第15話 ダイエット

 私は過食するのを止めた。


 朝は抜いて、昼、夜どうしても食べたいときは、コンビニの蒸し鶏やサラダを食べた。今までどう頑張っても抑えられなかったものがこうも簡単に止められるとは思いもしていなかった。


 以前、過食した後は罪悪感と太る恐怖で、食べものを全部吐き出したいと思っていた。しかし、喉に指を突っ込んでも菜箸を突っ込んでもだらだらと涎と涙が出るばかりで吐けなかった。少しの恐怖もあったと思う。


 けれどその恐怖が今の私を助けているのかもしれない。吐いていれば私がそれを止めるのはさらに難しくなっていたと思うからだ。


 

 毎日、お笑いのことではなく、きれいになる方法を考えた。鏡を見れば面白い歩行方法ではなく、モテるメイクを研究した。ネットを開いても大好きだったコンビのネタを見るのではなく、エクササイズの動画を見て運動した。私は痩せたかった。7月になると、注文した服が着れるようになった。女性もののMサイズだ。



 わかりやすくみんなの目が変わるのが分かった。今まで私にかわいいと言ってきた女性はみんなそれを言わなくなったし、男性によく話しかけられるようになった。こんなことはテレビの中だけの話だろうと思っていたが、本当にあるんだなと思い驚いた。


「めぶ、彼氏いないの?」


 グループワークの途中で優香にそう聞かれた。去年の商品開発のことを思い出しながら、この人はいつもみんなにこんなことを聞いているのだろうかと思いながら、前と同じようにいないと答えると、優香はパッと目を輝かせた。


「え!そうなんだ!めぶのこといいなって言ってる人がいるんだけど紹介しようか?」


 優香のキャッキャッとした声を聞いて、周りにいたの他の子たちも何々?恋バナ?と寄ってきた。いつのまにか私のまわりに輪ができてきた。


 しばらく状況が呑み込めなかったが、私は合格できたのかもしれないと考えた。周りの人が私に笑いかける笑顔を見ていると、私は「女」になることで「人」になることができたようだった。今までのいろんな苦悩はなんだったのだろうと思うと同時にこれだけでよかったのかとなんだか拍子抜けした。


 周りでは私に男性を紹介するという流れから、みんなで飲みに行こうという流れになっており私はその誘いに笑顔で乗った。




「めぶさん?」

 帰ってメイクを直して、髪を編んで…などとイメージしながら大学を歩いていると、後ろから聞き覚えのある声がした。

「ああ…箕輪。」

 黒いワンピースに華奢なサンダルの私の前に、よれよれのTシャツとジーンズを身に付けた箕輪がいた。


「めぶさん、最近サークル来てないですね。」

 私はなんと返していいか分からなかった。箕輪の目の奥には何か凛としたものがあって、熱があって、その瞳が不快だった。


「ああ、そうだ!これから合コン?みたいなのあるんだけど、箕輪もどう?よかったら服も貸すし。そうだ!私がメイクしてあげるしさ!箕輪は磨けば絶対かわいくなるよ!」


 私は気まずいこの場をつなぐための世間話のつもりで話しだしたのだが、途中からは本心で箕輪も「こっち」に来ればいいのにと思っていた。何かを伝えたり考えたりするよりも「女」になってしまった方が安全だし、安心だし、楽なのに、そういう善意で箕輪に笑いかけた。


 だが、箕輪はそれに笑い返さなかった。

「めぶさん。私は、私が好きなんです。だから結構です。」

 真剣な顔でそういい、私の目を見つめた。視線がぶつかる。それに耐えられなくなって私はその視線を外して、じゃあまたね!と箕輪に背中を向けた。


「…めぶさんもめぶさんでいいんですよ。」

 背中から箕輪の声がした。ぶわっと塩ラーメンの香りがした、ような気がしたが、そこには湿ったアスファルトがあるだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る