上、盗み聞くことはさすがにマズいと、息を顰めながら自分もその場を去ろうとして、

「おい」

「は、はいっ」

「その声は沖田、慎一郎の方か? こっちへ来い」


(バレていたのか……ここにいること……)


 思わず、返事をしてしまったことで出て行くしかなくなった僕は、余裕の笑みを浮かべている芹沢さんの隣に立ち尽くした。

「いつから聞いてやがったんだ」

「た、たった今……」

「嘘つくんじゃねぇ」

「すみません、バレバレですね。えっと、為三郎くんに「気にするな」って言ってたくらいから。その、聞いてしまっていました」

「まぁ、座れよ」

 綺麗な微笑みを浮かべているお梅さんにも愛想笑いを返し、僕は芹沢さんの隣に胡坐をかいた。

「そういやぁ、聞いていなかったな」

「……何をですか?」

 芹沢さんは、首をかしげる僕を横目に、新選組として幕府に仕える本当の目的を尋ねて来た。僕は一瞬、どう答えようか考えあぐねてしまう。それでも、ここに居続ける意味を考えながら、心に抱いてきた信条をゆっくりと口にし始める。

「以前も話しましたけど、僕は幼い頃から英雄に憧れて強くなりたいと願いながら育ちました。だから、どんなに命の危険を伴ったとしても、英雄揃いの新選組ここにいたいと思える……と、いうか」

「何故だ」

「え?」


(何故と、言われてもな。たぶん、天然理心流を学んでいる人ならみんなそう思うはず……)


 問いかけの意味が分からなくて、再びなんて返せばいいのか考えていると、お梅さんが少し呆れたように口を開く。

「沖田はんがここにいたいゆうんやから、それでええんとちゃいますのん?」

「お前は口を挟むな」

 芹沢さんから食い気味に言われ、今度は不貞腐れたように膨れっ面をして、こちらに背を向けた。

 再度尋ねられた僕はというと、ただ俯くことしか出来ない。

「確かに、ここには剣豪が揃っている。だが、任される事といやぁ、市中見廻りくれぇだ」

 その、芹沢さんの一言に、僕もお梅さんも黙り込むしかなくて、先に部屋へ戻るというお梅さんを見送った後、芹沢さんは含み笑いを浮かべた。

「新選組だとよ。烏合の衆も等しかった俺達が、あの会津藩主から直々に賜ることが出来たと、自慢している奴もいる」


(近藤局長のことを言っているのかな……)


 胡坐をかいていた足を組み直すと、芹沢さんは夜空を見遣った。

「誠の武士ってのはな、沖田。最期まで死を恐れず、己の思うがままに生きる奴のことを言うんだ。人の世は長いようで短い」

 常に、死に場所だけは考えておけ。と、念を押すようにいう芹沢さんに、『最後の居場所』を見つけることが出来たのかを尋ねてみた。芹沢さんはそんな僕に、“ じきに見つかる ” と、言ってゆっくりと腰を上げた。

「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」

「……どういう意味です?」

「近藤さんか、山南さんにでも聞いてみろ」

 去って行くその後ろ姿を見遣り、これまでの芹沢さんの言葉を思い返してみる。


(じきに見つかると、いうことは……ここを死に場所としては考えていないということかな……)


 暗殺計画実行まで、あと六日。

 僕は改めて、今度こそ歴史が変わってくれることを願っていた。


 *

 *

 *


 八木邸 土間


 *明仁 side*


 早めの風呂を済ませ、いつものように水を飲もうと勺に手を伸ばす。


(くっそー。キンキンに冷えたビールが飲みてぇ……)


 ふと、ぬるめの水を飲みながらそんなことを考えてしまう。

 これまでに何回思ったか分からない。当たり前だが、この時代にビールが普及しているとは思えない。横浜近辺には出回っているかもしれないが、未だ主な仕事が市中警護くらいの俺達には、濁酒どぶろくがお似合いで、『下り酒』という高級な酒を飲めるのは、何か手柄を立てた時や島原へ行った時くらいだった。

 壬生浪士組の頃と比べれば、多少は贅沢出来るようになったが、現代ビールの爽快感には適わず。朝は、主に固めの白米に納豆汁、沢庵という枡屋よりも質素なものであり。昼は冷や飯に煮豆、きんぴらごぼう、梅干しというこれまた年配者が食うような品々が並ぶ。一番肝心な夜も、お茶漬けやイワシの塩焼きなどで、手の込んだ料理は、一切口にすることはない。

 ビールが飲みたくなる理由の一つに、晩酌の肴として枝豆が添えられることがあるからというのもある。他に、納豆や味噌やしらす、海苔などを混ぜたものや、味噌田楽やおでんを屋台からテイクアウトする場合もある。

 くどいようだが、食うことに困らないだけ良しとしなければならない。だが、そう思い我慢すればするほど、余計に手に入れたくなってしまうもので、現代人である俺達にとっては、一番のストレスとなっている。

 そして、もう一つは性的欲求のはけ口だ。

 幕末時代こっちへ来てから俺と慎一郎は、常に誰かとシェアし続けている。始めはそれどころじゃなかったが、自慰行為でさえ躊躇してしまう日々の中で、仕方なく性欲を食欲へと無理矢理変換させてきた。

 隊士たちの大半が島原などで解消させているなか、俺は未だにどうしてもその気になれずにいる。

 艶やかな和服姿の女から慣れた手つきで煽られれば、欲情を抱かない男などいない。かなり自尊心を失いかけたが、抱けなかった理由の一つは、花魁かのじょたちが命懸けで仕事をしているという知識を得ていたからだった。

 あれは、高校二年の夏だったか。下町の人間全員という訳ではないが、人とのふれあいを大切にするというか、大切に出来る人が多い浅草にて、ふと、立ち寄った神社前で偶然、知り合った七十代前半くらいの男性から、吉原の話を聞いたことがあった。

 尋ねてもいないのに話し始めたことから、最初は適当に聞き流していたが、大勢の遊女の中から這い上がって来られるのはごく一握りであること。何より、遊郭で働かざるおえなかった本当の理由と、感染病で悲惨な末路を迎えた者もいたという現実を知り、半ば愕然とさせられた。

 いわゆる、男色。隊内では、現代でいうところの同性愛者と思われないよう、適当に話を合わせて来たが、遊郭で働く女たちの気持を考えれば、抱きしめ、温もりを感じる以上の行為に及ぶことなど俺には出来なかった。


(男色か。ここにいたら、分からなくもない……)


 深い溜息と共に部屋へ戻ろうとした。刹那、目をつけていた楠小十郎が玄関から出て行くのを見かけ、俺は息を潜めながらやつの後を追った。

 自分でも監察方の素質があるんじゃないかと自画自賛するなか、辿り着いた揚屋へと消えて行く楠を遠くに、俺は辺りを見回しながら、ここが京都三本木辺りであることを確認した。

「御所の目の前じゃねぇか」

 よっぽど贔屓にしているか、あるいは誰かと待ち合わせているのか。どっちにせよ、刀を持ち合わせていない今、ここにいても埒が明かないと思い、来た道を戻ろうとしてはたと気づく。


(確か、ここらへんには有名な揚屋があったはず……)


 何ていう揚屋だったかは忘れたが、三本木には有名な揚屋があり、桂小五郎の妻となった芸妓がいたとか。

 いつだったか、初めて俺と慎一郎が京都の道場に呼ばれたその晩、お偉いさんたちに連れられて行った吉田屋で、史実に詳しい会長から店の話を聞いたことがあった。すべてを思い出すことは出来ないが、吉田屋からとある揚屋に在籍するようになったその芸妓は、という名前を襲名し、桂小五郎や長州藩士らを匿ったとされている。

 もしも、その芸妓がいる揚屋だとしたら、明らかに楠は黒ということになる。

 素知らぬ顔を装い、揚屋の商号を確認した後、俺は今一度頭の中を整理し直した。

 寺島の誕生日を祝う前に、俺にはいくつか消化しなければならない事柄がある。最終的には、自分達の身を守る為に間者を見極め、無益な死を避けなければならない。

 揚屋の商号は瀧中。一番の芸妓を尋ねて、『幾松』との返事を貰う。

「幾松、か」

 微かな記憶が徐々によみがえり、楠をはじめ、他の間者や長州藩らの隠れ家であることを確信した。


(……もう、完全に引き返せねぇな。)


 屯所までの道程、俺はこれまで迷っていた心を一点に定めたのだった。




 *誠は天の道なり。之を誠にするは人の道なり。(儒教の書「中庸」より抜粋。)

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