ジャイブ

 膝を柔軟に駆使するジャイブという種目。

 跳ねて跳ねて跳ねて……スイング。


 曲はアップテンポで、僕の気分を盛り上げてくれる。


 ……はずだった。


 曲を聴いても僕の足は歯切れが悪い。ついていけない。気持ちがついていかない。あれだけ好きだった種目なのに。昔の海外にあるディスコみたいに楽しくて、茶目っ気のあるポーズだって似合うジャイブ。


 色々な選手の動画を見ても、何も感じない。感性が麻痺した。


 ダンススクールの床に一人ポツンと立ち、大きな鏡にうつる自分を虚しく眺めていた。眺めたところで何も感じなかった。


 ジャイブで使われる曲だけがずっと流れたまま。


 スランプ。


     ♪


 憧れて尊敬していた先輩が急逝し、その事実をしばらく受け入れられずにいた。いや、きっとまた穏やかな笑顔で出勤してくると信じた。

「いやぁ、ご心配ご迷惑をお掛けしました」なんて言いながら。


 もう二度と会えないことを受け入れた時には、ショックで何も踊れなくなった。大好きなジャイブすらも。

 ダンススクールの講師をしているにもかかわらず。


 やりきれない気持ちが昂り、たいして強くもないのに浴びるように酒を飲んでも、いい歳して涙が枯れる程に喚くように泣いてみてたところで状況は変わらなかった。


 仕事にならない。


 大会に出て級を取らなければならないから、精神力は鍛えていたつもりだ。審査員の厳しい目もいつ見ているかわからないから、気を抜けない。

 大勢の観客席やライバル選手がいても、怖じ気づくことすら許されない。完璧に踊るために強い精神力が必要だった。


 あの精神力はなんだったのか。こんなにも脆いものだったのか。

 何歳も年上の、あの先輩のことを考えた。物腰が柔らかくていつも穏やかな笑顔でいた。それなのにラテン種目を踊る時は、人が変わったようなパワフルな笑顔だった。


 僕は今まで何で踊ってたんだろう。

 僕は何を考えて踊っていたんだろう。


 わからない!わからない!


 助けてください!もう僕は踊れない!


 狭山先輩……


     ♪


「ねぇ、大丈夫?」声を掛けられる。


 大丈夫なわけがないだろう!まともに踊れもしないのに。無神経な言葉を投げ掛けるなよ。ダンス講師の仕事だって、仕事にならなくて休んでるんだ。


「あぁ、ごめん。大丈夫だよ。ただまだ調子がでないみたいで」


 苛立つ気持ちをぐっと抑え込み、声を掛けてきたパートナーに対して、無理矢理に笑顔を作り詫びた。


「ごめん、大丈夫かって聞いたら、大抵の人は大丈夫と返事をするしかなくなるのよね」


 それを聞くと申し訳なく思った。踊れないのは僕だけなのに。彼女はいつも僕を支えていてくれたのに。掛ける言葉がもう見付からず、ついに“大丈夫”という言葉を使ってしまったようだ。

 だけど、それがさらに自分を追い込む。彼女にも申し訳ない。自分にも嫌気がさす。


 誰しもいつかは死ぬことなど解りきっていることなのに。でも突然すぎた。突然すぎたんだ。


 目の前から消え去った先輩がこんな僕を見たらどう思うのか。きっと失望の眼差しを向けることだろう。


「高橋先生、そんなに緊張していたら、生徒さんにも伝わってしまいますよ。肩の力を抜いて、生徒さんをお迎えしましょう」


 あのダンススクールに採用され、レッスンの初日に言われた先輩の言葉が脳内に響いた。あの時も穏やかな笑顔だった。


 先輩はいつだって優しかった。そうだ、先輩は失望の眼差しなど決して僕に向けない。いや、誰にも向けない。落ち込んでも、級を取り損ねても、絶対に失望も軽蔑もしない。

 立ち上がれない程落ち込んでも、手を差し伸べてくれる。


 僕は競技ダンスの講師だ。その前に、一人のダンサーだ。


 そうだ。あの時、僕は何て言った?


「狭山先生の為に、僕と踊ってみませんか?」


 悲しげにうつむく生徒さんに、そう言ったのは僕だ。わかってたんだ、あの時から。そして、あの生徒さんは完璧とまではいかなくても踊りきった。


 だから、もう二度と先輩に見てもらえなくても誉めてもらえなくても、僕は踊る。踊り続ける。先輩の分まで。僕にはまだ時間があるはずなんだから。


「いや、もう本当に調子がでないだけで。大丈夫なんだ」と、今度は自然な笑顔で彼女に言った。


 僕はラテンダンサー。


 ラテン種目には自信がある。


 今ならスランプから抜け出せる。


     ♪


 そこからは僕は無心で踊り続けた。ルンバではだめだ。サンバでも足りない。やっぱりジャイブしかない。僕のすぐ目の前にあるスランプを抜け出す手段の一つは、ジャイブのテンションだ。

 僕の一番好きな、得意なジャイブを披露するんだ。


 数ヶ月後にはダンススクールのパーティーがある。教えているのは、ジャイブの基礎のようなジルバだったが。

 披露するんだから、ジルバでなくていい。ここは会場を盛り上げるハイテンションなパワフルなジャイブを披露する。


 フリックもバックキックも、まだキレがない。基礎があってもちゃんと身体を使いきれていなかったせいか、何かしら毎日踊っていたはずなのに思いどおりに動かない。


 それでも踊り続ける。隣にいる彼女は僕のペースに合わせて、振り付けを乱れないように僕に時折顔を向けながら踊っている。


 ハードなジャイブのステップも、僕と彼女の動きがちぐはぐにならないのも、今は全て彼女のおかげだ。


 理想のパートナーは、彼女以外にいない。ダンスだけでなく、僕の個人的な問題に自暴自棄になった時ですら嫌な顔せず側に居てくれた。


 彼女とずっと一緒に踊りたい。

 ずっと一緒に居たい。


 そうか。そういうことか。


     ♪


 しとやかなワルツが流れ終え、優雅にフロアから下がっていく先輩講師の後。


 僕と彼女がフロアに二人きりで静かに立つ。


 流れる曲は急にアップテンポになった。一同「ワァァ!」と手拍子で盛り上がる。


 最初からハイペース、ハイテンションに動く。フリック、キックバック。あれだけ思い通りに動かなかった身体も、もう自由自在だ。彼女と笑顔で顔を見合わせながら、気持ちをシンクロさせて、これ以上ない笑顔で踊る。

 フォワードロックで会場をさらに盛り上げる。ツイストターンのタイミングもバッチリだ。彼女を軽々と持ち上げて、アクロバティックな振り付けも今回は組み込んだ。


 全てが最高潮だ。


 僕はスランプから抜け出て、さらに成長できたと感じていたし、彼女との絆も深まったと確信していた。


 曲が終わった。


 踊りきった高揚感そのままに、拍手の中で僕は彼女に告げた。


「僕と結婚してください!」


 彼女は驚いて僕を見た。そして、言った。


「ごめんなさい」


 ……え?嘘だろ!?


 耳を疑った。「ごめんなさい」って、どういう意味だっけ?まさか、僕は断られたのか?


 僕は踊りきった高揚感は、サァっと引いてしまい。心も身体も冷えて汗は脂汗になって顔まで蒼白になった気がした。


 彼女が側に居てくれたこと、きっとこの先も側に居てくれることを勝手に思い込んでいたのか。


 僕はもう何も言えず黙るしかなかった。

 彼女の顔すら見ることができない。


 散々情けない姿を見せたんだ。仕方ない。と、僕は自分に言い聞かせた。


 いいんだ。僕はまた踊れるようになった。君が側に居てくれたからだよ。


 それだけでも十分感謝すべきだ。


 拍手はまだ鳴り止まない。


 ありがとう。本当に。


 ありがとう。君が居てくれてよかった。






 その時。


「……嘘よ!嬉しい!」


 と、彼女は抱きついてきた。


「あなたの全てを見て側に居れるのは、私以外に居ると思う?」


 いないよ。君しかいないよ!

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ラテンダンサー まゆし @mayu75

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