第7話 新選組?!①

 翌朝。

 障子をそっと開けた先にある縁側から、すっきりと晴れ渡った空に向かって伸びをする。

「今日はあったかいなぁ」  

 幕末三日目。少しずつだけれど、ここでの日常生活に順応し始めていた。  

 お遥さんから譲って貰った紐と簪で自分なりに髪を結い、着付けも何とか一人で出来るようになった。

 トイレにトイレットペーパーが無いことや、毎日お風呂に入れないということ。プライバシーがほとんど無いということも含め、どうしても不便さは否めない。

 何よりも家族や友人たちのことを考えると、胸が痛んだ。もしも、現代でもここと同じように月日が流れているとしたら……。


(当たり前だけど、手紙すら書けないんだよね……)


 そんなことを考えて小さな溜息をついた。その時、隣の部屋の障子が開くと同時に、欠伸をしながら出てくる沖田さんの、微睡んだ瞳と目が合う。

「おはようございます。眠そうですね」

「さすがに眠い」  

 指先で片目を擦りながら私の隣に寄り添うようにして並ぶと、沖田さんも朝日に向かって大きく伸びをした。  

 昨夜はなんだかんだと深夜まで付き合っていたらしく、その間、沖田さんはずっとお二人の話を聞いていたのだそうだ。

「二人とも、攘夷じょういの話ばかりしていました」

 沖田さんは、良く分からないながらも枡屋さんの、国を想う気持ちに感銘を受けたという。

「あの土方さんが、真剣な顔で聞き入っていたのには驚きました。“ この国はって人のものだ ” と、言う枡屋さんの意見に対して、土方さんが、“ それは違う ” と、否定し始めて……」

 沖田さんの話しは途切れ途切れで、お二人がどんな話をしていたのか詳しいことは分からないけれど、もしかしたら攘夷派の枡屋さんに対し、土方さんは、開国反対に異を唱えたのではないだろうか。

 この頃の日本は、ペリー来航によって開国か攘夷かという選択に迫られていた。

 井伊直弼とハリスとの間で調印された日米何とか条約は、帝である孝明天皇の許しを得ないまま進められたとされていて、独裁的な井伊のやり方に憤りを感じた尊王攘夷派と、一橋派は、井伊らを攻撃していた。と、いう史実も見つけた。  

 その後の日本は、明治にかけてあらゆる外国の知恵を更に取り入れてゆくこととなり、より様々な国と交流を持つようになるのだけれど、複雑な想いを抱えていたという。  

 天皇を尊ぶ攘夷派の想いも分かるけれど、開国が間違っていないということを身をもって知っている土方さんが、その想いを語ってしまった気持ちも分かる気がする。

「最初は、島原とか吉原の話で盛り上がっていたんですけどね。攘夷の話になってからは、酒の勢いもあったのか、枡屋さんも一歩も引かずに反論していました」

 と、少し呆れ気味に言う沖田さんに、私は思わず苦笑を漏らした。

「枡屋さんも頑固そうですもんね」

「終始、喧々諤々としていましたよ。勿論、最後は僕が宥めてその場を収めましたけどね」  

 腕組みしながら微笑む沖田さんに、私も同様に微笑み返す。それと同時に、機会があったら私もそんなお二人の想いを聞いてみたいと思った。  

 日本は、開国することによって徐々に外国の影響を受けてゆく。その上で、様々な国と戦争を繰り返し、人と人とが争う世の中に見いだせるものなど何一つないのだということに気付く。ただ、いつの世も人は誰かと争わずにはいられなくて、現代でも国同士でいがみ合い、傷つけ合っている。  

 もしも、日本が開国を望まずに外国の援助や知識を排除し続けていたら、日本特有の “ 融合 ” という倫理は根付かなかったに違いない。だからといって、攘夷が間違っているという訳ではなくて、古き良き行事や産物を大切にするのはとても良いことだと思う。

 開国も攘夷も間違ってはいない。それを知っているのは、現代人である私達だけなのだ。土方さんは、それを枡屋さんに伝えたかったのだろう。  

 そんな風に思いながら、再び口元に手を添えながら欠伸を繰り返す沖田さんに苦笑した。

「もう少し寝ていれば良かったのに」

「そうなんですけどね。なんか、起きてしまうんだよなぁ……」  

 具合が悪い時以外は早起きを心掛けているらしく、それは幼少の頃から変わらないという。やっぱり、剣道を嗜んで来たからだろうか。それとも、ご両親が躾に厳しかったのだろうか。その辺のところを尋ねてみたところ、沖田さんは少し照れくさそうに答えてくれた。  

 剣道を嗜んでいるからというのもあるそうだが、『早起きは三文の徳』ということわざ通り、試験勉強なども早朝に済ませると効率が良かったことから、早寝早起きが日課になったらしい。

「父に無理やり起こされていた、とも言います。『慎一郎!いつまで寝てるんだ』って、まだ朝の5時くらいに叩き起こされていた」

「え、そんなに早くから?」

「最初は、さすがに勘弁してくれと、思っていたんですけどね。付き合っているうちに、だんだんそのペースが自分に合ってることに気付いて、それ以来ずっとこんな感じなんです」  

 そう言って、天を仰ぐその柔和な瞳が、徐々に曇り始める 。

「……きっと、心配してるだろうなぁ」  

 呟く沖田さんの、寂しげな横顔を見ながら、私は無言で小さく頷いた。

 どんなに私達が悩んでも、家族や友人たちのことを気にかけても、結局は、どうすることも出来ないという結論に至ってしまうのだけれど。  

 俯きながら塞ぎこんでしまっていたからだろうか、沖田さんは、すぐにまた私を励ますように声をかけてくれる。

「近いうちにお休みを貰って、新選組巡りしましょう。もう京都こっちに来ているかもしれないんでしたよね?」

「あ、はい」

「あと、壬生寺が現代とどれくらい違うのか。それに、本物の志士達かれらがどんな人達なのか、僕も気になるし」

 また微笑み合って、歯を磨きに行くという沖田さんと一緒に台所へ向かう。その途中、歩きながら周りに誰もいないことを確認すると、沖田さんは、苦笑しながら私にそっと囁くように話してくれた。  

 それは、現代にいた頃、当たり前のように食べていた物のことだった。ほとんどが和食中心の食生活だった為、そんなに苦労はしていないらしいのだけれど、この時代には無い物資に関しては、我慢を強いられているという。

「なかでも、コーヒー。飲みたくないですか?」

「あー! 私も飲みたいです」  

 インスタントコーヒーも嫌いじゃないけれど、ドリップ式の本格的なコーヒーが飲みたい。そう伝えると、沖田さんは前方を見つめたまま何かを思い浮かべるかのように目を細めた。

「そうなんですよねぇ。あとトーストと、目玉焼きにサラダがあれば……」

「ふふ、朝の定番メニューですよね」

「京香さんは、いつも何を?」

「私も、沖田さんと同じで朝はパンが多いです。同じくトーストと、カフェオレ。あと、野菜たっぷりのコンソメスープがあれば十分かな」  

 沖田さんが、ますます食べたくなって来た。と、更に困ったように微笑む。

「そうだ! お遥さんに言って、目玉焼きを作らせて貰います!」

  と、いうことで。パッと思いついた私は、早々に歯磨きを済ませ、沖田さんの為にも、既に玄関の掃除を終えようとしていたお遥さんに相談してみた。

 何やら、この時代でも卵料理が頻繁に作られているそうで、中でも一番好まれるのは、“ 卵ふわふわ ” というものらしい。

「卵ふわふわ?」

「あんさん、それも知らへんの?」

「た、食べたことはあるんですけど!作ったことはまだ一度も無くて。作り方、教えてくれますか?」

「ええよ」  

 卵焼きみたいなものだろうか。咄嗟にまた嘘をついてしまったことに心苦しさを感じながらも、快くその作り方を教えてくれるというお遥さんと共に台所へ向かった。  

 丁度いいから、今朝はその卵料理にするというお遥さんに教えて貰いながら、同じように真似てゆく。

「まずは、溶き卵にだし汁を加えるんや」

「なるほど」  

 卵を溶いたものの中に、だし汁を卵の三分の一から二倍くらい加えてゆく。次に、厚手の鍋に入れ弱火で加熱し、ふんわりと固めるのだという。その手際の良さに見惚れながら、その手順をしっかりと頭に叩き込む。きっと、現代だったらスマホで動画撮影でもして残しておけるのだろうけれど、ここではそうはいかない。だしの作り方は、現代とあまり変わりが無いので何とかなりそうだけれど、これは上手く作れるようになるまでに時間が掛かりそうだ。

 しばらくした後、

「出来ましたえ」

「うわぁ、本当にふわふわ……」

「味見してみなはれ」

 ほんの少し小皿にとって渡してくれるお遥さんから箸も受け取ると、私はそれをそっと口に運んだ。

「何これ……」  

 それは、人によって作り方も異なるようなのだけれど、卵焼きと茶碗蒸しを足して2で割ったような感じで、お砂糖を加えていないのに卵の程好い甘さが口の中いっぱいに広がり、何とも言えない滑らかな食感に、思わず頬が緩んでしまう。

「お遥さん、天才です!」

「そない褒めてもなんも出ぇへんよ」

「いや、本当に。こんな美味しいの、食べたことないです」

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら言うお遥さんに素直な感想を伝える。次いで、目玉焼きについて尋ねてみると、お遥さんは、「めだまやき?鶏の目玉を焼くん?!」と、また目を丸くした。

 私は、すぐに外国人が好んで食べている料理だと説明し、その調理方法を伝えると、今度は少し呆気に取られたような視線と目が合う。

「それはあきまへん」

「え、どうしてですか?」

「油は高いし、もしも誤ったら火事になり兼ねへんしな」

「な、なるほどぉ……」  

 すぐに納得して、私は俯きながら苦笑を漏らした。お遥さんの話しでは、油は屋台の天麩羅や蕎麦屋さん、油揚げなど専ら商売用らしく、一部の武家などで趣味的に使用しているくらいなのだそうだ。


(そうだったんだぁ。この頃はまだ、油は貴重なものだったんだ。)  


 よくよく考えてみれば、小説やドラマの中でも油っぽい料理を見かけたことは無かった。と、いうことは沖田さんが食べたいと言っていた目玉焼きも作れないという結論に至り、がっくりと肩を落とした。  

 出会ってまだ数日にも関わらず、いつも私のことを気にかけてくれる沖田さんの喜ぶ顔が見たかった。そう思って、はたと気づく。


(……それだけ、なのかな。)  


「もうそろそろ、用意して持っていかな。京香はんは、お味噌汁と御飯の盛り付けお願いします」

「あ、はい!」  

 それでも、お遥さんから教えて貰ったフワッフワな卵料理に救われた気がして、私は、沖田さんと土方さんの反応を楽しみにしながら、配膳の準備を手伝ったのだった。


 *

 *

 *


 文久三年二月二十八日。


 壬生寺


「あまり変わってないなぁ。と、いうかほとんどそのままだ」  

 沖田さんが門を見上げながら呟いた。  

 あれから、三人一緒にお休みを貰えたので、私達は壬生寺へとやってきていた。  

 初めて「卵ふわふわ」を堪能したあの日から、二日後の今日。雲一つ無い青空の下、揃って門をくぐってゆく。当たり前なのだけれど、入ってすぐに建てられていた壬生塚などは無く、本堂の周りはがらんとしている。

「もうじき、ここで彼らが竹刀を振るうんだなぁ」  

 思わずそう呟き、ゆっくりと辺りを見回した。まだ壬生浪士組さえ結成されていないだろうけれど、これからここは新選組隊士たちの稽古場の一つとなる。  

 150年前の壬生寺は、沖田さんが言っていた通り。広さから何から、現代とほとんど変わらずに存在していた。

 境内を歩きながらも話すことといえば、やっぱり枡屋さんのことで、あの晩から、何となく必要以上に枡屋さんの視線を感じるようになったのだそうだ。

「枡屋から、開国派か攘夷派かと尋ねられた時、お前は攘夷派だと答えただろ」

「はい」

「あの時、枡屋は俺達を同類だと。いや、同志だと思ったようだ。だが、今は俺たちが開国派だと疑い始めている。どっちにしても、このままだとこっちまでとばっちりを受けることになり兼ねない」

 土方さんは、腕組みをしながら辺りを見回した。枡屋さんが古高俊太郎だという決定的な証拠が無いから、言い切ることは出来ないのだけれど、新選組が正義だという観点で物事を考えるならば、古高俊太郎は敵であり、天子様をさらい京の都を焼き払おうとする長州藩士たちの手助けをした罪人だということになる。

「でも、もしも枡屋さんがあの古高俊太郎だとしても悪い人じゃない。私は、そう思います」

「俺も同じ思いだが、枡屋あいつの眼……」

 更に瞳を細める土方さん同様、私も枡屋さんの鋭い眼差しを目にしてから、何か強い意志のようなものを感じていた。

「俺は、枡屋が古高俊太郎だと思って間違いないと思っている。今のところ武器弾薬は見当たらなかったが」

「え、それって……」  

 もしかして、家の中を探り回っていたのかと、尋ねようとして、土方さんからすぐに口を噤むように制される。

「しっ」

 人差し指を口元で立てた後、すぐにまた腕組みをする土方さんの視線を辿っていく。と、こちらへ歩み寄って来るお侍さん達を見とめた。

 私と同い年くらいだろうか。その中の一人が私達のすぐ隣を駆け抜けてゆき、その人を呼び止める誰かの言葉に一瞬、私達は唖然とした。何故なら、立ち止まりこちらを振り返ったその青年のことをと、呼んだからだ。

「そうじ?!」  

 と、思わず声にしてしまってから、私はすぐに口元を両手で覆った。

 

(もしかして、もしかする?)  


 と呼ばれた人が、「永倉さんたちこそ、急いで下さい」と、満面の笑顔で言って私達に軽く一礼し、本堂へと駆けて行く。去りゆく彼らを凝視しながら、「あの人たちは、もしかして?」と、戸惑うように呟く沖田さんに、私は大きく頷いた。

「ぜぜぜ、絶対そうですよ!総司に永倉って……新選組かれらとしか思えないッ!」  

 そうなのです。私達は、偶然にもあの新選組隊士たちと出会ってしまったようなのです。今のところ彼らが本物だと言う証拠はないけれど、彼ら以外には考えられなかったから。  

 否が応でも高まる鼓動を抑え込みながら、沖田さんの、「僕らも参拝しましょう」と、いう少し緊張したような一声をきっかけに、私たちはゆっくりと彼らの後に続いた。

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