四章4 『主なき開戦』

 ノゾムはホテルを飛び出し、闇雲に街の中を駆け回っていた。

 少しでもホテルから、愛から遠く離れたかった。

 彼の気持ちも考えず、自分の考えを押し付けてしまった。そのことが後悔となって、彼女の心を苛んでいるのだ。


 苦しみから少しでも逃げるために、ただ走る。苦しみから目を逸らすように瞼をきつく閉じ、ひたすら走り続ける。

 裏路地に入り、彼女はようやく立ち止まった。

 額からぐっしょりと汗が流れ、息は絶え絶えだった。壁に手を付いて、膝を折る。今にも倒れそうな体をノゾムは何とか支える。今ここで座ってしまったら、泣いてしまう。そう分かっていたから、彼女は歯を食いしばって立ち続ける。


 雨粒が火照った体を冷ましてくれたが、次第に体を冷やすものとなり、それは彼女の心を一層孤独なものにしていった。

「……ノゾム、先輩?」

 背後から聞き覚えのある声がした。


 ノゾムが振り返るとそこには予想通り、後輩の夢葉ナルミがいた。彼女もノゾムのように、もの寂しげな目をしていた。

「ナルミちゃん……。こんな所で、何をしているんですか? それにプレイヤーさんは……」

「それはその、こっちの台詞でもありますよ……。だけどもう、お互いに大体の事情は分かっちゃってるんじゃないですか……?」

「あはは、そうですね」

 ノゾムはまだもやもやとした思いを抱えていたが、話していると少しだけ心の内が晴れていくような気分になった。


「ナルミちゃん、何だか昔に戻ったみたいですね」

「え……、何でですか?」

「だって今の話し方、元の世界のナルミちゃんのものですし」

「うん、守のおかげで……。でもそのせいで、喧嘩しちゃって……」

 その時、彼女のすぐ近くにどんっと何か重い物が落下したような音が響いた。

 驚いて彼女達はそちらへ顔を向ける。そこには山のように筋肉が盛り上がった、巨体の男が受け身のポーズのままそこにいた。


「武道とは己と向き合い、成長すること。己が心の奥に潜む、本当の自分に出会うこと」

 唐突の語りだし。ノゾムとナルミは呆気に取られていたが、しかし同じ武に携わる者として、その言葉に潜む彼の確固たる意志を感じていた。


「だがそれならば、なぜ人と競う必要があるのか? 勝敗を決する必要があるのか? 答えは明白、人は一人では成長できず、人は一人では己の心の原点に至れぬからだ。ゆえに某(それがし)は競う相手を求め、師事するものを求め、指導すべき者を求める。競争することで人は切磋琢磨し、師事することで新たな世界を発見し、指導することで己の未熟さを知る。武そのものは人生ではない。しかしそれに触れることにより、人生を歩むうえで必要となる大切なことを学ぶことができよう。ゆえに某は世界中を旅し、数多の強敵と戦い、教えを請い、未熟な者を一人前になるまで育ててきた……」


「も~~~、話が長いですわ!」

 上空からもう一人、少女がゆっくりとした速度で落ちてきた。少女は改造セーラー服を着ていて、背中からは黒い翼が生えていた。

「あ……、クルミちゃんじゃないですか」

「あら、お姉様方。ごきげんよう」

 クルミは翼を折りたたみ、地面に降り立つ。空手家とは対照的な、雨水を踏むぽちゃりという音すら立たない、優雅な着地だった。


「クルミちゃん、どうしてそんな恰好をしているんですか? それに元の世界では悪い人になっちゃったって聞きましたけど……」

 おずおずと問うノゾムに、クルミは泰然とした様子で答えた。

「なぜかって? それは決まっているじゃありませんか。私が魔王の娘だからですわ」

「そん……な……」

 その返答に、ノゾムは大きなショックを受けた。彼女は珍しいぐらいに天然のお人好しだ。ゆえに人を疑うということはほとんどせず、何の考えも無く他人を信用してしまう。その分、裏切られた時のダメージは誰よりも大きなものになってしまう。


「某にはよく分からぬが、クルミ殿等には深い溝がある様子。ここは一戦、拳を交えれば分かり合えるのではないかと進言させてもらう」

 空手家の提案にクルミは大げさな動作で溜息を吐いた。その溜息は重く、彼女の疲労具合を物語っていた。


「あのねえ……。わたくし達は華も恥じらう乙女ですの。そんな殿方みたいな方法で心を通わすことなんて……」

「いいですね、そうしましょう!」

 ノゾムはさっきまでの鬱屈した表情が嘘のような、生き生きとした笑顔で賛同した。

「の、ノゾム先輩……」

「……ノゾムお姉様、本当に乙女であらせますの?」


 二人から軽蔑の眼差しを向けられても、彼女は全く気にしなかった。

「うむ。では早速、開戦といこう。クリスタル・セットオン!」

 空手家はプログラムデータを手に、高らかに開戦を告げた。

「ちょっと、申人(さるひと)。相手側にはプレイヤーがいないし、メンテナンス時間……は終わったみたいだけど、でも……」

「セットオン!」


 ノゾムも空手家こと申人とプログラムデータを持って同じポーズを取った。

「え?」

「ちょ、ちょっとあなた……!」

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔で驚くナルミとクルミ。ノゾムは最初、何で二人が驚いているのか理解していないようだった。しかし自分の手に持っているものを見て、彼女自身もぎょっと驚いた。

「な、何で私、これを……!?」

 その手には緑色に光る正八面体、プログラムデータが握られていた。


 ノゾムと申人の持つプログラムデータが輝いて、世界の色どりを異なるものに塗り替えていく。それはやがて空に及び、曇天から一面の青へ。だがノゾム達の見上げた空は、桃色の花々に染まっていた。

「これって世界樹ですわね……。じゃあ、ここは!?」


 ナルミは周囲を見て確信したように、この場所の名前を口にする。

「私立百合之空女学院の広場……、私達の学校です!」

「ほえええ、びっくりです」

 もちろん、ここは本当の意味での彼女達の母校では無い。ST用に用意されたステージでしかない。しかし彼女達の目には本物と相違なく映り、宙を舞う花弁が自分達の帰還を祝福してくれているように感じるのだった。

「……でも、どうして? 守はここにいないのに」


 ぼそっと呟いたナルミの疑問に、クルミが自分の推論を述べた。

「それはノゾムお姉様のプログラムデータなんですわよね? でしたら、おそらくナルミお姉様はノゾムお姉様のプレイヤーだと誤認されてしまったのではないかと」

「……なるほど、一理あるね」

「おお、クルミちゃんは頭がいいです」

 そんなかしましい三人でのおしゃべりは野太い声で遮られた。


「そろそろカウントダウンは終わる。そうしたら某達の戦が幕を開ける」

 その一声にビジョンのコメントが不穏なものへと変わっていった。

『うっせーな、俺達はテメェの声なんざ聴きたくねーんだよ』

『帰れデ○』

『というかIたんと愛ちゃんどこ?』

『別にいいんじゃね、ナルミちゃんだけでも可愛いし』

『サイ○人は帰れ』


 エールパワーはノゾムに一方的に集まっていった。

「さるひ……、モンキーゴリラ、わたくしからもお願いしますわ。お家に帰りなさいな」

「味方からのまさかのブーイング、しかと受け止めた。だが某の闘争心はさらに熱く燃え滾る」

 申人は体中の筋肉を盛り上がらせ、ファイトスタイルを取った。


「あの、モンキーゴリラさん? もしかして、私達と戦うつもりですか?」

 恐る恐る問うノゾムに、申人は当然というように頷いた。

「某の生きがいであり天から授かりし使命は、強き者と戦うこと。ゆえにこの拳、今回はそなたらに牙を剥く」

 迷いなく答える彼にノゾムとナルミは困惑顔に、クルミはげんなりとした表情になった。


「……クルミ、彼は強いの?」

「まぁ、普通の人よりは。けれど私達とは雲泥の差ですわよ」

「仮に私達より強かったとしても、今回はエールパワーをたんまりもらっちゃってますし……」


「どうしますか、お姉様方。もしも邪魔なようでしたら、今の内に始末してしまいますけど」

「……でもそうしたら、クルミが限界突破できなくなるよ?」

「別にあれ、プレイヤーに任せなくてもわたくしが持っていれば問題なく使えますし」

「ほええ、よく知ってますねクルミちゃん」

「まぁ、今までこんなことはしょっちゅうありましたし」


 三人が密談している間に、カウントダウンは十を切っていた。

「そなたら、そろそろ開戦の時が迫っている。そろそろ距離を開いて対する敵と向かい合うのが礼儀だと進言する」

 申人が言い終えると同時に三人は立ち上がり、彼と距離を取ってそれぞれの獲物を光輪から取り出した。木刀、真剣、斧。そしてそれを手に、申人に向かって構える。

「……状況が見えない。すまないが、某にこれから始まる戦いの互いの思惑を解説することを強く要求す……」


 全てを言い終える前にカウントはゼロを切り、開幕攻撃がぶっ放された。

 ノゾムの地割れ、ナルミの空割り、クルミの闇夜に轟し雷(ダークナイト・ライディーン)。それぞれの攻撃が一直線に申人に迫る。

 彼は不敵な笑みを浮かべ、拳を握りしめる。


「好敵手の最高の一撃、味方の裏切り。うむ、これこそが戦いの醍醐味、人生における清涼水。よろしい、某は誠意をもって最高の反撃で答えよう」

 申人は自身の拳を固く結び、後方に大きく引いた。そして迫りくる脅威がいよいよ目前に来た瞬間、その拳を眼前に突き出した。


「はあああああ!」

 拳は雷を捕らえ――体中を電撃が走った。

「あばばばばばっ!!」

 当然、大火傷ものの苦痛が体中を襲う。

 そこにさらなる二つの攻撃が追い付く。大地が裂け、空が割れる。二つの狭間に体制と体が崩され、申人はそのまま母なる大地へ落下していくのだった……。


「……えっと、結局彼は何がしたかったんでしょうか?」

 大地の裂け目を眺めながら、ノゾムは誰ともなく訊ねた。

「強い方と戦う。それが申人の望みであり、甘えですわ」


 申人の放り出したプログラムデータをクルミは余裕の面持ちでキャッチした。

「甘え、ですか?」

「ええ、甘えです。自分の実力が全然追いついていないのに、無謀な戦いに臨む。それを本人が有意義なものと考えた時点で、自己満足。自分を甘やかしていますわ。そんなもの、実にも肥料にもならない、時間の無駄。そしてそういう方に限って、こう言うんですの。勝負はやってみなきゃ分からない、と」


 それに対してノゾムはそういうものですかねえとぼやき、あなたのことですわよとクルミは彼女をじろりと睨んだ。

「……私はそうは思わないな」


 ナルミは小声で、しかし芯の通った声で言った。

「あら、それはどういうことかしら?」

「敵わぬと知りつつも、何度も挑む偉大さ。それを私は誰も知ってる、そういう意味だよ」

「へぇ……」


 クルミは面白い玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべて、漆黒の斧を振り上げた。

「それじゃ、それを証明してみてあそばせ。そのなまくら刀でね」

 斧から高圧の放電が迸り、周囲の磁場を狂わせる。地面が砕かれたクッキーのようにばらばらになり、宙に浮いていく。それはやがて静止し、斧から放たれた電撃の楔が撃ち込まれる。これにより、その岩はクルミの意のままに動く駒となった。


「……ノゾム先輩、本来ならこれはあなたの戦いかもしれません。ですが今回は助太刀します」

「あ、ありがとうございます! でも、いいんですか?」

「はい。どうしても、クルミを許せないことがあるので」

「許せないこと?」

 ナルミは刀を一度鞘に戻し、眼前で高らかに笑うクルミに視線を突き刺しつつ言った。

「先輩をバカにされたことです」




 彼女達は知らなかったが、ビジョンのコメントはちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。

 話題は大きく分けて二つ。

 一つはもちろん、ノゾム達のプレイヤーがいないことだ。これについては運営を責める意見が大多数を占めていた。

 もう一つはナルミについて。彼女のキャラが崩壊しているというものだ。


『ナルミちゃんはもっと元気で明るい性格だろW』

『だよな、おかしい』

『いや、でも変更前はあんな感じだったぞ』

『変更前って? kwsk』

『それ死語な』

『確か、βテストのことじゃね? 本サービススタートに変わる前に大幅な変更が行われたんだろ?』

『解説乙』

『じゃあ、その時のナルミちゃんはこういう性格だったのか』

『何だかなぁ……』

『いや、俺はこっちも好きだぞ』

『同意』

 流れゆくコメントは綺麗に支流となり、二つの意見はどこまでも並行だった。

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