第18話 悔恨


ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・


心電図の音と人工呼吸器の音だけが響いている病室にあたしはいた。


あれから数日経ったけど、先輩はまだ目を覚まさなかった。


6階部分に当たる屋上から飛び降りた先輩は、たまたま路肩に停車した会社のハイエースの上に落ちて一命を取り留めていた。


先輩はハイエースがクッション代わりになったけど、体の至る所は骨折し、頭を強く打ち付けていたようで危ない状態だったみたいだ。


道路側に飛び降りていたため目撃者が多く、救命救急ですぐ手術を受けれたのが幸いだったと先輩のお母さんが話してくれた。





だけど、このまま意識が戻らない可能性もあると医者が話していたらしい。



****



先輩の飛び降りは、目撃者が多かった事からすぐ取り沙汰された。


ニュースにもなったこの事件は、数日後さらに世間の注目を集めた。会社の労働環境や部長によるパワハラと嫌がらせの内容がネットで流されたのだった。


あたしはすぐその犯人は高嶺だと思った。部長を睨むあの憎悪に満ちた顔は『何かやるだろう』と思わせるものがあった。


案の定、先輩が飛び降りた日を最後に高嶺は姿を現さなかった。社員がマンションを訪ねてみたけど、もぬけの殻だったそうだ。犯人は高嶺で間違いなさそうだった。


そのため、既に辞表を出していたあたしは、何らかのアクションを起こそうと思っていたけど、一切その必要は無くなっていた。


その後も高嶺は会社のブラックな部分をネットに公開し続けた。一番驚いたのはあの場で直接聞いた、高嶺と部長の会話の音声と発注データを書き換えた事実を公表した事だった。音声の中で『高嶺』と名前を呼ばれる部分だけピーッと効果音が流れていたのには少し笑えてしまった。


また、高嶺は週刊誌にも色々送っていたようだった。


後日週刊誌によって、あたしも知らなかった他の部署で心神喪失になっていた人の事や、過去に長時間労働とパワハラでうつ病を発症し自殺した人がいた事、そしてその都度会社は事実を隠蔽していた実態が報道された。


ニュース、ネット、週刊誌の影響は大きく、最初またしても隠蔽しようとしていた会社はあっとう言う間に炎上し、ワザと発注ミスを起こした事が発覚すると顧客からの信頼を失い当然の如く失墜していった。


その後社長や部長、幹部数名が労働基準法違反の疑いで書類送検されると、それが目的だったと言わんばかりにネットに上がっていた記事や情報、全てのデータが削除された。


どうして高嶺がここまでするのか分からなかった。最初は飛び下りをした先輩のため?と思ったけど、会社を叩き潰すようなネット記事とあの時の高嶺の表情を思い返せば個人的に怨みがあったとしか思えなかった。


最初からここまで計画していたの??


ふとそう思ったけど・・・今ではそれを確かめる術は無かった。


****


あれから1か月が経った。術後、身体の回復は順調で、先輩は自力呼吸が出来るようになっていたけど意識は戻らないままだった。『大脳の機能が低下しているが完全に廃絶はしておらず、回復する可能性はある』と医者が言っていたけど、『このまま意識が戻らない状態が続くと植物状態と診断される可能性もある』とも言われたそうだ。


あたしはいつものように先輩の手を握って話しかけた。


「先輩・・・会社大変な事になってます。ふふ・・あたしからすれば『ざまぁ』って感じですが・・・。」


ボタッボタッとベッドに涙が落ちる音がした。


「ぐすっ・・・先輩・・・ごめんなさい・・・。あ・・あだしがもう少し早く辿り着いていたら・・ぐずっ・・もう少し早くカメラに気づいていだら・・うぅ・・ごべんなさい・・ううううう。」


何度も同じ言葉がこぼれてしまう・・・あの日の事を先輩のお母さんに嗚咽しながら話して謝ると、お母さんはあたしを抱きしめて「麻衣ちゃんは悪くない!!もう自分を責めないで。」って言ってくれた・・・だけど、どうしても先輩の前に立つと同じ言葉がこぼれてしまう。


「うえええ・・ごべんなざいぃぃぃぃ。ごめんなざいぃぃぃぃぃぃぃ。」



****



「この部屋は、自ら命を捨てた者だけが入る部屋だよ。」


「え??」


壁に映し出されている映像を見て固まっていた私にタマが語り掛けた。


「で、でも、これだと私まだ死んでないんじゃ?」


「うん。そう思うかもしれないね。今の君はちょっと特殊なパターンかな。今の君の身体は例えると、自動車のエンジンは掛かっているけど運転手がいないままって感じかな。」


「え??・・・は??・・・で、、でも・・」


「混乱するのは分かるよ。けどこの部屋で知ってもらいたいのはそんな事ではないよ。」


「どういうこと???」


「まぁ、見てれば分かるよ。じゃあ僕はここで。」


そいうとタマはまた執事の様に礼をしてドアノブに手を掛けた。


「え、ちょ・・ちょっと待っ『ひぃじりぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!』


突然、映像から母親の叫び声が聞こえた。驚いて映像に顔を向けると母が病室のベッドに寝ている私の身体に顔を埋めて嗚咽していた。


パタン!とドアが閉まる音がしたけど、もうそれどころでは無かった。


『ひぃじりぃぃぃ!!!!いやあああああああ!!』


母は取り乱していた。安静を促す看護師さんを振り解き、私の耳元に顔を寄せ泣き叫んでいた。


『ひじりぃぃぃ・・・何でこんな・・ひぃじりぃいいい!!!!』


こんな状態の母親を見たことが無かった。痛いほど悲しみが伝わってくる。愛されていた事が・・ただただ愛されて、大切に思われていた事が分かった。


「お母さん!!!」


私は椅子から立ち上がり、壁の画面に両手を這わせて叫んだけど・・・私の声が母親に届く訳が無かった。そんな事は分かっていた。声が届く訳がない事なんて・・・それでも叫ばずにはいられなかった。


「お母さん・・・ごめんなさい!ごめんなさい!!!」


ブツッ!!


「ああ!!!」


私が映像に向かって泣き叫んでいると突然映像が途切れ、元の真っ白な壁に戻ってしまった。


「どうして・・映して・・・・お願い・・・。」


壁に手を当てながら膝から崩れ落ちると、パッと壁に映像が映し出された。


顔を上げると、そこには車を運転している父親が映っていた。ハンドルを握るその表情は苦悶に満ちていた。父のこんな顔も見たことが無かった。


『もっと強く反対するべきだった・・・・。』


ポツリと父が呟いた。


「あ・・・。」


私が父にあの会社に内定が決まった報告した時の事を思い出した。


****


大学傍にアパートを借りていた私は、内定が決まった事を報告するため実家に帰って来ていた。リビングで寛いでいると、仕事から帰って来た父が夕食を取り終えたので、ダイニングテーブルの椅子に着き父に内定の報告をした。


母は喜んでくれたので、父も同じく喜んでくれると思いきや、藪から棒に猛反対をされてしまった。


「聖、ちゃんと就職先の会社の事調べたのか??」


「企業説明でちゃんと話しを聞いて来たよ!良い会社だよ。」


「そうじゃない!俺はちょっと調べてみたがその会社、労働環境が良くないとかあまり良い噂を耳にしないんだ。ちゃんと調べて、考えたのか?」


「またそれ!?ちゃんとした会社だって!!社長も私を気に入ってくれたみたいだし。それと噂は噂でしょ!!業績だって・・」


「業績の話をしているんじゃない。社内環境の話をしているんだ!!」


「まさか・・直接会社を見に行ったりしてないでしょうね??」


「それはまだしていない。」


「行くつもりだったんじゃん!!!止めてよ!」


「内定、辞退出来ないのか??」


「はぁ!?何言ってるの??」


「俺はお前がその会社に就職するのは反対だ!!!お前みたいに周りに流され何でも自分で背負い込むタイプの人間には・・・って、おい!!!」


一方的な父親の話に呆れた私は、席を立ちリビングに置いていた自分の荷物を取りに行った。


「もう・・話にならないじゃん。帰る。」


「まて!!まだ話は・・。」


父親がまだ何かを言おうとしているのを無視して私は家から出て行った。そしてその後、私は父親に一度も会う事無く会社に就職した。


私は結局ちゃんと考える事も、調べる事もしなかった。



***



『くそぉおおおおおおおお!!!!!』


父はハンドルを何度も強く叩いたかと思えば、体を揺さぶり今度は額をハンドルに何度も打ち付け始めた。それは今まで見て来た父親からは想像出来ない行動だった。胸が締め付けられるようなその光景に、届かないと知りながらも私はまた叫んでしまった。


「お父さん!!!ごめんなさい!!もう止めてーー!!」


ピタッと父の動きが止まった。一瞬私の声が届いたのかと思ってしまうくらいのタイミングだった。


『くぅぅ・・・うああああああああああ!!!!ひじりーーーーー!!!!ひじりぃい!!あああああああああああああああ!!!!』


声が届く??そんな筈は無かった。父は天を仰ぎ大声で泣き叫ぶと、凄い勢いで助手席のシートを殴り出した。


ぶわっと涙が溢れ出した。父の想いが突き刺さるようだった。


また画面が切り替わると、父が私の病室に着いた場面だった。母親が病室に入って来た父を見ると、おぼつかない足取りで父に縋り付いた。


『あなた!!!ひじりがぁぁぁ!!!あああああああああああ!!!』


母を強く抱きしめた父の強く噛んでいた唇には血が滲んでいた。


「お、、おどうさん・・・おがぁさぁん・・・」


私は二人が映る映像に顔を押し付けて嗚咽していた。前の部屋のどの出来事より辛く苦しかった。二人の悲しみ、苦しみ、憤り、怒り、私への愛しさ、自責の念・・・様々な二人の想いが私の心に押し寄せてきた。


飛び降りる時、空を見上げた私は二人の顔を思い浮かべていた筈だった。こんなに大切に思ってくれている二人を思い浮かべたのに・・・私は仕事に疲れ、熟しきれない量の仕事を受け、プレッシャーの日々で眠れず、後輩のミスに絶望し、責任を押し付けられ、何度も叱責された辛さや苦しさから逃げるように飛び降りをした。私の思考は正常では無かった。


それでも・・・それでもその前に一度相談していたら・・・そう今更悔やんでも取り返しはつかなかった。


『お前みたいに何でも自分で背負い込むタイプの人間には・・』


あの時の父の言葉が突き刺さる。


「お父さんは・・分かってたんだ。私の性格と会社の体質が合わないって・・・もっとちゃんとお父さんの話を聞いとけば良かった。」


画面に両手を置き、俯いて嘆き落ち込む私を余所に映像がまた切り替わった。


再び顔を上げると、そこには呆然と立ち尽くす弟の姿が映っていた。

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