第14話 憂い

ユリアの知る限り、一括りに併合派と言っても、その内部には様々な派閥や思想の違いがある。


ハザーン地方を奪還、併合のみを目的とする小ドルネシア併合主義が併合派の主流なイデオロギーであるが、中にはハザーン地方を実効支配するノーラッド帝国そのものを打倒、東部の安全保障を確固たるものにし、民族の生存圏の確保を悲願とする東方主義や、ハザーン地方併合にこそ強い関心はないが、現体制とは異なる政治思想や経済理論を主張する地方政党の実質的な私兵と化しているイグナチェフ軍閥が関わっている。


政治的に様々な思惑が絡み合い、決して一枚岩とは言い難い併合派であるが故に、内部分裂の可能性が無いとは言い難かった。


あくまで政治的な連合に過ぎないからこそ、今日まで親皇室である主体派が持ち堪えてきたとも言えた。


ユリアはここで一番有り得そうなシナリオを想定する。


現在のところ、反皇室という点で一致を見ている併合派諸派閥であるが、反皇室という立場においても内部ではひどく温度差がある。


併合派内部の最も急進的な反皇室勢力は社会主義を党是とするドルネシア民族労働者党と、民族労働者党を支持する東部方面軍の2個師団が私兵化したイグナチェフ軍閥だ。


このイグナチェフ軍閥こそが、後先の混乱を全く考慮せずエカテリーナ第二皇女の暗殺を企てる可能性が一番高い。


ドルネシア民族労働者党は富と権力の象徴たる皇室を目の敵としており、急進的な姿勢は過激派と呼んでも申し分ないほどの危険分子である。


だがドルネシア民族労働者党とその配下であるイグナチェフ軍閥は併合派の中でも異端であり、中でも同じ併合派である近衛師団とは折り合いが悪い。


そもそもイグナチェフ軍閥が併合派に合流したのは、東部方面軍の中で独立勢力となろうとしていたイグナチェフ軍閥の動きをある程度黙認する見返りとして、併合派の勢力拡大の為にやむを得ず利用したというのがその背景であった。


現在の立場は一応反皇室であるが、東方主義の考えから現在の皇室の方針に不満があるだけで、国家体制そのものの大きな変革なり転覆を望んではいない近衛師団からしてみれば、イグナチェフ軍閥はいずれ敵になることがほぼ確実である油断の出来ない相手であった。


もし仮に、近衛師団がイグナチェフ軍閥による第一皇女暗殺計画を事前に察知していたとしたら、その計画を失敗させイグナチェフ軍閥の影響力を併合派から少しでも削ぎ落とすために、形的には自分達の配下である騎士団を護衛として派遣しようとしているのではないかとユリアは推測する。


「まぁ連中が何を企んでいるかは知らんがね大尉。これが正式な命令である以上は従わなければなるまいよ」


「それは勿論その通りですが、命令の背後にある事情が分からなければ、どう手を打てば良いのかも……」


そこまで言いかけてユリアは己の職務、そして義務、使命を思い出す。それはこれまでも、そしてこれからも変わらぬであろう仕事。この大佐が何を期待して私のところへ足を運んだのか。


「なるほど……そうであるならば、エカテリーナ様の護衛は全てお任せすることになりますね」


「君は実に優秀な情報将校だと聞いてる。なあに、殿下のことは任せたまえよ。護衛には私の精鋭を付ける」


「大佐の精鋭ともなれば騎兵大隊からの選抜でしょうか。確か大隊にはミハイル様もいらしたはずですが」


皇族の義務である軍務奉仕。男性皇族は伝統的に18歳から軍の士官学校に入学し、二年間の教育の後には部隊に配属され、一年間の軍人として従事することを義務付けられている。


そして伝統として、男性皇族が配属されるのは皇宮騎士団である。歴史的に皇室と繋がりの深い騎士団は、皇族がその身を預けるのに相応しい仕来りや伝統があり、かつて対外戦争が活発であった近世紀にあっては、騎士団として戦いに身を投じ、活躍することこそ皇族としての誉れであった時代もあった。


時代は移ろい、騎士団は505連隊となってしまったが伝統は今でも続き、エカテリーナ・バラシオン第一皇女の実兄であるミハイル・バラシオン第一皇子もまた、505連隊戦闘団の基幹部隊である騎兵大隊に所属している。


「この手の実戦が想定される任務は、我々騎士団にとっては久しぶりのことだから連れて行きたい気持ちはあるが、いかんせん皇族の護衛に皇族を駆り出す訳にもいかん。ミハイル殿下……バラシオン少尉には本隊と共に留守番だ」


一応念のために聞いたユリアであったが、それは当然の判断だと言わざるを得なかった。


反皇室の併合派にしてみれば、本当に命を狙いたい相手といえば、現皇帝陛下か次期皇帝がほぼ確実視されている皇位継承順位一位のミハイル様のどちらかだ。


エカテリーナ様の現在の立ち位置といえば皇帝の実子であること以外、差し当たり政治的にはさほど脅威ではない。


無論皇族でありながら、将来的に軍部の深く中枢に入ろうと試みていると思われているエカテリーナ様をよく思わない関係者も多いが、その問題と帝国が抱える喫緊の政治的な問題とは別の話だ。


むしろエカテリーナ様の幼年学校での好成績の噂を聞く軍部の半数は、どちらかと言えばエカテリーナ様に好意的であり、その好意的に思う人間の中には併合派の将兵も含まれているという。


中にはエカテリーナ様がいずれは戦争指導を行う立場にまで登り詰めることにより、この帝国を悩ます東部問題を解決に導くのではと期待する声もあるが、それにしても併合派がエカテリーナ様の襲撃や政治的圧力を加えようと日々企むのは、それだけ隣国ノーラッド帝国脅威論が身近な脅威として東部の人間を蝕んでいるからだろう。


併合派としてはエカテリーナ様を殺害、あるいは襲撃することにより、現政権や皇室に対して「次はお前だ」という明確にして強烈なメッセージを残すことが出来る。


その脅迫によって体制側に対ノーラッド帝国政策を硬化させることを目的としているが、果たして目論み通り行くかどうかは誰も分からない。むしろ体制側を激怒させ、軍閥化して久しい東部軍を討伐すべしと軍隊を派遣し、国内は内戦状態に陥る可能性すらある。


だがそれは全ての皇族、そして有産階級の絶滅を望み、武装闘争による体制の転覆を望むドルネシア民族労働者党と、その配下のイグナチェフ軍閥にとっては都合の良い展開となるだろう。


そして恐らくはその意図も含めて併合派と共同歩調をとっているイグナチェフ軍閥が、皇族に対して併合派の皮を被って何かしらの悪事を企む成算は大である。


そんな危険な状態では皇族二人を抱えての護衛任務など当然不可能と言わざるを得ず、故に冷静な判断の出来るこの老練な大佐には敬意を抱くことが出来る。


いい機会だからと、普段会うことが中々ない仲の良い兄妹を引き合わせたいといらぬ好々爺ぶりを発揮させかねない初老の男は、それでも政治と戦略に長けた軍人であった。


「それでは私はこれより東部に飛びます」


「ほう、いきなり東部とは。大尉にはもう目星が?」


「火種はいくらでも。情報が少なすぎるうちは自分の足で稼がねばなりませんから」


併合派一つとっても内情は複雑。であるならば、帝国が抱える諸問題を含めれば複雑怪奇極まるというもの。そう言って匙を投げられればどれだけ良かったかと思いつつ、手元にある数本の糸を手繰り寄せ、この奇妙な近衛師団の命令の背後を探ることこそ、エカテリーナ様の命を守ることに繋がると私は信じている。


「……複雑怪奇?」


「どうした大尉。まぁ確かに複雑怪奇な状況ではあるがね」


「いえ、そうではなく……何でもありません大佐。ただの独り言です」


どこかで耳にしたことあるようなその何気ない言葉。かといって重要な言葉という訳でもなさそうで、これ以上考えるのも時間の無駄だろう。


そう、最早猶予はない。


「それでは大佐。エカテリーナ様を何卒よろしくお願いします」


「おう、承ったぞニコリスカヤ大尉。貴官も何か分かり次第連絡を」


互いに敬礼を交わし、コーネフ大佐が執務室から出て行くのを見送ると、ユリアは夜間の航空機を手配すべく受話器を手に取った。

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