第13話 皇宮騎士団

「それでサーリャ。のんびりお話しているのもいいけれど、確かお客様が来ているのよね。その方は今どちらに?」


自身の心の中での葛藤により落ち込んだ気持ちを紛らわせる一番の方法は、何より違うことを考えることだろう。


ちょうど都合良く、珍しく自分には客人が来ているのだから利用させて貰おう。何処のどなたかは存じ上げないが、是非とも私にエカテリーナ様以外の愉快な話題を提供して頂きたいものだ。


と半ば現実逃避の手段として自分を訪ねてきた客人に大いに期待するユリアであったが、予定の無い客人というものは総じて碌でもない用を持って来るものだと、経験則から思い出す。


今の自分には突然ふらりと現れて旧交を温めようと試みる知己などはなく、であるならば訪ねて来ている客人とやらは恐らく仕事の関係なのだろう。


自分の今の仕事と言えば、それはエカテリーナ様の護衛であり、これで少しはエカテリーナ様が自分をもっと頼りにしてくれていれば、これから始まるであろう仕事の打ち合わせにも身が入るというものというのに。


結局、段々と期待値が下がる一方のまだ見ぬ客人に対する八つ当たりの如きユリアの推測は、その客人本人が開かれた執務室の扉の影からひょっこりと顔を出した瞬間に終了した。


「失礼。入ってもよろしいかな?」


廊下から顔を出して中を伺う様子だけを見れば、その姿はまるで興味本位で空き家に忍び込もうと企む悪戯小僧のようにも見える仕草であるが、歳の頃が50を回った厳しい顔付きの顎髭をたっぷりと蓄えた男性ともなれば、悪戯小僧というよりかは真面目なお顔で覗きを働こうとする破廉痴漢と見えなくもない。


だが彼を覗きであると言うにはその出立ちがあまりにも軍人然としており、顔からやがて見せる全身に纏う軍服に縫い付けられた階級章や胸に付けたる略綬の数が、その男の立場を示す。


「コーネフ大佐!」


同僚の言う客人が一体何者であるかを識別したユリアは、最早脊髄反射とも言うべき速度で敬礼をし敬意を示す。


侍女としてのユリアしか知らない同僚のメイドが、初めて見るその反応の早さと、姿勢正しく手本のように敬礼する姿に呆気に取られポカンとしたまま突っ立って呆けていると、大佐と呼ばれた男性はユリアに答礼した後に彼女の方を向く。


「ここまで案内に感謝するよお嬢さん。何せ宮城は久しぶりでね、危うく迷子になるところだったよ」


「こ、光栄です大佐殿! わ、私めにそのようなお優しい言葉を……」


「おや、先程までとはまるで別人じゃないか。さっきまで楽しそうに帝都の美味しい菓子屋の話をしてくれていたというのに」


突然緊張したかのように堅苦しい話し方を始めるメイドに対し、コーネフ大佐は面白いものを見たとばかりに揶揄う。


「大佐、あまり同僚を虐めないで頂きたく存じます」


「すまないねニコリスカヤ大尉。若いのを虐めるのは軍隊の風習なものでね。大尉も若い頃はさぞ苦労したことだろう」


「小官はまだ若いつもりです。大佐の嗜好からすれば……まぁ年増と言える年頃であることは否定しませんが」


「そこまでにしてくれ大尉。息子が成人するまでは妻に出て行かれては困る。それに、殿下にお会い出来なくなるのも悲しいからな」


「エカテリーナ様は大佐のことがお嫌いのようですが、立ち話はこれくらいにしましょう。どうかお掛けください」


階級上位者に対する会話の前置きとしてはやや不遜な軽口の応酬であるが、互いの立場をよく知る間柄の人物であるからこそ、これから訪れるであろう本題の前の前哨戦として、軽い息抜きのような話題が必要であった。


同僚が退出し、応接用のソファにどっしりと腰を掛ける50代の大佐は、年齢に見合わぬ筋骨隆々のしっかりとした体躯の持ち主であり、体格といい風格といい、まさに軍人という存在を象徴するかのような人物だ。


主に使用人が待機し生活する階下で、これほどまでにがっしりとした体格の男性はいない。使用人の多くが女性だということもあるが、風格こそあれど年季を食ってほとんど枯れ木のような年寄りの執事や、見目は麗しく調度品のような端麗さを持ち合わせてはいるものの、よく見れば痩せ過ぎてコート掛けのポールのような従僕しかいない世界で、まさに戦うことを前提に体を鍛えている男が来ることなど稀であり、恐ろしく目立ち、何より違和感を生じさせる。


皇族が住う宮殿に軍人がいることは珍しくないが、わざわざ使用人の控える場所に来ることなど滅多にない。ましてや佐官級の軍人が、身分を偽らず堂々と第二皇女の首席警護官を訪ねたという事実は、即座に方々関係者に知れ渡ることだろう。


それが意味することは、内密の話をするつもりはないが、極めて重要な案件を正式な立場で話し合う必要があるということだろう。


いや、極めて重要な案件かどうかはこの段階では判断出来ないが、少なくとも首席警護官とコーネフ大佐が何かしらの協議をしたという事実だけで、色々と厄介事を呼び寄せる。


イワン・イオアキモヴィチ・コーネフ大佐はユリアと同じく近衛第一師団に属している。


近衛師団の人間が宮殿で同じ近衛師団の人間と会う。字面だけを見ればなんら問題は無さそうなものだが、問題は大佐が近衛師団でありながら、皇帝と皇室に忠誠を誓う皇族主体派が主流の部隊に属しており、彼自身が主体派の重要人物でもあったからだ。


「しかし大佐が宮中にいらっしゃるとは珍しいですね」


ソファに腰掛ける大佐を持て成そうと、とっておきのコーヒーを淹れて目の前に置いた時に、何気なく尋ねた一言は大佐の機嫌を酷く悪くさせた。


皇宮おうきゅう騎士団が宮城にいるのはそこまでおかしなことかな大尉」


先ほどまでの軽口を交わしていた人の良さそうな面影はなく、ギラリとユリアを睨みつける眼光はとても鋭い。


「ご気分を害してしまったなら謝罪しますが、小官の発言の意図が分からない大佐でもないでしょうに」


「直属ではないにしろ、上官に面と向かって頭を使えとは。まったく貴官は相変わらず野放図というか……」


コーネフ大佐はユリアを見つめる動作はそのまま、しかし怒りから呆れへと感情を移行させ、大きくため息を吐いてからコーヒーを啜った。


「まあだが、大尉の言う通りだ。確かに私がここにいるのは珍しい。何も指摘されるまでもなく、この私自身がそう思っているのだから違いない。もうかつてのような名誉はどこにもないのだ」

 

突然怒り出したと思えば今度は肩を落として落ち込んでいる大佐を見たユリアは、相変わらず感情豊かなお方だなと感心し、同情する。


現在コーネフ大佐の役職は近衛第一師団隷下、第505連隊戦闘団連隊長。第505連隊戦闘団の別名は皇宮騎士団と呼ばれ、ドルネシア建国以来歴代皇帝の懐刀として、皇帝の身辺警護や対外戦争で活躍してきた。


ドルネシアに騎士団ありとまで言わしめた、まさに歴戦の精鋭部隊であったが、時代の移り変わりと共に帝国に大規模な常備軍が設置されると対外戦争における騎士団の位置付けは低くなり、主に皇帝や皇族の警護、帝都の警備、式典における儀仗兵などの儀礼的な役割が多くなる。


やがて軍隊の近代化により、数多くの兵科や職種に部隊が細分化され徹底的な効率化がなされると、それまで皇宮騎士団が担っていた役割は新設された近衛師団に引き継がれ、騎士団は近衛師団の一部門として存続することとなった。


それでもなお皇宮騎士団は近衛師団の中で中心的な役割を果たしていたが、やがて軍内部で併合派が力を持ち始めると、伝統的に皇室寄りの騎士団は冷遇されるようになる。


ついに騎士団は直接の皇室警護から外され帝都郊外の駐屯地へ異動となり、部隊の名称も第505連隊とされ、長きに渡る栄光の皇宮騎士団の歴史に終止符が打たれた。


その505連隊の連隊長であるコーネフ大佐こそ、ドルネシア帝国皇宮騎士団最後の騎士団長であり、騎士団の最後を見届けた一人だ。


無論任務が変わり名前が変わったものの、それまで騎士団に所属していた人員や伝統、そして戦闘力そのものが失われた訳ではない。


元々騎士団は騎兵と随伴歩兵を中心とした諸兵科連合であり、連隊として再編成された際も砲兵や工兵を含む帝国唯一の連隊戦闘団として強力な戦闘能力を有している。


そのために冷遇されているとはいえ505連隊は近衛師団の重要な戦力であり、故に併合派の巣窟である近衛師団の中においても排除されることなく一定の影響力を持ち続けている。


それもコーネフ大佐や他の大物主体派による政治的な駆け引きにより勝ち得た結果であるが、当のコーネフ大佐本人はそもそも騎士団の名前が変わり宮中から引き離されたことを根に持っており、先ほどのユリアのように少しでもそのことを想起させるような話題となれば、即座に反応して怒りを見せる。


長年近衛師団にいたコーネフ大佐と、参謀本部から引き抜かれる形で近衛師団に配属となったユリアは元々接点が無かったが、ユリアが併合派との関係を悪くして、エカテリーナの侍女として左遷されたことをきっかけに、伯爵の爵位を持ち皇帝や皇族との付き合いがあったコーネフ大佐と知り合うこととなった。


主体派に合流こそしなかったももの、実の娘のようにエカテリーナを可愛がるコーネフ大佐の信任を得たユリアは、以後はコーネフ大佐の人脈を活用し、エカテリーナに降りかかる政治的な圧力を跳ね除けることに成功している。


共にエカテリーナを守るという点で利害が一致し共闘関係にあるユリアであるが、だからこそこのコーネフという軍人が用もなく訪ねに来る人間でないことを知っている。


互いに併合派から強く睨まれている同士の接触なら尚のこと。


騎士団長が宮中にいるのが珍しいだなんだと、軽い会話——コーネフ大佐には重要なことのようだが——を枕にして、ユリアは本題を切り出す。


「それで大佐。今日はどのような御用件で?」


「何、大した用じゃない。少し貴官に挨拶しようと立ち寄っただけだ」


「お戯れを。どうせ小官をダシにしてエカテリーナ様にお会いになろうという魂胆でしょう」


主体派の重鎮にして、元騎士団長殿は確かに用もなく現れる人ではない。だがそれがエカテリーナ様であれば話は別だ。


長年使用人として宮殿で働くメイド長に話を聞けば、皇室と繋がりのある家系のコーネフ大佐は、エカテリーナ様がお生まれになった折にはとても喜び溺愛し、機を見てはエカテリーナ様に贈り物を渡しているようだった。


あまつさえエカテリーナ様に「おじ様」などと呼ばせているらしく、大佐自身は悪びれる様子もなく「私に娘がいたら、きっと殿下のように美しく聡明なことだろう」とご満悦のようだが、私に言わせれば大佐のエカテリーナ様への偏愛っぷりは目に余るものがある。偏愛というよりもの間違いだろうと指摘出来ればどれほど幸せだろうか。


もし大佐が言葉通り大した用で無いと言うのなら、それはきっと「貴官に用は無いがエカテリーナ様には用がある。さっさと会わせろ」ということに違いない。


エカテリーナ様の護衛の観点で言えばこの人の立場や影響力は非常に大きな助けとなるのだが、侍女の立場で言わせればあまり引き合わせたくはないのが本音だ。


「いや、どうせ殿下とは明日の朝には会うことになる。……その、なんだ、そのことで先だって貴官と打ち合わせするために来た訳だが、決して大尉をダシにしているつもりはないぞ」


「は?」


過去何度も私をダシにした経験がお有りの大佐殿は聞いてもいないのに言い訳を始めるが、私にとって聞き捨てならないのは、どうせ明日には会うという台詞だ。誰が何の権限でこの大佐が明日の朝、エカテリーナ様との接触を許すと思っているのだろうか。エカテリーナ様の侍女である私が首席護衛官の権限を以って全力で阻止してみせよう。


「ついさっき師団本部から急の呼び出しがあってな。何かと思えばこういうことらしい」


そう言ってカーネフ大佐が取り出したのは一枚の紙切れ。どうやら師団本部から大佐宛の命令書らしい。


「小官が拝見してもよろしいので?」


大佐が読んでみろと言わんばかりに手渡す紙を受け取ったユリアは、念のために確認する。


本来、師団本部から連隊長クラスの上級士官に発令される命令書を一介の士官に過ぎないユリアが見ることなど許されることではない。


「構わんよ。どうせ貴官宛ての命令書でもあるのだからな」


「それはどういう……いえ、見た方が早そうですね。拝見します」


師団長名義でコーネフ大佐に下された命令書にユリアは目を通す。


「イワン・コーネフ大佐以下505連隊戦闘団は、一個中隊を抽出し皇室庁警護官と共同、第二皇女の警護に努めよ?」


「明日の朝から幼年学校の卒業試験が終わるまでの間だそうだ」


それは紛れもなく近衛第一師団から発せられた正式な命令であったが、ユリアからすれば何かの間違いか、でなければ偽装された命令書にしか見えなかった。


「小官には俄かに信じられませんね。師団本部が以外の警備に熱心になるだなんて」


近衛師団の皇族警護なんて所詮はポーズだけだ。宮中や帝都の警護は自らの存在意義であるが故に重要視するが、併合派に支配された連中が皇族の生き死にに興味がある筈がない。事実として、宮殿の警護は近衛師団が担っているが、皇帝や皇族の警護は皇室庁に丸投げしている。


「口が過ぎるぞ大尉。それが事実だろうともな」


コーネフ大佐はユリアを嗜めるが、大佐自身がその事実をよく理解している。故に形だけの注意はするが、肯定もする。大佐もこの命令の胡散臭さに警戒しているようだった。


「失礼しました大佐。ですが、急な警護体制の強化は怪し過ぎます。本部はどんな建前を用意したのか小官は興味を抱きます」


「聞いて驚くな。符牒Sの活動が活発化していることに対しての警戒がその理由だそうだ」


「……小官は師団の参謀連の中にこんなユーモア溢れる冗談を言える人間がいたことを存じ上げていませんでした」


「まったくその通りだなと同意するよ大尉。それでいて連中、正気でいるつもりらしいからタチが悪い」


こんな命令を出した連中が正気のつもりでいるならば、この世界そのものが狂っているとしか思えない。


符牒S。暗号や隠語、スラングがお好きな軍隊では理由はともかくとして、ありとあらゆる物に何かしらのコードネームを付ける。


そしてコーネフ大佐が口にした符牒Sというコードは、主に参謀本部や情報部が口にする隠語だ。特に機密指定が掛かっている訳ではないが、あまり大っぴらに口にしたくないが故に機密事項っぽく呼んでいる類のそれ。


軍部が口にしたくない、恥じらいを込めて呼ぶ符牒Sが指すものは即ち併合派だ。


軍閥化して久しい東部軍とそのシンパの将兵達はまさに軍上層部の汚点とも言うべき存在だった。符牒Sには併合派に対する蔑称の意味も含まれている。故に併合派の巣窟である師団本部の師団長が、自ら併合派をその名前で呼んだとも思えないが、どちらにせよ問題はそこではない。


「まさか『自分達がエカテリーナ様を襲う可能性があるからそれを守れ』だなんて、おかしな命令です。以前から立場と思想とでダブルスタンダード状態なのは知っていましたが、いよいよ自分達にまで二枚舌を使うようになるとは……末期症状でしょうか」


皇族の排除が併合派にとって自らの悲願を達成するための第一歩になることは、もはや周知の事実だ。そんな危険な連中を放置している今の帝国そのものが最早破綻していると言っても過言ではないが、それよりも併合派の謎の命令の方が気になる。


エカテリーナ様を襲うつもりなら黙って襲えば良い事であるし、護衛を減らすのならまだしも護衛を増やして何になるというのか。


エカテリーナ様と一緒に併合派と敵対する騎士団を潰してしまおうという魂胆であるならば、中隊規模というのは不自然だ。


通常三千人近くが所属する連隊規模の部隊にとって、たかが百数十名の一個中隊を潰したところで壊滅的な被害とは言えない。主体派の重鎮であるコーネフ大佐が死亡すれば、確かに連隊には大きな痛手かもしれないが、部隊全体が反併合派で構成されている505連隊戦闘団が大佐の死をトリガーに近衛師団に対して反乱を起こす可能性もある。数千人規模での反乱ともなれば、予備兵力である近衛第二師団を動員しても、鎮圧までに相当の被害が出ることだろう。


逆に一人の皇族を護衛するには一個中隊は過剰とも言えた。これでは仮に襲撃を計画していたとしても、襲撃側にも相当の用意が必要となる。大所帯の警護を嫌うエカテリーナ様の普段の警護体制の方がいつでも襲いやすいというのに、わざわざ警備を増強している最中に襲うとは考え辛い。


また襲撃に関しても、思想はともかく体面を気にする近衛師団が直接手を下すことも考え難く、であるならば暗殺者を雇うか身分を隠した襲撃部隊を編成する他ないが、それにしても一個中隊という壁は分厚い。


血気盛んであり実戦経験豊富な東部方面軍であるならば、偽装もせず堂々と完全武装の部隊を送り込んで来ることもあるだろうが、エカテリーナ様の通う幼年学校や、卒業試験が実施される演習場のある場所が、東部軍と折り合いの悪い南部方面軍の管轄であることを踏まえれば、南部軍が東部軍の部隊を手放しで迎え入れるとも考えられない。


他に考えられることと言えば、併合派同士の内ゲバか何かだろうか。

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