序章3 『夢月ノゾムという少女 その3』

 校長室に辿り着いたノゾムは大きめのため息を吐いた後(のち)、ドアをノックした。しかし返事が無い。今度は室内に声を掛けてノックする。

「すみません、校長先生。いらっしゃいますか?」

 それでも反応が無い。ノゾムは内心で首を傾げた。校長は校長室の引きこもりと言われるぐらい、いつもここに閉じこもっている。だからノックをすればいつだってすぐに返事が返ってきた。だが今日に限って、いくら呼んでも返事が返ってこない。そもそもドアの向こうに人の気配すら感じられなかった。

 ノゾムはいぶかしみながらも声を掛け続ける。


「校長、入りますよ?」

 彼女はそう言ってドアを開けた。

 室内は王室を思わせるような優雅な装飾品と、それに不釣り合いな和の品が混ざり合って置かれている。カーテンは赤色でその横に掛け軸がかかっているという無茶苦茶な和洋折衷は、見る者の苦笑いを狙ってのことだろうかとノゾムはいつも思っていた。


 どこを見回しても、校長の姿は室内に無かった。もしかしてどこかに隠れているのだろうかと彼女は部屋中を探し回り、置物の甲冑の中も確認したが、やはりいない。

 校長を探している途中で、ノゾムは変なものを発見した。それは本棚の隙間にあった。紫と黒、二つの色が止まることなく混ざり合う不思議な石。

「……何でしょう、これ?」

 ノゾムは本をどかし、石を手に取ろうとした。しかしその瞬間、異常な現象が起こった。


「わっ……」

 それは石では無かった。石は本をどかすと同時に膨れ上がり、その隙間を埋めた。言葉で表すなら、それは空間そのものだった。

「……こ、これは……。『どら焼きロボえもん』とか『スマイルプリティー』で見た、時空間や異空間に通ずるあれでしょうか?」

 乏しいSFやファンタジー知識で目の前のものの正体を推察する。一瞬驚きはしたものの、すぐに落ち着きを取り戻せたのは肝が太いからか、それとも危機感が元から無いからか。


 彼女は躊躇無くそれに手を伸ばした。空間に触れた手は、すっとその中に吸い込まれる。

「……これ、万能輪(マスター・リング)みたいなものでしょうか?」

 光輪には一つだけ万能輪と呼ばれるものがある。これは最後まで奪われない光輪で、輪の中が四次元になっている。生徒はその中に教科書やノート類、そして武器を入れて必要時に出し入れしている。実は入学時にその中に所有者の一番の宝物を入れ、卒業まで取り出せないという鬼畜な決まりがあるが、それはまた別の話だ。


 ノゾムの中で恐怖と興味が逆転し、腕を肩まで突っ込み中をごそごそと漁り始めた。

「うーんと……、あ、何かありました!」

 指の先が何か硬質なものに触れた。ノゾムはそれをつまみ、引っ張り出した。

「……名簿?」


 首を傾げて出てきたものを見つめる。それは奇妙な板のような物体だった。半透明で、その上にずらっと名前が載っている。名前はあいうえお順で並び、その横に様々な情報らしきものが書かれていた。

「英語ですね。私、大得意です!」

 文系脳の彼女はガッツポーズをして名簿に目を通し始めた。


「ふんふん、ストレングス、バイタリティ……力に生命力。私達の戦いにおける能力値でしょうか? ラック、運まで測定されているみたいですね。ふっふっふ、それなら私、自信がありますよ! なんてったって、十連続でチョコ玉のゴールデン・エンジェルを引き当てたことがあるんですからね!」

 彼女は自分の測定値が気になり、名簿の下まで一気に視線を走らせた。しかしそれは頭文字が「お」で終わっていた。


「ううー、自分のも見てみたいですー!」

 彼女は再び不可思議な空間に手を突っ込んでその名簿を探し始めた。すぐにまた何かに手が当たり、それを引き出す。

「ありました、たの行のものです!」

 ワクワクしながらさっそく自分の名前を探し始める。


「えっと、なになに……。夢月ノゾム、……レアリティN? Nって何でしょう?」

 しばらく考えていたが何も思い浮かばなかったので、とりあえず先を見てみることにした。

「うわぁ、どれも低いですねー。え、ラックも酷い数値ですか!? むむむ……。これをまとめた人、私のくじ運を知りませんね!」

 不本意な数値に怒りつつも、僅かな期待を抱いて目を通していく。そして最後の項目、備考まで辿り着いた。


「備考、思った以上に人気が出なかったので出番の削減を予定……?」

 意味が分からず首を捻る。しかしそれが悪意ある一文だということは間違いなかった。

「もうもう、何なんですかこれ! 人気とか出番とか、意味の分からない理由で私を低く評価してー!」

 八つ当たり気味に板を机に叩きつけた。だが板は板面に当たる前にぴたりと静止した。その肩透かし感に、彼女の心はさらにささくれ立っていく。


「あー、もう。早く校長先生来ませんかねー?」

 ノゾムは校長の椅子に足を投げ出して座り、行儀悪く足を組んだ。ちょっとした社長気分を味わえる、素晴らしく座り心地のいい椅子だった。彼女はすっかり機嫌を直し、深く沈みこむように座りなおした。


 その時だった。

 彼女は急に背筋が冷たくなるような気配を感じた。

 急いで周囲に目を走らせる。ノゾムの視線は板を取り出した、謎の空間で止まった。さっきまで何も脅威を感じなかったそこは今や変質し、漆黒に染まっている。

 その空間から、黒い触手のようなものがぐにゃぐにゃとうねりながら這い出してきた。


「モンスターが、こんなにたくさん……!?」

 ノゾムの顔は瞬時に凛然としたものに変わり、万能輪を出現させ木刀を取り出した。

 黒い触手はしばらく床を這いまわっていた。ノゾムはそれを睨みつけていたが、すぐに違和感を感じた。触手はただ黒いのではなく、何か細かいものが集まってできているのだ。


「……英文、にしては区切りが細かいですね?」

 彼女の言うようにそれはアルファベットこそ使われていたが、明らかに英文では無かった。それに数字や記号、日本語も使われている。さらに観察を続け、ノゾムは同じ記号、アルファベットがいくつかあることに気が付いた。

「/*、public、Int、PLAYER? よく分からないですけど、こいつ等ただのモンスターじゃないですね!」


 この世界では普通にモンスターが現れ、人間達を襲っていた。そして人々には津波や竜巻のような災害と同じものと認識されていた。しかし時が経つに連れ自然災害とは完全に別のもの、退治しうる現象であると考えられるようになった。人類はモンスターに対抗するために様々な対策を講じた末、一部の女子が目覚めさせる超能力、天使の奇跡(エンジェリック・ミラクル)が彼等に対抗しうる唯一の手段だということが発見された。しかし最近は彼等の出現はめっきり減り、彼女等の力は互いに競い合うものとして使われていた。それが天使決闘の原型だったりする。


 では、ノゾムの天使の奇跡は何か? 実はまだノゾムの力は目覚めておらず、特殊な能力は持っていない。一般人より運動神経がいいだけの、ただの少女だ。だから彼女がモンスターと正面から戦って勝てる可能性はゼロに等しい。それでもノゾムは胸に使命感を滾らせ、木刀を構えた。


「あなた達は私立百合之空女学院二年F組、夢月ノゾムがここで倒します!」

 そして一歩を踏み出そうとした、その瞬間だった。

 ノゾムは黒い触手の一つに、自分の名前を見つけた。


「え……?」

 そこにはさっき名簿で見た単語や数値、それ以外にもあらゆる英単語、そして自分が生まれてきてから今まで発した言葉があった。

「……どう、して?」

 受けた衝撃の大きさのあまり、思わず木刀を落とす。


 それが合図だったかのように、触手はかぱっと口を開き、ノゾムに襲い掛かった。彼女は一口で飲み込まれ、ばくばくと咀嚼される。食む度に文字が消え、触手は小さくなっていった。ノゾムの体はちぎれることは無く、潰されることは無かったが、彼女の表情は少しずつ消えていった。やがて小さくなった触手はノゾムを吐き捨て、その彼女の口の中に潜りこんでいった。ノゾムは意識を失っており抵抗もできず、声さえ出せずそれを受け入れるしかない。

 その間に他の触手は空間から這い出て、校長室を出ていく。


 すぐに外から少女の叫び声や戦闘の音が響く。だが数分も経たない内に騒音は止み、静まり返った。

 それから数分後、ノゾムは何も無かったように起き上がった。

「ううん……、あれ? 私、こんなところで何をしていたんでしょうか……?」

 きょろきょろと辺りを見回し、彼女は首を捻った。


「えっとー……、あ、もうこんな時間! 早く帰って寝ないとですね! 明日も修行を頑張らなきゃいけませんし!」

 立ち上がろうとして地面に手を付いた時、彼女は指先に巻かれたハンカチに違和感を覚えた。

「……あれ? 何でこんなものを巻いてるんでしょう」

 首を傾げてハンカチを解く。その下に隠れていた傷はすっかり消えていた。


「うう、何で私のハンカチが赤く染まっているんでしょうか。もう使えないじゃないですか」

 しかめ面でポケットにしまい、彼女は校長室を出た。

 しばらく廊下を歩いていると、床に散乱したガラス片と割れた窓がノゾムの視界に飛び込んできた。


「な、なんですかこれ? ……まさか、モンスターが?」

 一瞬表情に緊張が走ったが、すぐにそれを笑い飛ばした。

「あっはっは、そんなことあるわけないですよね。どんなモンスターだって聖結界(ホーリー・スィーマーバンダ)を突破できるはずがありませんしねー。きっと、また天使決闘の流れ弾で壊れてしまったんでしょう。窓さん、可愛そうです……」

 窓に手を合わせ、ノゾムはその場を去った。

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