蝉時雨

みよしじゅんいち

蝉時雨

 高村和泉たかむらいずみが転校してきたのは夏休みの少し前だった。期末テストでいきなり一番になった高村は、風のうわさによれば隣町の進学校、八十島やそじま高校を志望しているのだという。ぼくは本屋で「地獄の幾何学問題ドリル」と日の丸印の合格鉢巻を買った。高校入試まであと半年。人生いちどくらいは努力してみようと思った。


 祖父、小野義孝おのよしたかが死んだのは花火大会の晩だった。祖父は硝煙の匂いがするから花火は嫌いだと言って家で留守番していた。その頃ぼくは屋台の前で高村を見つけて「花火きれいだね」と声を掛けていた。

「花火か。面白いよね。光と音の時間差で距離を求める問題とか、炎色反応とか」

 目の前の花火には興味ないのかな。何だか分からないが、高村らしいなと思いながら「金魚すくい得意なんだ。見てて」と大きな黒い出目金をすくってみせた。「ほら上手いでしょ」と振り向いたら、高村はいなくなっていた。神出鬼没なところがまた高村らしかった。

 そんなに欲しい訳じゃなかった出目金を持って家に帰ったとき、祖父は裏木戸の前に倒れて冷たくなっていた。


 火葬場の窓から入道雲が見えた。雲の形が変わるのを眺めていて思い出した。祖父の背中には弾丸の欠片が埋まっている。小さいころに触ったことがあった。背中の一部がコブのように柔らかく膨らんでいて、押すとその芯がグリグリと動いた。痛くも痒くもないらしい。「取り出さないの?」と聞いたら「もういいんだ」と祖父が応えた。祖母が笑いながら「戦争から何十年も経ってるからね。味方から撃たれたんだか、逃げ出すときに撃たれたんだか知らないけど」と言った。祖父は黙っていた。


「こちらまでお越しください」火葬場の職員の呼ぶ声で我に返った。蝉時雨が聞こえる。お骨を拾うときあの弾丸が落ちていないか探してみたが、見つからなかった。


 それからは頭がひょうたん型になるくらい、鉢巻を固く締めて勉強した。地獄のドリルは最初の頁が零点だった。答え合わせのとき、バツひとつにつき自分の頭を一発殴るというルールを決めて勉強した。ひょうたん型の頭がコブだらけになったが、少しずつ解けるようになった。最後の方は満点だった。


 入試当日。八十島高校の試験会場に高村が現れなくて不安になった。しばらくして合格通知が届いたが、風のうわさで高村は町内の(ぼくとは別の)海之原わたのはら高校に進学するらしいことが分かった。どうして風向きが変わったのだろう。あれだけ夢に見た八十島高校の一学期。目標がなくなってしまった。定期テストは高得点だったが、嬉しくなかった。もうすぐ夏休みが始まってしまう。


 祖父の一周忌。重い水桶と掃除道具を持って坂を登る。よりによって水桶をつかんだ指を蚊に刺された。汗が目に入る。こんなことなら留守番しておけばよかった。祖母が花束を抱えて僕の後に続く。祖父の墓の前に誰かいる。背の高い、知らないおじいさんと高村が一緒だった。何の用だろう。立ち止まっていると祖母に何しているのと腕を引かれた。祖母がおじいさんの方に声をかけた。

「小野義孝のお知り合いですか?」

「ご家族の方ですか。失礼しました。小野さんは恩人なんです」

「恩人?」

「はい。新兵時代にお世話になりました。ずっとお礼に伺わなくてはと思っていたのですが、間に合いませんでした。高村と申します」

「そうでしたか。小野義孝の家内でございます」

 高村ということは高村のおじいちゃんなのだろう「ほらご挨拶しなさい、和泉」とぼくの知っている方の高村に声を掛ける。

「お悔やみ申し上げます。高村和泉と申します。祖父がお世話になりました。祖父は最近ブラジルから日本に帰ってきたんです」

 高村に会うのは卒業式以来だった。祖母の前なので仕方ないかもしれないが、他人行儀な高村は何だかぼくの知らない人みたいだった。

「ほら、お前も」と祖母が促す。

「あっ、はい。ええと、小野兼輔おのけんすけです」と蚊に刺された指を掻きながらぼくは言った。


「それでその、恩人というのは、どういう」と祖母がたずねる。

「戦地で私が撃たれそうになったとき、助けてくれたんです。そのせいで小野さんの方が撃たれてしまったのですが」

「そうでしたか。存じ上げませんでした。そうですか、あの人が」と祖母が声を詰まらせる。

「あっ。もしかして、背中の弾丸」とぼくが口を挟む。

「弾丸ですか」

「はい。祖父の背中に埋まっていたんです」

「そのときのもの――かもしれませんね。ずっと埋まっていたのですか?」

「はい。火葬場で探したんですが、なぜだか見つかりませんでした」

「ふうむ」

「327.5℃」とつぶやくように高村が言う。

「えっ?」とぼくが反応する。

「鉛の融点」

「というと」

「溶けちゃったんじゃない。火葬の熱で」

「あっ」

「それか低沸点の化合物が出来て蒸発しちゃったのかもしれない。鉛の炎色反応って覚えてる?」

「ええと。薄い青?」

「火葬炉の中で薄青く光ってたかもしれないね、消えた弾丸。誰も見てないけど」

「なんだ、お前たち知り合い同士なのか?」と高村のおじいちゃんに悟られた。「さあ、掃除するぞ」


「八十島高校に進学するんだとばかり思ってた」と草を抜きながら高村に話しかける。

「小野君こそ、海之原わたのはら高校に行くっていう風のうわさがあったんだけど」

「えっ?」

「風のうわさって当てにならないみたいだね。大学はどこに行くの?」

「まだ決めてないけど」

「決まったら教えてね」

「えっ。それってどういう......」

「......」

 蝉時雨が聞こえる。聞いていなかったが、蝉は鳴き続けていたのかもしれない。

「ほら、お前たち、何しに来たんだ。手が止まっているぞ」と高村のおじいちゃんが言う。墓を水で洗いながら、高村の台詞の意味を考える。抜いた草や枯れ枝を集めて新聞紙に火をつける。墓に線香を供えて皆で合掌する。(じいちゃん、ごめん。さっき留守番してればよかったって思ったの取り消す。いま高村が生きているのも、もしかしたらじいちゃんのお陰なのかもしれないね。ありがとう)


「では、帰りましょうか」残り火を残り水で消して、祖母が言う。

「ところで、兼輔君は八十島高校なんですか」高村のおじいちゃんがきく。

「ええ、そんなに頭はよくないはずなのに、なぜだか頑張ってしまったみたいで」

「いや、残念。うちの和泉も八十島に行くはずだったのですが、直前になってなぜだか志望校を変えてしまったみたいで」

「もう、やめてよ、おじいちゃん」

「えっ。それって、どういう……」

「知らない」

 帰り道。入道雲と蝉時雨。なんだか分からないが、人生もういちどくらいは努力してみようと思った。







この話は、お題を決めて複数人で小説を書く会「小説を書くやつ」で決まったテーマに則って書かれたものです。


第1回のテーマは、ランダムで出てきた3つの四字熟語「高校入試・硝煙弾雨・他人行儀」でした。

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