第2話 怪物との対峙


「しっかし・・・どうすればいいんだこの状況・・・・」

落ち着きを取り戻した真琴だが、だからと言ってこの状況が一瞬で覆るほどの能力の持ち主ではない。


着の身着のままの自分と、おそらくは数百キロありそうな謎の化け物。とてつもなく分の悪いマッチングである。


くそっ、鞄の中に何か入ってたかもしれねーのに、鞄もないから本当に何もできねぇ。


焦りと不安が徐々に恐怖による統制を掻い潜って真琴の体と思考を硬直させる。

こうしている間にも化物は樹の幹からの束縛を振り払うように暴れ、ついにはメキメキと音を立てて樹が倒れてしまった。

これで化物は完全に自由になったことになる。


(まずい・・・このままではまたあの体当たりが来る。今度は避けられる保証もない!どうする!どうするよ俺!!)


焦る真琴の思考を読み取ったかのように化物は体当たりをするための予備動作として漆黒の身体を屈め、

力を貯めるような姿勢を取った。

どうやら今度は避けられないように一気に距離を詰めてくるようだ。


と、その時真琴の脳裏に一筋のひらめきが走った。


(成功するかはわからないが・・・・今はこれに賭けてみるしかない)


鹿の化け物を刺激しないようにそろそろとした動きで靴を半分脱ぎ、突っ掛けのようにする。


そして全神経を一挙手一投足に集中させる。僅かな動きを見逃せば、それだけでアウトだ。


あれほど騒がしかったはずの森が一瞬にしてしん、と静まり返る。


その直後。化物の脚部がわずかながら地面から離れ、次の瞬間化物は真琴に向かって矢のように加速していく。


真琴は、それを見逃さなかった。

突っかけのようにした靴を、加速してくる化物の顔面に勢いよく蹴り飛ばした。

相対速度としてそれなりのものになった靴は、相手がただの人間であればかなりの痛みを伴うだろう。


しかし相手は未知の怪物。

ほとんど意に介さないかのように、頭を振って靴をどこかへと振り払ってしまった。


「・・・そう、それでいいッ!」


それこそが、真琴の真の狙いだった。

別方向を見たその一瞬の隙を突き、来ていた上着を化物の顔面に放り投げる。

化物が頭を正面に戻したそのタイミングで、完全に視界を奪う形で布が覆いかぶさった。


靴での迎撃は囮。視界を奪う事こそが目的だった。

真正面にとらえていた状態から僅かながら化物の突進がズレる。


「よし、これなら―ッ!?」


先ほどと同様に転がって避け、直後に大きな音と衝撃が地面越しに伝わる。

しかしそのあとに鋭い痛みが右足、そして右脇腹に順番にやってきた。

手をやると、服が赤く染まり始めていた。出血の証である。


「ぐッ、どうして・・・」


見ると、先ほどのように化物は木にぶち当たってもがいている。

布は完全に頭部の角によって貫かれており、柔らかいが故に化物一匹だけではなかなか取れないようになっている。


そこまでは計画通りだったのだが―

化物の背中から生えた触手が先端部分を鋭く尖らせ、周囲の草むらを這いまわっていた。

突進だけではとらえきれない獲物を、攻撃に特化させた触手でカバーする。ある程度の狩猟的本能も備わっているようだった。


「くそ、碌に喋れもしねえ化物のくせにやるじゃないか・・・だが、今は何も見えないだろ」


触手が自律して動くのであれば、真琴はすでに串刺しになっているであろう。

そうでないということは、あくまで触手は本体の補助に過ぎない。そして本体は今、盲目の状態にある。


となれば、この状態ですべき事は――


「じゃあな、もう二度と会わねえことを祈る」


そう言って真琴は足を引きずりながら森の中へと消えていった。


―――――――――――――――――――――


それからどれだけの時が経ったのか。

30分ほどなのか、3時間ほどなのか、時間の感覚が麻痺したまま、真琴は森の中をさまよい続けている。

先ほどの化物のような気配はせず、遠くに聞こえる動物の声も歩くほどに小さくなっていった。

途中で杖にちょうど良い長さの枝を見つけ、それで傷ついた体を支えながらなんとか歩いていたのだが―


「ぐ、もう・・・だめだ」


先ほどの突進で負傷した体は、時間と共に増える出血によって脱力感に支配されている。

触手が何らかの成分を分泌していたのか、血は時間が経っても少量ながら流れ続けていた。


足を前に運ぶだけの単純動作すら、もう続ける事が出来ないほどに真琴は消耗していた。

やがて、真琴は地面に膝から崩れ落ちるように倒れた。

倒れた真琴のそばには、ぽっかりと大きなうろ穴が地中に向かって開いており、

中は底なしの沼のような漆黒が広がっていた。


「こんな・・・ところで・・・死ぬなんて・・・晩飯もまだ・・・食ってないんだぞ・・・」


もはや誰に言うわけでもない愚痴が口をついて出る。

言葉を発せなくなっても死への抵抗の意志だけが最後まで残っていたが、

その炎もやがて小さくなっていき、真琴は意識を手放した。


――漆黒を湛えたうろ穴の奥で、二つの眼光が彼を捉えるように光り、そしてまた暗闇へと戻っていった。











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