第9話 心のしこり
2015年6月某日
私は実家に呼び出されていた。
父親の書斎にあるソファーに腰を降ろすと、父親も対面のソファーに座りさっそく弁護依頼の話をしてきた。
その弁護依頼の内容は『被告の男性が支店の従業員女性に強姦をした。』というものだった。男は「合意の上だった。」と容疑を否認するも、強姦罪(現強制性交等罪)で起訴されているらしい。
被告の男は政治家の息子で、その政治家と父は旧知の仲だったそうだ(初耳だ)。
しかし、例え政治家の息子であったとしても、強姦したと思われる証拠が数々揃っていたためか、弁護を引き受けてくれる者がいなかったそうだ。困り果てた政治家から父に相談の電話が掛かってきたらしく、そこから私に話が回って来たようだ。
さらに案件を難しくしている原因の一つがその親馬鹿の政治家だった。『息子は騙されたのだ。』と彼の主張と無罪を盲目に信じていて、示談を提案する事も、応じるつもりも全く無いそうだ。これでは確かに誰も引き受けたくは無いだろう。
しかし私は困ってしまっていた。先方から多額の報酬の提案をされていたが、難しい案件のため私はどう断ろうかと言葉を探していると「なんとかアイツの息子を救ってほしい。」と父親が頭を下げてきたのだった。父親のそれはとても珍しいものだった。
(何か弱みでも握られているのか?)と邪推したものの、正直、学生時代のあれやこれやも含め色々と手を焼かせてしまっていた父親に、頭を下げられるとは思っていなかった私は無下に断れなくなってしまい固まってしまった。
出来ることなら受けたくなかったが、この場で返答をして欲しいと畳掛けるように父親に頭を下げられた私は、仕方なくその父の友人に『勝てる見込みは少ない事をご理解とご承諾していただけるのならば・・』と引き受ける条件を提示してみる事にした。
苦肉の策であったが、政治家の男はテレビで見る限り『プライドがとても高い人物だ』という印象があった。その為『そんな馬鹿な条件は呑めない。』と怒って突き返してくるだろうと予想していた。
しかし翌日、その予想に反してすんなりと条件を呑むという連絡が来てしまった。余程引き受けてくれる弁護士が見つからず、切羽詰まっていたのだろうか??
断られると思っていた条件を全て呑まれてしまっては、私は弁護を引き受けるしかなかった。だが、すんなりとその条件を呑まれた私は逆に政治家に対しての警戒心を強めた。
「何かにつけて負けを当てつけられてたら堪ったものじゃない。」
後日、きちんと『理解と承諾』の証とする書類に署名と捺印をいただいた。勿論、その際の音声も録音しておいた。
しかし、受けてしまったからには戦わなければならない。無罪を勝ち取る望みは今の所薄いが、私はさっそく原告側に付け込める過去や損害賠償目的だと思える何かはないか調査を開始した。
それにしても・・・なんだ?あの正義感丸出しの弁護士は・・・・見ているこちらが恥ずかしくなるくらい正義に燃えていた。
「スポ根アニメの主人公みたいな奴だなぁ・・・。」
呆れて資料を見てみると、相手弁護士の名前は若松翔子と言うそうだ。
「若松・・・ああ!確か父親も弁護士だったな。それにしても似てないな。」
相手弁護士の父親とは何度かやり合った事があったが、瞳に炎が見えるような娘とは真逆のとても冷静に流れを分析するような男だった。こいつは鼻息が荒く、木を見て森を見てない事が手に取るように分かった。
「ふっ・・『正義は我にあり!!』ってとこか??」
しかしそんな事よりも私が気になったのは、チラッと見かけた原告の女性だった。正義の弁護士様とはこれまた真逆で、線は細く、気弱そうな表情をし、精神はギリギリの状態を保っているように見えた。
「あいつに担ぎ上げられてしまったのか・・もう糸が切れそうじゃないか・・・。」
私は若松に「このままでは危険じゃないか?」と、彼女の精神状態を考慮して訴えを取り下げるよう何度か忠告をしたが、不覚にもその事が逆に『私が不利だと思っている』からの発言だと判断されてしまった。結局最後まで私はアイツの正義を覆す事は出来なかった。
****
出来る事なら取り下げて欲しかった・・見掛ける度に衰弱していく彼女の姿は痛々しいものがあった。しかも、あの弁護士は様々な案件を抱えていると聞いた。そんな状態で彼女のメンタルまで気が回るのだろうか??
さらに残念なことに私は彼女の付け込む過去や損害賠償目的だと思わる事が出来る何かを見つけてしまった。何とか穏便に終わらせる事は出来ないか・・・そう目論んでいた私だったが、思わぬ相手によってその逃げ道を塞がれてしまった。
政治家の男が彼女を洗いざらい調査していたのだった。
****
ある日、用事があると連絡を寄越し事務所にやって来た政治家の男はソファーに座るなりいきなり話始めた。
「いやね・・先日、君が作成した書類にサインをした後、私は考え直したんだよ。」
「はい?」
「これまでも何度か人に誤解を受けるような行動をしてしまう愚息だからね。君の言う通り、そんな愚息の話だけを信じていては駄目だろうと反省したんだよ。それに愚息のせいで私の政治生命を終わらせる訳にもいかないしね。」
「何を仰りたいのでしょうか?」
「いやね。君を信用していない訳じゃないんだ。君は優秀な弁護士だと聞いていたからね。既に調べて知っているとも思ったんだが、念のために私も調査した資料を先生にお渡ししようと思ってね。」
そう言いながら私に自分が調べさせた彼女の資料を差し出した。その際の彼は、正に時代劇に出て来る悪代官のような不快を感じさせる笑みを浮かべていた。正直殴りそうになってしまった。
しかし差し出されたその資料の内容は、私が調べたものとほとんど差異は無かった。しかも「していた。」とこいつは話した・・・弁護を引き受けた者に途中で降りさせないよう、最初からこのタイミングで資料を出すつもりだったのだろうか?
「負ける可能性がある事は十分に理解しているよ。しかしこれ程色々と出てくれば、勝てる見込みも出て来るだろう??ぜひ、私が調べたものを愚息の弁護に役立てて下さいね。先生。」
呆然としている私に、嫌味たらしくそう言うと彼は私の事務所から出て行った。
まさか・・私を監視していたのか??
そもそも本当に誰も引き受けてくれなかったのか???私は相手を甘く見ていたようだ・・もう少し調べてから条件を出すべきだったのでは・・・いや、相談をされたあの時、父親に何度も頭を下げられその時間も与えてくれなかった・・・。やはり旧知の仲というのも嘘だったのだろうか??若しくは全て仕組まれていた事だったのか????
今になって色々推測しても何の意味も無かった。
彼女と同じように担ぎ上げられていたのは自分も同じだった。
「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
悔しさのあまり私は資料を床に叩きつけた。
****
2016年7月某日
モニターの向こう側で、紺色のスーツにパンツスーツ、白いワイシャツを身に纏い、背の中ほどまである髪をうなじ辺りで結び、少し気弱そうな表情をしているその女性は、涙を滲ませながらも勇敢に若松翔子の質問に答えていた。
結局ここまで来てしまった。若松翔子の正義を最後まで覆せなかった私は覚悟を決めた。私が受けなくても同じ結果になるだろうと思った私は『他の誰かにやらせて逃げる位なら自分でやり通すべきだ。』と何度も辞退しようと考えてしまう自分にそう言い聞かせた。
モニターを見ると、彼女は以前見掛けた時より更に線が細くなっているように見えた。気の毒に思いながらも、私は心を鬼にして証人質問を開始した。
政治家の資料が無くとも、彼女の過去を徹底的に調べ上げていた私は、彼女が過去に叔父と援助交際をしていた事実。そのことが同級生の男子に見つかると、自分との性交を条件に口止めしようとした事や、それも行き詰まり、周囲に叔父との行為がばれると叔父に強要されたと証言して多額の損害賠償請求をしていた事。先日接触した叔父が『あいつは悦んでいた。』と発言していた事(強要していたと容易く推測出来たが)・・・等々彼女の過去の経緯を証拠として晒した。その結果、私は彼女を追い込み、嗚咽させ、気を動転させた。
そして被告人の男を叔父と同じように合意と見せかけ陥れたのではないか??と追及した。
彼女の張り詰めていた糸は終に切れてしまった。
彼女は激しく狂乱し・・・・・裁判は閉廷した。
その後、彼女は入院し訴えは取り下げられた。
契約通り多額の報酬金が振り込まれたが、自分でしておきながらも何とも胸糞が悪くなる裁判だった。二度とこのような依頼をして来ないよう父親に釘を刺すも、この裁判は私にとって最も心のしこりとなったものだった。
「あの子に怨まれても致し方あるまい・・・。」
私のため息は夕闇に鳴り響くパトカーのサイレンの音に掻き消されていった。
ファンファンファンファンファンファン
夜半前の街にパトカーのサイレンの音が鳴り響いていた。
2019年7月10日 22時25分。
「タクシーに大型トラックが追突した模様。
トラック、タクシーの運転手はともに重症だが意識はあるようだ。
大至急救急車の手配を。
タクシーの後部座席に乗っていた男性は即死と見られる。
男性は所持していた身分証明証から『春見 聡明 45歳 男性』と推測される。」
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