異世界挨拶長すぎ問題

 異世界転生者、洞小路ウロコウジ香奈カナ

 転生した世界での彼女の名はカナンという。

 カナンの一日は、今日も母親との長い挨拶で始まる。


「ウー、ウラッサッタ! サンパパラビヤ! フェフェイ!」


 カナンが両手を上に挙げ、スキップしながら首を左右に傾ける。


「ジャンガニスカ、タヤレゲンナーヘ!」


 母親は両手を下に向け、片足で立ってその場でターンする。


「「コウォー……」」


 二人は呻き、揃って床に突っ伏した。


「トーイディー、ロメ」

「トーイディー、ハヤ」


 立ち上がりつつ、互いに平手で頬を張る。


「「オンオン」」


 背中合わせになり、上体を左右に揺らす。

 この時、唇は鳥のように尖らせ、身体の揺れは左右とも三十度以内に留めなくてはならない。


「チェケロゼー エノガー」

「サンパパノクコ! フェガフェガ!」


 振り返り、すぐに互いの目を見ないようにそっぽを向き、肩をぶつけながらすれ違う。


「アッタザモドタタナーン」

「サニサニジンエテデレーギ」


 地面を二度踏み鳴らし、指を二本立てて鼻の下に当てる。

 最後に、二人そろって目を閉じ、胸に手を当てて囁く。


「「全てに愛を……」」



 母親との朝の挨拶を終えたカナンは、近くにあったタオルを床に叩きつけながら叫んだ。


「長っっっがいわあああ! 挨拶がぁ!!!」

「また始まったの? カナン……」


 母親は呆れた様子で朝食の準備に戻るが、カナンは一人地団駄を踏み、叫び続けていた。


「異世界の挨拶長すぎるんだよぉ! 毎朝毎朝ぁああああ!!」

「変な子ねえ……今までずっとこれでやって来たでしょう。どうして急にツッコみ始めたの?」

「転生前の記憶が戻ったのが一週間前だからだよぉ!! 記憶が戻るまでの十四年、疑いもなくこの挨拶を続けてきたっていう事実がおぞましいよ!」

「またわけのわからない事を言って……お医者様に見てもらった方がいいのかしら」


 カナンは本気で憤っているのだが、母はまるで取り合わない。


「っていうか、サンパパラビヤ、とかチェケロゼー、って何なの!?」

「遥か昔にどこだかの邪神を封印した儀式を模しているらしいけれどねえ」

「なら『邪神封印!』でいい! 2秒で終わるよ!!」

「そういうわけにはいかないでしょう。みんなやってるんだから」

「これはみんなやってるけどみんなが全員おかしいパターンでしょ……」


 食卓に着いた後も、カナンの愚痴はおさまらない。


「あとさあ、途中で床に顔着けるのも意味わかんない。普通に汚いでしょ!」

「……うちの床は汚くないでしょ」

「いやあの、お母さん、ちょっとめんどくさいから今そこにキレないで」

「うちの床は汚くないでしょっ! いつもパパが綺麗に掃除してるんだから!」

「わかった、うん、うちの床は汚くないです。それはごめんなさい。パパに謝る」


 母の圧に負けたカナンは頭を下げて謝罪した。


「わかればよろしい」


 温かい野菜のスープが器に注がれ、食卓に並ぶ。

 バターを塗った黒っぽいパンは甘みがあって香ばしく、茸、卵、ハムを合わせた炒め物は母の自慢の料理の一つだ。

 挨拶さえ除けば、素晴らしい朝の食事の時間である。


「それはそれとしてさ……外でもこの挨拶すんのマジ馬鹿でしょ……土だよ? 土に顔付けるんだよ?」

「まあ、それは確かにねえ……」

「雨降った時とか絶対外出たくないし、出たら知り合いに会いたくないじゃん」

「まあ、辛いところではあるわねえ」


 カナンは溜息をつき、遠い目をして語り出す。


「あのね、お母さん。私、この世界割と好きなんだよ。スマホもネットも無いけどさ。自然は豊かで食べ物は美味しいし、みんな親切だし、魔法とか幻獣とか夢があるし」

「スマホって何? ネットって?」

「お母さん、ちょっとめんどくさいから今そこにツッコまないで。その輝かしい世界で挨拶だけがクソなの……唯一の問題点なの」

「あ、お父さん」


 カナンがぶつぶつと文句を言い続けていると、いつの間にか父親のナザランが食卓に姿を見せていた。

 ナザランは少しとぼけたところはあるが、子煩悩な良い父親だ。

 カナンが転生してこの家に生まれたことは幸運と言える。


「ほら、カナン。一緒にお父さんに挨拶。三人のやつよ」

「はぁ……」


 母に促され、カナンは渋々椅子から立ち上がる。そして父と母と三人で、三角形を描くように立って並んだ。


「ウー、ウラッサッタ! サンパパラビヤ! フェフェイ!」


 カナンが両手を上に挙げ、スキップしながら首を左右に傾ける。


「ジャンガニスカ、タヤレゲンナーヘ!」


 母親は両手を下に向け、片足で立ってその場でターンする。


「カポスコネリジェ! ズトウェケケ!」


 父親は壁を蹴って高くジャンプし、わざと着地に失敗する。


「「「コウォー……」」」


 三人は呻き、揃って床に突っ伏した。


「トーイディー、ロメ」

「トーイディー、ハヤ」

「トーイディー、ザハ」


 立ち上がりつつ、三人で右回りに平手で頬を張る。


「「「オンオン」」」


 背中合わせになり、上体を左右に揺らす。

 この時、唇は鳥のように尖らせ、身体の揺れは左右とも三十度以内に留めなくてはならない。


「チェケロゼー エノガー」

「サンパパノクコ! フェガフェガ!」

「ザトトクノッコン」


 振り返り、すぐに互いの目を見ないようにそっぽを向き、肩をぶつけながらすれ違う。


「アッタザモドタタナーン」

「サニサニジンエテデレーギ」

「オネセペリ」


 地面を三度踏み鳴らし、指を三本立てて鼻の下に当てる。

 最後に、三人そろって目を閉じ、胸に手を当てて囁く。


「「「全てに愛を……」」」


 心底ゲンナリした顔で父親との挨拶を終えたところへ、弟のポナタが駆け込んでくる。


「あっ、姉ちゃん」

「なんっで一人ずつ出てくるんだよぉおお!」


 カナンが突然泣きそうな顔で叫んだので、ポナタは不思議そうに目を丸くした。


「お父さんと一緒に出てきてよぉ! そしたら挨拶一回で済むんだからぁ! ご飯が冷めるじゃんよぉおお!」

「あー、ごめん姉ちゃん。お手洗いに行ってたからさあ」

「カナン、いいから早く挨拶しなさい。お父さんはさっき済ませたから」

「私もポナタとはさっき挨拶したから、二人でやりなさい」

「うう……ちくしょおおお……」


 悔し涙に濡れるカナンは、緩慢な動作でポナタと二人用の挨拶を開始した。

 だが、その中盤で事件は起きた。


「トーイディー、ロメ」

「トーイディー、ザハ……あ、間違えた」


 うっかりポナタが三人用の挨拶を口走ってしまったのだ。


「十年以上やり続けても間違えるような挨拶、今すぐ止めちまえよぉおお!!」


 カナンは床にうずくまって呪詛の声を上げた。


「ごめーん姉ちゃん、もう一回最初からやろう」

「間違えたとこからでいいじゃん!? 何で必ず最初からやんの!?」

「カナン、そういう決まりだから。みんなやってるから」

「ほら、カナン。早くやってあげて」

「クッソ……もぉおおおお!」


 長くなるので割愛するが、この後一度カナンが手順を間違え、三度目にしてようやく挨拶は終了した。

 食卓に戻ったカナンは既に一日の力を使い果たしたように疲れ切っている。


「譲るよ……」

「譲るって、何をだい」


 突然遠い目をして謎の発言を始めた娘に、父は戸惑いながら尋ねる。


「百歩。百歩譲るよ。序盤のワケ分かんない呪文みたいなのはいいよ。いや、そこが長いのが一番嫌なんだけど……一旦譲るとして」


 ばん、と机に手を置いてカナンは立ち上がった。


「最後の『全てに愛を……』はマジで何よ!?」

「カナン、食事中に立たないの」

「どうせなら最後までワケ分かんない言葉で通してよ! 急になんか洋画を……日本で洋画を上映するときの、要らんキャッチコピーみたいな恥ずかしいセリフを言わせんなよぉ!」

「何を言っているんだい、カナン……お父さんは別に恥ずかしくないぞ」

「お母さんも恥ずかしくないですよ」

「「ねー」」

「このっ、おしどり夫婦が……!」


 憤懣やるかたない様子のカナンを見かねて、父ナザランが宥めるように話す。


「しかしなあ、カナン。挨拶は大事だぞ。昔から、人々がこの挨拶を忘れた時、邪神が長き眠りから覚めると言われているからな」

「それ。その設定がイヤなんだよぉー……」


 椅子の背もたれに突っ伏してカナンが嘆く。


「だってそれ絶対、挨拶ちゃんとやらなかったせいで邪神復活するやつじゃん……」

「おいおい、縁起でもないこと言うなよカナン」

「早くご飯食べちゃいなさい」

「『ごめんなさい……ごめんなさい、みんな……あの時わたしがちゃんと挨拶していたら……世界はこんなことには!』って引きずるやつじゃん……いつか誰かがやっちゃうとしても、私がその役やりたくないんだよぉ……むっ!?」


 愚痴りながらようやくスープを口に運び始めたところで、カナンは食卓に近づいてくる足音を聞きつけた。

 次の瞬間には扉の奥に向かって叫んでいた。


「おじいちゃんちょっとそこでストッープ!!」

「えっ、なんだいカナン……どうしたんだい……?」


 困惑する祖父の声を扉越しに聞きながら、カナンはスープを大急ぎでかきこみ、炒め物をパンにはさんで手に持った。


「会うと挨拶しなきゃいけなくなるから、待って! 私、もう裏口から出るから。その後でこっちの部屋に入って!」

「ええ……な、何だいそれは。寂しいじゃないかカナン。おじいちゃんには挨拶してくれないのかい」

「ごめんね、おじいちゃんの事が嫌いなわけじゃないんだよ! この世界の挨拶が嫌いなだけだから!」


 ばたばたと鞄を抱えて裏口へ向かうカナンに、弟のポナタは不思議そうに尋ねる。


「姉ちゃん、学校行くのずいぶん早くない?」

「学校に一番乗りで着いて、机に突っ伏して寝たふりをするの。で、教室にクラスメイト全員が揃ったところで起きて、挨拶を一回で済ます!」

「どうしてそこまで……」

「こうしないと私の精神がもたないからだよ!」


 靴をつっかけて裏口の扉を開きながら、カナンは力強く宣言した。


「私はメチャクチャ勉強して都会に進学する! そしてこのクソ長異世界挨拶を唱えずに済むように、邪神の完全な封印について研究するんだ!」

「ちょっとカナン、そんな話聞いてないんだけど!?」


 母は慌てたが、カナンは完全にやる気に火がついている。


「私、燃えてるの! 目標があるっていいよね。行ってきまーす!」


 カナンが裏口から出るのと入れ替わりに、食卓にはカナンの祖父が現れ、四人での挨拶が行われる。

 それが済むと、カナンの母は夫と顔を見合わせた。


「あなた……早く、あの子に本当のことを教えてあげないと」

「まあ、いずれ。時が来たら全て話すさ」


 ナザランは眼鏡の汚れを拭きながら憂鬱そうに返事をした。


「お父さん、本当のことってなあに?」

「ああ。ポナタには、今のうちに教えてもいいかもしれないな。僕たちがやっている挨拶は、別に世界共通の挨拶じゃないんだよ」

「えっ、そうなの?」


 驚いた様子のポナタに目を細めながら、祖父も会話に加わる。


「そうだよう。北はゼリアン平原から、南はせいぜいフェトロ岬あたりまでの……まあ言ってしまえば、人の少ない田舎の挨拶だなあ」

「へえ……。あれ? じゃあ、姉ちゃんにすぐ教えてあげればいいじゃん。村を出て都会に出たらこの挨拶はしなくていいって」

「いや……違うんだ、ポナタ」


 ポナタの当然の疑問に、ナザランは悲し気に目を伏せ、首を横に振った。

 そして、いつかカナンに告げなければならない残酷な真実を語った。


「この地域の挨拶はね……世界中で行われている挨拶を、最も簡略化したものなんだよ」

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ショートコント異世界転生 CAT(仁木克人) @popncat

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