第3話 打ち捨てられし神の眷属

――もし、もし


ん…、なんだ。


――聞こえていますか?私の声が。


聞こえては、いる。ただ、何も見えない。真っ暗…いや、真っ白?

視覚を司る感覚器官は存在しない事に気づく。今や自分の体はほとんど球のように感じられた。


――ああ、それは良かった。これが聞こえなかったら諦めようかと思っていたのです。


ふうん、何を諦めるのか知らないけど…

とりあえず、一体お前が何者で、俺はどうなっているのか、説明できるか?

丁寧な言葉遣いを仇で返すようなぶっきらぼうさを、隠すこともせずに答える。


――…時間もあまりないし、端的に言いましょうか。私は神で、あなたは死んでいます。


…後者はまあ、飲み込めるが前者はいまいち、だな。

そもそも日本人てのはほとんど無神論者で、俺も御多分に漏れずそうだ。

だから、いきなり神だ、なんて言われても…。

そもそも死んでいるなら意識が雲散霧消するものだと思っていたが、案外そうでもないのか。


――それは私がなんとかあなたの魂をこの世界に繋ぎ留めているから、ですよ。


何のために?気紛れか?


――それはあなたにお願いがあるからです。叶えていただければ、私の力であなたの魂を現世――直前までいた世界へと戻します。


…自分で神という胡散臭さもそうだが、更にお願いを聞いたら蘇らせる、ときたか。

にわかには信じがたい。信じがたいのだが、死ぬのは誰だって嫌だ。

そのお願いというのは、一体なんだ?


――私の眷属となってほしいのです。力を受け継ぎ、私の存在を永らえさせて欲しいのです。


眷属、ねえ。そうなると、神様であるお前には何も逆らえない状態になって、

さんざ悪い事をさせられるとか、そういうんじゃないだろうな。


――残念ながら、今の私はこの世界から忘れ去られ、消えゆく存在。本来なら、人々の信仰により神の存在と力は補強されるのですが、

  今すぐそれが得られる状況にありません。通りすがりのあなたを眷属とし、何とか神としての形を保つしか方法が無い、というわけです。


なるほど、そちらも生きるか死ぬかの瀬戸際、というわけか。

神の生死・・・よくわからない概念だが、とりあえず目の前の利害は一致している。

贅沢を言えば元の世界に帰らせて欲しかったのだが、この世界の神の力は影響範囲が限定されているのかもしれない。

これは「受ける」他に、選択肢はないんだろうな。


――受け入れて、もらえますか。


ああ、ただし条件がある。


――?


名前、教えてくれよ。


――私の、名前ですか。珍しい要求ですね。


俺も死にたくないし、お前のお願いを受けるしかないわけだが、せめて相手がどんな奴か、それくらいは知っておきたくてな。


――なるほど、そういうことですか。いいでしょう。・・・私は、メルシエス。古の女神、メルシエスです。あなたに受け継いでもらう力は、私が司る『蒐集の神性』。

全ての打ち捨てられし存在は、あなたの元へ集い、血肉となるでしょう。…さあ、手を出して。


気がつくと、俺の体は元の人型を成し、感覚も全て戻ってきた。言われるがままに真っ白な空間に右手を伸ばすと、何かあたたかい感触に包まれた。


そしてそのままゆっくりと、意識が沈んで行ったのだった。



―――


「おい、あんた。そんなとこで横になって一体どうしたんだい」


訝し気な声が頭上から聞こえたかと思うと、次に頬を優しい衝撃が襲う。

背中は少し湿った草の感触で覆われていた。

どうやら、メルシエスによるこの世界への繋ぎ止めというのは成功したらしい。

重い瞼をなんとかこじ開けると、目の前に褐色の肌をした長耳の少女が見えた。


気付けで頬を叩いたのはこいつのようだ。


「・・・この世界、日本語が通じるんだな」


「日本語?なんだいそれは。それよりここは”魔塵の森”の境界近くなんだ。

 いつまでもこんな所で寝ていたら何が起こるかわからないよ。ほら、手を貸すから起きなよ」


少女に言われて体を起こすと、確かに俺が寝ていた頭の方には真黒気な森が広がっていた。

瘴気のようなものが漂っているのか、かすかに吐き気を催す匂いがする。

逆に足の方は開けた平野と整備された小道に向いており、近くに人口が存在する事を仄めかしていた。


(日本語という概念は通じないが、自然に意思疎通が出来る。・・・多分、俺が神の眷属とやらになった影響だろうな)


おそらく、一度死ぬ前の状態の真琴では不可能であったはずだ。

メルシエスによる眷属化はすなわち、この世界に生きる生物として生まれ変わる事を含むとすれば、

共有言語のひとつを理解できるようになっていても不思議ではない。


全く常識も言語も通じない世界なら野垂れ死にの公算は高いが、少なくとも言葉が通じ、行き倒れを気に掛ける程度の道徳が存在する。


真琴はここにきて初めて安堵の息を吐いた。


「あんた、どこのもんだ?このあたりの集落じゃあ魔塵の森には入っちゃいけない、ってあたしみたいな子供でもきつーく言い聞かせられるぜ。

 それにその服、見たことない色使いだ。白糸虫(エヴァブ)と黒糸虫(エヴァノ)の服なんて都でもあんまり見ないけど・・・」


「・・・実は、記憶があやふやでな。自分の名前以外、覚えてないんだ」


真琴はしらりと嘘をつく。

騙そうという意図はないが、異なる世界から来た事や服装の謎、メルシエスのことなどを説明すると話がややこしくなりそうだった。

それなら、一旦は素性を隠したほうがこれからの方針が立ちやすい。


「・・・!。ふうん。まあ、森とは関係ないかもしれないけど、一応そのことは隠しておいたほうがいいかもね。

 森の瘴気に当てられた、悪い事が起こる、っておじじ様みたいな老人達は騒ぐかもしれないから」


「そうなのか、すまない。君も気になるか?」


「いいや。瘴気に当てられた人なんて見たことないし、森の近くで採れる実もいっぱいある。あたしも良く採ってるよ。

 あんなのはただの迷信さ。おじじ様たちが恐れすぎてるんだよ。」


村の少女と言えど案外現実的なところもあるようだ。

真琴が感心していると、少女から望外の提案があった。


「それより、あんた。記憶が無いってことは行くところも、戻るところもわからないんだろ?うちの村まではすぐだから、案内してやろうか?」


「良いのか?それは有りがたい。正直、ここがどこかも分かっていないんだ」


「へへ、”他人への恩は売れるときに売れ、後から大きな買戻しがやってくる”って言うからね。尊敬する都の大商人の言葉さ。

 それよりあんた、名前はなんて言うんだい?」


「俺は・・・マコト。呼びにくかったら行き倒れでも、記憶喪失の旅人でも、好きなように呼ぶと良い」


「いやいや、そっちのほうが呼びにくいよ・・・。あたしはパンプク。まあ、好きなように呼びなよ。さあ、行こうか―あたしの住む村、リディア村へ」


マコトはパンプクに手を引かれ、リディア村への旅路を歩き始めた。


(これから頑張ってくださいね、真琴さん、いや、マコト。私の存在はあなたに掛かっているのですから)


どこかで女がつぶやく声が聞こえた気がしたが、マコトは聞こえない振りをした。



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