第12話 想い

 ━━━文久三年五月十二日。


 * 京香 side *


 雲一つ無い快晴。

 沖田さん達と離れて暮らすようになってから、今日で十日目。その間、ほぼ毎日のようにどちらかが藍に寄ってくれて、秘かに近況報告をし合っていた。

 現在の壬生浪士組は、浪士組からの同志や沖田さん達を含め、総勢26名。八木邸と前川邸と別れて居住しているらしい。

 中には、かなりなお年寄りや既に病気がちな人もいるそうで、沖田さん曰く、「ある種、年齢制限の無い、規則に厳しい男子寮にいるようだ」と、いう言葉にも頷けた。

 大家である八木家の人々は、家主の源之丞さんをはじめ、みんな気さくで良い人ばかりだという印象を受けた。ただ、驚いたことに4人の息子さんだけでも大所帯なのに娘さんまでいるそうで、向かいの前川さんたちが別邸へ引っ越してゆく中、現在は、妻の雅さんと三男の為三郎くん、四男の勇之助くんが彼らと同居している。

 朝食の前に朝稽古を済ませ、食事の後は市中警護へ。その際、近藤一派とか芹沢一派とかに分かれる訳ではなく、行ける人が行くといった割とアバウトな感じらしい。非番の人は、将棋などをして暇を潰したり、為三郎くんや勇之助くんと壬生寺で遊んだりしているのだそうだ。

 気になっていた芹沢一派との対立に関しては、今はまだこれといった目立った揉め事はないとのことだけれど、何か決め事をしなくてはならなくなった時、あるいは、未だ給金の支給が無いことから、芹沢さんたちが例の商家に押し入り、恐喝まがいのやり方などが原因で、多少の言い合いをすることはあるという。

 そんな時、沖田さんと土方さんは、中立の立場で平等に見守っているらしい。何故なら、自分達の知っている新選組とは違う印象を受けたからで、悪役だと思っていた芹沢一派の中にも、話し好きで気の良い人もいるから。と、いうことだった。

 まだ、名前と顔が一致していない人がほとんどだけれど、徐々に順応し始めていると聞いた時、ほんの少しだけれど安心することが出来た。



 その日の午後。

 再び藍を訪ねてくれた龍馬さんを迎え入れた。その姿は、初めて会った時よりも、更に精悍さを醸し出しているように見える。

「お久しぶりですね。お元気でしたか?」

「おう、おまんも元気そうで何よりじゃ」

 お茶とお団子を目の前に、「こいつが食いたかったんじゃ」と、言いながら瞳を輝かせる龍馬さん。私が微笑み返すと、龍馬さんは楊枝で黄な粉餅を頬張りながら、私を気遣うような言葉をかけてくれた。

「どうじゃ、ここにはもう慣れたかえ?」

「はい。お凛さんたちがとても良くしてくれるんで、毎日楽しく働けています」

「ほうかえ。そらぁ、良かったねぇや」

 今度は、美味しそうにお茶を飲む様子を見つめながら、私は答えて貰えるか分からなかったけれど、これまでどこで何をしていたのかを尋ねてみた。すると、龍馬さんはにっこりと微笑み快く話してくれた。

 ここを初めて訪れた次の日、長次郎さんと入れ替わるようにして会った岡田以蔵おかだいぞうを勝海舟の護衛に付け、江戸へと旅立ったのだそうだ。そんな彼らとの関係についても話してくれたのだが、勝海舟との出会いを耳にして、思わずニンマリとしてしまう。

「どえりゃあ話ば聞いてのう。いっぺんで感化されてしもたがぜ」

 尊王攘夷論者である龍馬さんにとって、国賊であった勝海舟。最初は、開国論者の勝海舟を成敗するつもりで乗り込んだ龍馬さんだったが、逆に “ 日本を守る為に、外国人と友好を深めるのだ ” と、説得されたという。

 その後、勝海舟から航海術などを学び、各藩の要人とのパイプを確保した龍馬さんは、亀山社中(後の海援隊)を立ち上げ、物資経済面から薩摩、長州に接近するようになる。

「わしはのう、外国から知識を得たうえで攘夷を果たす。これこそが、一番えい方法じゃと思うちゅう。そん為には、海軍は必要不可欠やき」


(土方さんと同じこと言ってる……)


 まるで、子供の様に瞳を輝かせながら語る龍馬さんの話に、私は引き続き耳を傾けた。そこから、勝海舟への想いがひしひしと伝わって来る。

 私も、勝海舟はこの時代の英雄の1人だと思っている。

 太平洋を横断した初めての日本人としても有名だし、吉田松陰と同じように、海外拡張思想を持っていたとされているからだ。でも、一つだけ腑に落ちないことがあった。それは、幕臣(征夷大将軍を直接の主君として仕える武士のこと。)でありながら、幕府内部の重要な情報を倒幕派に漏らしていた。と、いう史実も見つけてしまったからだ。

 家茂公や、慶喜公から絶大な信頼を受けていたほどの逸材であり、勝海舟もまた、彼らに敬意を払っていたというのに、なぜ敵対しているはずの龍馬さんや長州藩士達に手を差し伸べたのか。

 近藤さんたちも、龍馬さんも。長州藩も土佐藩も、薩摩藩も皆、最初は幕府に攘夷を果たさせる為に動いていた。そんな中、いつの間にか尊王攘夷を唱えながらも、倒幕開国派となってしまう薩摩と長州。各藩を無視した幕府のやり方にも問題があったのかもしれないけれど、ある史実では、外国との戦争を繰り返すことで、攘夷に対する熱も冷めて行った。と、伝えられている。

 何よりも、鳥羽伏見の戦いで敗れた新選組に対しても容赦ない選択をさせていた。

 勝海舟は、幕府にとって敵なのか味方なのか?

 それとも、ただ日本を守りたい一心で、敵味方を選ばなかったのか。トータルして考えた結果、虚実が判然としない人物だと、改めて思わされる。

「これから、この日本にっぽんがどないなってゆくがかは、わしにも分からん。けんど、この国を統一し、諸外国と対抗してゆけるだけの知識と技を身につけんといかんがぜよ。それやき、専用の訓練所を作っちゃろうと思うちゅう!」

「坂本さんたちの夢が叶うように応援しています!と、いうか、期待しています」

「嬉しいことゆうてくれよる。ますます、やる気が沸いて来たぜよ!」

 と、龍馬さんは、残りのお団子とお茶を飲み干し、またにっこりと微笑んだ。

「御馳走様。いくらじゃったかのう?」

「十文です」

「ほい。また来るき」

 私にお金を手渡すと、龍馬さんは鼻歌まじりに暖簾を翻し、ほいじゃのう。と、敬礼するように言って、楽しそうに笑いながら店を後にした。

 すぐに、またこちらを見て手を振ってくれる龍馬さんに、私も手を振り返す。

「本当に可愛い人だなぁ。龍馬さんって」

 小さくなる背中が雑踏の中に消えてゆく。見送ってすぐに店内へ戻り、出来上がった心太をお客様の元へ運んだ。

 真の尊王攘夷とは何なのか?

 これから、それぞれが尊王攘夷を唱えながらも意見が対立していき、無駄な争いを重ねてゆくことになる。その時、死を賭して戦う志士かれらに、私は何をしてあげられるだろう?

 空になったお皿と湯呑を片付けながら、そんなことを考えていた。


 *

 *

 *

 

 * 明仁 side *


 ───八木邸


 いつもの様に庭先にて稽古を終え、見廻りへ向かうという永倉たちを見送り、すぐにまた素振りを繰り返す。正直、もっと厳しいと思っていた稽古に対して物足りなさを感じている。

 家茂公の警護を終え、上洛した近藤さんたちが戻って来たのは昨日の夕暮れ時だった。戻って来るなり、俺達を集め大阪での将軍警護の様子を話し始めたのだが、予想通りの内容に思わず笑いを堪えるのに必死だった。

 会津藩から認められるには、まだまだ時間が掛かる。そんなふうに思いながら慎一郎を見ると、あいつも、お手上げだとでも言いたげに溜息をつきながら、お得意の苦笑を浮かべていた。

「まだやっていたんですね。もう、みんな休憩しているのに」

 せなに感じるいつもの視線。

 素振りを続けながらも、ちらりと見遣った先、見廻りから戻ったのか、手拭いを手に慎一郎が縁側に胡坐をかいていた。

「何か用か?」

「山南さんが探してたそうですよ」

「俺を?」

 手を止め、竹刀を肩に振り返る。

「さっき、雅さんから聞いただけだから、どんな用事かは分からないですけど」

「……分かった」

 手拭いを受け取り、頬をつたう汗を拭いながら、剣を竹刀立てへ戻した。その時、会いに行こうとしていた当の本人から声を掛けられた。

「ここにいたのか。探しました」

「俺に何か」

「少し話したいことが。沖田くんもいるなら丁度いい、ここでお話します」

 俺が慎一郎の隣に腰を下ろすと、山南さんは例の役職について説明し始めた。

 局長、副長、副長助勤、平隊士とある中。俺と慎一郎は、平隊士として務めていた。だが、その話の内容からして昇格を意味していることに気付き、思わず慎一郎と顔を見合わせた。

「と、いうことで、お二人には副長助勤兼撃剣師範をお願いしたいと思うのですが、引き受けて頂けますか?」

「……俺達で良ければ」

 良かった。と、安堵の息を零す山南さんに慎一郎の、少し訝しげな視線が向けられる。

「撃剣師範については喜んでお引き受けします。が、その副長助勤って具体的に何をすれば?」

「局長や副長の次に重要な立場を担い、主に副長を補佐して頂きます」

「なるほど……って、それって責任重大じゃないですか!」

 慌てふためく慎一郎に、山南さんは苦笑した。

「いや、副長助勤と言ってもそんなに気負いすぎる必要はない。今までよりもほんの少しだけ、熟さなければならない仕事が増えるくらいですから」

「わ、分かりました」

 では、これからよろしくお願いします。と、未だ納得出来ていない様子の慎一郎に微笑み、奥へと去ってゆく山南さんを見送る。と、慎一郎が溜息混じりに呟いた。

「土方さんだけならまだしも、僕まで……」

「嬉しくないのか」

「そりゃあ、嬉しいですけど」

 慎一郎が言いたいことは何となく分かっていた。今よりも忙しくなれば、自ずと自由な時間も減る。そうなると、寺島に会いに行くこともままならなくなるからだろう。

「忘れないで下さいね。京香さんを守り、現代へ戻るという本来の目的を…」

「分かっている」

 常にそのことは考えているが、最悪の場合、この時代で生きて行くという現実を受け止めなければならない。

「俺だって忘れている訳じゃない。だが、戻れる可能性はゼロに等しい。だからこそ、この時代で生きる覚悟を決めた。そうじゃなかったのか?」

 すぐに逸らされる視線。その怒ったような横顔があの日を思い出させる。同時に、杏華きょうかの澄んだ笑顔が、じんわりと心に広がってゆくのを感じた。

 3年前の春。

 いつものように道場で迎え入れるはずだった、幼なじみの杏華を失って初めて、自分たちの気持ちに気付かされた。

 交通事故に遭ったと知らされ、慎一郎と駆けつけた手術室前には既に、彼女の家族がいた。

どれくらい待っただろうか、出て来た医師の説明は右から左で、彼女の死を受け入れられず、その現実から逃げ出したい衝動に駆られていた。

 想いを抱えたまま。当たり前のようにあると思っていた彼女との時間が、永遠に潰えたことを認識すると同時に、自分の無力さを痛感させられた。

 俺たちのマネージャーとして迎え入れてから5年半。俺達にとって彼女は、唯一無二の存在だった。

「杏華を失った時から、ずっと考えていた。俺に出来ることならどんなことでもすると」

「土方さん」

「朗らかな笑顔も、何気ない仕草も。不器用だが、俺達を気遣う優しさも。寺島は杏華に似ているよな」

 初めて寺島を目にした時から、どこかで杏華を重ね見てしまっていた。それは、慎一郎こいつも同じだったはず。

「虫のいい話だが……寺島を守りきることで、今度こそ、弱かった自分と向き合えるんじゃないかと思っている」

 短くも長い沈黙。

 また微かに隣へ視線を遣ると、慎一郎はまた溜息を零した。

「……まったく、何でも一人で決めつけちゃうんだからなぁ。ちょっとは着いて行く身にもなって下さいよ」

 言いながら、膝を抱えるようにして天を仰ぐ。その横顔は、先程のそれとは違い、どこか吹っ切れたように見えた。


 *

 *

 *


 枡屋亭


 * 京香 side *


 その日の晩。

 私は、久しぶりに枡屋さんの部屋にお邪魔していた。

「今日もお疲れ様でした」

「おおきに」

 いつものようにお猪口に徳利を傾ける。ととと、と言いながら、溢れそうになるお酒を口で受け止める枡屋さんの嬉しそうな表情に、つられて笑ってしまう。

 夕方、少し強面の浪士らしき男性と一緒に戻って来た時からずっと機嫌が良い。何か良いことでもあったのかと尋ねると、枡屋さんはお猪口を手にしたまま微笑んだ。

「吉報が届いたんどす。いつやったか、あんさんに話したことがありましたやろ。中村隼人ゆう男のことを」

「あー、お遥さんの妹さんのカレシ……じゃなかった、許嫁いいなづけでしたよね?」

 別邸に届いたとされるその手紙には、お目当ての品が手に入ったということ。そして、中村さんと晴乃さんが、正式に夫婦になったという内容が書かれてあったそうだ。

「お二人のことは知らないですけど、なんか自分のことのように嬉しいです」

「わてもや。二人の喜ぶ顔が目に浮かぶわ」

 差し出されたお猪口にまたお酌をし、さっきよりも美味しそうに飲み干す枡屋さんを見つめながら、私は一昨日から長期休暇を取って大阪へ行っているお遥さんにも、早く伝えてあげたいと思っていた。きっと、枡屋さん以上に大喜びするに違いない。

 そして、もう一つ。

 下関にいると言っていた中村さんがもしも、長州藩士だとして、お目当ての品というのが例の武器や弾薬だったとしたら、いずれここにそれらが運ばれて来るはず。

「どないしたんや。また、考え事でもしてはるん? それとも、無理に付き合わせてしもた?」

 お猪口をお膳に戻し、私から徳利を奪うと枡屋さんは、困ったように微笑んだ。

「そういう訳では。その、つい考えこんじゃう癖があるみたいなんです」

「かいらしい癖やね。今度は、何を考えてはったんやろか」

「い、言いにくいことなんで……」

 恥ずかしくなって俯いた。途端、近づいた枡屋さんのしなやかな長い指先が右頬へ添えられ、親指の腹により優しく拭われる。

「なんどっしゃろ。言いにくいことって」

 それによって、かち合う視線。絡め取られたまま逸らせなくなり、更に近づく端整な顔から逃れるようにまた俯いた。

「わての方を見てておくれやす」

「……っ……」

 囁くような声がして再び視線を上げるとすぐ、もう片方の指先が私の目元を掠めて行った。

「取れましたえ」

「……はい?」

「睫毛」

「あ、睫毛……あっはは。そうだったんですねぇー」


(な、なんだぁ。頬についた睫毛を取ってくれようとしていただけだったんだぁ。なんか、古典的過ぎるぅ。)


 枡屋さんの眼差しには、魔法のような、そんな何かがあるに違いない。フェロモンの分泌量が半端ないし、こんなにも間近で大人の男性の色気を感じたことが無かったからというのもあるのだけれど、これは私でなくても勘違いしてしまうと思う。

 頬だけでなく、耳まで赤くなっているのが分かる。

「なんや、もしや期待してはったん?」

「き、期待なんてしてるわけないじゃないですか」

「はは、ごめんやしや。かいらしいあんさんを見とるとつい、からかいとうなるんよ」

「ぶぅぅ」

 ふくれっ面を返すも、「そない表情かおもかいらしい」と、楽しそうに微笑わらい返されてしまう。そんな中、ふとした瞬間に見せる寂しげな表情を目にしてしまえば、また勝手な想像が頭を過ってゆく。

 今、何を考え、何を思い描いているのか。

 もう少しだけ付き合って欲しい。と、言う枡屋さんに頷いて、私はその後も楽しそうに語る枡屋さんの話に耳を傾け続けた。

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