第17話 上村麻衣


何とか・・・何とか間に合って欲しい!!


あたしは嫌な予感で頭がいっぱいになっていた。


はぁ・・はぁ・・はぁ・・はぁ・・


3階を走り回った後、全力で階段を駆け上り5階と屋上の間にある踊り場まで辿り着いた。あと少しなのに・・普通なら簡単に行けるはずなのに・・ここ連日の睡眠不足が祟って体が思うように動かない・・けど顔を上げると屋上へ続く扉がすぐそこにある。


「先輩・・」


あたしは最後の力を振り絞って残りの階段を駆け上がり屋上の扉を開いた。



あ!!!!間に合った!!そう思った瞬間、先輩が目の前から消えた。


あたしが扉を開いたのと同時に先輩は身を投げ出していた。


「きゃあああああああああ!!!」


ビルの下から悲鳴が聞こえてくる。


間に合わなかった・・・あたしは膝から崩れ落ちた。


「嘘・・・どうして・・・・なんで・・・。」



今の状況を受け止めきれない頭とは真逆に堰を切ったように涙が溢れ出した。


それでも信じたくなかった。嘘だと思いたかった。夢であって欲しかった。


止まらない涙がじわじわと現実を突き付けてくる。


・・・・・・・・・・・・・先輩は自殺した。・・・・・・・・・・・・・・・・・


「間に合わなかった・・・・・・いやだぁぁぁぁぁぁぁ!!!!いあああああああああああああああああああ!!」



****



「ほら!麻衣、行くよ!」


「ま、待って下さい。」


あたしはあたふたと鞄に荷物を詰め込み先輩の元に駆けつけた。


「そんな慌ててると、またポカするぞ!!」


先輩と同期の高嶺が慌てているあたしを揶揄ってくる。


「もう二度とあんなミスしません!!」


「どうだか?」


「早く!!間に合わなくなるよ!!」


「あ!はい!」


先方との約束の時間が迫って来ていたので、いつまでもこいつの軽口に付き合っている暇は無かった。あたしは先輩と職場を出て営業先に向かった。


「何なのあいつ!!いつも時間無い時に限ってウザい絡み方してくるし!!」


「まぁまぁ。」


先輩は苦笑いしながらあたしを宥めてくれた。


****


麻倉先輩とあたしは建設会社の営業課に所属していた。だけど、この会社は俗に言うブラック企業で、サービス残業当たり前、営業課なのに人手不足だからと現場監理や発注の仕事までやらされていた。それでいて先輩は社長からデザインの仕事まで直々に頼まれている位だったから、あたしは仕事量が多い先輩がいつか倒れてしまうんじゃないかと心配だった。


それなのに1年前、あたしは建材の数量を間違えて発注してしまうミスを犯してしまった。何とかその時は凌ぐ事が出来たけど、上司や先方への謝罪、建材業者に頭を下げに行ったりと、先輩の仕事をさらに増やしていっぱい迷惑を掛けてしまった。


でも、その時の自分のミスにどうしても納得が出来なかった。いつも発注する時はセルフチェックを何度かするあたしは、その時も何度もチェックをしていたからだ。誰かが私のパソコンを操作した???そんな疑念を抱いていた。


****


無事プレゼンを終え会社に戻ったあたしと先輩は、1階でエレベーターが来るのを待っていた。


「お疲れ様です。部長。先方の感触は上々でした。A社の新築店舗、ウチに任せて貰えそうです。」


到着したエレベーターから部長が出て来たので、先輩は先程の打ち合わせの報告をした。


「はっ!感触が良くても取れなきゃ意味ないんだよ。契約書にハンコ貰ってから報告しろ!そんなんだから前回のコンペも取り逃がしたんじゃないのか?」


「すいません・・・・以後気を引き締めて参ります。」


チッと舌打ちをして部長は偉そうに外に出て行った。あたしは怒りでわなわなと唇を震わせていた。頭を下げていた先輩の手は強く握り締められていた。


****


数か月後、無事契約になった新築店舗の工事は着々と進んでいた。先輩はその現場監理と新しいコンペに出すデザイン作業のため、連日遅くまで仕事をしていた。


それだけでも大変な仕事量だと言うのに、あの腐れ部長は先輩にトラブルが発生した物件の処理を押しつけて来た。パソコンに向かっている先輩を見ると、顔色が悪いのをメイクで誤魔化しているのがありありと感じ取れた。


「先輩大丈夫ですか??少し休んだらどうですか?」


「ああ・・麻衣。ありがとう。でもコンペの提出日まで時間無いから。」


「そうですか・・・。」


「あ!そうだ。新築店舗の発注の入力お願いしていい?私この後小会議室に籠るから宜しくね。」


「はい・・・。」


「私は大丈夫よ。それ今日入力して明日の朝に発注してくれたらいいから。終わったら帰ってもいいよ。」


浮かない顔で書類を受け取ったあたしに、そう言って笑いかけてくれた先輩はノートパソコンを持ち小会議室へ向かっていった。


だけど、気遣って見せてくれた先輩のその笑顔は強張っていて、とても痛々しく見えてしまった。



****


しばらくして入力しセルフチェックも終えたあたしは、パソコンの電源を切ると先輩が気になりそわそわしていた。その様子が目に入ったのか高嶺が声を掛けて来た。


「おい!終わったならさっさと帰れよ。麻倉集中してるんだから邪魔するなよ。」


「はぁーい・・。」


何だか高嶺に言われたのが腑に落ちなかったけど、先輩の邪魔をしたくなかったあたしは渋々了承した。



次の日、出社して発注を済ませるとあたしは先輩が気になり小会議室に行ってみた。中の様子を見ると先輩はテーブルに突っ伏して寝ていた。


「先輩昨夜も会社に泊まったんだ・・・。」


先輩は今月の残業だけでも100時間は超えているとはずだった。先月も先々月もかなりの時間残業していたと思う。


『キツイね・・・ここで飛び降りたらラクになるかな?』


部長に嫌味を言われたあの日、2人で屋上に上がり話をしていると手摺にもたれ掛かっていた先輩が不意にそんな事を口にした。


「せ、、先輩!?!?」


あたしはそんな先輩を初めて見たので動揺した。


「冗談だよ。よし!契約まであと少し!頑張ろう!!!」


誤魔化す様に両手を突き上げ、気合を入れた先輩だったけど、あたしには冗談で言ったようには思えなかった。


****


発注してから4日後の夜、突貫工事をしていた現場から怒りの電話が掛かって来た。


「おい!!なんで床材が20しか届いてないんだよ!!!」


「え!!そんな!?ちゃんと200で発注したのに!?」


「は??知らねーよ!!こっちには20しか届いてねーの!!一体どういう事だよ!!」


「そんな・・・」


「おい、何とかしろよ!!!!」


プツッ!!


あたしが動揺していると、埒が明かないと思ったのか一方的に電話を切られてしまった。


その後、発注書を見直したり、業者の担当者に連絡を取ったり、ネットで商品検索をしてみたり、色々手を尽くしてみたけど解決策は見つからなかった。


そして話を聞きつけた先輩が青ざめた顔で会社に戻って来た。


「麻衣・・・どうしてまたこんなミスをするの?」


「せ・・先輩、違うんです!私はちゃんと「現に20しか発注されてないじゃない!!」


あたしの言葉を怒鳴り声で遮った先輩は、肩で息をして目には涙を浮かべていた。


「これで・・コンペには間に合いそうもない・・ギリギリ間に合いそうだったのに・・・あんたワザと私の足を引っ張ってるんじゃないの!?!?」


「そんな・・先輩・・あた、あたしは・・」


あたしは頭をハンマーで殴られたような衝撃と、胸を刃物で刺されたような痛みを受けた。出来る事なら先輩の力になりたかった。足を引っ張るなんて・・ワザとそんな事をするはずなんてないのに・・・こんな先輩の顔を見たかったわけじゃ、怒鳴り声が聞きたかったわけじゃないのに・・・。


床に涙がポタポタと流れ落ちた。


バン!!!!


突然激しくドアが開くと高峰が叫んだ。


「おい!!!麻倉!!会議室にちょっと来い。社長が呼んでる。」


「はい・・。」


「先輩、ちょっと待っ「もういいから・・」


先輩の顔が何も感じていないような・・青白く、まるで作り物の面のように無表情になっていた。


「このままじゃ・・・どうしよう・・・でも・・・。」


あたしは動揺しながらも頭を回転させていた。それにしてもおかしい。絶対におかしい。いくらあたしが鈍くさくても、寝不足で疲れていても、こんなミスはありえない。2回セルフチェックをしたから間違えてない自信があった。前のミスの時だってそうだった。


何か打つ手はないか・・あたしは視線を泳がせてた・・・・・・・・・すると天井に設置してある防犯カメラが目に入った。


カメラ・・・・・・そうだ!!!


あのミスの後、内部の人間を疑っていたあたしは、自分の机に防犯カメラをセットしていた。


確か一週間は連続で録画できるくらいの容量はあったはず!そして、その小型の防犯カメラは簡単には見つけられないようにちょっと細工もしていた。


あたしは急いでセットしていたカメラからメモリーカードを取り出し、自分のノートパソコンでカメラが撮っていた映像を見てみた。


すると・・・4日前の午前2時12分、あたしのパソコンに誰かが電源が入れた。部屋は暗かったけどモニターの明かりでカチャカチャとあたしのパソコンを操作している人物の顔がはっきりと映し出されていた。


「これを20に変更すれば良いか・・・これで終わりだな・・。」


その低い声と共に映っていた歪な笑顔を浮かべた人物は・・・・・高嶺だった。いつもあたしを揶揄い、人の良さそうな顔をした彼とは同一人物とは思えない表情をしていた。


あたしはノートパソコンを抱きかかえ急いで会議室に走った。会議室のドアを開けるとそこには先輩の姿は無く、高嶺と部長と社長が顔を揃えていた。


「おい!何しに来た。」


部長があたしに向かって怒鳴る。


「いや、丁度良かった。部長良いじゃないですか。今から麻倉の仕事を俺が引き継ぐ事になったから・・っておい!!」


高嶺の言葉を遮り、社長の前にノートパソコンを開いた。


「一体どうした??問題が多くて頭を抱えているところなんだ。後日にしてくないか?」


「いえ・・社長、すぐ終わりますのでこれをご覧ください。」


あたしは社長の言葉に構わず再生ボタンを押して映像を見せた。


映像を見た社長は目をひん剥き、覗き込んでいた高嶺と部長は唖然とした。


「は???おい、高嶺・・・これはどういう事だ??」


「あ・・いや・・これは・・ですね。」


高峰が汗をハンカチで拭っている。


「おい!!高嶺!これはいったいどういう事だ!!!」


部長も高嶺を責め始めたが、高嶺は部長を睨みつけた。


「は??あんたがやれって命令したんだろうが!!!」


「な・・何を言ってるんだ!!。」


「どういう事だ?加藤君??」


今度は社長が部長を問い詰め始めた。


「いえ!私は何も知りません!こいつが私を嵌めようとしてるんです。」


「あーあ!!あくまで白を切るつもりですか・・。まぁ俺もこんな事があろうかと。」


高嶺はスマホを取り出し何やら操作し出すと部長と高嶺の会話が流れ始めた。


「どうだ??今回も上手くやれそうか??」


その瞬間部長が「おい!!やめろ!!」とスマホを取り上げようとしたけど、高嶺は部長を突き飛ばし「黙って聞いてろ!!」と怒鳴りつけた。


あたしは驚いて高嶺を見ると、眉間にしわを寄せてきつく部長を睨みつけているけど、口元は歪に笑っていた。あたしは憎悪と愉悦が混ざったようなその表情に鳥肌が立った。


・・・・


「頼むぞ。バレないようにやってくれよ?」


「分かってますよ。前回もちゃんとバレなかったでしょう?」


「くふふ・・そうだな。あそこからよく復活して来たものだが、これでアイツも会社には居られまい。」


「悪質な上司ですね?」


「女のくせに調子に乗っている麻倉が悪いのさ。」


「そうですか・・まぁ、俺もその分大手の仕事が回ってくれば良いんで。」


ここで高嶺が音声データを停止した。


部長はへなへなと床に崩れ落ちた。


「貴様はとんでもない事をしてくれたな!!!下らない理由で会社に不当な利益損失を招いた!!!これは損害賠償ものだぞ!!」


「そ・・そんな・・」


狼狽える部長に社長は畳み掛けた。


「そんなではないだろう!!貴様が先程麻倉君に言った言葉と同じだぞ!!!」


「え!?!?先輩にそんな事を言ったんですか??」


「ああ・・・・。」


社長は苦虫を噛み潰したような顔で部長を睨みつけている。


「先輩!!!」


私は会議室を飛び出し、急いで営業課に戻ったけどそこにも先輩の姿は無かった。誰か先輩を見ていないか聞いて周ったけど、誰も姿を目にしていないようだった。


会社を出た可能性もあったので先輩に電話を掛けてみたけど出てくれない。あたしは焦って廊下に出ると、廊下の向こうから慌てた様子で女性社員が駆け寄って来た。


「あ!上村さん!!さっき麻倉さんがふらふらと階段を上がっていくところを見たの。なんだか様子がおかしかったから上村さんに伝えようと思って。」


「え??」


階段???屋上に向かったの??





『ここで飛び降りたらラクになるかな?』




あの時の先輩の言葉が頭を過ると、嫌な予感が背筋を走った。


「先輩!!!!!!」


あたしは階段に向かって駆け出した。

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