序章4 『夢月ノゾムという少女 その4』

 寮に戻る途中でノゾムはナルミと出会った。

「あ、こんばんは!」

 ノゾムは溌剌とした声でナルミに挨拶をした。

「あ、こんばんはー!」

 ナルミもノゾムに負けないぐらい明るくノゾムに挨拶を返した。

「こんな夜にどうしたんですかー、ノゾム先輩?」

「よく覚えていないんですよー、えへへ」

「あっははー、ノゾム先輩らしいですね」

「もう酷いです、ナルミちゃん!」

「えっへへー」

 ノゾムはナルミに対して何の違和感も抱かずに話していた。ナルミも元からの自分がそうであるように、はきはきとノゾムと話す。

「じゃあ、私はもう寮に戻ります!」

「あ、枯れ園はそろそろ消灯時間でしたね」

「ええ、そうなんですよー。九時に就寝とか酷いですよね、小学生じゃないんですから!」

「あはは、早く地上の春に上がってきてくださいよー」

 彼女達は何一つ、自分の言葉に違和感を抱かない。相手の言葉を疑わない。それもそのはず、二人の言葉は|この世界の事実(・・・・・・・)なのだから。

「分かってますよ。明日こそやります、勝ちます、頑張ります! 光輪はあと十個しか無いですが、へっちゃらです! 私の真剣が、未来を切り開きますよー」

 それを聞いてもナルミはにこにことした笑顔で、ノゾムにエールを送った。

「ノゾム先輩なら大丈夫ですよ、ファイト、ファイトです!」

「いいですねそれ、ファイト、ファイトしますよー!」

 彼女等はおやすみと別れの挨拶を交わし、そのまま別れた。ナルミはノゾムの背中が見えなくなるまで手を振っていた。ノゾムの姿が消えると、途端にナルミの顔から笑みが消えて暗い表情になり、小さな声で呟いた。

「……私、こんな性格じゃなかったのに。なんで自分の言葉で、話せないの……」

 夜空にはたくさんの綺麗な星々が瞬いていたが、そこに月はなかった。


   ●


「……えへへ、やっぱりダメでしたね」

 桜舞い散る校門の前。

 ノゾムはきまり悪そうに頭を掻いて、空を仰いだ。

 まったく雲(くも)のない、一面一色の青空。

「気持ちのいい天気です」

 目を細めて、ノゾムはうんと腕を伸ばす。

 そんな彼女の前で、涙を目に溜めたナルミは唇をかんで俯いている。

「……ごめんなさい、ノゾム先輩。私を庇ったばっかりに……」

「ナルミちゃんのせいじゃないですよ。それに後輩を守るのは先輩の務めですから」

 思い切り胸を叩くノゾム。得意そうな顔だが、彼女は不自然なぐらいにさっきから上(うわ)向いていた。まるで顔を下に向けないようにしているように。

 ナルミは顔を持ち上げ、ノゾムを見やって言った。

「……ノゾム先輩」

「なんでしょうか?」

「こっちを、見てください」

「え? さっきから見てますよ」

「違います。……真っ直ぐ、こっちを見てほしいんです」

 ノゾムの体が強張(こわば)るのを、ナルミは見逃さなかった。

「お願いします。ノゾム先輩と、学校で会えるのはきっと……、今日が最後なんですから」

 ノゾムはぐっと力の入った顔をナルミに向ける。

 ノゾムの瞳は、ナルミに負けないぐらい揺らいでいた。小石を受けた、水面(みなも)のように。

「な、ナルミちゃんはこれからも学校で頑張るんですよ?」

「……はい」

「絶対に、私のように退学になっちゃダメです」

「はいっ……」

「あと、もう一つ。私の信条……、三ヶ条を引き継いでくれませんか?」

 ナルミは堪えきれなくなり、溢れ出した涙を手の甲で拭いながらうなずいた。

 ノゾムは自身を落ち着けるようにゆっくりと一度呼吸してから、言葉を継いだ。

「逃げない、負けない、諦めない。……大事なのは、勝つことじゃない。この三つを守ることなんです」

「……わかりました。心に、刻んでおきます」

 泣きながらうなずくナルミに、ノゾミもまた力強くうなずき返す。

「……体には気を付けてくださいね。夜はちゃんと温かくして寝るんですよ」

「はいっ……」

「好き嫌いしないで食べてくださいね。間食はほどほどにして、ダイエットとかで食事を抜くのはダメですからね」

「ノゾム先輩こそ、あまり食べすぎちゃダメですよ。よく噛んで食べてくださいね」

 ノゾムは「これは一本取られましたね」と頭を掻いた。

 くすりとナルミは笑う。

 春風が二人の間を吹き抜ける。最近になって温かくなってきたと思ったのに、今日は風が強いせいか少し冷えた。

 ナルミの前をふいに一枚の花びらが通り過ぎた。

 どこへ行くのだろう――そう思って目で追い、一瞬ノゾムから目を離して、すぐ。

 ぎゅっと、自分の体が温かなものに締め付けられたのを感じた。

 ナルミがなんだろうと見やると、ノゾムが彼女のことを抱きしめていた。

「ノゾム先……輩?」

「……なる、み、ちゃん……。ナルミちゃん!」

 ナルミの耳元で、ノゾムは叫ぶ。鼻がかって、震えた声で。思いの丈が――塞いだ胸からそれでも溢れ出した何かを、ぶちまけるように。

「わ、わた、私……、本当は、イヤなの」

「……はい」

「ずっと、ずっと一緒にいたかった! もっとナルミちゃんと一緒に、遊んだり、修行したりしたかった……」

「……私もです、ノゾム先輩」

 ナルミはそっと、ノゾムの背に腕を回した。

「きっといつか、どこかで。……また、一緒になりましょう。ノゾム先輩」

「うんっ……、うん!」

 ノゾムは詰まらせた声で何度も答えて、うなずいた。

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