第2日-2 スラム街の少年少女

 レインリットさんの案内で向かうのは、旧市街の北東部ペッシェ街だった。そこは、いわゆるスラム街だ。まともな職を得られない人々や、非行少年、闇業者が集まるところ。

 シャルトルト・セントラルの南に新しい住宅地ができたことで、住人――特に若い年齢層の人間がそちらに移動してしまった。だからバルト区では、近年過疎化が問題となっている。その影響の一つが、北東部『ペッシェ街』と南西部『レッヘン街』のスラム化だ。ペッシェ街は、北に位置する工場区画に近く、古い長屋のような集合住宅やおんぼろの倉庫が密集している。レッヘン街は、セントラルが近い所為でかえって空洞化を招いてしまい、シャッターの下ろされた商店街などが立ち並ぶ。そんなところに、行き場のない人間や後ろ暗い人間が寄り集まってくるのだ。

 レインリットさんの言っているアスタくんは、ペッシェの方を根城としているのだという。


「先ほども言いましたが、彼自身は、悪い子ではないのです」


 バルト区の中心に近いところに立つ警察署出て、北上。歩きながら、レインリットさんは言う。砂利を混ぜ込んだようなざらついたコンクリートの壁が迫ってくるような狭い道を、踵のない靴で足早に抜けていく。


「もともと孤児で、養護施設にいたそうなのですが、何か思うところがあったらしく、抜け出してきたそうです。けれど、行き場もなくてスラムに辿り着いた、と」


 そこで、同じように行き場をなくした少年少女たちと寄り添い合い、次第に徒党を組むに至った。そうして今は、市街で小さな仕事おつかいを引き受けつつ、細々と暮らしているそうだ。


「養護施設でなんかあったんですかね?」


 そんな大変な思いをしても養護施設に戻ろうとしないなんて、それなりの理由があるんだろうと思ったが、レインリットさんも首を傾げるばかり。


「どうでしょう。本人に聞く限り、虐待を受けていたわけではないようですけれど……」

「因みに、何処の施設ですか?」

「ディタ区にある〈輝石の家〉です。オーラス財団経営の」


 ほお、と顎をさする。十三年前にできたというその養護施設は、俺にも聞き覚えのあるものだった。なんてったって、あの『オーラス』が財団を設立したのと同時に手掛けた〝慈善事業〟として、当時島中で話題になったからな。


 このシャルトルトは、半世紀ほど前まで人口百人ほどの村とも呼べない集落だった。それをここまでの近代都市に発展させたのが、アルベリク・オーラス――今言ったオーラス財団の会長だ。

 この島では、ヴァイオレッタ・ガーネット(通称:VG)と呼ばれる鉱石が採れるんだが、暗くくすんでぼやけたような紫色の石は、残念ながら宝飾品としてはあまり魅力のない石だったらしい。五十年前までは、採掘こそすれ売れはせず、シャル島は衰退の一途を辿っていた。

 そこに現れたのが、当時大陸の大手企業の社員だったアルベリク・オーラス氏。彼はVGがレーザなどの光学機器に利用できることを見出した。採掘を推進するだけでなく、精製・加工の工場なども立ち上げて、島の経済を盛り上げた。挙句、町の建設にまで携わり、オーラス氏自身も独立を図って『オーラス鉱業』を設立。それから町も企業も発展に発展を重ねて、晴れてオーラスの企業城下町となる現在のシャルトルトが出来上がったというわけだ。

 最近となると、オーラス氏は自らが社長を引退するのと同時に、『オーラス財団』を築き上げた。目的は事業の拡大と地域貢献。レインリットさんのいう養護施設〈輝石の家〉もその一つってわけだ。

 だが、そのオーラスの恩恵も、旧市街にはまだ降り注いでいない。スラムが残っているのがその証拠だろう。


 東の方へ行くにつれ、街に人の活気というものが薄れていく。道は埃っぽくなり、建物もどこか朽ちた印象を与え、空気も淀む。たまにすれ違う人の目も澱み、荒んだ雰囲気を纏っている。スラムが近づいてきた証拠だ。

 俺がバルトを離れて六年近く経つが、ここも相変わらずだ。


 途中レインリットさんは道端に立っていた派手な恰好の女の子に声を掛けた。扇情的ともいえる服装の少女がこんなところに立つ理由なんて、明白だ。だが、レインリットさんは、そんな彼女を穏やかに諭して帰らせた。


「オーラス財団のお陰で豊かになったこのシャルトルトでも、あのような子どもは未だに多いものです」


 渋々といった様子の女の子の背を見送りながら、レインリットさんは憂い顔で呟いた。


「私にも息子がいます。大事に育てているつもりではありますが……もしこういうところに来るようになったら、と思うと恐ろしいものです」

「……そうですね」


 相槌を打ちつつ、脳裏にアーシュラたちのことが浮かんだ。行き場を失くした彼女たちがこういうところに来ていた可能性を考えると、俺もとても他人事では居られない。


「すみません、余計なことでしたね」


 俺の反応をどう受け取ったのか。レインリットさんは軽く謝ったあと、道案内を再開した。その後ろをついていきながら、俺はペッシェ街の現状を観察する。


 生活が苦しくなった人間は自然にこのスラムに流れ着くが、こんなところではその日暮らしから脱却できるはずもない。そしてその薄暗さを嗅ぎつけて、薬物や売春、違法品の取引や窃盗などが横行する。実を言うと、オーパーツが出回るのもだいたいこの辺りだ。こういうところは、どうしたって犯罪の温床になってしまう。

 バルト署は頑張って二つのスラムの治安改善に努めているが、正直に言ってもう、手の施しようがない状態だ。オーラス財団の次の慈善事業は、ここの区画整理なんじゃないかという声もある。噂なんてものじゃなく、あくまで周辺住民の希望の域を出ない話なんだけどな。

 いずれにしても、それだけ大きなテコ入れでもしない限り、ここらが改善されることはないだろう。


 さて、アスタ少年である。

 レインリットさんに連れられて訪れたのは、白いコンクリート壁の箱型の建物だ。扉はアルミ製、摺りガラス入り。実に簡素。プレハブの一歩先を行った程度。何かの小さな事務所か倉庫かな、なんて予想しながら見上げていると、その安っぽい扉の中から、十代半ばの女の子と、それより歳下の少年少女が数人出てきた。


「あら、メイ。お出掛け?」


 見知った間柄か、レインリットさんは気安く声を掛ける。メイと呼ばれた女の子も、慣れ親しんだ様子でレインリットさんの名前を呼び、


「……誰?」


 見慣れない俺の姿に、途端不審の色を表した。


「こちらはオーパーツ監理局のリルガ捜査官。貴方たちから少し話を訊きたいということで連れてきたのだけれど……アスタは居る?」

「……話?」


 メイちゃんの警戒心がますます強くなる。スッとして色気のある茶色の目が、射貫くようにこっちを睨みつけてくる。なんだかシャム猫に睨まれているような気分だな。うちにはもっと塩対応のキアーラちゃんがいるから、こういう態度には慣れてるが……しかし、それにしてもずいぶんと拒絶されているような?


「実は、ワットがこちらのお世話になってね。話を聞かせて欲しいのですって」

「ワット? ……あいつ、何したの」

「とうとう強盗をね」

「あの馬鹿……」


 カールした亜麻色の毛先を乗せた肩が大きく落ちる。呆れと苛立ちってところかな。つまりワットくんは仲間内からもそういう目で見られていたってことだ。


「アスタなら中」


 入って、と歳下の少年たちを引っ張りつつ道を開けてくれる。みんなを纏めるお姉さんって感じだな。確かに、ワットと違って悪い子じゃなさそうだ。


 扉を開いた先は、すぐ階段だった。といっても、視界は開けたまま。フロアまるまる開けた半地下だ。薄い緑色のタイルの上に、粗大ごみとかから拾ってきたような古ぼけた家具を並べて、ちょっとした居住スペースができている。そんな秘密基地みたいな場所で、十人ほどの少年少女が思い思いに過ごしていた。

 ベッドやソファーなんてものもあったが、応対スペースは円形の絨毯の上だ。異国のように靴を脱ぎ、お茶の出ないローテーブル越しにアスタ少年と向かい合う。


「残念だが、いま俺たちはあいつとの関わりはない。あいつが最近どうしてたかなんて知らないな」


 愚連隊のリーダー格だというアスタ少年は、なんと、さっき会ったメイちゃんよりも歳下らしい、十四、五の少年だった。最近手入れができていないのか、長めのブロンドの髪。ラピスラズリのように深い藍の瞳。ずいぶん着回してるらしい古ぼけた黒のパーカーはみすぼらしいが、どことなく存在感のある少年だ。


「そうなの? でも、この辺にいたんならなんか耳に入るんじゃない?」

「あいつはレッヘンに行ったらしいから、何も――」


 レッヘン――もう一つの方か。残念、こっちはスカか? ……と思ったが、やっぱり取り調べでアスタの名前を持ち出したときのワット少年の反応が気になる。


「ワット少年は、なんであんたたちと手を切ったんだ?」

「俺が追い出した」

「ほお」


 感心した。あの手こずりそうな奴を叩き出すなんて、やるな。


「あんたたち大人から見れば俺たちは不良の集まりかもしれないけど、俺たちはただひっそりと生きていたいだけなんだ。だから後ろ指さされるようなことはしない。

 でも、あいつはそういうやつらの事情もお構いなしに、やりたい放題だった。喧嘩はするし、盗みもする。お陰でこっちの評判は下がったし、しまいには奴の行いの所為で、他の奴まで妙なことに巻き込まれた。だから、追い出した」

「その、妙なことって?」

「別に、言うほど大したことじゃない。チンピラに絡まれることが増えたり、変な勧誘が増えたり――」


 ふと、アスタ少年は言葉を切った。むすっと黙り込んでいるのは、何かを思案しているからのようだ。何を――考えている?

 少し、こちらから突いてみるか。


「オーパーツって知ってるか?」


 質問してみると、アスタ少年の眉根が寄った。


「……昔発見された骨董品だろ? 大袈裟にも国で管理してるっていう」

「俺らからしてみると、そこまで昔ってほどじゃないんだけどな」


 しかも認識が微妙にズレてる。


「……んじゃあ、ワット少年が持ってたナックルは?」

「……そういえば、そんなもの持ってたな」


 てことは、ワット少年はペッシェに居た頃からオーパーツを持ってたってことね。


「使い方は知ってるか?」

「……いいや、知らない」

「ふーん、そっか」


 〝知らない〟、ねえ。なるほど。


「OK、分かった。今日のところはこんなところで良いや。また何かあったら来るんでよろしく」

「俺ら、できれば警察には関わりたくないんだけど」


 立ち上がった俺を嫌そうに見上げるアスタ少年。トラブルはゴメンってわけだな。


「善処するよ」


 まあ、たぶん無理だけど。

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