三章5 『それが武士ってもの』

「どこだっ、隠れてないで出てこんかーッ!」

 信長の威勢のいい声がする。マズイ、すぐ近くだ。

 ノゾムの消沈は理解できる。だけど今は、この戦いを乗り切らないといけない。そうじゃないと、彼女と別れることになってしまう。

「……そんなの嫌だ。ノゾムと別れるなんて、嫌だ」

「愛?」

「僕はお前と一緒にいたい。これからも、ずっとずっと、一緒に生きていきたい。だから負けたくない、負けちゃいけないんだ……」


 強気なことを言っているのに、取った行動はそれとそぐわないものだった。僕は力いっぱい、ノゾムに抱き付いていた。本当なら励ましてやらなきゃいけないのに、実際には甘えていた。戦わなきゃいけないのに、どうしても怖い。逃げ出してしまいたい。頭ではすべきことを分かっているのに、心が付いてきてくれなかった。

 ふいに額に優しく柔らかい、湿った感触があった。ノゾムが口付けをしてくれたのだ。ぐちゃぐちゃになっていた心はふっと落ち着き、身も心も彼女の温かさに満たされた。

「大丈夫ですよ、愛。たとえどんな私になっても、君をお守りするという思いは変わらないはずです。だってそれが、武士ってものですから」


 木刀を地面に突き立て、彼女は立ち上がる。

「そういえば、ナルミちゃんは遠くの電線を切断していましたよね」

「ああ、空割れっていう技だ。刀で空を裂き、中空に衝撃を生み出す。夢葉が何世代も掛けて生み出した秘技。もしもそれを会得した者が人に放ったら、奇跡でも起こらぬ限り、その命は間違いなく散るだろうって言われている」

「あはは。私には逆立ちしたってできそうにないです。でも……」

 彼女は鬨の声が響く方向に目を向け、光輪から木刀を抜いた。


「やらなきゃいけないんです」

「……ノゾム。確かに奇跡が起きれば、まぐれでも空割れを放てるかもしれない。だけどそれでもあいつ等を全員を倒すのは無理だ。空割れの攻撃範囲はほぼ直線。だけどあいつ等は僕達を囲うように迫ってきている」


「分かってます。私は空を割るつもりはありません」

 木刀を強く握り直し、さらに地面に深く差し込む。

「空は虚空。避けても一瞬でその傷は塞がってしまいます。相手は軍勢、有効な攻撃は集団の足並みを乱すもの。さて、ここで問題です。全ての人々は何を支えに立っているでしょう?」

 木刀が突き刺さった地表は雨があまり当たらず乾いていた。そのせいか地面には小さなヒビが入っていた。……まさか!?

「お前、地割れを起こす気か!?」


 ノゾムはにっと笑い、ジャングルの木々を睨んだ。

「大地が割れるほどの衝撃が生まれれば当然、地面が揺れます。それは広範囲に広がることでしょう。軍勢には馬に乗っている者もいました。馬は自然の驚異に対して人間以上に敏感で、臆病です。つまり直接攻撃の当たらない者にも有効ということです」


「理屈ではそうかもしれない。問題は、お前が本当にそんなことをできるかだ」

「できなきゃ終わるだけです。私達がプレイしているゲームは周回ゲーム。こうして逃げ回ったり迷ったりすることさえ、本来なら時間の無駄なんです」

「やれやれ……。娯楽の世界ぐらいは、社会の影響を受けないでほしかったな」

 いよいよ軍は目視できる距離まで迫ってきた。


 ノゾムは柄に掛けた手に一層力を込め、刀身と平行になるように足を大きく開いた。同時に木刀が漆黒の炎を噴き上げる。

「新月流一の剣。……地割れ!」

 彼女は木刀を前面に押し出すように体を動かし、直角に曲げた腕を徐々に真っ直ぐに伸ばしていく。それに呼応するかのように、地面が大きく揺れ出した。


 最初はノゾムの動作と地震が連動していると考えた者はいなかっただろう。だがノゾムが木刀を動かすほど揺れは乱暴なものになっていく。ついに木刀が地面から引き抜かれる寸前、誰もが彼女と地震の相関関係を認めた。大地には地割れが走り、ジャングルに潜んでいた獣達は木々の合間から飛び出し、火山は不吉な唸り声をあげる。

 そして刀身の全てが地上に晒された瞬間、それは起きた。雷鳴のような轟音が響き、大地が真っ二つに裂けていく。その狭間に暗く深い闇が生まれ、周囲の雑兵や木々、猛獣共を手当たり次第に飲み込んでいく。それはどこまでも続き、地平線さえ巻き込んでいく。墨汁でも染み込んでいたような空に白い光が差し込み、やがて碧い裂け目が生まれた。


 まるで神話のような出来事を目にし、残った者は地面に膝をついてノゾムを見上げた。彼等の眼には畏怖と尊敬が宿り、戦意はまるで残っていなかった。

「ほほう、まさかこのような秘術を残しておったとはな。少し見直したぞ」

 いや、まだ一人だけ彼女に挑む者が残っていた。神仏なぞクソ食らえ、たとえ存在していても利用価値のある道具程度にしか思わない、究極の無神論者。そう、織田信長だ。

「う~、まだやるのぉ?」


 木の影からひ弱そうな少女が顔を覗かせる。赤いフレームの眼鏡、クマのできた目。洒落っ気の無いジャージ。長くのばされた髪だけはきちんと手入れをされていた。おそらく僕のような引き籠りをイメージしたアバターではないだろうか。彼女、今、眠い(-_-)zzz(以下、眠い)が信長のプレイヤーだ。


「当然じゃ。今の儂はお主に使える家臣。何があっても裏切らず、たとえ命を捨てることになろうともお主のために尽くす!」

「私、主君じゃないし。それに信長のこと、家臣だなんて思ってないし。というかもう疲れたよー、降参しちゃおうよ~」

「それは、できん。人生僅か五十年と儂は歌ったが、戦場ではそんなことに関係無く、皆死んでいく。今も数多の命が失われた。あの者達の無念を無駄にはできぬ」

「むー、私達が死んだ方が悲しむって」


 ……負けを認めたらその時点でリタイアだからだろうが。そう突っ込みたかったが、その前にノゾムが彼女達の会話に割って入った。

「あ、あのですね。今は勝負中なんですが……」

 しかし結局、再び夫婦漫才は再開されるのだった。


「うむ? ああ、そうであったな。すまんすまん、うちの当主はちょっと腰抜けでな、こういう局面になると逃げ腰になってしまうのだ」

「う~……。危なくなったら逃げるに如かずだもん、南斉書にもそう載ってるもん」

「書物の教訓など当てにならん。人生の道しるべは野望と銭だけじゃ」

「この魔王に守銭奴が~」

「はっはっは、最高の褒め言葉じゃ」

「全然動じてない……。もー、早く帰りたい、ガチャしたい~」

「ところでふゆ……、主君。昨日も家に帰った後、外着のままくつろいでおったじゃろう?」

「ギクリ」

「いつも言っておるが、皺が付くから帰宅したらすぐに部屋着にじゃな……」

「ああ、聞こえない、何も聞こえない~」


「――いい加減に、しろおおおおおお!」

 僕はしびれを切らして、思わず怒鳴ってしまった。

 ようやく彼女等は二人の世界からこちらに戻ってきた。……この二人、放っておいたら永遠に会話を続けていたんじゃないだろうか?


「おお、本当にすまんな。さて、夢月ノゾムとI。お主等がもう降伏しないのは分かりきっておる。となれば、話は簡単よ。お互い遺恨を残さぬよう、全力で戦おうではないか」

「すでに全力の攻撃を受けていたような気がするんですが……」

「儂を舐めるでないぞ。今まではまだ序の口じゃ。本番はこれからであるぞ」

 信長の底なしの自信に鼓舞され、何人かの兵が戦意を取り戻した。簡単には一騎打ちをさせてもらえそうにないようだ。

 彼女の手には今まで使われていなかった火縄銃が握られていた。


「……信長。今も雨は降り続いている。それは使えないはずだろう?」

 だが彼女は不敵な笑みを浮かべ、鼻を鳴らした。

「馬鹿め。お主ならば知っておろう、儂の世界に存在する、伝説の炎を」

「伝説の炎……、あれか」

 戦国プリンセスの覚醒素材の一つに、カグツチの焔というものが存在する。ドロップ場所が少なく、炎属性のレアキャラの覚醒によく使用される。確かその焔の設定は

『どんな状況下でも消えない炎。その揺らめきは人々の心に闘争心を灯す』というものだったはずだ。


「……まさかお前は、持っているのか?」

「儂を誰だと思っている、第六天魔王織田信長じゃぞ」

 彼女は大きく息を吸い、勢いよく手笛を引いた。明朗な音はどこまでも響き渡り、山から山へと反響していく。


 手笛を吹いてから十秒と経たない内に、ジャングルの奥から忍の姿が現れた。奴の手にはとぐろを巻いた大きな蝋燭が握られていた。その先で燃えているのがカグツチの炎だろう。僕等は奴が接触する前に信長を倒してしまいたかった。しかしすぐ近くまで迫ってきた兵との交戦に邪魔され、彼女に手出しできない。

 そうこうしている内に、忍は信長の元に辿り着いてしまった。


「信長さま。忍・猿、ただいま推参しました」

「うむ、ごくろう。者共、もういい。散れ!」

 信長の指示に雑兵は方々に撤退していく。深追いしても意味は無い、いくら彼女が部下を巻き添えにしないといっても、ごく普通の火縄銃なら周囲に影響なくただ頭を打ち抜くことができる……。

 その間に、信長の横で突っ立っていた眠いがプログラムデータのしるしに触れた。


「今こそ、これを使う時かな~。限界突破」

 おまけに信長のステータスが限界突破した。ただでさえ強力な攻撃が今や一撃必殺を越えたオーバーキル級の威力に。拳がかすっただけで全ライフを持っていかれかねない。あまりにも絶望的な状況に、阿修羅だってもうちょっとか弱いだろうなと明後日の方向に思考が持っていかれかけた。


「準備は全て整った。あとは火を付けて、引き金を引くだけ。つまりこれで王手、チェックメイトじゃ」

 ……何か、何か方法は無いのか? これで終わりなんて、納得できるわけねえ……!

「I。この状況を打破する策、何か無いでしょうか……?」


 火縄銃の発砲準備は着々と進んでいく。信長の手には全く迷いが無く、このままではあと十秒もしない内にノゾムが打ち殺されてしまう。

「抵抗するにも、信長の傍に控えている忍が気になる。奴は猿と呼ばれていた、おそらく後の豊臣秀吉だ。URの速攻型で、原作ゲームではアジリティのキング。おそらくノゾムの足でも太刀打ちはできない……」

 ノゾムは僕の肩を叩き、一点の曇りも無い笑顔で言った。


「やりましょう、I」

「ノゾム……、だけど!」

「このまま行動を起こさなかったら何の道、負けてしまいます。それなら一縷の望みに掛けて、最後まで突き進みましょう。それが武士ってものです」

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