三章4 『戦国最強の武将』

 東京での生活は一週間を過ぎた。

 僕は今までのように、一日中ゲームをし続ける日々を送っているはずだった。だけど何かが違った。それは対戦のために外を出歩いているから、同じゲームをしている人と顔を合わせているから。そして何より、隣で一喜一憂してくれるノゾムがいるからだ。

「やりましたね愛、これで百連勝です!」

「まぁ、勝たなきゃその時点でゲームオーバーだからな」


 ハイタッチを求めてくるノゾム。さすがにそれは恥ずかしいので、僕はそっぽを向くことで辞退した。

「むー、タッチ、ハイ!」

「いやいや、ハイと言われてもな……」

「ノゾム様、ご主人様は嫌がっておられます。それ以上の強要は遠慮してくださいませ」

「にゃはは、星夜は相変わらず石頭だにゃ~」

 おまけに傍で見ていて、応援してくれる人もいる。

そんな日々が何だか、とっても楽しかった。

 ところでノゾムと心の間にあった気まずい空気だが、それはいつの間にか雪が解けるように消えていた。


「心ちゃん、そのアイス美味しそうですね~。私にも分けてください!」

「仕方ないにゃ、一口だけやるにゃ。あ~ん」

「あーん……」

 すかっ。ノゾムが口にする前に、スプーンが引っ込められていた。そのせいでノゾムは空を食む羽目になった。すぐに彼女は違和感に気付き、心を恨めしそうな目で見下ろした。


「うう……。酷いですよー」

「にゃはは、冗談にゃ。ほら、もう一度」

 再びスプーンを差し出す心。そしてノゾムが口を近づけ、今度はワニのごとく獲物を狙う! が、それより早く心はスプーンを避難させた。結果、ノゾムは思いっきり歯と歯をかち合わせることに。


「ううう! もう心ちゃんなんて知りません!」

「ご、ごめんだにゃー」

 ご覧のように、すっかり仲良しに。一体、どうやって仲直りしたのやら。人の感情に疎い僕には、まったく分からなかった。


 僕はプログラムに目を落として現在の戦況を確認する。

 残りの人数は十人。順位は僕があの時から変わらず三位、一位にはモンキーゴリラ、二位は氷空とかいう奴。ラブは順位が下がって僕の一つ下の四位。おそらく仕事のせいでプレイ時間がきちんと取れていないんだろうな。

 ここまで参加者が減ると、半分以上のプレイヤーは敗北が怖くなって戦いを避け、残り半分はそいつ等を食い物にするために積極的に動く。


 勝つためには後者になり、相手にプレッシャーウィ与えるぐらいでなければならない。それにこのゲームには、キャラにも感情がある。つまり心理戦で勝てば、相手二人に効果がある。おまけにノゾムは今存在する中で唯一のNキャラ。情報強者共は当然僕達のことを知っているだろうし、警戒もしている。裏を返せば、相手は必要以上に慎重になってくれるということ。付け入る隙がたんまりできるということだ。

 だけど現実はそう甘くないということを僕等はすでに知っていた。

 それは九十九戦目のことだった……。


   ○


 STでもNは所詮N。今まで勝てたのはただ運良く立て続けに奇跡が起きていたおかげだ、ということが一つの戦いで証明された。

 気に食わないが(僕とよく似た容姿の)アバターのおかげで、エールパワーは基本的にこちら側が勝っている状態で勝負が始まることが多かった。しかし何度も戦っている内にIが男ではないかという疑惑(実際はそれが真実なのだが)が浮上し、ネカマのレッテルが貼られて、一度だけ互角の量で戦う羽目になった。相手は戦国プリンセスの織田信長、UR。原作ゲームでトップクラスのレア度とステータスを誇る、超強敵。

 彼女はパーティドレスと戦国甲冑を組み合わせたようなカオスな衣装を纏い、僕等の前に立ちはだかった。


「第六天魔王、織田信長じゃ! 儂の天下布武の邪魔をする気なら、土下座をする前に叩き切るからな!!」

 ……本物の信長はそんなことは言わないだろうが、まぁ、そこはゲームということだろう。

 この戦いでは絶望的な出来事が立て続けに起こり、窮地まで追い詰められた。

 だが信じられないような奇跡が起き、辛くも勝利を手にすることができたのだった。




ステージは以前の熱帯ジャングル。丁度雨が降っており、相手の主要武器である火縄銃は使えない。おまけにこちらはここの複雑な地形を理解している。攪乱はお手の物だ。

 それでも相手には他に、数多の破壊兵器等を持っている。幾万の足軽、百間を薙ぎ払う常識外の刀、地平線の先まで飛んでいく矢。そして火縄銃は本気で発砲すれば、軽く山一つを吹き飛ばす。雨ごときで使えなくなるのが不思議だ……。


「敵は桶狭間にあり! 者共、突っ込めええええええ!」

 ……ここ、どう考えても日本じゃないだろ。野生の木々が密集するジャングルだろ。そんなツッコミをする余裕ができたのは、敵の猛襲をかいくぐり、洞窟のような場所まで命からがら逃げた後だった。


 結局このゲームではプレイヤーが攻撃を食らったとしても命に別状は無かった。しかし捕らえられたり気絶したりすると、指示出しやリミッター解除などの一部行動が封じられるため、どちらにせよ攻撃からは逃れなければならない。神視点でプレイするのってスゲー楽だったんだなって、身をもって知ることになった……。

「どうします、愛? 隠れていてもいずれ見つかってしまいます」

「焦るな、勝機はある。信長は強気なことばかり言ってるけど、一つだけ弱点がある」

「それは一体……、ううっ」


 急に彼女は額に手を当てて、苦しそうに呻き始めた。

「大丈夫か?」

「え、ええ……。続けてください」

「あ、ああ。あいつは部下を気にしすぎて、自分の真価を発揮できていないんだ。彼等ごと僕達を吹き飛ばすことだってできただろうに、それをしなかった。つまり信長が僕達に止めを刺すには、至近距離からの一撃でなければならない。そこに付け入る隙がある」


 こんなことを言ったらノゾムは怒るだろうかと緊張しながら表情を伺ってみると、意外なことに彼女はにこにこと笑っていた。

「そうですね。いっそのこと、部下の方を人質に取ってみてはどうですか?」

 僕はびっくりして、袴が汚れるのも構わず尻餅をついて後ずさりをした。というか、もうすでに枝にひっかけたりして布の部分はだいぶ減っていたけど……。


「……ノゾム?」

「はい、そうですよ。お久しぶりです愛……いえ、I。ふっふふふ」

 彼女の瞳は赤く輝き、狂気の色に染まっていた。

 今の彼女はあの夜、僕がノゾムだと認めた彼女だ。でも今はそうは思えない。彼女はノゾムじゃない。

 会いたかったはずの、赤い瞳のノゾム。自分の全てを理解してくれると期待していた彼女は今、恐怖の対象に変わっていた。それは今の自分が女の子だからかもしれない。


 いつものノゾムの方が安心できた、一緒にいて楽しかった。今の彼女は怖い。空間を共有していると息苦しい。何もかも見透かされそうで、怖い。

「それで、I。この前のお返事、聞かせてほしいのですが」

 自分の着物の袖を握り、歯をガチガチと鳴らして首を横に振った。彼女は瞳に一瞬、失望の色を見せたがすぐに蠱惑な笑みでそれを隠した。

「そうですか、残念です。けれどいつか、古い私と新しい私が一つになります。その時、君が私を受け入れてくれると信じて。良き日々を」

 やがて雨脚が弱まった時、彼女の瞳はいつもの黒いものへと戻った。


「ほえ……、私は一体?」

 彼女は虚ろな目で辺りを見回した。

 僕はいつものノゾムに戻ったのが嬉しくて、思わず抱き付いてしまった。

「あ、あの。どうしたんですか、愛?」

「何でも無い……。何でも無いよ、ノゾム」

 彼女は目をパチクリとさせていたが、いつまでも泣き続ける僕の姿に目を細め、優しく頭を撫でてくれた。


「ふふ、まるで本当に妹ができたみたいです」

「もう妹でもいい……。だからずっとそのままでいて、お姉ちゃん」

「はいはい。まったく、しょうがない愛ちゃんです」

 ずっと彼女の胸に顔をうずめていたかった。こうしている間はずっと、ノゾムが彼女自身でいてくれると確信できたからだ。


「ノゾム。ずっと一緒にいてくれるよな。どこかにいったりしないよな?」

「当たり前じゃないですか。私はどこにも……、ううっ!」

 その時、彼女は頭を押さえた。僕の顔からさっと血の気が引いていく。こうなると、ノゾムがノゾム自身でなくなってしまう……。そんな不安が胸を巣くった。

「どこにも行かないでくれ! ずっと今のままのお前がいい! もうあんな怖い思いは、したくないんだ……」

「……だ、大丈夫ですよ。私はずっと、私のままです。夢月ノゾムのままです。他の誰かになったりするわけ、ないじゃないですか」


 ノゾムは僕の頭を強く抱く。彼女の手はなぜかぶるぶると震えていた。

「ノゾム、手が……」

 無理に笑う声が聞こえた。ノゾムの体が熱があるかのように熱くなって、冷や汗がたくさん出始めていた。

「怖いんです」

 頭の上に冷たい雫が一粒落ちてくる。二粒、三粒、そして数えきれないぐらい。雨じゃない。雨粒はこんなに柔らかくない。きっとこれは涙。ノゾムは今、泣いているんだ……。


「私、時々意識が途切れてしまうんです。最初は眠り病……ナルコレプシーになってしまったのでしょうか、って思いました。でも、違うんです。私の意識が戻った時には時間が過ぎて、何かが変わっているんです。部屋が散らかっていたり、窓が割れていたり……。そして自分の手には、木刀があるんです。意識を失う時間は徐々に長くなっているような気がします。もしかしたら、無意識の内に何かをやっていたのかもしれない。その想像は次第に確信に変わっていきました」

 そこで彼女は僕の肩に手を置き、真っ直ぐに目を合わせて言った。

「ねえ、愛。正直に答えてください。私には、私ではない誰かが住んでいるんでしょう?」

 僕は自分の涙をぬぐって、こくりと頷いた。

 ノゾムは泣き笑いのような顔をして、肩を落とした。

「……やっぱり、そうでしたか」

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