めぶの春

第14話 春

 タンメンや吉井さんたちが卒業して私は4年生になった。

 卒業間際に私は吉井さんに振られた。私を告白へと勇気づけた背景にはタンメンがいる。


 タンメンは女性のことが好きだ。私がそれを知ったのは去年の年の暮れだった。一緒に住んでいた久美さんも実は恋人で、しかし浮気の末に、家を出て行き今はその人と付き合っているのだとタンメンから涙ながらに聞いた。目を腫らしたタンメンを見て心配していたのもつかの間、タンメンは今度はこんちゃんに猛烈アピールを繰り返した。

 私はこんちゃんが、サークルの卒業生の、今は院1年の彼女持ちの先輩と浮気しているのを知っていたがタンメンには言えなかった。


 こんちゃんに何度そっけない素振りをされてもめげないタンメンを見て、私も感化され、吉井さんをバレンタインデーに食事に誘った。

 吉井さんは私からチョコをもらったあと、「めぶって真由とバイト一緒やんな?」と聞いてきた。真由さんは私がバイトをしている定食屋の先輩なのだが、吉井さんとは同じ学部で同級生だ。吉井さんは、最近真由さんからちょくちょく連絡が来るんよな、と言った後、ニヤつきながらこういった。

「めぶ、真由に俺のこと好きか聞いてくれへん?」


 それでも私は吉井さんが好きだった。卒業式の前日に私は吉井さんに告白した。もちろんそれはあっさり振られたのだが、「めぶはもっと自分に自信持ってな」という一言はそれ以上にあっさりとしていた。


 私と南はと言えば、タンメンと久美さんとは別の理由でシェアハウスをやめていた。原因は私が南の荷物の汚さや家事の分担、生活スタイルについて、文句がとまらなくなったからだった。

 南は私にいくら文句を言われても無言を貫くか、「ごめん」と繰り返すばかりで、それが私の怒りを加速させた。

「言いたいことがあるなら言えばいいじゃん!」

 何度そういっても何も言わない南に、私は目の前にあった、夕飯用にちぎってあったレタスを南に向かって投げた。そのときに、私たちはもう一緒に住んでいてはいけないのかもしれないと思った。きっと一緒に住んでいても、私はこの人を大切にすることはできずに傷つけるばかりだなと思ったのだ。

 11月、私の誕生日の前に南は自分の家へ帰っていった。それから5カ月ほど南とは話していない。


 秋からこの春になる中で、私の中である思いが固まっていた。それは、時に、口に物を詰込み涙と鼻水を垂らしながら、時に無表情で自転車を漕ぎながら、また夜布団に入った時に自然と頬を一筋の涙が伝うのを感じながら思うものだった。

 だれからも愛されないし、誰のことも愛することができない、その思いは次第に私を芸人として生きる道へ駆り立てていった。そしていつのまにかその思いは呪いから信条へ、ネガティブなものからポジティブなものへ変換されていった。


 そうなってからは楽だった。かっこいいと思う人がいても、私はどうせ愛されないのだからと思ってしまえばすぐにあきらめることができたし、新しいバイト先で悪口を叩かれても私はそういうものだし、と思うことができた。

 

*****

「めぶ、ちょっとご飯行かへん?」

 春の新入生歓迎ライブ終わりに曽田が近づいてきた。


 春休みの帰省もろもろで曽田と合うのが久しぶりだったのもあり、私はいいねと頷いた。私たちは春の強風に逆らいながら自転車を漕いだ末、2人でラーメン屋に入った。


「なんか久しぶりやなあ。」

「2週間くらいだけどね。」

 私も同じことを思っていたにも関わらず、照れ隠しでそんなことを言った。

 曽田は私の味噌ラーメンと塩ラーメンを注文すると、大きなあくびを一つした。教育学部はもう少しで教育実習に教員採用試験を控えている。真面目な曽田のことだから夜遅くまで勉強しているのだろう。


 目の前に運ばれてきた塩ラーメンを箸で持ち上げながら、曽田は将来を憂いた。

「俺、このまま教員になんのかなあ。研究室からは何年か留学せんかって言われてんねんけどな、けどなあ…めぶはどうすんの?」

 来るだろうなと思っていた質問に私はラーメンを咀嚼しているフリをして少し黙った。


「今んとこは企業かな。東京の方で就職しようと思ってる。」

 芸人になろうと思っているとはなぜか言えなかった。

「そうなんか、めぶは芸人になるかと思ってたけどな。」

 残念そうな曽田をよそに、少しうれしかった。だが、曽田は箸を止め何かを考え込んでいるようだった。そして一度口を開いたと思ったらまた閉じて、もう一度開いた。


「…めぶはそのままでいいと思うで。あの、ネタも、もっとめぶらしくていいと思うで?」

「…私らしいって何?」私はどんぶりから無表情で顔を上げた。

「その、そんな無理に攻めんくても、めぶの好きなようにやったらいいと思うねん。」

 それを聞いて、私は箸を机に叩きつけた。

「私の好きに、って曽田になにが分かんのよ。曽田はいいよね、いつでもみんなにそのままを受け入れてもらえて。いつでもみんなに愛されてさ。曽田には私のことなんてわかんないよ!」

 そう言うと私は千円札を曽田の前に出して店を飛び出した。


 自転車を漕ぎながら涙が止まらなかった。

 私の笑いに対するスタンスはいつからか変わっていた。前はこういうことを伝えたいとか、こういうことをやってみたいというのを原動力にネタを作っていたのに、今はただただ笑いが欲しい。そのためなら一部の人にしか分からないことも、一部の人を傷つけることもなんでもやっている。そこを一番突かれたくない相手に突かれて恥ずかしかった。

 曽田は「そのまま」で愛されているわけではないことは私が一番知っている。曽田は笑いのために努力している。私はまた一人大切な人を傷つけてしまった。


 私はその日を最後にステージには立たなくなった。

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