第9話 開国派 × 攘夷派

 壬生寺で沖田総司たちに。その後、向かった八木邸で近藤勇や土方歳三、いずれ彼らと敵対することになるであろう芹沢一派たちと出会うことが出来た。

 それだけでなく、彼らと目を合わせ、会話してしまったのだ。絶対に叶うはずの無かった新選組との対面。しかし、その出会いが後に大きな波瀾を招くことになることなど、この時の私達は知る由も無かった。


 ━━━文久三年三月十三日


 春霖しゅんりんにつき、久々の青空が嬉しい今日この頃。

 相変わらず土方さんと枡屋さんとの間に流れる空気は重く、あの古高俊太郎だという証拠は未だに見つけられないまま、時だけが過ぎていた。

 そして、もう一つ。とうとう、懸念していた例のものを受け入れなければならなくなり、仕方なくお遥さんから預かっていた “ 月経セット ” を使用した。正直、これだけで二日目も無事に乗り切ることが出来るのかと、不安は尽きない。土方さんから歩き方が変だと指摘されても、その理由までは言えずにただ苦笑いを返すだけ。これも、慣れるまでに時間が掛かりそうだと頭を悩ませられた。

 気になる浪士組は、江戸へ戻る組と京へ残る組と分かれ、残った浪士達は、幕府から壬生浪士組結成を許された頃だろう。何故、分かったかというと、いよいよ将軍家茂公が上洛されたからだった。

 私は、お世話になっている『藍』にいたから上洛の様子は見られなかったのだけれど、偶然目にした沖田さんから話を聞いたところ、家茂公の前方には、鉄砲を構えた人が十数名、駕籠の周りには剣を携えた人が五十名ほどいて、総勢、千人くらいはいたんじゃないかという沖田さんに、私は思わず、「千人も?」と、聞き返していた。同時に、新選組のことを思い描いて心が逸った。史実通りならば、彼らが会津藩お預かりとなり、壬生浪士組として本格的に活躍し始めるのは、家茂公上洛のすぐ後だったはずだから。

 そんな日々を送る中、いつものように藍で働いていた時のこと。満面の笑顔で訪れてくれた沖田さんを迎え入れようとして、それに続いた枡屋さんと土方さんに一瞬、唖然とした。

「今日は、枡屋さんにも声をかけて来ました」

 とっとと近くの席に腰かける沖田さんを横目に、玄関付近に佇んだままのお二人の顔色を窺いながら、沖田さんと同じテーブルへといざなう。

「だいぶ慣れたようどすなぁ。この店にも」

 言いながら、枡屋さんは沖田さんの隣りに腰かけ、にっこりと微笑んだ。私も微笑み返しながら、お凛さんや由太郎さんから良くして貰っていることを伝える。

「そんなところに突っ立ってないで」

 と、沖田さんはおもむろに立ち上がり、土方さんの背を押すようにして枡屋さんの真向いに座らせた。私は心の中で『ご苦労様です』と、呟くことしか出来ない。

 沖田さんと枡屋さんからは、お茶と安倍川餅を。土方さんからは、お茶のみを注文され、何となくだけれど、沖田さんがどうして二人を同時に連れて来たのかを理解した私は、すぐに厨房へと戻りお凛さんと共に用意をして、沖田さんたちの待つテーブルへと急いだ。

「お待たせしました! お茶もお餅も美味しいですよぉ」

「待ってましたぁー!」

 それぞれの前へ置き終え、嬉しそうにお餅を頬張る沖田さんの隣、枡屋さんもお皿を持ちながら美味しそうに食べている。その一方、土方さんだけは、湯呑をじっと見つめたままで……。

「土方さんも、冷めないうちにどうぞ」

「……ああ」

 こちらからの声にしぶしぶ答える土方さんと、両手で湯呑を持ってお茶をすする枡屋さんとの間に挟まれたままの私と沖田さん。その気まずい雰囲気を何とかしたいと思っていた時だった。枡屋さんが、湯呑をテーブルに戻しながら落ち着いた様子で静かに口を開いた。

「これまでは、忙しゅうて先送りにして来てしもたが。ここいらで、はっきり聞かせて貰いまひょか」

「じつは、開国派だと言ったら?」

 土方さんもまた、腕組みをしながら真っ直ぐ枡屋さんを見つめている。何となく、視線がかち合って、軽い火花を散らしているよう。

「それは、寝返った。ゆうことやろか」

「そう取ってくれて構わない。何度も言うが、この国はいずれ外国の手を借りずにはいられなくなる。黒船来航は、その切っ掛けに過ぎない。日本もまた諸外国から求められる国となり、受け入れられるようになる……はずだ」


(土方さん……)


 攘夷が悪いと言う訳ではなくて、外国人の狙いが何であれ、良いものは受け入れ吸収し、人々の為に役立てること。それが本当の攘夷なのではないかと、説く土方さんに、枡屋さんは厳かな視線で聞き続けている。

「それらの知識を得たうえで、俺達らしい攘夷をしていけばいい。そうは思わないか」

「あんさんの言うことも一理ある。せやけど、勝手に来航し、掌握せんとする者らのどこをどのように信じ、受け入れろとゆうのか。それは、徳川の世もおんなじこと。それもこれも皆、幕府が煮え切れへんせいや。と、長州のお方らが声高にゆうてはりましたけど……わてかて、同じ想いどす」

「本当に頑固だな」

「あんさん程やない、思いますけど」

 土方さんの、枡屋さんを見つめる鋭い瞳が細められた。その時、店先から「ここでいいでしょう?」と、いう聞き覚えのある爽やかな声がして、思わず沖田さんと顔を見合わせた。


(ん?この声は……)


 と、次の瞬間。暖簾が勢いよく翻り、店の中へと入って来た男性を目にした途端、声を上げずにはいられなかった。

 沖田さんや土方さんも、同様に驚愕の息を零した。何故なら、あの沖田総司が私達の目前にいたからだ。

 沖田総司は、「良かった」と、呟くとすぐにまた暖簾に手をかけながら「空きもありますよ」と、誰かに手を振る。

 次々と暖簾をくぐり入って来る人達にも、やっぱり唖然としたまま、私は声を上擦らせながら、彼らを迎え入れる。

「よ、ようこそ……お越し下さいました……」

 近藤勇、土方歳三、山南敬助と続いたことで、その興奮度は最高潮に達し、それぞれが座敷席へと向かうその姿を、ただ茫然と見遣った。

「京香はん」

「へ?」

「注文、聞きに行かんでええの?」

「え、あ……行きます!」

 苦笑気味に私を見る枡屋さんに慌てて頷いて、彼らの元へ急ぐ。と、沖田総司からこの店のお勧めを尋ねられ、私の好みだけれど、心太が美味しいことを伝える。次いで、それぞれが顔を見合わせ、「じゃあ、それで」と、言って腰元から一刀抜きながら腰かけ直した。

「すぐにお持ちしますね!」

「あの、人違いだったらすみません」

「え?」

 その場を去ろうとして、沖田総司から声を掛けられ振り返る。彼は、小首を傾げている私に、「壬生寺でお会いしたことありましたよね?」と、言って微笑んだ。

 嬉しそうな沖田総司の隣、山南敬助もまた微笑を浮かべながら私を見上げている。すると、テーブルを挟んで真向いにいる近藤勇も、「お前らもか」と、少しおどけた表情で言った。その一言に、山南敬助も同様に返す。

「近藤さんたちも、お会いした事があるのですか?」

「ああ。皆と新徳寺へ出向いた日に、八木家門前で会ったことがある。あちらの方々と一緒でしたよね?」

 と、土方さん達の方を見ながら言う近藤勇に、私はドキマギしながら小さく頷く。

「はい、あの時は失礼しました! あの、その……少々、お待ち下さいね!」

 そう言って、私はそそくさとその場を後にした。


(はぁ、こんなこともあるんだ。ドキドキし過ぎて手が震える……)


 いつものように、手伝えることは手早く済ませ、お凛さんから出来上がった心太とお茶を受け取り、再び彼らの元へ戻る。

「お待たせしました」

「待ってましたぁ~!」


(待ってましたぁって、さっきも聞いた……)


 無邪気に微笑う沖田総司と、先程の沖田さんの笑顔が重なった。沖田さんも同じように言っていたことを思い出しながら、それぞれの前へ置いてゆく。

 礼儀正しく「頂きます」と、言ってから箸に手を伸ばし、美味しそうに食べ始める沖田総司とは真逆に、他の三人は心太を見ながら、難しそうな顔をしている。

 きっと、彼らも黒蜜がかかっていることに対して、疑問を抱いているのだろう。そう思った私は、こちらでは酢醤油ではなくて黒蜜をかけて食べることを解りやすく簡潔に伝えた。

「江戸では、酢醤油をかけて食べますもんね。江戸の出身なんで、その気持ち分かります」

 何気なくそう言った。途端、土方歳三の、鋭い視線を受け止める。

「ちょっと待て。何故、俺達が江戸の出身だと分かった」

「え……」


(そ、そうだったぁぁぁ!! これはまずい。どうしよう……)


 彼らは、ただ心太をじっと見ていただけ。「確かにそうだな」と、呟く近藤勇に対しても、さーっと青ざめてゆくのを感じた。

 彼らが江戸からやって来たことを知っているのは、壬生界隈の人達だけだと思うのに、彼らと同じ立場で会話していたことに気付かされる。

「あの、その……心太を見ながら戸惑った顔をしてらっしゃったので、もしかしたら、お客さんたちも江戸の出身なのかなって。そう、思ったものですから」

 何となく納得はしてくれたような。それでも、まだ腑に落ちない様子の彼らに困惑していると、今度は、沖田総司が唇脇についた黒蜜を指先で拭いながら言う。

「そんなこと、どうでもいいじゃないですか。これはこれで、とても美味しいですよ」

 その一言が切っ掛けとなり、山南敬助と近藤勇が箸をつけ始める。次いで、土方歳三も、しぶしぶ箸をつけるのを見とめて、私は小さく安堵の息を漏らした。


(うっかりしてたなぁ。これからは気を付けなきゃ…。)


「どうぞ、ごゆっくり……」

 そう笑顔で言って、また厨房へ戻ろうとした。その時、少し強面の浪人らしき男性二名を迎え入れた。

 入口付近のテーブル席に腰かける彼らに声を掛け、同様に注文を受ける。しばらくした後、持参した湯呑をテーブルに置こうとして手が滑り、うっかり倒してしまったことでお茶が勢い良くテーブルを伝い、男性の膝元へと流れていった。

「熱っ」

「す、すみません!」

 それは、あっという間の出来事だった。すっくと立ち上がる男性に謝りながら、帯に忍ばせておいた手拭いを引っ張り出して男性の膝元へ向けた。次の瞬間、ぐっと腕を掴まれ引き寄せられた。

「何しやがる」

「……っ……あ……」

 怖い顔が目の前まで迫り、声が上擦る。そこへ、奥からお凛さんの私を呼ぶ声がするのとほぼ同時に、沖田さんの、低く抑えたような声を間近に聞いた。

「その手を離せ」

 一瞬だったけれど、沖田さんらしくない威厳ある一言にも驚愕してしまう。次いで、沖田さんが、素早く男性の腕を捻り上げるようにして私から引き離してくれたことで、何とか解放される。と、その後に続いた土方さんと枡屋さんの、憤怒したような形相にも思わず息を呑む。そして、駆けつけてくれたお凛さんが、お辞儀をしながら一緒に頭を下げてくれた。

「この度は、えろうすんまへんどした。宜しければこちらで弁償させて貰いますさかい、今日のところは勘弁して貰えまへんやろか」

「主を呼べ」

「生憎、今は留守にしとります」

  再び頭を下げて懇願するも、男性は逆に不敵に笑いながら因縁をつけて来た。お代や洗濯代だけでなく、火傷したからと、治療費までも執拗に上乗せしてきたことに腹が立った私は、声を大にして口走っていた。

「こちらの落ち度であることは認め、謝ります。でも、そんな要求は呑めません!」

「京香ちゃん」

 男性を睨み付ける私にお凛さんは、「うちに任せて」と、私を窘めるように言う。勿論、不注意だった私が悪いのだから、そのお金は私が働いて返せばいい。でも、人としてあまりにも非道な言い分にやっぱり屈することが出来ないと、思った。その時、

「さっきから聞いていれば、何ですか。大の男が小さいことで」

 後方から聞こえた余裕を含んだ声。近づいて来る沖田総司と山南敬助もまた、沖田さんたちに並ぶようにして男性らに鋭い視線を向けている。すると、今まで黙っていた連れの浪人もゆっくりと立ち上がり、私たちを睨み付けた。

「お主らには関係のないことだ」

「そう仰ると思っていました」

 やんわりと瞬きをしながら山南敬助が呟いた。刹那、刀を抜こうとした男性よりも一瞬、早く放たれた沖田総司の剣先が、男性の喉元へと向けられる。

 男性らの驚愕の顔。私も含め、他のお客さんたちも、その太刀さばきに驚きを隠せずに唖然とする中、男性らは、沖田総司が只者ではないと判断したのか、お店からそそくさと立ち去って行った。

 刀をしまい、「お怪我はありませんでしたか?」と、言って微笑む沖田総司に、私も、お凛さんも安堵しながらお礼を返した。

 すると、今度は枡屋さんが前へ歩み出て来て、沖田総司と山南敬助を交互に見つめ言った。

「あんさんら、相当腕に自信がおありのようどすなぁ」

「天然理心流。江戸は、市ヶ谷の試衛館から参りました」

 自慢げに返答する沖田総司に、枡屋さんは柔和に微笑む。

「その流派は、よう知っといやす。これからの世に必要な流派やと思ぉてますわ」

「貴方もそう思われますか!」

 沖田総司は、上機嫌で天然理心流のことを簡潔丁寧に話してくれた。

 それ以外にも、浪士組として将軍様をお守りする為に江戸からやって来たこと。その後、趣旨が変わってからも、尊王攘夷を志す者として、京の町を不逞の輩から守る為に尽力することになったなど。それは、何から何まで史実通りだと思えた。



 その後、何事もなかったかのようにそれぞれが茶屋での一時を過ごした。

 後に、土方さんから聞いた話なのだけれど、沖田総司と山南敬助が奮闘している間、近藤勇と土方歳三は、特に気に留めることなく心太をすすっていたらしく、沖田総司と山南敬助への信頼感が窺えたといっていた。

 私が想い描いていた沖田総司像よりも幼い印象を受けたけれど、沖田総司の真実に触れているという嬉しさは、半端なかった。だけど、心で新選組を求める反面、お世話になっている枡屋さんの傍にいたいとも思う。

  いずれやって来るであろう池田屋事件の際、私はどちらの味方をしたら良いのだろう?

 枡屋さんの、沖田総司らを見つめる楽しそうな顔を思い出し、ちくりと胸が痛んだ。


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