第4話 旧態依然の価値観

そうして現状の確認とこれからのざっくりとした未来予想図をベッドでゴロ寝しながら頭の中で描いていると、寝室の扉からノックの音。


離脱希望とはいえ皇族の身分である私が、人にベッドでゴロゴロしている姿を見せる訳にもいかず、身を起こしてパジャマの乱れを多少整えてから許しを出す。


「失礼します」と一言発して入室してきたのはお仕着せのエプロンドレスを身に纏った長身の女性、ユリア・ニコリスカヤ。


「……驚きました。もう起きていらっしゃるとは」


寝室に入るなり朝の挨拶もそっちのけで率直な私見を遠慮なく述べるユリアはエカテリーナ付きの侍女であり、私の身の回りの世話が専らの仕事である。


皇族のカーチャの生活は、目覚めと共に部屋に設置されたベルを鳴らすことから始まる。ベルは機械仕掛けで使用人が待機する部屋に通じていて、それが仕える主人が目覚めたことを告げる合図。


使用人はベルが鳴らされたならばすぐに飛び出して、なるべく待たせることなく主人の下へ。主人の待つ寝室にたどり着いたら、恭しくご機嫌を伺い、それから着替えを手伝う。


仕える主人の朝の目覚めから寝るまで付き従い世話をするのが侍女の役目であるが、逆に主人に用事がなく呼ばれてもいないのに、勝手に寝室を尋ねることは失礼にあたる。ましてや朝の挨拶も省略して、「なんだよ起きてたのか」のようなニュアンスで一言溢そうものなら、間違いなく主人の不興を買い即刻解雇されてもおかしくはない。


そんな侍女としてはやや不遜な態度をとるユリアだけれど、正直いつものこと過ぎて私は気にも留めない。


壁側に置かれた時計の針を確認し、いつもならとっくに起きて朝の支度を始めているはずの時刻になっていたことを鑑みれば、ユリアは呼び出されるはずの時間に呼び出されないことを不審に思い、私がまだ寝ていると推測したうえで起こしに来てくれたのだろう。


「起きてはいたのだけれど、少し考えごとをしていたら時間が過ぎてしまったみたい。……だめね。学校で時間は有限であり厳守するものだと教わっているのに、休暇で数日家に居るだけで朝の優雅な微睡みの中、ぼやけた頭で夢想に耽る喜びを思い出してしまったもの」


実際には優雅な夢想とは程遠い、額を拳銃で撃ち抜かれるような衝撃を伴った激しい記憶の回帰。そして今後の生活への薄暗い展望を企んでいた訳だが、まさか側近に「私ね、前世の記憶が蘇ったんだよー! すごいでしょー?」などと言えるはずもなく、曖昧に言葉を濁す。


「それはそれは。是非、幼年学校の教官殿にもお聞かせしたい話ですね。きっと涙を流してエカテリーナ様に再教育を施してくださるでしょう。具体的には起床ラッパ直後のグラウンド走でしょうか」


ユリアの軽口に「ぞっとしない話ね」と一言答えて流しつつ、前世の記憶を取り戻し、未来のお洒落なパンケーキ屋さんを夢見ていたことで自分がある種の現実逃避をしていたことに気がつく。


エカテリーナ・バラシオン第一皇女の現在の身分は皇族であり、そして帝国陸軍幼年中央学校に属する幼年学生でもある。


ドルネシア帝国皇族には必ず3年間の兵役の義務が課される。これはいずれ国家指導に携わる者として、軍事の知識や経験は必要不可欠なものであるという、ドルネシア帝国建国以来の慣習だ。しかし慣習と言えども皇室法典にはしっかりと明記されており、避けては通れない道。


本当の意味での慣習は、男性皇族は18歳から士官学校2年と実務が1年。女性皇族は13歳から士官学校予科である幼年学校を3年間。


男性に比べて女性皇族の方が早く兵役に入る理由、それは当然女を若いうちに結婚させるためなのは言わずもがな。


結婚を意識するならば、どうせ皇位継承順位も低いのだから兵役義務を免除してくれてもいいだろうにと思うのは千早の視点。


軍属はともかく、女性軍人が一般的でない帝国軍であっても女性皇族たる私は義務を要請される。


前世千早のようにやる気なく出世を忌み嫌っていた者は幼年学校にはいない。


子供の時分でありながら厳しい選抜試験を突破し、将来は軍の大将を志すという恐るべき将来設計を抱く者達の集団こそが幼年学校。


近代軍隊の基幹たる優秀な将校を早いうちから確保育成することを目的とした陸軍幼年学校という機関は、入学した殆どの者が卒業後には士官学校、そしていずれは軍大学へと進み参謀将校育成課程を経る。


それは言わば軍内部の出世コースだ。最終的な行き先は陸海軍統合参謀本部かそれとも各方面軍司令部かは本人の適性や資質によるだろうが、いずれも高級将校への道だ。


有事の際は将となり指先一つで鉄血を動かす立場となる。兵が上の命令で戦う生き物なら、将は下に命令し戦わせる生き物なのだ。


仕事が乏しく人脈もさほど広くない地方出身の若者が高い俸給を望んで軍に入隊することは珍しくなく、また軍もそういった地方の財政状況を利用している点もあるにしろ、わざわざ通常18歳以上が対象である志願入隊ではなく、若い時から青春を代償として支払った対価に出世を得ようとする意識の高さは、そのまま幼年学校での成績や後のキャリアに繋がっている。


まさに幼年学校とは軍内エリートコースの第一歩であり、そこに属する学生も優秀揃い。


そんな中に、ただ義務に従い厳しい入学試験も免除されての形だけ入学を果たしたエカテリーナ・バラシオン。


過去の歴史を見れば、エリート集団幼年学校に入学した女性皇族という存在ははっきり言ってお荷物だ。だけれど私……と言ってもエカテリーナ・バラシオンには野望があった。


私の幼年学校への入学は、制度と慣例に基づいた形だけの入学であるが、まかり間違っても幼年学校は軍隊のエリート養成機関。ここで結果を残せば、自分には政略結婚以外にも帝国の役に立つ使い道があることを皇帝陛下に示すことが出来るかもしれない。


それはつまり、私自身の価値に、政治の為の子供を産む道具以上の、国家を守る忠実な軍人としての価値をつけることができるということだ。


だから私はは文字通り血反吐を吐きながら過酷な訓練に食らいつき、同期男子学生に負けず劣らずの成績を残してきた。


自慢じゃないけれど、愛国的動機とやる気に満ち溢れていた私は、正直他の同期学生にも負けじ劣らずの優秀な方だったと思う。


入学当初は女には無理と鼻で笑っていた指導教官達も、半年も経たないうちにエカテリーナ・バラシオン第一皇女への評価を改め、やがては本気で軍人としての私を欲するようになった。


入学から3年の時が流れ、幼年学校の軍事教練も残すは卒業試験を兼ねた山岳行軍訓練のみ。この訓練は完全武装の状態で山岳地帯を五日間かけて踏破を目指しつつ、道中では実戦を想定した戦闘訓練を行うという幼年学校随一の過酷さを誇るものだが、この訓練さえ修了してしまえば晴れて卒業資格を付与され、軍でのキャリアコースへの道が開かれる。


もちろん私の目標は、この訓練を突破し次のキャリアである陸軍士官学校へ進学すること。


だがそれはもう過去形の話。


いや、言うなればその目標はたった今修正された。


訓練前の幼年学校最後の休暇で宮殿に帰っていた私は、二日後には幼年学校宿舎に戻って卒業試験に挑まなければならないそのタイミングで前世の記憶を取り戻してしまった。


それは最悪のタイミングだったとも言えるし、絶妙なタイミングであったとも言える。


草壁千早という一人の高度に文明が発達した世界で生きた人間の価値観と、今歩もうとしているエカテリーナ・バラシオンとしての人生をすり合わせた結果は、記憶の回帰と共に至った結論と同じ。


即ち帝国に自分の人生を捧げるのは馬鹿馬鹿しい。自分の人生は自分の為に捧げよう。である。政略結婚も軍人もなしだ。


それまでは帝国中心に物事を考えてきた。しかしそれは他の人生を知らなかったからに過ぎない。


だからこそ、私はどうしたものかと考えあぐねる。


幼年学校に戻りたくないと。

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