序章2 『夢月ノゾムという少女 その2』

「……どうしてノゾム先輩は怖くないんですか? あと一回でも負けたら、ここから去らなきゃいけないんですよ。それに、光輪の数が少ない人は、多い人の挑戦を断れない……。明日にも負かされて、退学になってもおかしくないんですよ!」


 百合学院のルールで、持っている光輪がゼロになった時点で強制退学になる。そのせいで光輪が僅かになった生徒が部屋に閉じこもってしまうことも少なくない。

 夕日がビルの山に掛かり、河原を一段と明るく照らした。その燃えるような光景の中、ノゾムの笑顔は今までよりも眩しく輝いた。


「だからこそです。負け、それがあるから私は戦える。だって負けがあるってことは、勝利があるということ! 胸熱ですよっ、その瞬間を想像するのは!!」

 興奮して素振りを始めるノゾム。ナルミは目を細めて、夕日の中で木刀を振るう彼女を見つめた。


「ノゾム先輩は、強いですね……」

 その言葉に、ノゾムは首を捻った。

「そんなこと無いです、弱いから負けるんですよ。だからたくさん修行して、私はもっともっと強くなるんです!」

 風切り音を響かせてノゾムは早素振りを始める。

 その時、土手の方から笑い声が聞こえた。水色のワンピース、丈の長いジャンパースカート。ノゾム達と同じ学校の生徒だった。

 彼女達はノゾムの同級生だ。しかし住んでいる寮は楽園。つまり相当の実力者たちだ。


 同級生は彼女に気付き、声を掛けた。

「おーい、ノゾム! 何やってんのー?」

 ノゾムは彼女等と張り合うように、大きな声で言った。

「しゅーぎょーうですー!」

「修行ぅ? ――アッハッハッ!」

 同級生は、おかしそうに腹を抱えて笑い出す。

「無駄無駄ッ! やるだけ無駄だよ。弱すぎて剣道部を追い出されたあんたに、何ができるってーのさ?」

 ノゾムはすぅっと大量の空気を吸い込んで、怒鳴るように答えた。

「しゅうううぎょおおおでえええすうううッ!!」

「なにムキになっちゃってんのぉ? アハハ、アハハハハハ、アーッハッハッハ!」


 同級生はさらに爆ぜるような笑い声を響かせて、そのまま通り過ぎていった。

「……酷い人達です。……私も」

 ナルミは彼女等に憤りつつも自分が何も言い返せなかったことを悔やみ、へこんでいた。そんな彼女を励ますように、ノゾムは晴れやかな笑みで言った。

「皆が私を笑うなら、勝利の女神様も巻き込んでみせます! お腹を抱えて爆笑させてやりますよー!!」


 その笑みを見た時、ナルミの心臓がどきんとはねたような気がした。底無しの明るさ、決して挫けない不屈の心。ナルミが弱い先輩に心を惹かれたのは、その芯の強さが眩しくて、羨ましかったからだ。

 ナルミは自分が決して弱くないと自覚していた。もしも彼女がノゾムと戦っても、十中八九負けることは無いだろう。それでもナルミは彼女に敵わないと思っていた。その前向きな心は、自分にはないものだ。たとえ何度泥をすすっても、その度に立ち上がる。そして最後にはノゾムに負かされ、自分が膝を折ることになる。


 だからナルミはノゾムとは戦わず、ただ傍で彼女の成長を見守っている。けれども、それももう終わりかもしれないともナルミは思っていた。

 光輪とは、戦いに負けると奪われてしまう賭け金のようなもの。ノゾムはそれを全て失いそうになっていた。人生には、この学校には完全な敗北、リトライを潰す四字熟語がある。自己破産だ。

 何度でも挑戦できるなんて甘いことは、熱血少年漫画のようなメルヘンな世界にしか存在しない。きっちりと勝てる戦いだけを選んで生きていく、これこそが現実での賢い生き方だ。しかしノゾムはいつだって、自分よりも強い者を求めて戦う。ナルミには理解できなかったが、その生き様に憧れのような気持も抱いていた。


「……ナルミちゃん」

 ナルミが呆けている間に、ノゾムは素振りを終えて彼女の隣に座っていた。

「ナルミちゃんにも、夢がありましたよね?」

「えっと、は、はい。でも……」

 組んだ指に目線を落とし、暗い顔になるナルミ。ノゾムはそんな彼女の頭に手をのせ、優しく撫でた。


「たくさんの人に、自分の歌を聞いてもらう。とても素敵な夢だと思いますよ」

「でも、こんな学校でそんな夢をかなえられますか? ここは戦いに勝つことや、強い人にしか価値の無い世界。それに強くならなきゃ、退学になっちゃう。こんな場所でも、私の夢は叶えられるんですか?」

 ノゾムはポケットからハンカチを出して、ナルミの頬に当てた。彼女は何だろうと思ったが、その時始めて自分が泣いていることに気付いた。


「叶えられますよ」


 迷いの無い口調でノゾムは言った。

「誰にだって、夢を見る権利がある。夢を叶える権利がある。そして夢を諦める権利がある。つまり夢っていうのは勝負なんですよ。挑むことができるし、勝ちも負けもある。それなら叶えることができるに決まっているじゃないですか!」

 完全な脳筋バカ、それが夢月ノゾムという少女だ。勝負があれば迷わず挑み、勝つまで何度も立ち上がる。そのための努力は惜しまず、どれだけ苦しくても笑みは絶やさない。まるで少年漫画の主人公のような女の子だった。


 ナルミはそんな真っ直ぐな彼女みたいになりたくて、でも絶対に無理だと思っていた。それが悔しくて、でもノゾムが大好きで。そんな気持を押さえきれず、いつの間にか彼女に抱き付いていた。

「ほえ? ど、どうしたんですかナルミちゃん!?」

「……大好きです、ノゾム先輩」

「ほわわ? わ、私もナルミちゃんが大好きですよ」

 ナルミは人目もはばからず泣き、鼻水を垂らし、でもそれも気にせずに彼女は自分の思いをノゾムに伝え続けた。


「行かないでくださいね」

「え……?」

「ノゾム先輩、どこにもいかないでください。ずっと、ずっとここにいてください、私の傍にいてください。……そうすれば、私も夢を叶えられると思います」

 ノゾムは面食らっていたが、少しずつ表情が和らいでいった。そしてナルミの背中をゆっくりさすり、落ち着かせるように静かな声で語りかける。ノゾムの目も、少し潤んでいた。

「大丈夫ですよ、私はずっとナルミちゃんの傍にいます」

「……絶対、絶対ですよ」

「はい、絶対に……うっ」


 急にノゾムは頭を押さえて呻き始めた。

「ど、どうしたんですか、ノゾム先輩!」

 ナルミは驚きつつもどうしていいか分からず、ただ心配そうにノゾムの顔を覗き込んだ。彼女は顔中にびっしりと脂汗を浮かせつつも、努(つと)めて笑って言った。

「……大丈夫、大丈夫ですよナルミちゃん……」




 その晩、ノゾムは夜の校舎にいた。

 光輪が少なくなった生徒は時々、校長に呼び出される。発破(はっぱ)をかけるためだろうが、多くの生徒は他の者に勝負を挑まれるのを怖がって外に出ない。そのため、呼び出しに応じる者はほとんどいない。


 天使決闘は基本的に授業時間と消灯時間以外ならいつでも行え、場所も戦闘禁止区域内でなければ自由だ。審判の役割も校章型バッジが行ってくれるから、第三者も基本的には必要ない。対戦者さえいれば、すぐに始められる。つまり夜であっても油断はできないのだ。


 そういう条件下であっても、ノゾムは呑気に校長の呼び出しに応じていた。自暴自棄になっているのでは無い。彼女は勝負を挑まれたら受け、勝つつもりだ。どこからそんな自信が出てくるのか、多くの者は疑問に思うだろう。しかし四六時中修行をし続けている彼女からしてみれば、ただ自身の努力を信じているだけなのだ。

 それを知っていて一向に成果が出ないからこそ、周囲の者は彼女をバカにするのだが。


 ノゾムはぶつくさと文句を呟きながら廊下を歩いていた。

「まったく、こんな時間に呼び出すなんて。修行の時間が無くなっちゃうじゃないですか」

 枯れ園は就寝時間が早い。それまでの少しの時間でも木刀を振り続けたい彼女にとって校長の呼び出しは迷惑でしかなかった。それでもきちんと応じる辺り、彼女は律儀だ。


 ふいにノゾムは頭を押さえた。

「あれ……。また、ですか」

 彼女は最近、急に奇妙な頭痛に襲われることが多くなっていた。何が奇妙かというと、その痛みを感じると決まって聞こえるのだ。……怪しげな声が。

『……ざめよ、目覚めよ、我が娘よ。我等の……果たせ、……の全てを……せよ』

 それは低くしわがれている、老人のような声だった。

「……やめて、もうやめてください……」


 その声に耳を傾けていると、心のずっと奥でどす黒い何かが目覚め、湿った体をうねらせるような感触を憶える。ノゾムは必死に抑え込もうとするが、チョコレートのように甘く溶けてしまいそうな衝動に抗えず、ついにその衝動に身を任せてしまう。

 苦痛に歪んでいた口元は怪しげな微笑が浮かび、ぶつぶつとある言葉を繰り返し始めた。

「……したい、したい」

 光輪から木刀を引き抜いて、柄にかけた手に力を込める。

「何もかも、壊したい!」

 風切り音と窓が割れる音がほぼ同時に響く。ノゾムの足音にぱらぱらと破片が落ちていき、それと呼応するかのように彼女は徐々に自分を取り戻していった。


「……なんで、こんなこと」

 へなへなとしゃがみこみ、ガラス片の一つを手に取る。鋭利な突起部分が彼女の指先を切り、切り口から赤い血がぷっくりと膨らんで出てきた。

「校長先生に、謝らないとですね……」

 震える手で止血し、傷口をハンカチで縛る。

 ふと見上げた空に、淡い光を放つ半月が見えた。


「ほわわ、綺麗ですね~」

 ノゾムは昔から月が好きだった。自分の名前に月の名前が入っているのがきっかけだったのだがその内、純粋に月の持つ神秘的な美しさに惹かれるようになった。

 優しい月光に少し心を救われ、彼女は校長室に向かった。

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