#3 それぞれの進む道

第10話 新たなる決意

 ───角屋 


 その晩のこと。

 土方さんに連れられてやって来たのは、『角屋』だった。ここは、新選組ファンならば誰もが知っているであろう揚屋で、これから隊士たちが通うことになるのだと思うと、自然と胸が弾んだ。


(ここが、あの有名な角屋なんだ……)


 綺麗な着物を身に纏った女郎さんに奥の間へと案内され、私達の分の配膳が終わった頃にやって来た花魁おいらんと新造を迎え入れる。次いで、おもむろに私達の前に腰を下ろし、丁寧な挨拶をし始める彼女たちに釘付けになる。


(控えめな視線といい、話し方といい、とても品があって女性らしい……)


 それぞれ、名乗り終えるのを見守ると、清花きよはなと、名乗った花魁がおもむろに立ち上がって、土方さんの隣へ寄り添うように腰を下ろした。

「土方様、またお会い出来て嬉しおす」

「えっ?!」

 沖田さんは、清花さんの一言に軽く驚愕した。

って、どういうことです?」

「そういうことだが」

「って、いつの間に……」

「世話になってすぐ。枡屋の奢りでな」

 例のごとく、私がお二人の会話に苦笑していると、清花さんは、また楽しそうに微笑みながら土方さんのお猪口に徳利を上手に傾ける。その、細くてしなやかな指先にさえ見惚れてしまうほど。

「……綺麗だなぁ」

 視線はそのままに私が呟くと、隣で沖田さんも感嘆の息を零した。

「そうですね。京香さんも、あんなふうに化粧して着飾ったら引けを取らないと思いますよ」

「そう、ですかねぇ」


(そういえば、こっちへ来てからずっとスッピンのままだった)


 いつだったか、新選組が通っていたここ、『角屋』に興味を持った私は、島原で活躍していた花魁のことも調べたことがあった。

 山南敬助に愛されたという明里のことは、作家の創作ではないかという、いまいち不確かなものばかりだったけれど、後に近藤勇の妾となる深雪太夫や、枡屋さんが好意を寄せているかもしれない夕霧太夫のこと。そして、彼女たちと合わせて、三大太夫と称されていた吉野太夫のことにも詳しい。いずれも、芸に秀でていて、傷ついた男たちの心を癒して来たとされている。

 土方さんが美味しそうに飲み干すのとほぼ同時に、沖田さんもお酌される。

「ありがとうございます」

 清花さんは、両手で徳利を持ったまま私にも満面の笑みをくれる。

「あ、じゃあ……少しだけ」

 両手でお膳の上に置かれていたお猪口を持ち、そっと注いでくれる彼女に微笑み返す。

「ありがとうです」

「女子はんをお迎えするんは久しぶりどすさかい、それもまた嬉しおす」

「やっぱり、女の人は少ないんですか?」

「そうどすなぁ。あんたさんのような若い女子はんをお迎えするんは初めてどす」

 ゲームやドラマなどでも、揚屋での花魁とのシーンは欠かせない。花魁や、太夫たゆうになるには、現在でいうところの、宝塚歌劇団の生徒さんのように、厳しい稽古を重ね、様々な習い事をマスターしなければならず、誰もがなれるものではないということも知っている。きっと、華やかな世界の裏には沢山の苦悩があるに違いない。

 そんなふうに思っていた。その時、一瞬だったけれど、土方さんから席を外して欲しいと言われた清花さんの、悲しげな瞳を見逃さなかった。次いで、彼女はすぐに微笑みながら頷くと、隅に控えていた新造と共に静かに部屋を後にした。

 一息つく沖田さんの、少し呆れたような視線が土方さんに向けられる。

「あの様子は、惚れてますよね。土方さんに……」

「誰にでもあんなもんだろ」

「と、いうか。枡屋さんに奢らせていたとは」

「そんな金はねぇっつったら、奢るっていうから甘えさせて貰った」

「本当に、何て言うか……ある意味、尊敬しちゃいますよ」

 自慢げに答える土方さんとは逆に、みるみるげんなりとしていく沖田さんを見ながら、やっぱり苦笑してしまう。同時に、沖田さんの几帳面さと土方さんの器用さを改めて、知ることが出来たような気がした。

「と、いうことなんだが。お前はどうする」

 土方さんは、俯き加減に考えあぐねている様子の沖田さんに問いかけた。

 それは、いずれ壬生浪士組が隊士たちを募集することになった時、入隊するかどうかというものだった。私は、自分は入隊する。と、言う土方さんから視線を逸らしたままの沖田さんを、見守ることしか出来ない。

 すると、しばらく考えていた沖田さんが、ゆっくりと顔を上げた。

「何となく、こんな日が来るんじゃないかと思っていました。僕も同じ想いですけど、京香さんはどうするんです?」

「暫くは枡屋に留まり、いずれは寺田屋へ行って貰えればと思っている。寺田屋が騒ぎになるのはまだずっと先の話だからな」

「でも、もしも何かあったら、誰が京香さんを守るんですか」

「俺達が守る」

 当たり前のことを言わせるな。と、言う土方さんに、私も沖田さんもきょとんとしたまま。そんな私達に土方さんは、柔和な笑みを浮かべながら先を話し始めた。

 まず、私が住み馴れているということもあるし、今はまだ、池田屋事件以外で枡屋が危険な目に合う可能性は低いということ。そして、池田屋事件前までに、佐幕派・倒幕派関係なく受け入れてくれる寺田屋へ移れば、自由に行き来が出来るし、お互いに疑われることは無いだろう。との事だった。

 力説する土方さんに、沖田さんは溜息交じりに小さく頷く。

「京香さんだけじゃなく、お世話になった人達やこの町を守ることが出来るかもしれないから、ですか」

「池田屋事件までに、隠し持つはずの武器を他へ移すよう、それとなく枡屋を説得する」

 土方さんは、ぐっと私達との距離を縮め、小声で囁くように言う。

「じつは、この時代に飛ばされた時からずっと考えていた。本物の “ 誠 ” に触れるだけでなく、自分の腕を試すことが出来るかもしれないと……」

 入隊すれば、更に命を危険に晒すことになるし、いずれ作られる予定の “ 局中法度 ” という規約を守らなければいけなくなる。

「枡屋同様、はっきりとした内部の事情を知った上で、根本から変えていけたらと思う。上手くいくかどうかという不安は尽きないが、考え過ぎて前へ進めなくなるよりずっといいと思っている。あとは、寺島次第だが……」

 私には分からない何かが、土方さんの心を熱く衝き動かしている。いや、土方さんだけじゃなくて沖田さんも、誠の志を求めてやまないのだろう。

 やがて、「そういうことならば、一緒に」と、静かに口を開く沖田さんの想いを聞いて、私も改めて、強く生きることを決意した。

「私も、ずっと考えていたんです。困っていた私達に、温かく手を差し伸べてくれた枡屋さん達の傍を離れることは出来ないだろうって」

 土方さんと沖田さんが隊士となれば、いずれ枡屋さんと敵対することになるけれど──

 お二人がどれくらい新選組かれらの心を動かすことが出来るか分からないし、そう簡単に歴史は変えられないかもしれない。それでも、私は、自分が選んだ道を信じて出来ることを頑張っていくだけ。

 どこか自分を客観視しながら二人に微笑む。と、土方さんは私に一つ頷き、離れてからも、何かあったら駆けつけることを約束してくれたのだった。


 *

 *

 *


 その後は、戻って来た清花さん達による舞踊を堪能したり、お座敷遊びの一つである投扇興とうせんきょうをしながら楽しい一時を過ごした。

 そういう時間は速く過ぎ去るもので、あっという間に帰り支度をしなければならない時刻になっていた。

 帰り際、揚屋の玄関先で、少し寂しげに瞳を細める清花さんに土方さんが、「また来る」と、だけ言い残し暖簾をくぐる。続いた、「お気をつけて」と、いう彼女に私と沖田さんは、お辞儀をしながらお礼を言った。

「今夜は、素敵な舞をありがとうございました。私、本格的な舞を観たの初めてだったので感動しちゃいました」

「また、是非いらして下さいね」

「はい。また来ます!」

 明るく頷き、沖田さんと共に土方さんを追いかける。振り返ると、清花さんが胸元で小さく手を振ってくれていた。そんな彼女に手を振り返しながら、沖田さんが欠伸を堪えるように言った。

「今日は盛り沢山だったなぁ」

「ですね。なんか、それぞれの意外な一面を知ったと、いうか」

 枡屋さんと土方さんは、相変わらず犬猿の仲だけれど、どこかお互いを認め合っているような部分もあるようだし、私達の選んだ道は正しいと信じたい。

 そして、何よりも一番気になっていたのは…

「沖田さん」

「はい?」

「改めて、ありがとうございました」

「え……」

 ふと、目が合い。すぐに逸らしながら昼間、店で逸早く助け出してくれたことに対してのものだと伝えると、沖田さんはまた、「いえいえですよ」と、少し照れたように微笑んだ。

「いや、なんていうか。僕らには、京香さんを守らなければならない責任があるので……」

 そんな沖田さんを間近に私もまた、恥ずかしくなって俯いてしまう。

「それに──」

 また何かを言いかけて、口を噤んでしまう沖田さんを見上げながら、小首を傾げていると、彼は軽く首を横に振り、「何でもありません」と、言って微笑った。

 この時代にタイムスリップした理由は分からないけれど、きっと、何か意味があるに違いない。

 いつの日か、三人揃って現代へ戻れるその日まで。これからも、ずっと大好きな人達が幸せに過ごせますようにと、祈らずにはいられなかった。

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