第5話 エカテリーナという少女

「本日のエカテリーナ様は随分と哲学者然とした難しいお顔をされるのですね。また何か良からぬことをお企みに?」


エカテリーナをドレッサーの前へと座らせて、彼女のその長い髪をブラシで丁寧に梳く侍女のユリア・ニコリスカヤは、エカテリーナ・バラシオン第二皇女付の侍女として近衛第一師団から皇室庁へ出向してきて早6年。


10歳のうぶで幼気いたいけな愛らしい頃から、男に混じり小銃を担ぎながら泥に塗れて塹壕を掘るようになった逞しい16歳の今に至るまで、少女の成長を側で見守ってきた。


大人の人生における6年はただの6年でしかないが、成長著しい子供の6年はその比ではない。子供が一人の人間として成熟していく一番の過程を肉親よりも見続けたユリアだからこそ分かるものがある。


このエカテリーナという少女は頭の回転が異様に速く、時に凡夫には及ばぬ発想に達しては周囲を驚かす。その最たる例こそは幼年学校を全力で挑み、帝国女性皇族初の士官を目指すというものだ。


エカテリーナが初めてその意思を公言した時、当初は誰も相手にしなかった。最側近にして侍女たるユリアですら、つまらない冗談だと鼻で笑ったほどだ。


数少ない帝国軍女性士官としてのユリア・ニコリスカヤは、男社会の軍隊という組織で男に混じって訓練を受けることの辛さ、大変さをよく知っている。


それだけならまだしも、幼年学校の訓練の過酷さも仄聞していたユリアにとって、幼年学校側の温情溢れる特別待遇ですら根を上げるお嬢さん達が数多くいる中、その特別待遇を拒否して通常通りの訓練を望むだなんて、真面目を通り越してやや変態的ですらある。


幼年学校において基本的に女性の入学は許されない。その中で例外的に認められる女性皇族は、国中から選抜された百数十名の中で混じって3年間を過ごす。


しかし、いかに義務であろうと皇族ともなれば、軍の養成機関である幼年学校において、他の学生と同じ様に扱う訳にはいかない。


基本的に学生には許されない個室を用意し、皇族故に身の回りの世話をする大勢の使用人を受け入れ、快適な生活が送れるようにと最大限配慮される。


また幼年学校が軍の教育機関であることを踏まえれば時に過酷な訓練も必要となるが、大事があれば責任者の首が飛びかねない大変重要な身であるが故に、まともに訓練へ参加させる訳にもいかない。


では一体何のために入学してくるのやらと担当官がため息まじりに疑問を呈せざるを得ないのも無理はなく、女性皇族が入学した年の指導教官の日報を開けばそこに書かれているのは不敬罪スレスレの不満のオンパレードだ。


教官達が揃って頭を悩ます忌々しい、そして形骸化して久しい慣習と制度であったが、時折慣習から外れた例外的な事象も発生する。


そのほとんどはとても深刻な問題を引き起こし、指導教官達の間では「大厄災」と呼ばれ語り継がれていくものばかりの悲惨なものであるが、ことエカテリーナ・バラシオン第二皇女の入学においては、ある意味大厄災に匹敵する異常事態を誘引し、教官達に大いなる混乱をもたらした。


なにせエカテリーナは他の皇族と一線を画していた。


皇帝陛下の実子だからという訳ではない。他の女性皇族と違って幼年学校への参加にとても積極的だったからだ。


今年から新たに皇族が入学なさると聞かされた指導教官を務める軍人達は、これから訪れるであろう忙しく神経をすり減らす3年間の皇族へのに戦々恐々としながら、それでもこれまで培った対皇族戦での教訓を武器に、第二皇女受け入れ準備を進めていた。


皇女殿下に快適な軍生活を送って頂くべく、施設の中で一等豪華な応接室を改装した皇族専用個室に、引き連れてくるであろう数十名の使用人の宿舎や待機室の準備。それから皇族専用の訓練カリキュラム策定等々。


受け入れ前から凄まじい量の事務仕事に、軍隊も本質はお役所なんだなと指導教官達が改めて実感させられていた頃、そこにようやく幼年学校のある駐屯地に訪れた一台の車両。それは見間違えようがなく皇室庁が管理運用する皇族専用の帝国製高級車。


過去の例でみれば、皇族が幼年学校にやってくる時、それは小規模の軍事パレードに匹敵する車列を形成していた。


近衛師団の護衛車両複数を先頭に、皇族が乗られる高級車、そして身の回りを世話するお付きの者達を乗せたトラックが最低ダース以上。


それらが基地のゲートをぞろぞろと行列を成してご入場なさるのがお約束であったはずだが、この年やってきた車両は高級車ただ一台。


はじめに助手席から降りたのは軍装の麗人。帝国陸軍大尉の階級章を襟元から覗かせる長身の女性は速やかに後部座席のドアを開き、中にいる女性の降車を補助。


女性大尉のエスコートによって車から降りたその人は、ニュース映画や新聞で何度も拝見した御尊顔。紛うことなき帝国第一皇女。


数十名の使用人どころか護衛兼任の侍女を1人だけ引き連れて、その手の中に荷物はただ一つ、皇族の手荷物としてはあまりに小さ過ぎる革のトランクケースを侍女に持たせることなく自分で持ち、出迎えの教官達に手本のような敬礼をしてみせた。


格闘技の試合で先制パンチを顔面に受けたにも等しい教官達。自分達の知る皇族とはあまりにも違い過ぎる登場に出鼻を挫かれ困惑するが、エカテリーナが二の手に繰り出したパンチはまたもや教官達に直撃する。


曰く「手加減ご容赦一切ご無用に願います」と口にして、特別待遇の拒否を宣言。他の同期と同様の訓練を望み、あまつさえ個室を拒否し同期学生との相部屋までもを主張してきたのだ。


これには度肝を抜かれた教官達だが、皇族関係なく年頃の女性を男性と相部屋にするというのは倫理的に問題があるため、唯一許容できる同じ訓練を受けさせるという条件を落とし所に、個室を固辞するエカテリーナを納得させた。


しかしそれとて問題がある。厳しい選抜試験や身体検査を潜り抜け、毎年数千人の志願者の中から選び抜かれた百数十名の精鋭が集まる幼年学校。用意されている学業は他の同年代が通う中等学校と比較して遥かに水準が高く、また軍事教練も容易ではない。


皇族という教育が徹底される身分上、学力に関しては過去も然程の問題になったことがない。だが訓練、それも身体的に優れた男子を基準に策定された軍事教練についていける女性皇族は過去に殆どいなかった。


それ故に制度設立初期には女性皇族の怪我が相次ぎ、中には死亡事故まで発生したほどだ。その際には担当者が文字通り首を刎ねられた。そんな過去の経験を礎として誕生したのが、己の保身と皇族の安全を担保した皇族専用カリキュラムだ。


だがそれも、エカテリーナ自身の怪我をした際の責任の所在は軍にはないとの言質や、どうやって同意を得たか不明だが、しかし正式な皇室庁による通知書を受け取って、皇族稀に見る異様な熱意に満ちたエカテリーナ・バラシオン第二皇女の奇妙な入学条件は同意に達した。


世界に軍事大国としての名を轟かすドルネシア帝国。その第一皇女は被虐趣味であると別の意味で名を轟かせそうな異常事態であるが、実際のところは恐るべき愛国心によって奮い立った一人の愛国者が、自分の能力を最大限生かして結果を残さんと奮闘しているのだ。


皇族という封建制の象徴のような立場でありながら、自らが変革の旗印のように振る舞い、身捨つるほどの祖国ありと言った覚悟の下で、誰もが期待していなかった幼年学校で好成績を収めているという事実は、驚きを以て皇室関係者を震わせた。


エカテリーナの卒業が間近の今、皇帝を中心に皇室庁の幹部が日夜、第一皇女の今後を巡って壮絶な議論を交わしている。本人の希望通りに軍への任官を認めるか、それともに従い皇室へ戻すのかを。


エカテリーナの前例のない行動は、カビの生えた帝国皇室という古い機構の変革の機会となった。この変革が成せば、新しい時代の幕開けとして、帝国とその基幹たる帝国皇室の在り方を一変させるだろう。


皇室の改革を望む者たちにとって、エカテリーナの行動はまさに、旧態依然の帝国を変革させる希望の光に見えただろう。


だがエカテリーナ・バラシオンに仕えるユリア・ニコリスカヤは主人の本当の狙いはそこではないことを理解している。


侍女という仕事は、常に主人の考えや感情の機微を言葉無くとも把握していなければ務まらない。エカテリーナの日々の何気ない言動や、些細な行動、思考回路の一つ一つを分析したユリアは結論に至る。「ああ、この方は政略結婚したくないだけか」と。


自由を求める年頃のおてんば娘にしてみれば、国の為に結婚だなんて売りに出されるも同然なのだろう。


結婚したくないがために、より過酷な道を選ぶだなんて、やはりエカテリーナ様は少しおかしいのではとユリアは心中思わなくもないが、目的達成のために表向きの名目で周囲の視線を逸らし、胸中をほぼ完璧に隠匿しながら本懐を達成せんとする手腕は見事だ。


事実、第一皇女の軍への任官の是非を問う会議の参加者のおよそ半数は任官に肯定的だ。頑なに伝統を保持せよと主張する保守派はともかくとして、中道そして左派の官僚や有識者を納得させるに十分な実績をエカテリーナは残している。


侍女兼皇族護衛官として幼年学校に同道するユリアは、エカテリーナの生活の様子を報告する為に度々皇室庁の会議に出頭を命ぜられるが、そこから垣間見る議論の様子は大方エカテリーナの思惑通りになっている。


エカテリーナ本人がそれを知る由はない。だが確実に、数日後の卒業試験の結果次第でエカテリーナの軍への任官は確定するだろう。


つまり少なくとも直近でエカテリーナが政略結婚で何処かの家に嫁がされる可能性はなくなるということだ。でなければ、わざわざ大勢が集まって軍隊に入営させるかを話し合う必要など無かったのだから。


ユリアから見たエカテリーナ自身も、恐らくは自分の任官が確定しつつあることを悟っているのではないだろうか。


幼年学校最後の休暇で宮中に戻ってきたエカテリーナは、軍に入れるかどうかの心配は一切せず、任官後のあれこれ必要な事項を、現役退役問わず軍人から聞いて回っては自分なりの準備をしておられるようであったから。


まずは目下の卒業試験の対策が先ではないのかと逸るエカテリーナを微笑ましく見守っていたユリアであったが、どうしてだろうか。今日のエカテリーナ様は何かがおかしいとユリアは警戒せずにはいられない。


生活のお世話をする侍女として、宮中守護を司る近衛師団の警護軍人として、また時に少女の悩みを聞く姉として、常に側に仕えてきたユリアから見える今日のエカテリーナの思案に耽るその表情は、とても危険なものに思えた。


決して朝の優雅な微睡みの中で甘い妄想に浸る年頃の少女のものではない。ユリアは過去にエカテリーナが同じように思案に耽り、結果今に繋がる大騒ぎを引き起こしたことがあることを思い出した。

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