(14)瑞希Ⅴ

 入った瞬間、むせるような血の臭いに襲われた。

 何人もの人間達が、バラバラになって血の海に沈んでいる。

 ──そう、あの時と同じように。

「手遅れ、と言うことですか」

 生きている人間が全く居ない訳ではない。執事が報告した四人の白衣を着た男達の内、三人までは傷らしい傷も無く生存している。白衣が赤く染まっているのは、恐らく返り血によるものだろう。それともう一人、彼らとは少し離れた位置に子供が居た。

 全員が全員、わたしの侵入に気付いていないようだった。

 全員が全員、ある一つの物体に目を奪われていた。


 それは、惨劇の舞台には場違いな程に美しく。

 殺戮者というにはあまりにも華奢な、一人の「人間」だった。


「飛鳥、さん」


 予め執事から可能性を指摘されていたとは言っても、「本物」を見ると流石にショックを受けた。彼女は人間ではないのだと、改めて思い知らされて。

 全身を、悪寒が走り抜けた。


 それは、天使の紛い物だ。

 それは、人間の紛い物だ。

 ──ああ、何て汚らわしいのだろう。


 わたしは静かに、ショットガンを構えた。

 それは本来、人間に対して使われるべき兵器ではない。あまりにも殺傷能力が高過ぎて、死者に原形を留めない程の損傷を与えてしまう為である。

 だけど。相手がもし、人間ではない熊や虎のような猛獣だとしたらどうか? それらの獣達に不運にも遭遇してしまった場合、人は躊躇無くその引き金を引くのではないか?

 残念ながら飛鳥はもう、人間ではない。

 いや、初めから人間として生を受けはしなかったのだ。

 ならばわたしは、何も躊躇う必要は無い。車から降りる際、携帯に便利な自動小銃ではなくショットガンを選んだ瞬間に、わたしの覚悟は決まっていたのだから。

 かつての友人。携帯人間、設楽木飛鳥を──わたしの手で、殺すのだ。


「いいえ。まだ、手遅れではありませんね」


 死体の中に、かずらの姿は無かった。

 この部屋のどこにも、彼女は居ない。ここに来る途中だって散々探したけど、彼女を見つけることはできなかった。

 つまりは、そう。かずらはまだ、ここに到着していないということになる。

 なら、まだ手遅れではない。まだ、最悪の事態には至っていない。まだわたしには、未来を変える機会が残されているのだ。


 飛鳥の手が動く。標的は、彼女の前に無防備な姿態を晒す哀れな子羊。

 何の力も持たない少年は、容易く飛鳥に握り潰されてしまうことだろう。

 そして。それはわたしにとっては、どうでも良いことのはずだった。かずら以外の誰が死のうが構わない。わたしにとっては、ただ飛鳥を殺せるだけで良かったはずだった。

 ──そのはずなのに。気が付くとわたしは、ショットガンの引き金を引いていた。誰にも気付かれること無く彼女を撃ち殺せる最初にして最後の機会を、わたしはみすみす逃してしまったことになる。

 撃ち出した弾丸は、少年を捕えようとしていた飛鳥の右手を爆砕し。

 彼女はようやく、わたしに気付いたようだった。


「ダ、レ?」

 振り向いて来るその顔には、以前の快活さが無い。まるで幼い子供のように、不思議そうに問い掛けて来るその生物は、最早飛鳥であって飛鳥ではない。

 何てこと。こんな化け物と、今までわたしは友情を育んで来たというのか。友達として、同じ人間として接し続けて来たというのか。

「さて、誰でしょう? わたしは貴女と初めて出逢ったのですから、お互いの顔を知らないのも当然だと思いますが? ねぇ、携帯人間さん?」

 ショットガンを構え直し、再度引き金を引く。射出された弾丸は、今度こそ彼女の頭部を粉砕する──はずだったが。

「そんな、馬鹿なこと」

 己が目を、疑わずには居られなかった。彼女に当たる寸前、弾丸がぴたりと空中に静止してしまうだなんて。そんな能力、見たことも聞いたことも無い。

「テキオウ、シタ。モウ、アタラナイ」

「全く。無茶苦茶ですね、貴女は」

 嘲るでもなく蔑むでもなく。機械のように淡々と告げて来るその声には、何の感情も込められてはいない。だからこそ、その言葉には真実味があった。

 苦笑し、わたしはショットガンを下ろした。どうやって彼女が弾丸を止めたのか、それはまだ分からない。ただ一つ言えることは、最早糞重たい銃をぶら下げている必要は無いと言うことである。

「困りましたね。出来れば穏便に片付けたかったのですが……貴女が素直に死んでくれないから、わたしも能力を使わざるを得なくなってしまったではないですか」

『バラバラ』

 頭の中に、声が聞こえ始める。この場に居る誰のものでもない、甲高い少女の声。彼女が居るのは、ここではない。彼女が居るのは、世界の反対側。鏡の中の、夢の世界。

『バラバラ』

 故にわたしには、少女を制御することは出来ない。わたしに出来ることは、彼女の力を以って対象を破壊することだけ。それはわたしの力でありながら、彼女無くしては発現できない力なのである。

『バラバラ』

 逆に、一度発動したが最後、わたし自身の意思でそれを止めることは出来ない。破壊は、最後まで実行される。だからわたしは、無闇やたらに彼女を呼び寄せるなんて愚かな真似はしない。必要最小限、今回のように物理的な手段を以って破壊できない物体に対する場合のみ、わたしは「鐘」を鳴らすことにしている。

「──ッ──!」

 わたしの言葉に何かを感じ取ったのか、声にならない声を上げて飛び掛って来る飛鳥。潰れた右手を振り上げ、彼女はわたしの身体を粉砕せんとする。事実、それが掠りでもすればわたしの身体は裂け、そこら中に転がっている死体の仲間入りを果たすことになるだろう。

 だけど、それが間に合うことは無い。

『バラバラに、なっちゃえ』

 何故なら。彼女がわたしを砕くより、わたしが彼女をバラバラにする方が早いから。

 ただ馬鹿力なだけの彼女に、わたしの攻撃を防ぐ術は無い。


 飛鳥とわたしの間に、目には見えない、透明な「鏡」が形作られる。

「──ア」

「ごきげんよう、飛鳥さん。どうか迷わず、成仏して下さいね」

「ヤメ、ロ──」

 ぱりん。

「終わりです」

 そう告げた、わたしの目の前で。

 わたしの中の「彼女」が、迷うこと無く「鏡」を叩き割っていた。


 「鏡」の向こうに映し出された、白い天使の身体ごと。

 全身からおびただしい量の鮮血を噴き出し、七個の肉塊となって沈む飛鳥。

 勝負は、その一瞬で決していた。


 ──それがわたし、御堂瑞希の有する唯一の能力。

 「鐘突き人の福音(トーラーズ・エヴァンジェル)」の、発現した姿だった。


「……何てことを、してくれたんだ」

 それで、憑き物が落ちたのだろうか。

 それまで何も言わず、ただ成り行きを見守っていた男達の一人が、非難するような口調でそう言って来た。

「君は今、自分が何をしたか分かっているのか? 殺したんだぞ君は!? 我々が求め続けて来た、原初の姫を──」

「そうして、貴方達の命を救いました。わたしが来なければ、貴方達は彼女によって皆殺しにされていたことでしょう。それは、いけないことなのでしょうか?」

「くっ……!」

「尤も、貴方達はいずれ死刑台送りになる運命でしょうがね。どのみちわたしには関係の無いことです。わたしはただ、彼女を抹殺できればそれで良かったのですから」

 更に何かを続けようとする男に向かってそう告げて。わたしはバラバラになった彼女の死体を確認すべく、彼らの横を通り抜ける。彼らはわたしの敵ではない。たとえ背後から殴り掛かられようと、既に「鏡」の射程内に入り込んでいる彼らなど、数秒で殲滅できる。そしてそのことは彼ら自身分かっているのか、誰一人として動こうとはしなかった。

「どうし、て」

 ──ただ一人の、例外を除いては。呆然と、わたしは腹に刺さった硝子の破片を見つめる。それは先程「彼女」が叩き割った「鏡」の残留物で、本来ならば直ぐに消え去るはずのモノ。わたし以外の誰にも、見ることも触ることもできないはずの、幻のようなモノに過ぎなかった──はず、だった。

「どうして、貴方が、それを」

 だがそれを、消え去る前に拾い上げた者が居た。拾い上げ、それをわたしの身体に突き刺した者が居た。身長さえ足りていれば、貫かれていたのは腹ではなく心臓だっただろう。それ程までに鮮やかな、狙い済ましたかのような一撃だった。

 わたしとしたことが、完全に、虚を突かれてしまっていた。

「姉ちゃんを……飛鳥姉ちゃんを、よくもっ……!」

 憎しみと悲しみ、そして涙で歪む幼い顔。飛鳥に殺されようとしていたはずの彼はしかし今、飛鳥の為に刃を振るって来た。それは、つまり。

「わたしが、間違っていた?」

「よくも……よくも姉ちゃんを……くそっ……姉ちゃんを、返してくれよぉっ……!」

「何てこと……本当に今日は、予想外のことばかり、起こる」

 泣きじゃくりながら更に硝子の刃を振るって来る少年を、わたしはバラバラにすることができなかった。

 徐々に、細切れにされていく身体。呆然とそれを見下ろしながらも、わたしにはもう、どうすることもできない。

 所詮、御堂瑞希に与えられたのは、自分以外の他の誰かを傷付ける力でしか無いのだから。しかも唯一持っているその力でさえ、わたし自身の意思では制御できない半端な代物。

 故にわたしは、少年に殺されるしか無かった。

 それが、御堂瑞希の限界だったのだ。


『メリー・クリスマス。ミズキ』


 ふと、声が聞こえた。

 鏡の向こう側の少女が、そう言って微笑んでいるのを見て。

 それが叶わぬ夢であると知りながらも、わたしは願わずには居られなかった。

 鏡の向こう。夢の世界へ、行ってみたいと──。

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