第6話 私は蘆になりたい

それは三年前。エカテリーナが幼年学校に全力で取り組み、士官学校入学を目指すと宣言した前夜のこと。


あの時も、13歳の年齢らしからぬ哲学者のような表情で思索していた。そして辿り着いた結論に皇室中が巻き込まれることとなった。


そして今、エカテリーナはあの時と全く同じ顔をしていた。いや、それ以上に危険な顔付きをしているのは、三年で軍隊式の思考回路を習得したからだろうか。


ともあれユリアは、エカテリーナがあの時よりも大掛かりで危険なことを企んでいるのではと勘ぐらずにはいられない。それは最早確信に近いものですらある。


だからこそユリアは直接訊ねずにはいられなかった。


「企みって酷い言い草ね。さっきも言ったじゃない、ただの思考遊戯よ。物思いに耽るのは思春期の特権じゃなくて?」


「驚きです。エカテリーナ様は生まれた時から老齢期を迎えられているものとばかり」


「それこそ酷い話。自分で言うのは恥ずかしいけれど、私だって年頃の娘なのよ? それにね、私の浅知恵なんて妹のソーニャに比べたらまさに子供のそれよ」


エカテリーナが自嘲気味に言う通り、エカテリーナの実妹、帝国第二皇女ソフィア・バラシオンもまた齢12歳にしてとても頭がよく切れる少女だ。


ユリアにしてみれば、エカテリーナもソフィアも共に聡明だ。確かに二人の思考ロジックはまるで違う。エカテリーナはその思考を内に問いかけ探求する哲学者のようであるが、ソフィアは常に視点を外へと向けている。


やや内向的と評価されがちなエカテリーナだが……いや、だからこそエカテリーナはいつでも妹のソフィアを評価する傾向にある。広い視野を持ち、活発で外向的な一面が自分にはないものだと憧れ妬んでいるのかどうかは定かではないが、妹と比べて自分は劣っていると語ることが多い。


だがユリアが思うに、それは自らを客観視しているように見えてただ自己評価が低いだけだ。自分を卑下してみれば、自分を客観的に見ていると思い込める。


実際のところ、この姉妹の知能に優劣はつけることは難しいだろう。エカテリーナにしろソフィアにしろ、基準にしている思考のパラダイムがまるで違うのだから比べようがない。パラダイムが違えば互いを理解することが到底不可能なのは過去の歴史が証明している。


だけどそれはあくまで聡明なる者同士のこと。凡庸たる一般人のロジックでみれば、二人とも同じ天才だ。あくまで自分は賢くないと卑下するつもりなら、その賢くない者に及ばない自分は一体何なのかと、ユリアは一つ恨み言を溢したくなる。


時間を掛ければエカテリーナの考えていることを推測することは出来るだろう。その程度にユリアは、エカテリーナとの付き合いが長くなった。


だがユリアは急いで企みを聞かねばならないと焦りを抱く。その理由は不明だ。しかし、時間を掛ければ手遅れになってしまいそうな、そんな危機感。それはエカテリーナの幼年学校卒業試験が間近に迫っているからだろうか。


そんなユリアの出所不明の焦燥感には気づきもせず、エカテリーナはただ朝の軽い雑談程度にしか思っていない。それ故にユリアもそれ以上聞き出せず、軽口のように言葉の応酬に徹せざるを得なかった。


「エカテリーナ様が年頃の女性であることは重々承知しておりますが、子供のそれと仰るには些か不穏過ぎます。帝国中の子供達が皆、貴女のように賢いともなれば、人々はこの国の安泰を喜ぶのでしょうが、私はこの国の未来を危ぶみます」


「従える民衆は愚かな方が良いというのは為政者の立場から見れば確かにそうね。でも愚かなのが民衆だけとも限らないもの」


エカテリーナの何気ない言葉にユリアは驚く。何故ならブラシで髪を解かれ、気持ちよさそうに目を細めながら口にした発言にしては、第二皇女の言葉はその立場であっても、とても危険なものだったからだ。


「聞きようによっては皇室批判のようにも聞こえますが……よろしいので?」


「よろしいも何も、貴女しか聞いていないじゃない。それにユーリャだって随分と踏み越えた発言をしていたでしょ? お互い様よ」


別に何も問題はないと言わんばかりに、エカテリーナは自分の発言を意にも介していない。


確かにユリアも一介の軍人としては失言に近い発言をした。国家に奉仕し、国民を守ることを全てとする軍人が民を愚かな方が良いと言うのはかなり問題だ。だが本心として、エカテリーナ並みの思想家達が万単位で国家にゴロゴロ存在していたら、やはりそれは薄気味悪いものがある。


けれどユリアが自分の意思本音から生まれた失言よりも気にかかるのは、エカテリーナの皇室批判という爆弾発言。朝の軽口と形容するには不穏の一言に尽きる。そして、そんな不穏な言葉は朝から感じているエカテリーナに対する違和感をより一層強くした。


「私も奉職を辞して田舎へ蟄居しなければならなくなるような、そんな失言でした。しかしエカテリーナ様がそのような言葉を仰るとは想像しておりませんでした」


ユリアの記憶では、過去にエカテリーナが皇室を批判したことはなかった。多少の愚痴は聞いたことがあるが、それすら皇室と帝国を憂いてのものであった。


エカテリーナ・バラシオンは皇族として生まれ育ち、常に帝国を第一に考える愛国者というのがユリアの認識。政略結婚という自分の嫌なことを全力で回避しようとしつつも、別の形で帝国に貢献しようと一つの答えを導き出した国家理性の申し子だ。


そんな人物が含みもなく、ただ会話の流れでさらりと皇室批判を言ってのけるなど、昨日までのエカテリーナでは有り得ないことだった。


やはり今日は何かが違うと思わずにはいられないユリア。仕える主人に何があったのかを探ろうと、エカテリーナの背後に立つユリアは無意識に鏡越しのエカテリーナを凝視してしまう。その視線に気がついたエカテリーナは、目を合わせるとニコリと優雅に微笑んだ。


「別に皇室批判って訳ではないの。ただの一般論として、『健全な国家に必要なものは、政治家にとって都合の良い愚かな民衆ではなく、都合の悪い賢い民衆である』って言葉を思い出しただけ」


そうしてエカテリーナは、一世紀前の哲学者の言葉の一説を誦じてみせる。


「レオーネ・コンタリーニですね。私も以前拝読しました。しかし、エカテリーナ様が国家論についてお考えになっておいでとは。エカテリーナ様はいずれはこの国の指導者になられるおつもりで?」


ドルネシア帝国は女性皇族を皇位継承順位に組み込みつつも、その順位の低さから過去に女帝が誕生したことはない。女性皇族はあくまで緊急時の保険。緊急時というのは男性皇族が何らかの事情で全滅した場合、国家元首の空白期間を作り出さないための政治的な仕組みである。


実際の女性皇族の皇位継承権などというものは有名無実のお飾りだ。どれほど有能で皇位を望んだとしても、それが継承されることはない。帝国において女性皇族が皇位を望むということ、それは即ち政変を引き起こすことと同義ですらある。


だがユリアは、真に有能なる人物であれば性別を問わず指導者として国を導くべきだと信じている。そして、何より諸所の問題を抱える帝国を導けるのはエカテリーナをおいて他にはいないと信仰していた。


それは侍女として間近で仕え、贔屓とも言える感情が芽生えた故のものであることをユリアは自認しているが、それでもなおエカテリーナの能力を知っているからこそ、ユリアは願わずにいられない。


もちろん現皇帝や、皇位継承順位第一位である第一皇子ミハイル・バラシオンや、他皇族を差し置いてエカテリーナが適任だと間違っても口にしたら、即座に憲兵隊が押し寄せて身柄を拘束されてしまうだろう。


だから決して口には出せない秘めたる歪んだ願望として、それでも主たるエカテリーナに期待を抱いてしまうユリアであるが、その当の本人から返ってくるのは「そんな面倒なこと、ご免よ」というあまりにも冷めた言葉だけだった。


今日の、普段とは違う特別な雰囲気を纏うエカテリーナだったからこそ、もしやと思い聞いたユリアは表情にこそ出さないものの、内心ではとても落胆する。


「言ったでしょ? 私はただ朝の思考体操をしているだけで、何かしようという訳ではないの。ほら、『人は考える葦である』ってよく言うじゃない。私も思考の偉大さを噛み締めていたの」


「いえ……私は聞いたことありませんが」


ユリアはエカテリーナから飛び出た初めて聞く格言に対して思考を走らせる。が、それを口にした本人は慌てふためき「忘れて」と紡いだ。


「確かに初めて聞く言葉ですが、意味は何となく分かります。人は葦のように沢山生えている雑草のようですが、雑草と違い考える力があるということでしょうか」


「まぁ大体そんな感じよ。……別に掘り下げる必要はなかったけれど。つまりね、一人の人間なんて取るに足らない存在で、それこそ葦のようにちっぽけな存在だけれど、思考する能力が備わっているからこそ、人は雑草ではなく人なんだと、そう思うの」


自嘲気味にそう語るエカテリーナは鏡越しの自分を見つめながら、それでも何処か遠くの虚空を眺めているような視線だった。


そんなエカテリーナを見て、そのように思想するこの人はやはり何処か哲学的な感性をお持ちなのだと、ユリアは思う。


「エカテリーナ様が葦のような存在ですか? それは悪い冗談です」


平民でもなく、貴族よりも上位の皇族という立場でありながら、自分が小さな存在だと語るエカテリーナがユリアには面白く、微笑混じりで口にした軽口にエカテリーナも微笑で応える。


「本当にね、悪い冗談だわ。この世界の何もかも」


言葉の真意をユリアが探るその前にカーチャは続け様に言う。


「私はね、葦になりたいの」

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