第13話 幕末の獅子①
*京香side*
───枡屋
翌朝。
京都は久しぶりの大雨に見舞われていた。
さーっという音が続く中、朝餉を済ませ、早々に出かける枡屋さんを見送る。
「少しは小降りになって来たような?」
「せやなぁ……」
開かれた引き戸の先、いまだ降り続いている雨を見ながら、枡屋さんは小さく溜息をついた。
「歩いているうちに止んでくれるといいですね」
そう言って、私が枡屋さんに傘を手渡すと、枡屋さんは、「おおきに」と、微笑んでくれる。
傘を差す仕草まで
「京香はん」
「はい?」
「どないしたんや?」
「いえ、何でもないです……」
多少動揺しながらもいつも通りに答えると、枡屋さんは両手で傘を持ったまま、少し躊躇いがちに呟いた。
「あんさんさえ良ければの話どすけど……今宵も、付き合うて貰えるやろか」
伏し目がちだったその柔和な視線が、ゆっくりとこちらに向けられる。囁くように、しかも切なげに見つめられたら、断ることなんて出来なくなる。それくらい、低く穏やかな声も色っぽく細められた目も、今の私には魅力的過ぎた。
「も、勿論です。私で良ければ……」
「良かった。お蔭で、こない雨も気にならへんよぉなったわ」
ほな、行って来ます。と、今度こそ玄関を後にする枡屋さんに、送り出す時の挨拶をして、去って行くその背中を見送った。
一通り雑用を済ませた私は、お使いに行く為、口紅だけを差して外出した。
普段の行いが良いからか、歩いているうちに雨も止み、傘を畳んで行き慣れた道を歩く。四条通りを真っ直ぐ二条城方面へ歩き始めてどれくらい経っただろうか。近道をしようと狭い路地裏に入った。その時、後方から「待てぇぇ」と、いうけたたましい声がして思わず立ち止まった。
次の瞬間、
「痛っ」
背後から左肩にぶつかって来た人と一瞬、目が合った。
(今の人は……)
すぐに駆け去っていく袴姿の侍らしきその後ろ姿に、ただ茫然としている私の横すれすれを、今度は見廻り組らしき隊士が数名、通り過ぎてゆく。
私は、今ぶつかって来た人が高杉晋作かもしれないと思うと同時に、裾をまくり上げ好奇心から駆け出していた。
(あの、小柄で短髪にキツネ顔。絶対に高杉晋作に違いない。でも、長州が京を追われることになるのは確か、「八月十八日の政変」後だったはず。)
「どうして追われていたんだろう。というか、ここはどこ?」
もう、自分がどこにいるのかも分からなくなって、塞ぎこむようにして乱れた息を整える。辺りを見回し、また途方もないままに歩き始めて間もなく。民家の壁に背を預けながら、息を弾ませている高杉晋作らしき男性を見つけた。
(どうしよう、声をかけるべきかな? いや、迷っている場合じゃない。こんなチャンスはもう二度とないかもしれないんだから……。)
その男性が本物の高杉晋作かどうかも分からないけれど、私はゆっくりと近づきながら思い切って声をかけてみた。
「あの……」
刹那、鋭い視線とかち合う。
「なんだ、さっきの娘か。脅かすな」
「す、すみません!」
少し怒ったような声色に思わず肩を竦める。声を掛けてみたものの、その次の言葉が出て来ない。そんな私のどこか挙動不審な態度を見て、男性は申し訳なさそうに俯き、控えめに口を開いた。
「いや、謝らねばならないのはこちらのほうだな。先程はすまなかった」
「い、いえ……」
「どうしても、捕まる訳にはいかなかったのでな」
この男性が高杉晋作だと仮定して。私の想像していた高杉晋作像が、いい意味でガラガラと崩れ去ってゆくのを感じた。何故なら、もっと自己中心的で分かりやすく言うと、俺様タイプだと思っていたのに、その話しぶりや低めながらも、爽やかな声の調子から品の良さを感じたからだった。
「怪我はないか?」
「はい。大丈夫です」
それならば良い。と、言いながら周りを見渡す男性に、なぜ追われていたのかを尋ねようとして、すぐに名乗られる。
「
(東行と名乗っているということは、やっぱりこの人はあの幕末の獅子と言われた、高杉晋作……)
私も龍馬さんに説明したように名乗ると、高杉さんは微笑を浮かべた。
「京香か。いい名だな」
(高杉さんからも褒められちゃった。)
そんなふうに思いながら俯いた。途端、強引に腕を引かれる。
「また逃げるぞ」
「は?!」
高杉さんの視線の先、今度は見慣れた人たちが大通りを駆け抜けて行くのを見とめた。
(あれは、壬生浪士組?!)
「今度は浪士組ときた。今日の俺は余程奴らに好かれているようだな」
前方に視線を向けたまま言う高杉さんを見上げ、私はただ、足早に歩き始める高杉さんの足手纏いにならないよう必死に追いかけた。
(沖田さんたちもいたのかな? と、いうか何で一緒に逃げてるんだろう?)
また狭い路地に差し掛かった時だった。
「あっ……」
手の平に汗をかいていたせいもあり、壁に傘の先をぶつけた拍子にするっと滑らせ手離してしまう。
「傘が!」
「諦めろ」
「えーっ……」
地面に横たえられたままの傘を名残惜しげに見遣りながら、なおも走り続ける。現代の京都にも狭い路地がいくつもあったけれど、この時代はそんな路地ばかりが連なっていて、こういった人が逃げるのにはもってこいな道が多い。
(どこまで逃げる気だろう?)
と、そんなことを思っていた時だった。ぶつっという鈍い音が聞こえると同時に、前へとつんのめりそうになり、寸前で高杉さんに支えられたものの、勢い余って気が付けば、高杉さんの上に覆い被さるようにして端整な顔を間近にしていた。
「……っ、大丈夫か」
「だだだだ、大丈夫です! ごめんなさい、怪我とかしてないですか?!」
慌てて身を引くと、高杉さんは余裕の笑みを浮かべながらゆったりと立ち上がり、肩や膝元の汚れを片手で払った後、少し離れた道端に放られていた私の草履を拾って胸元にしまいこんだ。
「知り合いの家まであと少しだ」
そう言うと、高杉さんはそっと私に手を差し伸べてくれた。私は、裾を正しながらその少し無骨な手を取って優しく引かれるままに身を任せる。
「知り合いの家って」
「そこで上等な物を用意させよう。そこまでは……」
不意に抱き上げられ、私は咄嗟に高杉さんのうなじと襟元に手を回した。
「こうして行くしかなさそうだ」
「いや、あの。私は大丈夫ですから」
「安心しろ。重くはない」
「そ、そういうことではなくて……」
額のあたりに高杉さんの息がかかるのを感じながら、私は更に俯いた。そして、歩き出す高杉さんの顔をちらりと見上げる。
どこか冷めたような印象を受けたけれど、凛々しい眼差しがこれまでの高杉晋作を物語っている気がした。きっと、誰よりも大きな野望を持っているに違いない。すると、高杉さんは視線だけをこちらに向けた後、すぐに前方を見遣り不敵な笑みを浮かべた。
「顔が赤いが、どうかしたのか」
「や、やっぱり下ろして下さい」
「どうしてだ」
「怪我している訳でもないのにこんな……」
「こういう時は素直に甘えておけ。困った時はお互い様だ」
(と、言うよりも一緒に逃げていなければこんなことにはなっていないんだけど…)
ドラマやゲームの高杉晋作が、いかに作者の理想で描かれていたかが分かるというか、伝えられていた通り強引なところもあるけれど、本物の高杉晋作は私が思っていたよりも紳士的だと言える。特に、ゲームでの高杉晋作は女好きで独占欲が強いという印象が強かったからか、少々拍子抜けしていた。
などと、好感を抱いていたのも束の間───
(や、やっぱりこの人はSだっ……しかも、ドがつくほどのSだぁぁー!!!)
辿り着いた立派なお屋敷で、私は丁重に持て成されながらも、高杉晋作の本性を知ることになるのだった。
*
*
*
*慎一郎 side*
「取り逃がしてしまったようですね」
「ああ」
僕らは、軽く息を弾ませながら辺りを見回した。
まさか、自分達にとってお尋ね者である人物と京香さんが一緒にいるなど、つゆほども知らなかった僕は、藤堂さん達と離れ、土方さんと共に四条通りへとやって来ている。
「こうなったら仕方がない、いったん屯所へ戻るか」
「……ですね」
足早にまた歩き出す土方さんの後ろをついて歩く。
そうしながらも、今後の新選組がどのような岐路に立たされ、どう進んでいくのかを思い描いていた。
京香さんから教えて貰った限りでは、秋を迎えるまでにいくつかの事件が起こることになっていて、一番気にかけているのは芹沢さん暗殺事件だ。その間、芹沢さんたちによる問屋焼き討ち事件や、お相撲さんたちとの乱闘事件がある。他にも新見さんを切腹に追い込んでしまったり、大阪奉行である何とかという人を暗殺してしまったりするらしい。
多少、影響を受けていた新選組の一員として働けていることを誇りに思う。その反面、仲間同士でいがみ合い、挙句の果てに殺し合うという、この時代の風習とでもいうか。そのへんの倫理が、未だ理解出来ないでいた。
これら全てを未然に防ぐことは難しいかもしれないけれど、何とか最悪の結末だけは避けられないかと、常に考えている。
「ねぇ、土方さん」
「ん」
歩調を速め隣に並ぶと、僕は高杉晋作について尋ねてみた。
「近藤さんが、「将軍様を愚弄した罪は大きい」とか、何とか言っていましたけど、
高杉晋作って、そんなに悪い奴なんですか?」
「俺も詳しくは知らねぇが、新選組を正義とするならば、確実に敵であると言っていい」
「でも、京香さんは長州の英雄だって言っていましたよね。何とかって隊を結成して、総督になったとか……」
「奇兵隊だろ」
「あ、それだ」
しかも、詳しくは分からないけれど、幕府にとって味方と成り得た坂本龍馬と親しかったとか。そうなると、今自分たちがやっていることは意味があるのだろうかと、虚無感に苛まれそうになる。
それは隊内でも同じで、筆頭局長である芹沢さんたちの行いに困惑してしまうことが大半だけれど、だからと言って、近藤局長のやり方にも素直に賛同出来ない部分もあった。
京香さん曰く、新選組をメインにした小説やドラマでは倒幕派が悪者となり、坂本龍馬などをメインとした作品では新選組が悪役となる。だから、どちらが正しいのか?という疑問は持たない方が良い。と、いう結論に至ったのだけれど、いざという時にそれを見分けるのは至難の業だと思われる。
「それにしても、これからどうすればいいのかなぁ」
「尽忠報国の士ってやつを、常に心に留めておくことだな」
「何ですか、そのじんちゅうほうこくのしって……」
「近藤さんが言ってただろ。手っ取り早く言えば、徳川家茂や松平容保に忠誠を尽くし、国から受けた恩に報いること。新選組は、これからも会津藩の下で尽力していくことになるからな」
「なるほど。確かにそういう心構えみたいなものは必要ですよね」
全てではないものの、この時代の人たちが築きあげていったものは、現代にもしっかりと息吹いている。ただ、僕らが入隊した時点で既にもう、歴史は変わってしまったのだけれど……。
「こうなったら、やってやろうじゃねぇか。俺なりの攘夷ってやつをな」
ふと、視線を戻すと、土方さんは切れ長の目を満足げに細めていた。こんな自信あり気な表情を見るのは久しぶりかもしれない。
「どこまでやれるか分からないが、歴史を塗り替えてやる」
これまでも、この人に着いてきて間違いはなかった。
だから、僕は……。
「どこまでも着いて行きますよ。土方さんとなら本当にやれそうな気がするんで」
「まずは、もっと俺たちのことを認めさせることだ。でないと、事は上手く運ばないからな」
薄らと微笑えむ土方さんに微笑み返す。
これから、やろうとしていることが正しいかなんて分からないし、いずれ、新選組となって活躍し始める彼らの、誤った道を正すことが出来るかどうかも分からない。でも、出来るだけ後悔のないように生きて行かなければと、改めてそんなふうに思っていた。
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