第10話 事実


 少女は、後悔の交じったようなため息を吐くと、白い服なのも気にせず、その場に座り込んだ。

 そして、静かに、自身に語りかけるように、ゆっくりと話し始めた。



「中学の頃は未遂に終わりました…。

当時は“死にたい”が口癖の子が多くて、私も悪ノリしている感じはあったんです。


 でも、高校生になって、コロナが流行って…今年は過去三番目に梅雨が長かったので気分も滅入るし、親も仕事の関係でイライラし始めるし、学校が始まっても上手く馴染めず、更に妹も行方不明になるし…。」



 そこで一度言葉を切ると、手の爪で首を掻きむしり始めた。

 何かを必死にこらえているかのようだ。


 手前は黙って、少女の話に耳を傾けた。



「妹が行方不明になって、1ヶ月くらい経った頃でした。

妹がいなくなったのは、妹に負担をかけた私のせいだって親戚に言われたんです。

姉妹が居なくなったのに、なんで呑気にヘラヘラしていられるんだ。

その態度が妹を苦しめるんじゃないのか…。


私だって、って昔は散々言われたのに、それを妹に言ったら怒られるって理不尽だと思いませんか。」



 誰に問いかけている訳でもないらしい。


 いや、強いて言うならやはり、自己に問いかけているのだろう。

 手前はではないし、男兄弟であれば、また違った関係になるのだろう。



「思い出すだけで苦しい…でもきっと、殺したら後悔する。

だから、わざわざ遺書まで書いてから死んでやったんですよ。」



 ここにきて、ようやっと意味がわかった。

 この娘は、自ら選んで既に亡き者となっていたのだ。

 だから、ほおずきはあのような態度をとり、この少女は下を向いた。


 妹が行方不明になる…そのような経験をしたことの無い手前に、かける言葉は見つけられなかった。



「なら、君は後悔していないのかい?」


「……。」


「嫌いな相手のために、自分の人生を棒に振ったんだろう?

君が損をするだけじゃないか。」



 普段、死のうとは思わない手前に、その心中を察することは出来ない。


 ただ、俯く顔に、明るい表情は宿っていなかった。



「…だから、だから、私がお話したいんです。

私はもう、帰れないから、一度死のうが二度死のうが同じことだから。」



 娘はそう言うと、手前の意見を聞くことなく、川に向かって走り、飛び込んだ。


 突然の行動に、手前の目にはその流れがえらく遅く映った。


 …いけない、助けなくては。


 手前は直感的にそう感じ、娘の少し後に続いて川の中に飛び込む。

 思ったよりも深いらしい。


 体は全て水に沈み、深部へと誘われる。

 当然の事ながら水中で呼吸のできない手前は、走って飛び込んだことを酷く後悔した。


 声を発することも叶わない為、名を呼ぶことも出来ず、息継ぎをするために上がろうとしても、体は底へ底へと引っ張られる。

 何かに掴まれている訳では無い。

 ただ、体全体がカナヅチになったかのように、ただ沈んでいく。


 すると近くに、紫色の光が見えた。

 これはいけない。


 視界に映ったのは、いっぴきの大きな怪物が、その馬鹿でかい口を開けながらこちらに迫り来る様だった。


 焦りで、思わず口の空気を外に吐き出した。

 酸欠状態の脳は、情報を処理しきれていない。



『ご近所くん。』



 遂に、幻聴まで聞こえ始めた。


 あぁ、先生と過ごした楽しい思い出が頭の中を流れていく。

 これが俗に言う走馬灯という奴だろう。



『あらら、そりゃそうか。』



 大口を開けた怪物は、手前の着物の襟を噛むと、そのまま下へ下へと進んで行った。

 手前を調理する気なのだろうか。

 随分と美食家なウミヘビもいたものだ。


 さぁ、手前が時間を稼いでいる間に逃げてくれ。


 先生、すみません。


 あの約束は、果たせそうにもありません…。



『おーい、ご近所くんー?』



 あぁ、やはり、いちばん記憶に残るのは先生の声か。

 叶うなら、現実で、もう一度、お聞きしたかった。



『それにしても、ご近所くんが本当に万事屋になってくれるなんてね。

お陰で再会できたよ。こんな姿だけど…。

おや、あの子はご近所くんと一緒にいた…うん、一緒に連れて行くか。』


「せんせ…。」


『おっ、わかったのかいッ!?

…って、気絶してるじゃないか!!』



 巨大な紫色の影は、底に向けて泳ぎ進む少女に近付く。


 少女は上から降りかかった巨大な影に、目を見開いたまま振り返った。



『おやおや、白い影が見えると思ったら死装束じゃないか。

白が好きなのかい?変わってるねえ。』


「…!」



 酸素を外に逃がすまいと、両手で口元を覆う少女。

 川の中は外から見るよりも綺麗であったが、水中であるため視界は悪い。


 目の前の大きな存在が自分に話しかけているのだと、少女がわかるはずもなかった。



『へぇ、死装束くんは水中でも目が開けられるんだね。』



 少女は目の前の怪物から逃げるように足の動きを早めた。

 バタバタと水をかく足が、時々怪物の体に触れる。


 …だが、少女が想像していたよりも川は深かった。

 酸素不足となった少女の体から、力が抜ける。



 川の主は、その体を男と同じように咥えた。

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