第34話 交差する気持ち

───六日後


寺田屋


 *京香 side*


「それで、なんだって?」

少し心配そうな明仁さんに、私は苦笑いを返した。

「くれぐれも気をつけて。と、言われました」

「余程嫌われているらしいな。俺達」

「お登勢さんは、特別だと思いますけどね」

 私は、ゆっくりと歩みを進める明仁さんの後をついて歩いた。

 明仁さんが寺田屋を訪ねて来てくれたのは、つい今しがた。だいたい暮六つ半(午後七時)くらいだろうか。詳しい事情はまだ話して貰えていないし、これからどこへ行くのかも聞かされていない。

「あの、明仁さん。どこへ行くんですか?」

「行きつけの店に、総司と慎一郎を待たせてある」

「え……」

 軽い驚きと嬉しさを感じながら、いつにない柔和な瞳と目が合う。

「お前の誕生祝いをする為にな」

「えぇー!? わ、私の為に……」

 いつだったか、壬生寺で中村さんとの話をした時、何気なく話した私の誕生日を覚えていてくれたことは勿論、また沖田さんや慎一郎さんとも会えることが何よりも嬉しくて、私は自然と頬が緩んでいくのを抑えきれずにいた。



 どれくらい歩いただろう。見知った道を逸れて狭い路地を抜けた先、一軒の小料理屋へ辿り着いた。次いで、明仁さんに誘われるままに店内奥へと進んでいくと、沖田さんが独り、手酌でお酒を飲んでいた。

 小さ目だけれど、よく時代劇などで目にしていたような、大人四人が囲めるほどのテーブル席。私が沖田さんの真向いに腰を下ろすと、明仁さんは沖田さんの隣に座りながら、遠くにいる女将さんらしき人におでんを注文した。

「で、慎一郎あいつは……」

「それが、ちょっと涼んで来る。と、言って出て行ったっきりなんですよ」

「ったく、しょうがねぇな」

 明仁さんは、面倒臭そうに小さく溜息をつくと、私たちに、「ちょっと行ってくる」と、言い残しお店を後にした。


 *

 *

 *


 *慎一郎 side*


「こんなとこで何やってんだ」

 背後から、あの聞き慣れた声がして、僕は微かに視線を上げた。

「ガキみてぇなことしやがって」

「……ガキで悪かったですね」

 目前を静かに流れる小川を見つめながら、少し拗ねたように返してみる。

 確かに、明仁さんの言う通り、自分でもガキっぽいという自覚はある。けれど、仕方がなかったとはいえ、この手で芹沢さんを葬ってしまった事実が、頭に纏わりついて離れてくれない。

 それだけではなく、結局は史実通りに敵である長州藩の仕業として済ませたことに対しての罪悪感にも苛まれていた。

「やっぱり、なんかこう、京香さんに会わせる顔がないというか……」

「その気持ちは分からないでもない」

 言いながら、明仁さんも僕の隣にしゃがみ込む。

「俺も同じ立場だったら、そう思うだろうからな。だが、こんなのはまだ序の口だ」

 その一言に、軽く息苦しさを感じた。

 時々、この現実から逃げ出したいと思う。でも、それが叶わないのなら進むしかない。

 おもむろに立ち上がり、視線を明後日の方向へ放ったまま、明仁さんはこちらに手を差し出した。僕は、その大きな手の平を見つめ、自分の手を重ねる。引かれるままに立ち上がると、すぐに手は離され、ゆっくりと歩き始めるその背中を追って足を速めた。

「僕がいなくても、沖田さんがいれば」

 自分の必要性について口にしようとして、明仁さんに遮られる。

「俺が思うに、寺島が会いたいのは総司じゃない」

「え……」

 意味が分からず眉を顰める僕に、明仁さんはこちらを振り返り言った。

「お前だ」

「な、なに言っちゃってるんですか。そんなことあるわけないでしょう」

 思わず動揺しながら、どうしてそう思うのかを尋ねたところ、明仁さんは薄く微笑んだ。

「俺の勝手な憶測だけどな」

「だって、京香さんが好きなのは沖田さんじゃ……」

「総司に対する想いと、お前に対する想いは別だと思うが。心当たりはないか」

 その心当たりが見つからなかった。どう考えても、自分に好意を持ってくれていたとは思えない。

「……ないっす」

「マジか?」

 きっと、呆れたような顔で僕を見ているに違いない。

「マジっす」

「お前、まさか未だに童貞とかいうんじゃねぇだろうな」

「なんで今それを?」

 今度は僕が呆れながら睨み返すと、明仁さんは更にニンマリとしてその先を促してきた。

「そうなのか?」


(すっかり楽しんでるな……)


 童貞かと尋ねられれば頷くほかなかった。

「だったらどうだっていうんですか」

 僕は完全に開き直っていた。すぐに吹き出して爆笑する明仁さんを横目に、すれ違う人たちからの冷めたような視線を感じながら、僕は更に足を速めた。

「そんなに笑わなくても……」

 これまでにも、好きな人がいなかった訳ではないし、彼女がいなかった訳でもない。剣術の稽古を優先していたことが仇となったのか、そのどれもが行き付くまでに終わってしまっていた。だから、明仁さん曰く、経験不足から、京香さんからの想いを受け流して来てしまった可能性は無くもない。

「入るぞ」

「……はい」

 いつの間にか辿り着いていた店前。僕は、暖簾を避けながら戸を開く明仁さんの後に続いた。


 *

 *

 *

 

*京香 side*


 明仁さんが慎一郎さんを連れて戻って来た頃にはもう、注文したおでんはすっかり冷めてしまっていた。

 明仁さんたちと入れ替わるようにして、今度は沖田さんが厠へ行くと席を離れる。と、明仁さんは早口に囁くように言った。

「例の暗殺事件、残念だが防げなかった」

 一瞬だけれど、慎一郎さんの悲し気な瞳と目が合い、私も何て言えばいいのか戸惑うばかりで……。

「……本当はこんなところにいる場合ではないんじゃ」

 そう伝えるのが精一杯だった。

 すると、明仁さんが長い溜息をつき、

「確かに、お前の言う通りだ。だが、こんな機会は滅多にあるもんじゃない。だから、俺達はこうして会いに来た」

 真っ直ぐ私を見つめてくる、明仁さんの真剣な眼差し。

「それは、お前が一番よく分かっているはず」

「そう、でしたね」

 新選組は、池田屋事件を切っ掛けに会津藩から認められ、これまで築けなかった地位を確立していくことになり、その後は、味方も増えるけれど、それと同じくらい敵も増えて行くことになる。それらを考えると、確かにこのような時間を設けることは難しくなっていくだろう。それでもやっぱり、これまでの明仁さんと慎一郎さんの真意を想うと、どうしても感謝の気持ちより申し訳なさのほうが先立ってしまう。

 と、そんなことを思って俯いた。その時、沖田さんが厠から戻ってきて、慎一郎さんに、「お帰り」と微笑み、また自分の席へと戻ると、冷めた大根を小皿に取り、綺麗に半分に割って口に頬張っていく。

「今さっき、京香さんから聞いたのですが、生まれた日にお祝いをするなんて、素敵な風習ですね」

 口の中で大根を転がしながら言う沖田さんの無邪気な笑顔。

 その後は、沖田さんからの質問攻めが続いた。その度に、ケーキというお菓子を皆で食べたり、贈り物をしてお祝いするということ。いろんな形式があって、家族や友人などが集まってお祝いする行事であると、伝える。

 明仁さんが12月19日生まれで、慎一郎さんが11月13日生まれであることは教えて貰っていたけれど、今回の件で、沖田さんの誕生日が6月1日であることが判明した。

 それにより、沖田さんの提案で、今後もそれぞれの誕生日に、みんなで集まってお祝いをすることになったのだった。

 それぞれ、笑顔で頷いてくれたけれど、慎一郎さんだけはどこか浮かない表情をしていた。


 *

 *

 *


  寺田屋


 *慎一郎 side*


「今日は、私の為に貴重な時間をありがとうございました。とても楽しかったです」

 勝手口前、京香さんが照れ臭そうに微笑む。

 あの後、誕生日プレゼントとして用意していた紅い簪を渡し、主にそれぞれの幼少からこれまでの話をし合ったり、屯所で起こった珍事だけを京香さんに伝えるなどして、終始楽しく過ごしていた。というよりも、楽しく過ごそうと努めていた。

 沖田さんを見つめる京香さんの、嬉しそうな顔。僕はいつも通りに挨拶を済ませ、踵を返そうとして京香さんに呼び止められた。

「あの、慎一郎さん……」

 振り返ると、京香さんの少し複雑そうな瞳と目が合う。

「……やっぱり何でもないです。簪、大切にしますね」

 そう言って微笑む京香さんは、いつもよりもどこか元気がなく。それでも、僕はなんの言葉も掛けられないまま、軽く頷いて先に歩き始めていた明仁さんの後に続いた。

 早くこの場を去りたい。なぜか、そんな思いに駆られていたからだった。

 沖田さんと京香さんとの会話が遠くなる。

「お前らしくもない」

 不意に、明仁さんからそう言われ、僕は小さく溜息をついた。

「僕がいないほうが、あの二人も話しやすいでしょう」

「そうかもしれないが……」

「お似合いだし。沖田さんと付き合ったほうが、京香さんも幸せになれると思うし」

 本当は自分の手で守りたいと思うくらい、京香さんのことを想っている。けれど、今の自分には京香さんを受け入れるだけの器量が無い気がしていた。だから、

「今の僕では……役不足だから」

 そう、返すことしか出来なかった。


 *

 *

 *


 *京香 side*


「では、私も失礼します。また伺いますね」

「帰り道、気を付けて」

 私は、お二人の元へ駆けてゆく沖田さんを見届けながら、今聞いたばかりの言葉を思い返す。


『いつか、良ければ一緒に華厳寺へ行きませんか?』


 少し照れたような笑顔が可愛く、どこか真剣な眼差しが男らしい。それがお誘いの言葉だと理解し、私は躊躇いながらも一つ頷いていた。でも、正直なところ、憧れの沖田総司から誘われたという嬉しさよりも、これから起こるであろう数々の事柄を想像すると、不安の方が大きかった。


(沖田さんのことも、何とかして助けたい。)


 現代にいた頃、こんなにも生きている事の幸せを噛み締めながら過ごしたことなんて無かった。当たり前のように、「また明日ね」なんて、言葉を交わし合い、いつでも会う事が出来ていたから。

 私は、改めて、この時代で生きる難しさを実感していた。


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