和音と新顔

時は過ぎ、1851年。

4歳になった和音はすっかり近藤家での生活にも慣れ、毎日の稽古に精を出していた。


「おはようございます!父上!」


本日も元気よく周助に朝の挨拶を済ませると、周助は和音の頭を優しく撫でながら言った。


「おはよう和音。今日は新しい門下生が来るぞ」


「もんかせい?」


「和音の後輩だ」


「こうはい?」


4歳の和音には理解できない言葉を並べられ小首を傾げる。

すまんな、と周助が噛み砕いて説明しようと口を開いた時、話題の門下生が試衛館に到着したようだ。


「お、丁度来たみたいだな」


外に目をやった周助に倣い、和音も外を見やる。

すると、周助の養子である勝太が、少年の手を引いてこちらに向かって歩いて来るのが見えた。


「おーい勝太ー!」


周助が手を振ると、勝太も気付いて手を振り返す。


和音は勢いよく廊下を走って玄関まで向かうと、ちょこんと正座をして二人の到着を待つ。


「只今帰りました!」


やがて勝太が玄関の戸を開けると、和音は勢いよく飛びついた。


「かっちゃん!!」


「ただいま和音。いい子にしてたか?」


「うん!みどりのはっぱもたくさんたべた!」


いい子だな、と頭を撫でられ、和音は嬉しそうに目を細める。

和音を追い掛けてやって来て顔を出した周助は、勝太に問い掛ける。


「お帰り勝太。例の子は…」


「こちらです。ほら、宗次郎」


勝太が背後に隠れている少年に挨拶をするよう促すと、宗次郎と呼ばれた少年は恐る恐る顔を出した。


「あ…の、沖田宗次郎です…」


漆黒の細い髪がさらりとこぼれ、線の細い少年の肩を撫でる。

緊張に潤んだ大きな瞳が揺れ、申し訳程度に名乗りを上げた桜色の薄い唇をきゅっと引き結んでいる。


「本日からお世話になります。何卒よろしくお願いします」


震えながらようやく言葉を繋ぎ、深々と頭を下げるその様子は、実年齢より大分しっかりして見えた。


一同は宗次郎が放つ弱々しくもどこか凛とした空気に一瞬言葉を失ったが、やがて周助が宗次郎の薄い背中を優しく叩きながら言った。


「俺は近藤周助だ。よろしくな。歳は幾つになる」


「9つです」


「じゃあ和音より5つお兄さんだ。仲良くしてやってくれ」


「かずね?」


初めて聞く名に問いを投げると、それまで勝太の腕の中で大人しくしていた和音が元気よく手を挙げる。


「あしかわかずね、4さいだよ!よろしく!」


するりと腕を抜け、そのまま軽く地面に着地し、宗次郎に向けて小さな手を差し出した。


「…宗次郎です。よろしく」


遠慮がちに手を握ると、子供の高い体温がじわりと伝わる。あたたかい。生き物とは、こんな温かさであったか。


久しぶりに自分より若輩者の生命に触れた宗次郎は不意をつかれたような表情をしたが、それには気付かない和音は握った手を上下に振り、満面の笑みを見せた。



……………

年も近い2人はそれからすぐに打ち解けた。

今日も家の廊下の雑巾がけをしながら雑談に勤しむ中で、ふと和音の前歴が気になった沖田は疑問を口にする。


「そういえば、和ちゃんはどこから来たんですか?」


その問い掛けに和音は一瞬手を止めて沖田を見つめるが、すぐに作業を再開しながら答えた。


「んー、わかんない!」


「わからない?」


己の出自がわからないとはどういうことかと聞き返す沖田だが、和音は二言目もあまり変わらない回答を口にする。


「うん!和音は赤ちゃんのときからここにいるから、ほんとうの父上と母上のことは何もわからないの」


そこまで聞き、沖田ははたと雑巾をかける手を止めた。

何事かと目を丸くして自分を見つめる和音をじっと見つめ、ぽつりぽつりと自身の経緯を話し出す。


「私は…私は、長男であるにも関わらず幼すぎて家督を継ぐことができなかったんです。だから姉上が結婚して、その旦那さんが沖田家を継ぎました」


「そうなんだ」


「厄介払い…なんですかね」


ぎゅっと雑巾を握る手に力を込める。

ずっと不安だった。近藤は優しく親切だが、それより家族に捨てられたのではないかという思いがどうしても拭い切れない。


この時代、子どもが親元を離れて生活することは然程珍しいことではなかったが、それでも心中の寂しさというのはあるものである。


「“やっかいばらい”って何?」


「あはは、和ちゃんには少し難しかったですね、ごめんなさい」


今回は無邪気な和音に少しだけ心が救われた。

下っ足らずに聞く和音の頭を優しく撫でると、和音が言葉を続ける。


「私は宗ちゃんのことだいすきだよ!」


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和の音が響く あめのすけ @amenosuke78

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