第27話

事の次第を聞いた田口さんは常山が部室にやってくるとすぐに、


「お前の楽器、これな」


 と、大型のケースを取り出した。




「先輩、それは……」


 問答無用で、もうあらかじめ決めてあったと言わんばかりにくっきりと断定的に言うので翔太は目を丸くした。




 常山はなんの疑問も感じないで「はい」と素直に返事をした。




「え、ツネちゃん、いいの?」


「なにが?」




 常山はきょとんとした顔で翔太を見た。翔太は田口さんに尋ねた。




「これ、ツネちゃんにはちょっとハードじゃないですか」


「なんで」




 翔太はこの大きなケースの中身がなにか、知っていた。低音で、大きくて、持ち重りがして、肺活量も相当要する楽器だ。体も細くて青白い常山に扱いきれるようなものではない。翔太はそう言おうとした。




 しかし田口さんは、翔太よりも先に、


「今、俺らに必要なのはベースとリズムだ。分かるだろ」


「でも……」


「ツネ」


「はい」




 常山は臆することなくすんなりと返事をした。ブラバンに入るとは言ったものの、人見知りで、いつもびくびくしていた常山が田口さんを前にどれだけ不安と緊張に苛まれるだろうと心配していたのだが、常山には怯えた様子はまるでなかった。翔太はその事に驚いていた。




「できるな?」




 田口さんは確認するように尋ねた。まるで「できる」と信じているように。




 そして常山はそれにはっきりと答えた。




「頑張ります」




 斉藤と持田も口をあんぐりと開けてその様子を見守っていた。常山は床に膝まづいてケースの蓋を開けた。中には金色のユーフォニウムが横たわり、静かな光沢を放っていた。




「だとよ」




 田口さんが翔太を振り向き、にやりと笑った。




「ちょ、ちょーっと。タイム。田口さん、ちょっとタイム」




 翔太は常山を部室から連れ出すと、不思議そうな顔をしている常山に言った。




「ツネちゃん、無理しなくていいんだよ。クラリネットとか、フルートとか。もっと軽い楽器あるし」


「でも、あの楽器が必要なんだよね?」


「それはまあ、そうだけど」


「大丈夫。練習すればできるようになるって、藤井くんが言ったんじゃないか」


「そ、それは」


「心配しなくても、頑張るよ」




 常山はこれまでとは真逆に翔太を安心させるような落ち着いた表情をしていた。




 翔太には常山が大丈夫と言う根拠が分からなかった。それは無論、持田も斉藤も同じ気持ちだった。持田に至っては「翔太の馬鹿が感染った」とさえ思っていた。




「おい、相談がすんだら早く練習の用意しろ」




 田口さんが大きな声で怒鳴った。田口さんはいつの間にやらすっかり翔太たちのリーダーになっていた。




 翔太たちは椅子を並べ、譜面立てを置き、覚え始めたばかりの曲をさらった。




 常山だけは屋上に出て、田口さんと基礎練習だった。




 その光景に驚いたのは大島だった。野球部の応援に行くことからもう逃げられないと覚悟した大島はブラバンの部室から楽器の音が鳴り出すと、すぐに部室へやってきて練習を見るようになっていた。そして屋上でユーフォニウムを抱えている常山を見て仰天し、卒倒しそうになった。




 無理もない。あの、図書室の司書として働いていてくれた、青白くて痩せた、小動物のような常山がブラバンにいるという事実。




 大島は信じられないという顔で「常山……」と呟いた。大島が来たことに気づいた田口さんはくるっと振り向いた。




「おーちゃん、新入部員増えたよ」




 新入部員! 常山は微かに笑って頭を下げた。大島はまだ言葉を失っていたが、田口さんが常山に手ほどきしているのを見て、これはと思い尋ねた。




「常山、なんかスポーツやってた?」


「……スポーツっていうか……。あの、僕のうち合気道を教えてて……」


「合気道!」




 大島は頓狂な声をあげた。が、教師の威厳を崩してはいけないと思い、慌てて、わざとらしいほどそっけなく「そうか」と冷静な態度をとってみせた。




「田口、適当なとこで譜読み教えてやって」


「ういーっす」




 そう言い残すと大島は何事もなかったかのように屋上を後にした。そして部室に駆け込むと、叫んだ。




「翔太!!!」




 「ねらいうち」を練習していた三人の音がぶつっと途切れた。




「翔太、常山がブラバンに入ったってどういうこと!!」


「えっ? どういうことって言われても」


「なんで常山が!」


「なんでって……」




 翔太は面喰って持田に助けを求めるような視線を投げた。持田と斉藤は首を傾げながら、


「どうしたんすか、先生」


「ツネちゃんがブラバン入るとなんか問題あるんすか」


「……常山、あいつ、たぶん、上手い……」


「へ?」


 今度は三人が驚く番だった。大島は興奮気味に続けた。




「腹式呼吸! ロングトーン! あいつ、もうできてる! 肺活量もかなりある。お前ら、常山が合気道やってるって知ってたのか?」


「合気道?」


 斉藤が翔太を見た。


「あ、そういうえばこの前言ってたわ」


 翔太は常山のうちに道場があったことを思い出した。大きな家と、綺麗で上品な母親と、洗練された庭のことも。




「ちょっと待って」




 斉藤が珍しく眉間に皺を寄せ、考え込むような顔で皆の顔を見渡した。




「それ、もしかして」


「もしかして?」


「……ツネちゃんって本当はめちゃめちゃ強いんじゃないの……?」




 翔太たちは「あっ」と声を漏らした。




 なぜ気づかなかったのだろう。翔太は呆然としていた。この間常山を訪ねた時に聞いたのに、それと常山が結び付いていなかったのだ。でも考えてみたら、家が合気道を教えていて、その家の息子がやってないわけがないじゃないか。




「ということは、さ」




 持田が口を挟んだ。




「翔太が助けなくても、ツネちゃんは自分の力で石井なんかぼっこぼこにできたってことじゃないの」


「……」


「あいつ、とんだ猫かぶりだな」




 翔太はぱっと顔をあげて持田を睨んだ。いや、睨もうとして、やめた。なぜなら、そう言った持田の顔が嫌味ではなくてさも楽しげに笑っていたから。




「翔太、お前、あんまりツネちゃんを見くびらない方がいいぞ。お前なんかよりよっぽど強くて、しかも、頭もいい」


「……」


「翔太、勝てるとこ一個もないな」




 持田と斉藤が笑うのを翔太は黙って聞いていた。常山の意外な側面と思わぬ才能が嬉しくてならなかった。いや、それ以上に誰とも関わらずに一人で生きて行きたいという常山が、自分たちの仲間になることを選んでくれたことが誇らしい気持ちでさえあった。




「さー、練習するぞ」




 翔太がまた楽譜に向き直っても、三人はまだ笑っていた。




 屋上からかすかに、低いユーフォニウムの音が聞こえていた。


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