第9話 生者


「妹は、今がそれくらいです…。

えっと、私は寮で生活してて、バタバタしてるから週末にチラッと帰ったり帰らなかったり…。

…あの、見たんですか?ミツキのこと。」



 少女がグイッとこちらに身を寄せる。

 まだ仮定状態だが、可能性としては有り得るかもしれない。



「…見たかもしれない、つい先程に。」



 手前の反応から、少女は顔を青ざめた。

 手前と考えていることが同じなら、それは心配から来るものだろう。


 全てを知るには、知能も情報も少なすぎる。

 誰か、全てを知る者はいないのか…。



「あ。」



 手前は右手側に流れる川を見て、小さく叫び声をあげた。

 そうだ、もしかしたら知っている者がいるかもしれない。


 いちばん初めに聞いた声の主なら。



「ほおずき殿…ほおずき殿、聞こえれば返事をして欲しい。」



 最終的な人任せには気が引けるが、これが最善の案だと思った。

 そもそも、人なのかも分からないが。



「ほおずき…さん…?

ホオズキって、お花…ですよね?」



 ホオズキ…そういえば、先生もそんな名前の花が好きだと言っていた気がする。

 当時の自分が無知だった為に、すっかり忘れていたが。



「ほおずきは花なんぞではありんせん。」



 久方ぶりに聞いた声は、間違いなくここに来てから初めて聞いたものと同じだった。

 どうやら、手前の声に反応を示してくれたらしい。



「ほおずきはぬしに会いたくありんせん。

ここに来られるのは、生きている人間だけでありんす。」


「……。」


「生きてる人間だけ?どういうことだい?」



 突き放すような、冷たい声音。

 それを聞いて、前の少女は俯いた。


 どうやら、ふたりにしかわからない秘密のようなものがあるらしい。



「…よかった、よかったです。

妹は…ミツキは無事なんですね。」



 震えた声でそう微笑む少女は、何かを隠したがっている様だ。

 ほおずきの言葉も気にかかる。


 


 にわかには信じ難い。

 その物言いであれば、まるで生者と死者が会話をしているようではないか。



「そもそも、事をする人間なんて、ここに来る権利はありんせん。」


「…ごめんなさい、ごめんなさい。」



 どういうことだろう…。


 人が隠したがっている事というのは、妙に魅力的なものだ。

 知りたいという、純粋な好奇心が働いてしまう。


 とは何なのだろう。


 だが、今この声に聞くべきなのはそんなことではない。



「ほおずき殿、ご説明願いたい。

ここがどこで、なぜ手前達がここにいるのか。」



 少しの間、沈黙が場の支配者となった。



「なら、こなたの川を渡ってくんなまし。」



 初めに聞いたのと同じ言葉が返ってきた。

 だが、今の手前はかつてと違う。

 この川に住む恐ろしい存在と、身にせまるであろう危険を知っているのだから。



「じ、冗談を言ってはいけない。

この川には、恐ろしい怪物が住んでいる。」


「こなたの川に、怪物なんておりんせん。」


「手前はこの目にしかと見た。

紫色の、大蛇のような怪物だ。」



 空を見上げて身振り手振りで大きさを示すと、また少し間が空いた。


 正確には、この目で見たのはほんの一部。

 主に、この娘の発言が頼りである。


 …そうだ、この少女も見たはずだ。

 怪物に襲われた時、共に居たのだから。



「もしや…この川の主である、みつきの事を言ってありんすのかぇ?」


「この川の主であるみつき…!?」



 聞いた名前に、思わずそれを復唱した。

 今日はみつきの日とでも名付けようか。


 …無関係であるとは思えなくなってきた。



「人間の愚かさの集大成…とでも言いんしょうか。

お人好しが故…、身を堕としたが故でありんすぇ。」



 何の話をしているのか、皆目検討もつかない。

 だが、どこか嘲笑を含むほおずきの声は、聞くだけで頭痛がした。


 先程とはまるで違ったような…今の声に、鈴のような可憐さなど宿っていない。



「それは、手前の知るミツキだろうか。」


「……であれば、ぬしはどうしんす。」



 そんなの、連れて帰るに決まっている。

 だが、どうやって…?

 あの怪物が仮に先生であるとするならば、今も理性は保たれているのだろうか。


 そもそも、あのような姿になった経緯を知る由もない。

 きっとほおずきは、全てわかっているのだろうが。



「教えて欲しい。

ほおずき殿は何を知っている。」



 手前も、隣の少女も、空を仰いだ。

 どんよりとした星の見えない空には、暗くて重い気配が漂っている。



「…なれば、当人にに直接聞くが早いでありんしょう。」


「ほおずき殿…。」



 それ以降、また声が聞こえなくなった。

 みつきに直接聞くというのは、川の主と対峙しろ…ということだろう。


 ここは、腹を括るしかない。

 事実を確かめるには、それ相応の対価が必要であるということだ。


 迷いは小さかった。



「君は、離れていて欲しい。

ミツキは、川下へ行けばきっと会えるさ。」



 手前がそう言って微笑むと、少女の瞳からまた、大粒の涙が溢れ出した。



「…ミツキには会えません。」



 その言葉は酷く悲しげで、少女が隠さんとしているものの重さが相当であると感じさせた。

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