第15話 思い出 ※山南敬助side

物語は少し遡る……


「山南さん、また来ます」

「えぇ。いつでもいらっしゃい」


 沖田君と秋月君がいなくなった部屋は急に静かになってしまった。一人で過ごす静けさも好ましいけれど、こうも室内に閉じこもっていると外の空気や賑やかさが恋しくなる。

 二人の食べて行った菓子や茶の片付けをゆったりと済ませ、その流れで自室に置いている大量の本も整理する。二人の笑い声を思い返せば自然と笑みが浮かんだ。

 沖田君も秋月君も頻繁に私の所へ遊びに来てくれる。藤堂君や永倉君もよく顔を見せてくれるし、土方君も……彼は他の隊士に見られたくないのか来るのはこっそりとですが……心配してくれる。


 もう私の居場所がここには無いと知りながら。


 全ての本を元の場所に収めたのと同時に、襖越しに声がかかった。

「今よろしいかい、山南さん」

「はい、どうぞ」

 襖を開けたのは伊東甲子太郎。

「体調が悪かったと聞いたのでね」

「おかげさまで最近は落ち着いていますよ、ありがとう」

 伊東さんは部屋に入ってきたものの腰は降ろさず薄く笑ったまま。

「体調が宜しいなら少しボクに付き合ってもらおうか」

 敬意を払っているのか見下しているのかよくわからない口調はいつも通り。

「えぇ、かまいませんよ」

 断る理由も無かったため屯所を出て、言われるがまま町外れの茶屋に入る。個室をとり中へ入ると、伊東さんは前置きも無く口を開いた。

「山南さん。ボクの見る限り、貴方の思想と新撰組のやり方はそぐわない」

「……どうなさったのですか?藪から棒に」

「否定できないでしょう」

「……」

「志を曲げてまで新撰組に留まる必要など無い。ボクと一緒に動いてもらえないか」

 永倉君や沖田君の言葉から、伊東さんが隊を二分しようとしていることには気付いていた。伊東さんが多数の隊士に声をかけていることも。

 私を引き抜きのダシにでもするつもりですか

 無論、私が今の新撰組の在り方に不満を持っていることも計算に入れたのでしょう。

 新撰組は本来、日本にやってくる外国人を追い払う攘夷を行うために組織されたはずだった。それなのに実際は、幕府の命を受け幕府のために動いている。

 新撰組は会津藩お預かりという身分のため、幕府の意向に背けば新撰組が成り立たないことも、自分達を武士として取り立ててくれた幕府のために働きたいと望む近藤さんの気持ちも、もちろんわかっている。

 だが生まれてきた意味を果たせず幕命のまま人を斬り続ける新撰組を見るのは、あまりにも辛い。

 その思いを伝えるだけの力はもう自分には無い。それが堪らなく悔しかった。その悔しさを痛感するたびに己の身体はどんどん動かなくなっていく。その繰り返しだった。

「ボクは新撰組と行動を別にするつもりだ。その暁には山南先生の悲願である攘夷にも力を尽くす」

 やはり、伊東さんの目論見は新撰組からの離脱でしたか

「……しかし、脱走は法度破りでは?」

「あんな奴ら、論で丸め込めばどうにでもなる。土方君は黙っちゃいないだろうが、局長がボクを斬ることはあるまい」

『たかが時勢に逆らう野蛮者共』伊東さんはそう言った。

「山南さんならお気付きと思うが」

 そう。私にはわかっていた。

 このままでは、新撰組は時代の荒波に直面することを。そして、彼らが躊躇なく破滅への道を選ぶであろうことも。

 本当は、屯所を西本願寺へ移す前に消えてしまおうかとも思ったのですが。

 己が目指していたものと、新撰組が目指す方向は違った。

 それならば何故、私は今も彼らと共にいるか。

 それはやはり私が、彼らのことを好きだからでしょうねぇ……

 近藤さんの人柄に惹かれ、江戸の小さな道場で過ごした日々。志の赴くまま剣の腕を磨き、学を深めた日々。

 それらは学問や見識を越えた深さまで私の中に根を下ろした思い出となっていた。力任せに引き千切るには眩し過ぎるその根に引きずられて、ずっと新撰組に留まっていた。

 でも、自分の不甲斐無さを嘆きこそすれ、後悔を感じたことは無い。心から彼らを大切に思っているからだ。

 もし彼らのことを憎んでいたら、私はさっさと新撰組を見限っていたでしょう。

 土方君が聞いたら、私のこの考えを「弱い」と嗤うでしょうか。

 それとも「山南さんらしい」と笑ってくれるでしょうか。

 土方君は、もう新撰組に私の役目が無いことを知っていて、それでも追い出しはしなかった。

 どうやら、やっとお役に立てそうですよ


「山南君。おれはいつも君を頼りにしているよ」

――――近藤さん


「山南さぁーん、お邪魔してまーす」

――――沖田君


「やっぱり山南さんって頼りになるなぁ、ありがとう!」

――――藤堂君


「たまには外に出ろよ、山南さん。酒でも飲みに行こうぜ」

――――永倉君


「山南総長。また本をお借りしたいのだが」

――――斎藤君


「小難しい話でも山南さんが話すと解りやすいからすげーよなー」

――――原田君


「山南さん。お茶、ご一緒させていただけませんか?」

――――秋月君



「あー、なんだ。その……具合は、どうだ。山南さん」

――――土方君



 私の志は新撰組では果たせない。

 でも、私は新撰組が好きだった。


「伊東さん。―――新撰組がどういう場所か、私が教えて差し上げましょう」

 顔を上げて微笑んだ山南の目には、静かな決意が宿っていた。


 翌日の夜更け。荷物をまとめ「江戸へ向かう」と置き書きを残して部屋を後にした。

 襖を閉める直前、がらんとした自室を見回す。

「…」

 それから静かに襖を閉め、もう振り返らなかった。

 廊下を歩きながら、ふと見覚えのある人影に気付いて足を止めた。その瞳には悲しげな光が浮かんでいる。

 そうですか、"彼女"も……

 そして、


「こんな時間に、どこへ行くのですか?秋月君」

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