第14話 ほころび

「馬鹿野郎!何で……何で連れて帰ってきたんだ!!」


 罵声と共に永倉は渾身の力で沖田を殴り飛ばした。脱走した山南を連れ帰って来てしまった沖田を。

「…」

 俯いたまま何も答えない沖田に、再び拳を振り上げた永倉を止めたのは、他でもない山南だった。

「永倉君、これで良いのですよ」

 微笑みさえ浮かべて屯所の中へ入って行く。怒りをぶつける場所を無くした永倉は燃えるような目で沖田を睨むと、足音も荒くどこかへ去った。

 山南は近藤と土方と少しだけ何か話した後、隊規に背いたとして切腹を申し付けられた。


――――――…


「はぁ……、いてて」

 沖田はただ一人縁側にいた。身体が飛ぶ勢いで殴られた頬は未だに熱を持っている。

 永倉さんの顔を見たら「やっぱり連れて帰ってくるべきじゃなかった」とすごく後悔した。

 でも、これは山南さんが選んだ結末。昨日、山南さんを見つけた時に理解したはずなのに……自分のせいで山南さんが死ぬことに変わりないんだと思うと、周りの景色がひどく歪んで見える。自分がとてつもなく汚い人間に思えてきた。

(小夜ちゃんは、どこへ行っちゃったのかな)

 脱走したのは山南さん一人ではない。小夜ちゃんも同じ日にいなくなっていた。

 二人の脱走を関連付ける人もいるけれど、山南さんは何も言っていなかったし、なんとなく何かが違う感じがする。


「総司」

 振り返れば、普段通りの仏頂面した土方さん。平然とした土方さんの顔を見ていたら、山南さんの脱走は私の悪い夢で、私が山南さんを連れ戻してきたことも夢の中の出来事なんじゃないか……とすら思えた。

「山南さんの介錯はお前に頼む」

「……夢じゃなかった」

「何の話だ?」

「独り言ですよ」

 脱走は切腹。わかりきっていたこと。それに山南さんの介錯を断るつもりはなかった。

 もちろん山南さんの首を刎ねたいわけではないけれど、私以外の人が山南さんの介錯をするのはもっと嫌だ。追手を引き受けたのも同じ理由からだった。

「ところで小夜ちゃんは見つかったんですか?」

「いや。……山南さんも何も知らねぇってさ」

 嘘、ですね。土方さんは嘘を吐いている。

 まったく、私を誤魔化せるわけないでしょ。何年一緒にいると思っているんだか、この人は。

「だがこれは間違いねぇ。山南さんと秋月の脱走に関連性は無い」

 うん。これは嘘ではなさそうですね。

 山南さんはきっと、小夜ちゃんが脱走した理由を知っていた。それでも止めなかったってことは、小夜ちゃんにも何か特別な理由があったんだ。

 ……全然気が付かなかった

 何か思い詰めていた様子は見かけなかったし、それとも一くんは気付いていたのかな。永倉さんは?原田さんは?平助は?

 一緒にいた時間はたくさんあったはずなのに見逃してしまったのか、それとも急に脱走しなければならない状況になったのか

 山南さんも小夜ちゃんも止められなかった。私は今まで何をしていたんだろう


「山南さん、沖田です」

「どうぞ」

 西本願寺の一室。迎えてくれたのは普段通りの笑顔を浮かべた山南さんで……もうわかっているのに全て悪い夢だったら、と再び考えてしまう。今にも、『今度は何をやらかしたんです?』と困ったように笑いながらお茶を差し出してくれそうだ。

 だが、ここは現実だ。

「……私が介錯させていただくことになりました」

「あぁ、沖田君がやってくれるような気がしていましたよ」

 衣服を改めた山南さんの脇には小刀が置かれていた。

 山南さんは、本当に死んでしまうんだ

 介錯を引き受けたくせに何を言ってるのか、と叱咤する声が自分の中で聞こえたけど、聞こえないふりをした。

 山南さんに死んでほしくない

 幼い頃から近藤さんや土方さんとはまた違う意味で慕っていた人だった。

「先程、永倉君が明里を連れて来てくれましてね。私は、会わずにいようと思っていたのですが……。最期に会えて良かった。明里には、たくさん救ってもらいましたから」

 私を殴った後、永倉さんは明里さんを呼びに行っていたんだ。一目でも山南さんに会わせようと必死に町を駆ける永倉さんが目に浮かぶ。

 私だけじゃない。永倉さんも藤堂くんも、土方さんだって山南さんを慕って頼りにしているのに、どうして死ななければならないんだろう……こんなところで死ぬべきではないのに。

 そう言いたかったけど、そうすれば山南さんを困らせることはわかっていた。

 私は江戸にいた頃から、山南さんの話を聞くのが好きだった。

 試衛館にいたのは原田さんや土方さんみたいな荒っぽくて滅茶苦茶な人ばかりで、山南さんみたいに穏やかな話し方をする人は他にいなかったし、山南さんは本当に色々なことを知っていた。

 毎日毎日剣術ばかりやっていて思想や時勢にも興味が無かった幼い私に、山南さんは尊王攘夷だの長州だのとよく話してくれたっけ。

 何しろ興味が無いものだから、ついぼんやりと聞いてしまうことも多かったけど、それでも山南さんは根気よく色々な話を聞かせてくれて。そして話の最後には必ずこう言った。

『宗次郎。これからこの国は大きく変わります。私達が新しい時代を切り開けるかもしれませんよ。身分など関係無しにね』

 未来への憧憬を語る時の山南さんはすごく楽しそうで、私はこの時の山南さんを見てるのがとても好きだった。

 その山南さんは今、着物の前を広げ小刀を握っている。その手は微かに震えていた。

 武士だろうと何だろうと自分の腹に刃物を突き立てるのが痛くないはずがない。そのために自分はここにいるのだ。山南さんを確実に死なせるために。

「こんな役を押し付けられて申し訳ありませんね。

 だけど私は、君が介錯を引き受けてくれて良かったと心から思っているんですよ……宗次郎」

「山南さん……」

 小刀を持つ手は震えていても、声は落ち着いていた。

 『宗次郎』と私を呼ぶこの人は、江戸にいた頃の山南さんそのままだ。

 山南さんの傍らに立ち、静かに刀に手をかける。初めて人を斬った時ですら、ここまで躊躇はしなかった。


『私達が新しい時代を切り開けるかもしれませんよ、宗次郎』


 どんなに頭を捻っても、出てくるのは楽しそうに未来を見ていた山南さんの穏やかな声や笑顔ばかり。教えてもらった話の内容は全く思い出せない。

 山南さんの話、もっとちゃんと聞いておけば良かったなぁ……


 慶応三年二月二十三日

 山南敬助

 切腹


――――――…



「土方さん。……山南さん、切腹されました」

「そうか」

 襖越しの声に短く返事をすると総司は無言で部屋の前から去った。


「どうすっかな……」

 目を瞑れば、甦るのは山南さんとの最後の会話。


「山南君……」

 山南さんが待機していた部屋に足を踏み入れるなり、近藤さんは痛ましそうに声をかけた。静かに顔を上げた山南さんと視線がぶつかる。

 全てを覚悟した目。まっすぐ過ぎて痛ぇくらいだ。

「先に断っておきましょう。秋月君の脱走と私の脱走に関係はありません」

「秋月のこと、何か知ってんだな?」

 二人の脱走に関係が無いことは予想していた。山南さんは自分の荷物を全て纏めて出て行ったが、秋月の部屋からなくなっていたのは刀だけだったからだ。

 今も三番隊の奴らが秋月を探しに出ている。今朝には、見つかった後に復隊できるよう俺の部屋に嘆願書まで持ち込んできた。

「彼女は自分の過去を清算しに行ったのですよ」

「行き先は実家か」

 人を殺すことを生業とする秋月の生家。だが何故あいつは黙って出て行ったりしたのだろう。事情があるなら前もって話してくれていれば、何かしら手筈を整えてやることも出来た。

「無断で出て行った理由が、何かあるんだな。それも俺達に言えねぇような理由が」

「それは私からお話しすることは出来ません。言わないでほしいと頼まれていますから。しかし、秋月君は、新撰組を大切に思っているからこそ出て行ったのです。

 そして、きっと帰って来ます。信じて待っていてください。」

 帰る場所があることが、彼女にとってどれだけ救いになるか

 言われなくてもわかっている。秋月が、新撰組を自分の居場所だと思ってくれていたことくらい。だから脱走したと聞いた時は耳を疑った。

「だが秋月も脱走したことに変わりはない」

「秋月君の家族が危篤ということにでもしておけば良いでしょう。

 彼女は近藤さんの血縁という名目で小姓をしていたのですから、彼女の親族もまた近藤さんの親戚、という説明は成り立つはずです」

「……あんたはどうする。隊規に背いたのはあんたも同じだ」

「トシ、なんとかして山南君を無罪放免にはできないのか?」

 近藤さんは眉間に皺を寄せている。

 あんたがそんな顔するなよ。

 眉間に皺寄せんのは俺の仕事だってのに。

「せめて、平助が帰って来るまで待とう。それくらいの猶予があっても良いじゃないか」

 平助は昨日、山南さんが使いに出した。早くても半月は帰って来ない。

「山南さん。あんたは平助に自分の死に場を見せねぇよう、使いに出したんだろ?」

「…」

 言葉は発さなかったが表情を見れば肯定だとわかった。

「なら、平助を待つのは逆に酷だぜ近藤さん。山南さんにも平助にもな」

 平助は俺を恨むだろう。だが山南さんの意志を汲めばそうするしかない。

 近藤さんは眉間に皺どころか泣き出しそうな顔になっちまった。なんとか山南さんを切腹させまいと必死で考えているのが伝わってくる。

 俺だって山南さんを切腹させたいわけじゃねぇ。

 意見が合わねぇことはあったが、山南さんを鬱陶しいと感じたことなんざ一度もねぇよ。

 むしろ山南さんと互いの意見をぶつけるたびに、俺ひとりでは気づかなかった考えの穴を指摘されるのは楽しみでさえあった。自分の戦略が山南さんの思いを受けて洗練されていくようで。山南さんだって同じようなもんだろうと勝手に思ってたんだ。

「土方君。私の脱走を見逃してはいけませんよ」

 静かに微笑む新撰組総長は、目だけが笑っていなかった。

 山南さんは、もしかして伊東のことを言っているのか。

 伊東達が隊を抜けようと画策しているのは山崎の探索から上がっていた。それだけが脱走の理由とは思えねぇが、何かが山南さんをここまで追い詰めてしまったんだ。その理由の大半は恐らく俺の振るった采配のせい。

 山南さんならわかってくれると思った俺の甘えだ。いや、実際山南さんはわかってくれていたはず。そして、俺は、物分かりの良すぎる山南さんをここまで追い詰めてしまったんだ。


「すまねぇ、山南さん。すまねぇ……」

 片膝を立てて額を押し付けた。刻一刻と変わっていく時勢、陰でごちゃごちゃ動きやがる伊東達、離れて行こうとする仲間、離れてしまった仲間……

「くそっ」

 本当に大切なものを守るために定めたはずの隊規が、本当に大切なものの一つを俺の目の前から消してしまった。

 それでも俺は、立ち止まれない。

 ったくよぉ山南さん、あんた自分がどんだけいい奴か自覚してねぇだろ……

 山南の不在は、山南本人が考えていたよりもずっとずっと大きい。新撰組全体にも土方歳三という男にとっても。

 やがて土方はすっと顔を上げた。


 やってやるぜ。乗り切ってやるよ。時勢も、隊内のゴタゴタも。

 ここまでやってきたんだ。こんなとこで俺が潰れるわけにはいかねぇよな。


「山崎」

「はい」

「今日も色々動いてもらうぜ」

 開いた襖から現れた山崎に向けられた土方の目は、もう新撰組副長のものだった。


――――――…


「あーあ。もう、やだなぁやだなぁ。

すみませーん。……ケホ、ゲホッ」

 沖田は京の町外れに住む医者を訪ねて来た。

 咳は止まらないし熱は出るしで、そのうち風邪と誤魔化すのもキツくなってくるだろう。それでも医者にかかるつもりは無かったのだが。

 山南さんに諭されたら来るしかないですもん。

 あの日、土方さんから山南さんを追うように言われて馬を走らせた。

 見つからないと良いんですけど。

 正直そう思ったし、それは全員の共通した願いだったと思う。だから適当に立ち寄った茶店で山南さんの方から声をかけてきた瞬間、血の気が引いた。

 もっと遠くに逃げてくれれば良かったのに。

 そして同時に気付いてしまった。本当に逃げる気があったなら自分から声をかけたりしない。

 山南さんは最初から逃げるつもりなんて無かったんだ。

 でもそれを認めてしまったら、山南さんを屯所に連れ戻さなければならなくなる。脱走した山南さんが屯所に戻れば、待っているのは切腹。

「やはり追手は沖田君でしたか」

 私の困惑を余所に山南さんは穏やかな笑顔を浮かべていて、やはり全てを覚悟しているんだと思い知らされた。

 その晩は宿をとってから帰ることにした。無駄だとわかっていても山南さんの最期の時を少しでも先延ばしにしたかったから。

「身体の調子はどうですか?」

 山南さんが言っているのは私の咳や熱のこと。

 他の人には風邪で通しているけど、山南さんにだけは『なんだか身体が変なんです』と打ち明けていた。

「たまに咳は出ますけど隊務に支障はありませんよ」

 私の笑顔が無理矢理なものだと、きっと山南さんは気付いてるんだろうな。

「しかし、少し痩せたようですねぇ」

 案の定、山南さんは眉を下げて困ったように笑っている。昔、見つかってしまった悪戯を誤魔化そうとする私を見た時と同じ目だ。

「このところ隊務が続いていましたから。心配するほどのものじゃありませんよ」

「……やはり一度、医者に診てもらいなさい」

『宗次郎。ちゃんと土方君に謝りなさい。私も一緒に謝りますから』

 悪戯が見つかった私を諭すのと同じ声。

「救える、生きられる命は生きるべきですよ」

(じゃあ山南さんも生きてくださいよ……)

 そう口の先まで出かかった。

 私は、山南さんがどうして脱走したのか知らない。でも、死を覚悟してまで新撰組から身を引いたんだ。命をかけて為そうとしていることに口は挟めない。

 言葉や行動で山南さんを逃がすことはできるかもしれないけど、それを山南さんは望んでいない。

「……」


 自分が生きるべき命に値するのかはよくわからない。少なからず人を殺して生きているのだから。

 でも山南さんの忠告なら聞かなければならない気がして、こうして医者を訪れたのだった。

 医者は眠そうな顔をした初老の男だったが、症状を話し始めると真剣な表情になり丁寧に診察した。

 何か病になったって、剣が振るえるなら私は気にならないけどな

 診察を終えた医者の表情は険しくやがて重々しく口を開いた。

「沖田君。そりゃ、労咳や」

 労咳―――血を吐きながら死に至る不治の病

「……そう、ですか」

 不思議と恐れや絶望は感じなかった。山南さんがいなくなり小夜ちゃんがいなくなり、感覚が麻痺していたのかもしれない。

 気になったのは、私はいつまで剣を握っていられるのか、ということくらい。

 それから沖田は密かにこの町医者を訪ねるようになった。くたびれた表情にくたびれた着物を纏った男だが、口調や所作から、穏やかで誠実な性格が感じられる医者だった。

 密かに、と言っても土方さんあたりは多分気付いていると思うけど。このあいだは、コソコソ尾行してきた山崎くんを撒かないであげましたし。

 医者に通うようになって何度目かの時、

「ん?お悠、帰っとったんか?」

 診療所を兼ねている家屋の奥から聞こえた物音に、医者は声をかけた。家の奥から若い女性の明るい返事が返ってくる。

「娘さんですか?」

 いつも一人だから、てっきり一人暮らしだと思っていた。

「普段は余所で女中をやってましてなぁ。たまにしか帰って来ないんや。

 お悠、帰ったんなら顔くらい見せぇ」

「患者さんがいらしたようやったから」

 みかん色の着物を着た若い娘が、幼い少女の手を引いて現れた。

「悠いいます。お初に」

「沖田総司です」

 悠はにっこりと笑って頭を下げた。笑うと右の頬にえくぼができる。

 笑顔の似合うひとだな、と思っていると、

「おじちゃーん。また百合がなんか手伝おうか?」

「おぉいらっしゃい百合ちゃん」

 悠が連れていた少女が駆け寄って来た。

 お悠さんの娘にしては、お悠さんが少し若すぎるような……?

 疑問が表情に出てしまっていたのか、悠は気を悪くした様子も無く笑顔で口を開いた。

「この子はうちが働いてる先のお嬢さんで、たまに遊びに来て手伝いまでしてくれはるんよ」

「あぁ、そうだったんですか」

 元々子ども好きの沖田は少女に目を向けた。

 あれ?どこかで見たことがあるような……

「百合ちゃん。患者さんの迷惑になるから、こっちゃおいで」

「はぁーい」

 明るく笑いながら駆けてゆく姿に違和感と親近感が同時に増していく。少女がふとこちらを振り向いた瞬間、やっと思い当たった。

「さ、小夜ちゃん……?」

 百合という少女の顔立ちが小夜に瓜二つだった。小夜は百合のように屈託無く笑うことが滅多にないため最初はわからなかったが、見れば見るほど小夜に似ている。

「どうかしはりました?」

「百合ちゃんが、私の知っている娘にそっくりだったので。あの、小夜ちゃんっていうんですけど」

「小夜、さん」

 小夜ちゃんを知っているのか、百合という少女と何か関係があるのか、

 小夜ちゃんの居場所を知らないか……

 問おうとしたのだが、

「悠ちゃーん、遊んでよぉ~」

 両腕で猫を抱きしめた百合が再び屋内に駆け込んで来た。

「おっ、百合ちゃんはまた猫に好かれとるなぁ」

「あたしが猫さん大好きってこと猫さんにもきっとわかるんだよ!」

 医者に向かってにこにこと笑う百合。確かに、抱きかかえられている猫が嫌がっている様子も無い。

 そういえば、小夜ちゃんも屯所の猫に随分と懐かれていたっけ。

 やっぱり、似ている

 百合は「遊んで遊んでぇ」と悠の着物を掴んでいる。全身全霊で甘える姿は年相応の幼い少女だ。悠は笑顔で頭を下げると出て行ってしまった。


――――――…


 沖田が悠達と出会った翌日の早朝。

 秋月家の屋敷は、京の近くのとある山奥に建っている。その存在が知られぬよう普通の人間は立ち入らない険しい山だ。

 小夜は一人、屋敷の裏手に潜んでいた。


 今朝、彼方の部屋を出てきた。父を止めるため。いや、それだけではない。

 私が行けば、父上も救える。

 兄上は父上を殺す気だ。だけど私は、父上がみんなの暗殺をやめてほしいだけで殺すつもりなんて無い。もし父上が幕府を裏切ったとしても生き延びる道はあるはず。

 新撰組に身を置いていなかったら絶対にこんな考え方はしなかった。"仕事"のためなら肉親でも容赦しない。かつてそう教わった。

 でも今は……兄上が父上を狙うのは間違ってると思う。

 だから、止めたい。

 こんなこと兄上が聞いたら馬鹿にされるだろうな

 ……父上は?

 父上は私の変化をどう思うかな

 私の生き方や価値観、全てを支配してきた父上は……


 小夜は気配をなるべく消して裏口を目指した。

 彼方の部屋を出る前の会話が脳裏に甦る。

「まさかとは思うが、正面から家に入るなよ」

「え、何で?」

「阿呆。家を捨てたおれ達を、父上が『おかえり』なんて優しく迎えてくれると思うか?」

「兄上と一緒にしないでよ」

 兄上は自分から出て行ったんでしょ。

「ふん。とにかく正面から入ったら死ぬぞ」

「じゃあどうやって入るの」

「女中の一人に話をつけてある。おれはここで待っているから、先に行ってこい」

「どうして」

「仲間が死んでもいいなら構わないが。おれは父上が新撰組を始末した後を狙うから」

「……私が行く」

 兄上の話では屋敷の女中さんが、裏口の鍵を開けてくれているらしい。家出したくせに、どうやって女中さんと話をつけたんだろう。

 疑問を感じつつも、裏口の扉にそっと手をかける。人の気配はあるけど殺気は感じない。

――――きっ

 ごく微かな音を立て、扉はすんなり開いた。

「こっちや」

 身体を滑り込ませると、待ち構えていたらしい女の人に手を取られた。

「あなたが小夜さん?」

 この人が兄上の言っていた女中さんかな。私が家にいた頃はいなかった人だ。

 みかん色の着物を着たその女の人は私をまじまじと見て、「あぁ、本当にそっくりなんやなぁ」と嬉しそうに笑った。

 笑うと右の頬にえくぼができる。笑顔の似合うひとだな、と思った。

「旦那様は今朝から修練場に籠もってはります。なんや誰かを待ってはるようで」

「修練場」

 兄上と私が父から[流拳]を叩き込まれた場所だ。私達を、人殺しに育てた場所。

 きっと父上は待ってるんだ、私を。

 助けなきゃ

 時代の流れに翻弄されている秋月一族を

 兄上に狙われている父上を

 父上を狙う兄上を

 そして新撰組のみんなを


 女の人に礼を言って小夜は修練場へ向かって歩き出した。

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