四章3 『突然のバグ?』

 ずっと孤独だった。

 子供の頃、僕は他人だらけの大きな屋敷で一人で遊んでいた。使用人は皆親切だったけど、それでも幼い僕は両親に傍にいてほしかった。だけど彼等は仕事に奔走していて、滅多に家に帰ってこなかった。男の子なんだから一人でも生きていけるように、なんて言われた時は女の子の格好をして、女の子のような仕草をして、女の子のような言葉遣いまでした。メイドさんが張り切って協力してくれたおかげで、鏡の中の僕は本物の女の子だった。だけど結局、両親は苦笑しただけで、何も変わることも無かった。後に残ったのはすっかり根付いてしまった少女趣味と、使用人達の気遣いの言葉だけ。


 両親がいなくなって、僕は実家を出た。生まれて初めて庶民の家に暮らし、庶民の学校に行くことにした。もう、金持ちの生活はしたくなかったのだ。一人でいることを思い出してしまうから……。

 だけどここでも、僕は孤独だった。少女趣味が皆には気持ち悪かったらしい。唯一話しかけてくれた心だって、ずっと一緒にいてくれるわけじゃない。僕は次第に学校に行くのが苦痛になっていった。


 引き籠りになって、僕はソーシャルゲームとブラウザゲームに出会った。ここでは金さえあれば皆が注目してくれて、頼りにしてくれる。ランキングのトップに立てて、フレンドとして多くの人が自分のキャラを使ってくれる。間接的なコミュニケーション、それがとても気持ち良かった。僕はゲームに熱中し、着実に確かな地位を築いていった。


 だけど徐々に心の中が乾いていった。どのゲームもただ周回する、それだけなのだ。そして僕は気が付いてしまった。これは社会の生き写しだということに。毎日同じような日々、同じような出来事、同じようなメンバー。その途端に冷めてしまって、僕は再び孤独を思い出してしまった。

 それでも僕は無理矢理没頭した。もうここしか僕の居場所は無いのだ、だからやめちゃいけない。やらなきゃいけない。そうしなくちゃ、全てを失ってしまう……。


 そんな時、ノゾムが現れた。

 彼女と一緒に過ごすようになってから、毎日が輝いていた。楽しかった。生まれて初めて、心躍るという言葉を実感できた。

 なのに――ノゾムを泣かせてしまった。

 金なんてもうどうでも良かったじゃないか。彼女との日々の対価だって思えばよかったじゃないか。それなのに僕は耐えきれなかった不安を全部、彼女にぶつけてしまった……。


「何やってんだよ、僕は……。チクショウ……、チックショオオオオオオ!」

 何度も机を叩いて慟哭する。それでも涙も後悔も、止処なく後から溢れてくる。

 その時、ふいにノックも無くドアが開いた。

「この声……、やっぱりチビのね!」

 焦ったような声と共に、セーラー服を着た女の子が部屋に闖入してきた。


「ちょっと聞きたいんだけど、ナルミを知らない!?」

 僕は急な来客の顔に覚えが無く、しばらく彼女の顔を凝視してしまった。それでも分からなかったので、素直に訊くことにした。

「えっと……、どちら様でしょうか?」


 女の子はぽかんと口を開けた後、頭を押さえて叫んだ。

「ああー、そうだった! この前は顔を見せてなかったし、チビはアタシのことを知らないんだった!」

 ……人のことをチビチビ言う失礼な女、なんか覚えがあるぞ。


「ああ……、お前もしかして守か?」

 守はパチンと指を鳴らして、僕に指を突きつけてきた。

「そうよ! それで最初の質問だけど、ナルミを知らない?」

「……知ってるよ、お前のパートナーだろ?」

 彼女は違う、違うと取り乱しつつ、僕に迫ってくる。


「そうじゃなくて、ナルミの居場所よ! どこにいるか知らない!?」

「なんで僕がお前の相方の場所を知らなきゃいけないんだよ……」

「漫才のコンビみたいに聞こえるから、その言い方は止めて……。そういえば、チビのパートナーもいないわね?」

 僕は下唇を噛んでそっぽを向いた。それで察したのか、守は合点が行ったとでも言うような顔をした。


「なるほど、私と同じということね……」

「お前と、同じ……?」

 守は肩を落として、ぽつぽつと語りだした。

「ええ、そうよ。ちょっと上手く行かないことがあって、それでナルミに当たっちゃって」


「喧嘩別れしたってワケか……。まぁ、歌手なんてストレスとか溜まりそうな職業だもんな」

「えっ、知ってたの……?」

 目を丸くする守。僕はテレビで彼女とナルミが紹介されていたことを説明した。

「そういうことね。でも、チビは家ではテレビを付けないの?」

「まぁ、ずっとゲームをやってるからな。あと、決定的な根拠は名前だ。本名の絃色守と芸名の黒森愛。本名を分解すると糸、玄、色、守。それを玄、守、糸、色の順に並び替える。くろもり、いとしき。いとしきを愛しきに変えて、しきを抜く。すると黒森愛になる。偶然にしては出来すぎているし、意図して作った芸名なんだろ?」


 さらに守は目を丸くして、拍手してくれた。

「すごいわね。でもそこまでしないと確信を得られないっていうのも、少し鈍感な気がするけれど……。あ、だから探偵っていう人種は人の心に疎いのかも」

「……褒めるのか貶すのか、どっちかにしろ。あと僕は探偵じゃない」

「あ、ごめんなさい」

 くすくすと悪戯っぽく笑う守。少し苛ついたが、彼女と話したおかげで少し落ち着くことができた。


「でもチビのパートナー……、えっと名前は何だっけ?」

「夢月ノゾム」

「そうそう、ノゾムもいなくなってたなんて……」

「お互い大変だな」

「本当にね。……あれ?」


 急に守は目をしばたたかせて僕のことを凝視し始めた。

「どうしたんだよ?」

「ち、チビ! あんたの体、バトルフィールドに入る時みたいになってるわよ!」

 言われて僕は自分の体に目を落としてみた。確かに体の表面を市松模様が覆っている……。


「……バグにしても意味が分からないぞ。それに今はメンテナンス中だろ?」

 そう言いつつ僕は腕時計に目を落とした。時刻は丁度、メンテナンスが終わる時間だった。

「今時、腕時計? それにそれ、女性ものじゃない……」

「うるさいな、僕の勝手だろ」


 守は嘆息して、プログラムデータを取り出した。

「やっぱり、メンテナンスは終わってるわね」

「でもそれ自体が直接的な理由ってことはないだろう。お前には何も起きてないんだからな。何か他に僕だけがバグに巻き込まれた理由があるはずだ……」

 しばらく無言で守はデータを動かしていたが、ふいにあっと声を上げた。

「もしかして、これじゃない?」


 守は僕の前にデータを差し出してきた。その中に一つの画面があった。画面の中ではノゾムとナルミ、小野崎クルミとそれにモンキーゴリラがまるで今から戦いが始まるかのように向かい合っていた。

「ど、どういうことだこれ……!?」

「私が訊きたいわよ。何でチビのキャラとナルミが一緒にいるの?」


 そうこうしている内に、僕の体は完全に少女のものになった。

「あんた、そういう趣味だったのね……」

「僕はアバターの設定はしていない。それより守、原因が分かったぞ」

「ほ、本当!?」


 ついさっきまで僕のプログラムデータが置いてあったはずのテーブルを見て、先を続けた。

「今、僕のプログラムデータはおそらく、ノゾムの手にある。そしてノゾムとナルミが一緒にいる。それとメンテナンス直後に僕に異変が起こったことを結び付けて考えれば、導き出される結論は一つ」

「いいから、とっととその結論とやらを言いなさいよ! これだから探偵脳は……」

 僕にだって、頭の中を整理しつつ話す権利はあると思うんだが……。それに探偵じゃないし。


「僕のプログラムデータがナルミをプレイヤーと認識してしまい、バトルが始まってしまったんだ。本来のプレイヤーである僕の体は、それに共鳴して律儀に変化したんだな」

「……チビ、自分の持ち物ぐらいきちんと管理しなさいよ」

「うっさい、冷静さを失ってたんだよ」


「はぁ、まったく……。でもそれが今回は役に立ちそうね。チビ、今すぐSTの公式サイトにログインしなさい」

「は? 何でだよ」

「いいから、早く」


 守はお返しとばかりににやにやと笑っていた。彼女の真意は分からなかったが、僕は大人しくその言葉に従った。

「入ったぞ。それで、これからどうするんだ?」

「オッケー。ちょっと貸しなさい」


 スクリーンを守に譲る。彼女はすぐにあるページに入り、それを僕に見せた。

「……ST用プログラムデータの位置情報、か。なるほど、これで現在地は分かったな」

 彼女達はここから少し離れた場所にいたが、徒歩十分で駆けつけられる距離だった。

「さぁ、行くわよチビ!」




 ぽつぽつと雨が降り出し始めていたが僕達は構わず、雨具無しで外に飛び出した。

 街の中は相変わらずたくさんの人で混雑していた。急いでいる僕等には彼等が壁になって、邪魔で仕方無い。おまけに今の僕の体はアバター、つまり巫女服を着た少女のものだ。ああ、滅茶苦茶走りにくい……。


「くそっ、こうしている間にもノゾムが……!」

 僕は彼女の手に持つプログラムデータを歯がゆい思いで睨んだ。

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