三章3 『ファーストキスの定義~百合編~』

 目を覚ましてしばらく、僕はぼんやりと辺りを見回す羽目になった。ここがどこかすぐに分からなかったのだ。

記憶にある慣れ親しんだものとは違う天井をしばらく眺めている内に、ようやく自分がSTのためにここに来たのだと思い出す。

 布団をのけ、寝起きの頭を刺激しないようにゆっくり起き上がる。

付けたままにしていた腕時計を見ると、まだ七時前だった。

夕飯の前にシャワーでも浴びようかと思い、布団から出る。その際に、何気なく自分のバッグを置いた場所に目を向けた。だがそこには僕のバッグではなく、可愛らしいキャリーケースが二つ、仲良く揃えて置かれていた。


「え……、愛?」

 浴場の入り口からノゾムの声が聞こえてきた。そこにはバスローブ姿の彼女がいた。顔は仄かに上気し、髪はしっとりと濡れていた。下着を付けていないのだろう、僅かに見える胸の辺りにブラジャーはな……。

「ど、どこ見てるんですかーーーーーーッ!」

 虚空に現れた光輪からミサイルのような勢いで木刀が飛んできて、僕の眉間にぶち当たった。面……、飛び道具とか邪道だろうが。




「にゃはは、面白いかと思ったんだがにゃー」

 犯人の供述によると、ノゾムが風呂に入ったっ時に犯行を思い付き、我慢できずに実行したとのこと。犯行内容は眠っている僕を起こさずに自室に連れ込み、入浴から出てきたノゾムと鉢合わせるという、シンプルにして悪質なシナリオ。

「というか、どうやって僕を運んだ?」

「普通に負ぶってきたんにゃけど」


 ……気付けよ僕。

「それで心様、他に言い残すことは?」

 マジ切れモードの星夜はテーブルナイフを彼女の喉元に宛がっていた。

「あのー、星夜さん? 私は怒ってないので、何もそこまでしなくても……」

「いえ、あなた様で無く、愛様の身を心配しての処置ですので」


 大真面目な顔で言い切る星夜。そこには冗談の欠片も無かった。

「愛~、どうにかしてください」

 泣きついてくるノゾム。ちなみに彼女はバスローブから制服に着替えなおしている。……少し、残念だった。


「僕に面倒ごとを押し付けないでくれ……。というかこの件は心の自業自得だろう」

「でもでも、星夜さんの眼が怖いんですよ! あれ、普通に人を十人ぐらい殺めてきた侍の眼光を放ってますって! 心ちゃんの首ぐらい、すぱっと跳ねちゃいますよー!!」

 確かに彼女の眼は月の落とす白く冷たい光を放っていた。ノゾムの言葉が過言でないのは一目瞭然だ。……僕も無益な殺生は見たくないし、仕方が無い。助けてやるか。

「星夜、それぐらいでいいだろう。僕も無事だったんだし」


「……分かりました。二度とこのようなことをしないと誓うのならば、今回は愛様の許しに免じてナイフを収めましょう」

「誓いますにゃ!」

 元気良く返事する心。絶対反省してねえ、こいつ。

「いいでしょう。以後、このような危険な行為は慎むように」

「あの、危険って何なんですか? 私はいたって安全な、ごく普通の女子高校生ですよ」


「黙らっしゃい。昨夜の公園でのこと、しかと目に焼き付けました。あの女のこともあったので触れてきませんでしたが、今の内に言っておきましょう。もしもあれ以上の不躾なことをするつもりなら、容赦なくその首を貰い受けましょう」

 見てたのか……。僕としてはノゾムより星夜の方に罰を下したい気持ちなんだが……。そうするとさらに話がややこしくなりそうだし、黙っておくか。

「そろそろ夕飯を食べないかにゃ?」


「それなら、僕はそろそろ自分の部屋に戻るよ」

 自分の部屋に戻ろうとする僕の服の袖を誰かが掴んだ。ノゾムだった。

「……なんだよ」

「せっかくだから、一緒に食事しましょう」

「いや、僕は一人でするのが……」

「ね」

 笑顔で誘ってくる彼女の頼みを断りきれるはずも無く、結局僕は素直に折れた。

「……分かったよ」




「ステーキです! 素敵ですー!」

「魚だにゃ、酒の肴だにゃ!」

「心ちゃんはまだ未成年でしょう、これは大人の飲み物です。ごくごくごく……、ぷはー」

 かしましコンビと酒飲みが豪快に食い散らかす中、僕は隅でこそこそとカレーを食べていた。

「……そういえばノゾム、お前テレビに出てたぞ」

 彼女の手がぴたりと止まった。そして錆び付いた機械のようにぎこちなくこちらを向いた。


「ど、どういうことですか?」

「STの特集をやっていてな、そこでピックアッププレイヤーと使用キャラの紹介をしていて、そこでな」

 ノゾムの持っていたスプーンが音も無く絨毯の上に落ちた。目は満月のように丸くなり、口はぽかんと開かれていた。


「ほ、本当ですか……?」

「ああ、本当だ。皆、お前のことは知らなかったけど、これで少しは人気者になったんじゃないか?」

 僕が茶化すように言うと、彼女はオウムのように人気、人気と呟いていた。何だか少し調子がおかしいように見えるのだが……。

「……なんか、人気っていうフレーズに引っ掛かりが……」

 落ち着くまで、放っておいた方がいいかもしれない。

僕は気分を変えるため、心に話しかけた。


「そういえば心、お前気付いてたか?」

「何がにゃ?」

「昨日会った、顔を隠した女。あいつ、黒森愛だったらしいぞ」

 音も無く絨毯にフォークが突き刺さった。


「マ、マ、マ、マジかにゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

 心のバックでは雷が暴れまわっていた。予想通りのショックっぷりだ。

「何で何で何で気付かなかったにゃ!? いやいや、愛っちの勘違いということは……。そういえばノゾムっちと同じ服を着ていた女、思い出せば特別番組に出ていたにゃ。うううううう、どうして気付かなかったにゃ!?」


 床の上をコロコロ|(カーペットクリーナー)のようにころころと転がる心。最終的には勢いが付きすぎて、突き刺さったフォークをバネに天井に突っ込んだ……って何だこれ?

「目~が~回る~にゃ」

 頭から落下する心。その時、たまたま天井を見上げたノゾム目掛けて。ぐんぐんと高度を下げて二人の距離は接近する。彼女等は常人離れた身体能力の持ち主だ。そんなコンマ数秒の間でも回避行動は取ることができる。しかしそれを二人同時に行い、かつ心が目を回していたせいで喜劇は起こった。


 心はノゾムの背を掛けた椅子を掴むことで、落下を止めようとした。ノゾムは立ち上がって、心をかわそうとした。だが心の視界が大回転していたことでその手は大きく狂い、結果的にノゾムの肩をつかむことになった。これでノゾムは落下地点から逃れられない。おまけにノゾムが立ち上がるために顔の位置を変えようとしていたことも災いした。

 彼女等の顔は上下逆転して向かい合っていた。そして最初は額と額がぶつかる形で近づいていた。それが目と目が合わさり、鼻と鼻が直線状でぶつかり。最後には口と口が、つまり……。


「――ッ!?」

 時間が停止した。二人は大きく目を開いて天井を、絨毯を見つめる。顔は徐々に朱に染まり、明後日の方向に向けられた瞳は涙で潤んだ。

 上下逆転していても、口付けとしてカウントされるんだろうか? もしもそうなら、これが彼女達のファーストキスになるんだろうな。


 僕が勝手に思案をしている内に心の体がぐらりと揺れ、床に傾く。ショックで硬直していたノゾムは瞬間的に我に返り、彼女の体を受け止めようとする。だが心が動揺し、必要以上に彼女の肩を掴んでいたせいでその動きが不自然なものになった。

 そのまま二人共倒れ込む。

「いたた……、ひゃっ!?」


 喜劇はまだ続く。偶然に偶然が重なり、ノゾムの手は心の心の臓の上に、つまり胸の上に。慌てて手を離したものの、触れていたという事実を払拭することはできない。彼女達は耳まで顔を真っ赤にして、互いの顔をじっと見つめ合う。

「あ、あのその、ご、ごめんなさい」

「えっと、別に気にしてないよ、にゃ……。そ、そろそろどいてほしい……んだにゃ」

「は、はい……」


 不自然な笑みを浮かべつつ、席に着く二人。

 その後の食事でも会話は続いたが、ノゾムと心の間で言葉が交わされることは無かった。たまに視線が合うと、慌てて逸らす始末。あんな調子なのに同室で夜を明かすなんて、大丈夫なのだろうか。

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