第10話 怨恨
どうしてあの時「はい。」と言ってしまったんだろう。
私と同じ性別の弁護士さんだった事に安心したから??私がされた事を涙ながらに聞いてくれたから??
ううん、私はああいう押しの強い人に・・・逆らえないんだった。
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私の家は、妹が生まれた頃までは普通の家庭だったと思う。だけど、弟を身ごもった頃から母の様子がおかしくなっていった。父や私、妹に対してとても神経質になり始め、イライラしてはいつも父に当たるようになった。
また、自分の理想を家族に押しつけるようになり、その通りにならないと気狂いのように怒り、大声で喚き散らしては、泣きじゃくるのだった。
日に日に母の状況は酷くなり、父は帰って来ない日が多くなっていった。
そして、私が中学校2年生の時、両親は離婚した。
離婚した後、生活は大きく変わり母はさらに怒りっぽくなっていった。父がいなくなった後、母の癇癪の標的は私たちになった。
私は母の顔色を常に窺うようになり、そして大きな声や怒声を浴びせられると、思考は固まり、体は震え、頷くことしか出来なくなってしまっていた。
家がお金に困ってることは分かってたけど・・・だけど・・・高校には行きたかった。
私には『学校の先生になりたい。』っていう夢があった。大好きだった小学校の先生に憧れて『私もそうなりたい!』って思ったのがきっかけだった。
少し機嫌が良さそうな時を意を決して母にその事を告げると
「どこにそんなお金があると思っているの!!!高校に行きたきゃ自分で学費を稼ぎな!!!!」
そう大声で怒鳴られ、頬を叩かれ、物を投げられた。
そんな母に何も言えず困ってしまった私は、迷いながらも祖父母に相談するため隣町にある母の実家に向かった。
両親が離婚をする前、祖父母は一生懸命説得してくれけど・・母は一向に言うことを聞かず、暴言を吐いて家から追い返した。その時の不憫そうに私たちを見る祖父母の顔が忘れられなかった。
祖父母の家に着いてインターホンを鳴らすと二人は親戚の葬儀で留守だった。
代わりに留守番をしていた叔父が家に招いてくれた。30代前半だった叔父は、中学校の教職員をしていた。真面目な印象と、学校の先生でもあった事から私は母に言われた事やお金の事を相談してみた。
だけど、大きな間違いだった。
後々になって分かった事だったけど、学校で女生徒を呼び出しては不埒な事をしていた人だった。
私の話を聞いた後、叔父は「一晩一緒に過ごしてくれたらお金を払う。」と提案してきた。『一晩一緒に過ごす。』という意味を分かっていた私は、叔父の提案を断ったけど「毎日アルバイトをすると学業に支障が出るよ。月に数回で学費を賄える位のお金を払うから。」と強く説得してきた。
掴まれた腕が痛かった。徐々に大きくなっていくその声が怖かった。
イライラしている時の母に似ているその顔と大きな声に・・・私は・・・・逆らえなくなってしまった。
****
私は体を代償に高校へ通えるようになった。叔父が直接学費を払うと母を説得してくれた。叔父に説得されている時の母は・・・何故か怯えている時の私の様に見えた。
だけど私の高校生活は長くは続かなかった。2年の夏休みにクラスメイトの男子に叔父とホテルから出るところを見られてしまった。私は学校に通い続けたいあまり、彼に身を捧げることで黙っていてもらうよう懇願した。彼はそれを拒否して黙っていてくれると約束してくれた。だけど、他にも目撃者がいたみたいだった。誰かが私と叔父との関係を知りSNSで告発されてしまった。
母は学校から連絡を受けると、発狂し、私を罵しった挙句『強要されたんだろう?強姦だ!!そうよ!あいつはそういう人間だわ!!あの時もそう・・今回もそう・・慰謝料を請求しよう・・・。あんた!あいつに強姦されたんだろう??』と途中意味の分からない事を言いながら、正気を失った目で迫ってきた。強く・・何度も何度も強く叩かれ、迫られ・・・・叩かれ・・怒鳴られ・・「違う。」と思っても言い出せなかった私は、終に『叔父に強姦された。』と母に告げた。
叔父は捕まり、私は当然高校にいられなくなった。
その後、家の周囲にも事件は知れ渡り、母の精神は壊れてしまった。
病院で「PTSD」と診断された母は祖父母が、妹と弟は父が面倒を見る事になった。すっかり顔つきや性格が変わってしまっていた私たちを抱きしめた父は、体を震わせながら嗚咽を漏らしていた。
学校が怖くなってしまった私は働くことにした。父に、父の住まいの近くにあるアパートを手配してもらい、そこでやり直すことにした。
あれから2年が経ち、一人暮らしも安定してきた。最初は父に家賃を払って貰っていたけど、今では何とかやり繰り出来るようになり、少し貯金も出来るようになっていた。職場の人たちも優しく良い人達だった。
そんな折、本社の偉い??上の人??が私の勤めているスーパーに視察に来た。
視察に来た男性はあれこれ粗を探しては店長を怒鳴り、横柄な態度を取っては女性に色目を使う・・・とにかく鼻につく人だった。
その日の夜、スーパーの2階にある和室で男性のために宴会をする事になった。私は気が乗らなかったけど、全員参加という事なので仕方なく参加した。宴会の後、他の人たちはかなり酔ってしまっていたので一人で後片付けをしていると、視察に来ていた男性が忘れ物をしたと突然私の前に現れた。忘れ物なんて見当たらなかった私は、恐くなり立ち去ろうとした。
だけど、腕を掴まれ、押し倒され、身動きが取れなくなった私は・・・襲われてしまった。
****
ボロボロになった私はアパートに帰る途中で情けなくなり泣き崩れてしまった。
「あなた、どうしたの!!!!え!?大丈夫???」
路上で泣き崩れていた私を一人の女性が助けてくれた。その女性は『若松 翔子』という名前で弁護士さんだった。
翔子さんは自分のアパートに私を引き連れ手当てをしてくれて、親身に話を聞いてくれて・・・そして一緒に泣いてくれた。
少し落ち着くと、翔子さんは男性を訴える内容や方法、証拠もあるので勝つ見込みがあるとか、損害賠償の事とかを一生懸命に説明してくれた。私はそっとしておいて欲しかったので、訴えなくても良いと彼女に伝えたけど、彼女の『正義』は覆らなかった。
「こんなに辛い思いをしたのに・・・こんな・・こんな事が許されるべきではないわ!!!女性を物のように扱って、極めて悪質な行為よ!!訴えましょう!!お金のことを気にすることはないわ!大丈夫!!」
私が戸惑っていると続けて
「絶対に、絶対に許せない!!!あなたの人生を取り戻すの!!!刑事告訴しましょう!!私と戦いましょう!!!ね!!!」
と、捲し立てるように言われてしまった。彼女は私に怒っているわけじゃないのに・・私は彼女の大きな怒声と押しの強さに・・・負けてしまった。
ちゃんと断れない・・・本当に情けない・・後悔しても、もう後戻りは出来なかった。私は少し壊れ始めていた・・・。
「・・・はい・・・」
****
2016年7月某日
モニターの向こうで、腰の後ろで両手を組んでいる男性がこちらを見ていた。
その男性は相手側の弁護士のようだった。
彼の証人質問が始まると、私が2年間一生懸命に隠してきた過去を次々と法廷で話し始めた。それもたくさんの人たちの前で・・・。
なぜ、この人はそこまで私の過去を知っているの?どうして?なんで?なんでそんなことを言うの???なんでここで言うの???今関係無いでしょ???????
やめて!やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて・・・
違う!違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う・・
この人が言ってる事と事実は違っているのに!!!恐くて声に出せない・・。
翔子さんが反論しても、、、どうして誰も止めてくれないの???
嫌だ!怖い!やめて!
心を抉るような言葉をぶつけられた。
この人は悪魔だと思った。
男性に強要された後、私は何度か壊れかけた・・でも、何とか・・何とか自分を保ってきたのに・・・。
あの時なんで「はい」と言ってしまったんだろう。
自分の汚さや醜さ、卑しさを法廷で・・・たくさんの人々の前で晒された私の心は、完全に壊れてしまった。
「いやあああああ!もうやめて。やめてやめてやめて・・・・・いやあああああああああああああああああ!!」
****
私の記憶はそこで途絶えていた。
あれからどれくらい経ったのか分からない。病室のベッドで寝ていることや、何かを口に入れられたりしている事が途切れ途切れの意識の中で分かる位で、すぐ眠りの底に沈む日々だった。
「あ~あ、、、ニュースしかやってないよぉ。」
ふと目を覚ますと、テレビのリモコンを操作している弟がいることに気づい。
私は、ぼーっとその姿を見つめていた。
「あ!お姉ちゃん!父ちゃん会社に電話しなきゃって外に出たけどすぐ戻ってくるよ。僕もちょっとトイレ行ってくるね。」
私に気づいた弟はそういって部屋の外に出ていった。
久しぶりにテレビの音を聞いた私は、テレビに目を向けると・・・あの時の・・・私の過去を晒した弁護士が映っていた。
その男の姿を見た瞬間、法廷での出来事やこれまでに受けた痛みや苦しみ、恐怖が一気に襲ってきた。
「あああああああああああああああああああああああ!」
バツン!!という音が頭の中でしたような気がした・・・途端に炎のような憎悪が溢れ出てくる。
「お前らがぁああああああああああああああああああああ!!」
恨み、怨んだ。
母を、父を、祖父母を、叔父を、同級生たちを、あの男を、若松翔子を・・・恨み・・・・怨んだ。
憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い・・・・
何より、弱い自分自身が憎い!!!
何より、法廷で私を嬲り、人々の前で過去を晒した、、あの弁護士が・・・
「あああああああああああああああああああああああああああ!」
私はテレビを窓から投げ捨て、
私自身も投げ捨てた。
私の心は・・真っ黒な闇の中に沈んでいった。
****
「うわあああああああああああああああああああ!!!!」
憎しみの炎に焼かれながら己に戻った。
私だと思っていたのは・・私だった。
すべての感覚、すべての思い、すべての苦しみ、すべての憎しみ・・・
胸をえぐられ、心を叩き砕かれ、憎しみの炎に焼かれ、身投げをした。
『味わえ。』とはこの事だったのか・・・私の全身は汗まみれになっていた。
私は彼女となり、私に受けた苦しみを存分に味わったのだった。
精神が消耗し項垂れていると、上から百は優に超える光が射し込み始めた。
「ああ、あ、、あ。」
数々の光の中で
あの彼女の父親、祖父母、妹、弟。
公害訴訟で敗訴にした会社とその職員たち。
無罪にしたが、聴衆の前で不貞行為を晒した男。
相続問題で最後まで喚いていた夫婦・・等々
沢山の覚えのある人たちが、怨みに満ちた顔で私を睨んでいた。(逆怨みをされることも沢山あったが、明らかな犯罪者(罪人)・悪人とその縁者のそれは含まれていない。)
この数を私は・・・耐えれるとは思えなかった。
突如その中の一人が私に向かって走り始めた。
「来ないでくれ・・やめてくれ・・・・来な、うあああああああああああああ!!」
「思い知れ。」
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